■『素顔の時間』 眉村卓/著(角川文庫)
眉村卓/著 カバー/木村光佑(昭和63年初版)
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
[カバー裏のあらすじ]
夜明けに、玲子は死んだ。玲子のお父さんがつぶやいた。「あすの延伸時間になったら、さぞ、ぶつぶついうんだろうな」。
全ては延伸時間での出来事だった。延伸時間―それはとても魅力に満ちた世界だ。
殺人、核戦争はもちろん超能力を使って空を飛ぶこともできる。しかも次の延伸時間がくれば元通りに戻ってしまう。
延伸時間とは夢の世界なのか、それとも幻覚なのか?(「素顔の時間」)。
さまざまな人間模様が織りなすオリジナル傑作SF短編集!
私の好きな木村さんのカバーデザインのスタイルは、どうやら昭和50年代のものらしい
昭和60年代になると、レトロさはあっても、幾何学模様が増えたり、変化している
今見ると、本自体も新刊とかわらない
amazonで買いためた中で、短編集ではもうあの写真を引っ掻いたようなデザインのものはなくなったけれども
これから読む作品はすべて、私にとっては眉村さんの新刊となるので楽しみ
本書の短篇は、どれも、これまでになくやけに今の自分とのリンクが多くて驚いた
▼あらすじ(ネタバレ注意
点滅
月刊雑誌の副編集長の佐久間保雄は、ゆうべ学校時代のOB会ですぐに酔ってしまった
40過ぎた時分から悪いクセで、仕事の成功話や、年収、自宅の広さなどを自慢してしまう
しらふの時はけしてプライバシーのことは口外しないため、その反動かもしれないが
彼には耐え難いことだ そろそろ驕りが見えてきたということではないだろうか
昔、あるスナックで羽振りのいい中年客が女の子たちにストローでビールを飲ませる競争をさせ
やりたくない彼女たちに「金が欲しくないのか、金だぞ!」とわめいたのを思い出す
本人は成功者のつもりでも小成に安んじる小人の所業で、自分はけしてそんな人間にはならないぞと思った
編集部員の1人が倒れ、佐久間は、現代の側面という特集で、
奇人と言われる刈谷という大学教授に、カメラマンと2人だけで取材に行くことになった
若いカメラマンがマイホームを買ったという話をした
「僕らの商売は体力でもっているようなもんですよ
今はいいけど、年とって体力がなくなったらゾッとしますね
家のローンは延々と続くし・・・」
まだ結婚相手も決まらないうちに、この若さで借金までして家を買うなど
佐久間の若い頃は考えられないことで、かすかな羨望を覚えつつも
不動産が本当に頼りになるものかと疑念を抱いた
所有権なんて、つまるところは国家に一時的に保障されているだけで、いつ喪失するか分からない
刈谷は古い公団住宅に一人暮らし 何年か前に妻を亡くし、2人の息子も寄り付かない
部屋に入ると、彼はサングラス、マスク、手袋という奇妙な格好だ
教え子によると、刈谷は現代は滅亡に瀕していて、原因は科学で突き止められない悪性の病にあるという
「話せというなら話しますが、どうせ本気で聞かないでしょう 反感を抱いて帰る人のほうが多い
あなたは向上心をお持ちですか?
現代では、真の精神性なんて存在しない すべては物質に置換され、帰着する」
「これが是非欲しいというものはないみたいです 小市民なのでしょうか
こんな気持ちが驕りにつながっているのも否定しませんが」
「ほう あなたはともかく分を知った そういう人なら理解してもらえるかも分からない
病気といっても、まだどう伝染するのか分からない 我欲ですよ 正確には所有欲
何でもかんでも欲しくなる
便利なものが手に入ると、さらに便利なものを求める
そこまでやらなくてもと言いたくなるような商品開発競争は際限がない
観察によると、罹病している人と親しく付き合うとうつるようですな
おそらく、人間は最初からそういう要素を内包してたのでしょう
歴史が証明しています 異常なまでの権勢欲に駆られた実力者は病人だったのです
以前は進行を食い止める社会慣習やタブーがあったがそれもなくなった
生産力は向上し、ものは豊富になった ローンも当たり前になっている
もう歯止めがきかない 日本はその様相が顕著です」
これはやはり妄想に基づく神経症だと思っていたが、否定出来ないものがあると感じた
「自分の中に歯止めを持っている人は、罹病してもある程度のところで進行は停止する
あなたはそれを驕りと呼んだ せいぜい自戒して慎めばいいことだ
しかし、私の話を聞くとカチンとくる人がいる」
「嫌な男ですね」と後にカメラマンは言った
特集自体はそれほど反響はなかったが、刈谷に書いてもらったより詳細な文章は
週刊誌がセンセーショナルに取り上げ、汚職、強盗、サラ金地獄による一家心中などが
所有欲肥大病と結びつけられて話題になった
刈谷はマスコミに追いまわされ、取材を拒否し、真意が歪曲されていると抗議した
編集長「刈谷がひき逃げされたらしい」
部員「誰かが殺したんじゃないですか」
みんな一斉に笑い出した
編集長「あいつは、ふつうの人間にとって迷惑きわまる奴だったんだ」
部員「それに嫌味だったよ 自分だけ立派な人間みたいな言い方で」
編集長「佐久間さんは、病気の進行に歯止めがかかる人間もいて
あんたもその一人だとすると、同類ということで・・・危ないよ」
部員「憎まれているかもしれませんね」
佐久間は、内心築きあげてきた平衡があっという間に崩れていくのを自覚していた
(11万円もする新型iPhoneを、ただ「見せびらかしたいだけに並んで初日に買う」って
インタビューで答えてた男性も同じ病かな?
