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松岡修造「伊達公子の現役ラストゲームに生涙」

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伊達公子さんの2度目の引退会見については、こないだも書いたけれども、
動画でノーカットがアップされていたので改めて見て、記録しておく
このブログは、昔、いろんな記事をスクラップしたりしていた延長線上なので

この情報あふれる時代、時空が離れていても、その時の動画や画像がたくさん観れて、
何度も振り返ることが出来るのは有り難いかぎり/感謝×∞

「テニス名試合まとめ」にも追加します


【コメント内容抜粋メモ】

伊達公子さん 2度目の引退会見 ノーカット1

Q:引退しようと決断した時期は?

US OPEN後、ドクターに診てもらい
膝に加えて、肩などにも故障が出て、8月末ぐらいに決断した


ノーカット2

Q:引退会見をここにした理由

ファーストキャリアを終えたのがNYだったので
今回は日本、東京、有明、出来ればコロシアムでやりたかった
WCをリクエストした時は全然引退は考えていなかったんですけどw

Q:思い出の試合は?

90年代では有明のフェドカップで当時No.1だったグラフに初めて勝てたこと
あとはウィンブルドンの日没サスペンデッドで2日間にわたって戦った試合

Q:グラフは刺激を受けた選手?

グラフは、当時はダントツの強さ、真のアスリート


ノーカット3

Q:復帰後の思い出の試合は?

ファーストキャリアよりチャレンジの連続だった
最初はWTAではなく全日本選手権を目標としていた

気づけばグランドスラムに挑戦して、全豪の予選を通過して、本戦に出られたこと
ウィンブルドンでのヴィーナス・ウィリアムズ戦で
今のスピード&パワーテニスに対抗できたこと

屋根が閉まった中でプレーが出来たこと
プレイヤーズラウンジで「素晴らしかった」「リスペクトする」と声をかけてもらったたこと

Q:復帰して9年半 最年長記録を数々塗り替えたが、その原動力は?

やっぱりテニス、スポーツが好きだということに尽きる
90年代は、海外でプレーする日本人選手は少なくて、環境も今と全然違っていた
野球の野茂さん、ゴルフの岡本さんぐらい

勝ちたい、勝ち続けなければならないことがプレッシャーだった90年代と比べて
1つ1つのチャレンジが楽しかった


ノーカット4

Q:後輩のプレイヤーに残したいものは?

最初の1年目は後輩のために活動していたが
WTAになると自分とのチャレンジになっていった
それを観た若い世代がなにか感じてくれたらと思っていた

Q:今のコンディションは?

雨が降ってコロシアムで試合出来ないんだと思ったけれども、
練習してみるとやっぱり気持ちよかった

膝はずっと停滞気味、痛みは肩のほうが大きい
大会にギリギリ間に合うかどうかでフルサポートしてもらった
あとはアドレナリンに任せるしかない


ノーカット5

Q:子どもの頃の夢は叶えられた?

そうあって欲しい これは自分で決めることではないと思う
20代よりフィジカル面をはるかに自分で考えて取り組んできたつもりなので
そう思ってくれる人がいてくれたら嬉しい

納得したことはまったくない
もっとやりたい、もっと違ったのでは、というのはあったが、最大限やったつもり
完璧はない 常に101%を求めるのがアスリートだと思う

Q:他のアスリートからリスペクトの声もあるが

心強い言葉を頂くのはもちろん嬉しい
今は年齢を重ねた方も多く、テニスは年齢を超えて生かせるスポーツなのかなと思う
フェデラー、ナダル、女子もトップ10に30代がいる

30代になると引退を考える時期とは思うが
自分より上の人が歩み続けることは勇気にもなると思う

結婚して、女性が社会で活躍することが難しい時代
夢を持つことすら妥協することがあるかと思うが
やり始めること、やり続けること、まだ世界は切り拓けると示せたかなとは思う


ノーカット6

Q:肩はどれほど酷い状況か?

肩はもともと弱かった さかのぼると20代に限界に近い中での引退
アメリカでは、古傷が出て、痛みには強いけれども、夜間痛とか
今は注射を打って炎症を抑えているので、ドクターから「試合は思い切ってやっていい」と言ってもらえた
実際に試合をやってみないと分からない

Q:2つの異なる時代に通用した要因をどう思う?

今はパワーとスピード
ウィリアムズ姉妹が出てきて、ラケットの進化などが噛み合って
トレーニングも医学的・科学的に進歩して選手を強くしている

90年代は会場にジムはなかったが、カンバックした時は必ずある
選手が体に時間をかける時代になった

トップ50までいけたのは、ライジングショットが打てたこと
速い展開のテニスができたことが一番大きい
それが脚によるものだったと今痛感している
私は守るテニスはできないから、対抗できないと感じる


ノーカット7

Q:引退後の挑戦は?

今はとにかくケガの不安を抱えながら大会にフォーカスしている状態
まだ先は考えていない 試合後も心配事は肩のことになると思う

その後は、少しずつ何がやりたいか、何ができるのか考えていくのかな
1回目みたいに「ラケットも握りたくない」とはならない

Q:競技人生を振り返ると?

こんなに幸せなアスリートはいないんじゃないか

1度目はトップ10を目指して、ベスト4を経験できた
2度目はトップ50をクリアできたのは、自分でも想像できなかった 若い選手でもひと握りだから

ツアーも楽しく回れた
会場に着くと必ずジムを見てたから、選手から「ジムはキミコに聞けば分かる」といわれていたw
トップにいることはみんなの目標だけれども、ツアーの中で認められたことは嬉しい


ノーカット8

Q:自分に言葉をかけるとしたら?

2つある
3、4年痛みを抱えて、トレーニングも追い込めない日々が多く
クスリに頼らざるをえなくて、「先生、もう時間がないんで」と言っていた
「もう充分やったよね」という自分と

痛みによって練習量がこなせないのは辛いので
心身のバランスが崩れたことを受け入れるしかないかなと思う反面

止めなくて済むなら止めたくないので、受け入れるのが難しかった
痛みは消えないので、常に思いが半々ある

Q:3度目の復帰の可能性は?

さすがにないw やれるものならやりたい
痛みがなくなれば引退を撤回したいけど


【錦織圭からのメッセージ】
お疲れ様でした とても刺激をもらった
これからの人生も楽しんでください
これからもよろしくお願いします


【錦織圭へのメッセージ】
彼もケガで苦しんでいる時期 あの体でトップで戦うタフさ
トップにいる時間が長いほど、困難は増えると思う トップでいつづけることの難しさ

男子であの身長で頑張るのはケガがつきもの 海外選手の平均身長は高いから
トップ10にいることは、細かく言うと出場大会数を決められていたりして結果を残すのは難しい
試練が多いと思うが、体を作り直して強さを養ってほしいと思う


ノーカット9

【最後の挨拶】

まだ実感はあるような、ないような段階ではあるが
競技者としてテニスコートを去ることは寂しいし、残念

ひとつの区切りとして 引退後もテニスに対する思いをもち続ける人生にしたい
ツアー仲間、スタッフ、審判ももう会えないかと思うと寂しい

この経験は何にも代えられない
テニスに出会えてよかった
最後の試合も記憶に残る試合をして、みなさんと時間を共有できたらと思います


(体の限界かあ・・・
 外国選手に比べて、体の小さいアジア選手はケガのリスクも高まる
 体が続けば、まだ止めたくないってところに男気感じたなあ!

 テニスの解説者とかになれば、またツアーに出て、審判とかに会えるし
 コーチになれば、試合の緊張感も再体験できるのでは?

 痛みが治まれば、シニアの大会や、エキシビションマッチなどもあるし
 ファンとしては、まだまだコートにいる伊達さんであってほしい
 本人が望むならなおさら
 そのために、まず、体をいたわってください


松岡修造「伊達公子の現役ラストゲームに生涙」



試合を見ながら修造さん自ら解説



修造さん:
雨で試合中止になる可能性もあったけれども、みんながコート整備した
対戦相手は勢いのある選手 脚も痛いんだろうなというのも分かります
あのライジングショット、リターンダッシュは彼女にしか出来ない
お客さんもみんな一緒に戦ってる雰囲気