逢魔が時
島崎は、随想、紀行文、広告のコピーまで何でもやるフリーライターとしてこなしてきたが
この2、3年は絞り出さなければ書けなくなった 創作力が枯渇したのか?
こないだ記事で40を過ぎると脳は働く部分が減ると書いてあった
彼は引き出しから何気なく直径4cmほどの円盤を取り出した
小学生の時、見知らぬ男からもらったのだ
「これを大事にして、誰にもあげちゃいけないよ 後で役に立つかもしれない」
プラスチックみたいでありながら、硬いものに当たっても傷がつかず
タバコの火に触れても痕跡も残らなかった
これが自分の守護神だと思ったこともある
島崎は、叔父に育てられたが、叔父の子どもと比べて勉強ができたため憎まれていた
母はふと知り合った身元不詳の男と深い仲になり、彼を生んで衰弱死したという
もっと外を向いて、多くの人と喋るのも一策かと、あまり親しくない松田の個展の
オープニングパーティに出かけることにした
パーティに行くと、松田は意想外の色彩で知られる版画家・谷川なつえを紹介した
胸に着けたネックレスを見ると、そのペンダントが彼の持っている円盤にソックリなことに驚いた
その模様の数は3つではなく5つある
「実は、僕もそれと同じようなのを持っていましてね」
「本当に? 名刺いただけます? 一度ゆっくりお話ししたいから」
その数日後、スナックで会い、2つの円盤を見比べると模様の2つは共通して、あとは違う
「私も幼稚園の頃、知らない大人の男性が、これは君のものだといってもらったんです
私の父はどこの誰だか分からず、母は私を産んですぐ死んだそうで、施設から里親に引き取られました
私にくれた人と同一人物じゃないかしら
その男の人、父じゃないかという気がするんです
これをもらった人には、何か特別の才能があることが裏付けられた
私は小さい頃から色彩の感覚が他人より鋭かったらしいんです」
自分となつえの時では10年の開きがある
近頃はご利益が薄れてきていると話すと、なつえも同じだと言う
「これは地球のものではない あいつは宇宙人で、次々に女に手を出して子どもを産ませる
これは自分の子どもだと示すしるしなんだ
人間の女には宇宙人の子を宿すには荷が重過ぎて、衰弱して死ぬ 可哀相な話だ」
「その才能は、素晴らしければ、素晴らしいほど、早く擦り切れるのよ」
その後、なつえが部屋で睡眠薬を飲んで自殺したという記事を読んだ
自分の才能に限界を覚え自信を失ったと遺書にあった
彼女はあの護符にすがって切り抜けようとしたが、話し合ったことで
無意味だと悟ったのではないか
彼は原稿をもってTV局に入ると、若い女が出る占いの番組を収録していた
彼女が取り出したのはあの円盤だった 模様は7つか8つある
ディレクター
「あのコ、近頃売り出し中の霊感術師なんですよ
まるで予知能力を持ってるみたいに当たるんです まだ21歳なのに」
あの女も同族なのか 彼女ははるかに若く、はるかに大きな才能をもらっている
その才能は華やかだけに末路はさらに早くやって来るのではないか?