2セットとられて試合終了 相手は一礼してから握手した
それからスピーチ(後にメモあり

修造さん:
今の言葉は女子、男子関係なく残る言葉だと思う
すべて出し切った彼女らしい

正直、僕はこれまで人を羨ましいと感じたことはなかったが
伊達だけには嫉妬感があった

25歳で世界ランキング4位で辞めるって言った時に
「ふざけんな!」て怒りだった

ただ戻ってきて「私はテニスを愛してる」て言われた時に嬉しかったし
挑戦し続ける姿を見て改めて羨ましい、ありがとうと言いたい

彼女はテニスを超えて、チャレンジする思いを伝えてくれた
僕らの心の中に永遠に残ると思う




松岡修造「伊達公子引退にホッとした」

 


【伊達公子選手 引退セレモニー スピーチ】

写真撮影



伊達:
雨で何時に始まるか分からない中、大勢集まってくださりありがとうございました





やっぱり寂しい気持ちのほうが強いかな

試合は100%に程遠いとは分かっていたが
1ポイントでも多く取りたいとコートに立ち続けました
テニスの難しさを痛感した 1ポイント1ゲームの重みを感じた

スポンサーにも感謝を申し上げたい

昨年、膝の手術をして、今日は膝は調子がよかったけれども、肩がきつかった
プレーヤーとしては最後となりますが
これからは会場で観客と同じ立場で観たいと思います


<今日集まってくれた元プレーヤー、現役のみんなへ>



みんながやってるからこそ、自分もやらなきゃと思っていた
テニスは素晴らしいスポーツ

ツアーではケガとかいろいろありますが、
時間がたったらテニスと出会えたことが幸せだと思える

限られた時間しかないので、いいことも、ある意味悪いことも
たくさん経験して、素晴らしい女性になれるように、テニスから学んでほしい


<会場に向けて>

私は最後まで勝負にこだわって、負けることは大嫌いでしたし
「伊達は怖い」という印象が強かったのも、そういう思いがあったからとお許しくださいw

(“コートマナーがプロじゃない”とか叩いてた人たちもいたな
 それをゆったら、これまでのレジェンドも、今のトップも真剣勝負の間にはいろんなことを叫んでるよ

会長、本当にサポートありがとうございました
みなさんのサポートがあってチャレンジできました

テニスファンのみなさん、これからも応援していってほしいと思います
本当にありがとうございました

(対戦相手は、明日からの試合の調整もあるだろうに、
 リスペクトしてスピーチを一緒に残って素晴らしいね


その後はファンへのサインの時間、WOWOWのインタビューも受けたり、終わらせるのも大変だあ!
インスタにも、帽子や、スマホケースなどにサインをもらった人が画像をアップしていた
雨の中、長時間辛抱強く待って、試合を見た甲斐があったね




<WOWOWのインタビュー>

インタビュアーは元選手なのか? あさのさんとかなんとか



途中で空を見て「あら、虹だあ! 私のための虹!」



D:
1度目の引退は応援されるほどしんどくて、静かに終わりたいとばかり思っていた
セレモニーもやらなかったけれども
今回はいろんな人のサポートがあればこそ
最後は東京にして、どんなプレーになってもいいと思い、ここにしました

A:スーパースターのまま終わったほうが良かったんじゃないかと思っていた

それを思ってたら、これはなかった

A:プライドは?

なかった 現実を分かってて、チャレンジに意味があると思ってた
勝ちやプライドはどんどんなくなっていった
今日も脚さえ動けばw それが2、3つになると体の反応はダメになるので

A:昔、今の環境があればNO.1になれたんじゃないのって思う

今の科学とかが20代にあったならば、もっといけたかもしれない

A:最後に、この9年半、何が一番楽しかった?

ツアーで若いコと冗談言って、20代にできなかったことが刺激になって
走り続けることがモチベーションになっていた


<WOWOWの視聴者に>

再チャレンジ終わってしまいました
最後まで気持ちだけは戦い抜いたつもりです
プロテニスプレーヤーとしては最後ですが
テニス、みなさんと出会えたこと幸せだった
大切な想い出になることと思います
これからも女子テニス応援してほしいと思います


(これだけ時間をさいたのは、試合の最後の時間を使ったのかな

またサイン攻め 左利きなんだ
タオルやリストバンドを客席に投げた
荷物をバッグに詰めて、手を振りながらコートから去る
最後までカメラに囲まれて、有終の美を飾るってこのことだ




***

「ZIP!」ほか、スポーツ番組でも報道されていた

 



 

 

 



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