ほかにもまだいるかもしれない 奇妙な星の下に生まれた子どもたち
しかし、自分が何であろうと、続けるしかないのだ
秋の陽炎
安田が起きると午後1時だった 午前2、3時まで起きて、昼過ぎまで眠るのがサイクルになっている
自分はたしかに日ごとに衰えているのだ
広告という苛酷な世界に身を置いて、ようやくフリーになったものの
働き過ぎで、人より速く老化が進行しているのかもしれない
悪循環を断ち切ろうと努力もしたが、仕事のやりかたそのものも、すでに型にはまっているのだろう
だから、1ヶ月ほどアメリカ・ヨーロッパに行けば、生活リズムが戻るかもしれないと仕事を受けた
その代わり2週間後の出発を控えてしわ寄せは日ごとに増している
新聞の新製品欄をチェックしても、最近はどういう原理で働き、どんな構造なのかつかめないものが多い
以前は、あの理屈の応用かと納得できたが、疲れのせいか、新奇なものを追っても際限がない
意味もない気がして、勉強不足になり、さらに疑問が増える
それがまた、自分と社会が切り離され、孤立したような感覚につながる
広告制作局ディレクター・中尾から仕事の打ち合わせの話が来て、4時半に約束した
駅に向かうと、すれ違う人々に陽炎がたっている
陽炎は春のものだ 今は秋で曇天の状態であり得ない
疲労が蓄積されて、視野に変調がきているのかもしれない
地下鉄から上がると陽炎がまた見えた それぞれに色がついている
青色、紫色、黄色・・・人だけではなく、クルマ、ビルまでが色づいている
自分を見ると、彼自身は何も出していないようだ
ビルに入ると色は立っていない 屋内だと消えてしまうのか?
アルコール中毒になると幻覚を見るというが
中尾にそれとなく聞くと
「そりゃまるでオーラみたいじゃないか よく知らないけど、人には霊気があって、見える人には見える」
日曜でもフリーの安田には休日とは限らない 今日は休養が必要だ 心身を休めなければならない
妻には心配させまいとまだ言っていない 家族の陽炎も見えないのだ
今日は、都心の繁華街で久しぶりに映画でも観よう
人でごった返している場所では何も色がついていない
いろんな色が混ざると無色になるようなのだ
彼のほうに歩いてきた男が青色のゆらゆらをまとっていて目に入った
時々仕事で依頼する印刷会社の社員だ
彼のゆらゆらが青くなったのは、自分を見つけた時だった
社員としての意識を抱き、行動した時だ
つまり、社員意識、組織体の意識の反映か?
その後も、いくら休養し、酒をやめてもゆらゆらは見える
飛行機に乗り、機体の上昇に耐えている時はみんな孤独だと思って、彼は不意に了解した
あれも孤独のせいではないか どの組織にも属さず、世間と次第にズレてきたという自覚
それが疲労で鋭敏になった神経と相乗して見るようになったのだ
これが昼だったら、眼下に青色のゆらゆらが見える気がする
彼は見つめ続けるしかないのだ
枯れ葉
大槻は逃亡者になろうとしていた
礼子に電話をして、結婚は出来なくなったと話した
マンションを買い、ローンが払えず、あちこちのサラ金から追われているのだ
ポストに1通の書状を見つけ、差出人の名前がない
ポケットに突っ込んでとにかく家を出た
彼がこんな羽目になったのは空想癖のせいだ
子どもの頃から家族が多く、一人の空間を持てなかったせいで
ほかの兄弟は適応したが、彼はよく本を読む非現実的な子だった
就職したのは、自宅から遥かに遠い大都市だ
独身寮に入り、初めて個室を持ったが、集団ルールが次第に煩わしくなった
出張で列車に乗ると家々が見える
その家の中で暮らす自分を想像する 哀れな境遇だったり、栄華を楽しんだり
そのうち、いくつかは自分にも可能ではないかと考えるようになった
何百という間取り図を集めて、マンションを買ってしまうと、もう想像出来なくなった
終着駅に着き、構内の食堂で空腹を満たしながら思案した
逃亡先でも生きる手段を求めなければならない 行く先は3種類
故郷へ帰るのは危険だ サラ金に捕まるために帰るようなものだ
人里離れた場所は、自分に合っているが、そんな土地の人々はよそ者に気を許さない
溶け込むには10年、20年ではダメかもしれない
となると、別の大都市に紛れ込むのだ
ポケットの給料のほかに金はない
そのポケットから出掛けにポストに入っていた書状が入っていた
「あなたが追われていることを知りました
行く所がなければ、私たちの町へいらっしゃい
M線S駅の駅前にうどん屋があります そこでこの紙を渡して下さい」
これは罠かもしれないと思ったが、どうにも興味を抑えきれない
行くと、古ぼけたモルタルの2階建てで、観光案内所と書かれている
男に手紙を渡すと、なにか計算機にタイプして、印刷された紙を持っていろいろ質問した
名前、住所、卒業学校名・・・答えたくなければ、それでいいという態度だ
大槻は正直に答えると「奥の部屋に入ってください」
そこは見慣れぬ機械だらけの部屋で、女が言う
「あなたをテストします これから行く所に適当かどうか調べなければなりません
いやならドアから出てください ただし、かなりの記憶が失われますよ」
せっかく来たのだ 恐れより好奇心のほうが強くなっていた
テストが終わると
「あなたなら厄介な問題は起こさないと判断します さあ出発してください」
奥に進むと黒い四角いシミが出現して、入ると外に出ていた
さっきまで夜だったのが、ここは真昼だ 丘には何百という集合住宅がある
行き来する大勢の人は、人間だけでなく、トカゲに似ていたり、猫そっくりの顔や(ステキ
そこに彼とあまり年の違わない青年がやって来て
「新しい仲間だね 私は面倒をみる役の者だ」
*
「よくある脱出タイプだな 地球型の生命体を一緒に住ませて
どの種族が友好的か観察する場所なんだ
そこでは、心優しく、他人をしのぐのが苦手な連中が必要なんだ
現代の落ちこぼれ、不適応者がもっとも適格なんだよ」
「類型的なのよ スター・トレックか何かにもあったんじゃない?
フレドリック・ブラウンに似たような話があるわよ」
帝国大学教授は言った
「いくら君が未来から来た人間といっても・・・そんなことはあり得ないと断言するが
50年後にこんなものが活字になるとは信じられない
ちゃんとした日本人には馴染まないんだよ」
素顔の時間
吉川は、午前0時に独身寮に帰った
多忙な1日だったが、婚約者・玲子とのデートがある
寮ではコンパをやっていて、「今日もデートか?」と冷やかされ
柿原という寮長が「飲んで行け」とグラスを投げた
これは「延伸時間」に入ったのだ
「貴様、寮長だといって偉そうにするんじゃないよ!」
柿原がアタックしてきたが、彼の重量は1トン以上になっていて、柿原は吹き飛んだ
寮生らは、超能力でそのへんのものを投げあったりしている
部屋に登山ナイフがあることを思い出した
以前、3人も殺したことのある古参社員に奪われたが、今日はあいつはいない
延伸時間は、体調などで長さが変わる
基本時間では、延伸時間が存在することさえ気づいていないが
延伸時間では、どちらもみんな覚えているのだ
個人の幻覚に過ぎないという学者もいる 延伸時間で死んでも、基本時間では元に戻るからだ
だがそれならみなが共通に記憶しているわけがない
玲子のところに行く前にテレビを見た
全面核戦争はこれまで十数回おきていたが、延伸時間はみんなの自由時間で
それを減らすのは許せないとなぶり殺しにされ、最近は平穏だ
玲子はなるだけこまめに寄ってくれという
だから延伸時間になると、できるだけ家に行くようにしている
移動手段はクルマか電車かだが、吉川はクルマに偏見を抱き、運転を覚えたくないと思っているため
歩くことにすると2時間はかかる 遅れると電話をすると玲子の母が出た
「玲子、死にかけているんです 今夜は超能力がよく働くといって空を飛んでいたら
近所の人に銃で撃たれたんです そりゃ基本時間には戻りますけど、可哀相で」
狩猟が趣味で鉄砲の所持許可証を持ち、家に銃があるから、延伸時間になると他人を撃つクセがあると聞いていた
婦女暴行も稀ではない 女のほうが強い超能力があれば、恨みでゾッとするような殺され方をされるから
もしやるなら、周囲の状況を見極めないと危険だ
幸い、電車は動いていた
「この電車の乗務員は、延伸時間正常化同盟のメンバーです
延伸時間を秩序あるものにしましょう」とアナウンスが流れた
玲子は苦痛でうめき、楽にさせてくれと訴えていたが、家族にはどうにもできない
父親がモルヒネか何かを与えたが、夜明けに玲子は死んだ
ぼんやりと道を歩いていると、子どもの一群に囲まれていた
子どもでも超能力が強いと恐ろしい 子どもほど残酷なものはないのだ
彼はミサイルに当たり息絶えた
寮に戻るとコンパをやっている 柿原が「おい、飲んで行け」と言い、断れずに付き合った
部屋に戻って眠ると、玲子が誰かに撃たれて死ぬ夢を見た
行きつけのバーで延伸時間になった
S市に住んで5年目 ここに来るには家でかなり論議となった
妻の玲子が子どもの問題を強硬に主張し、単身赴任するしかなかった
玲子とは不仲になりだいぶ経つが、別居生活で決定的になってしまった
基本時間では建前を貫き、延伸時間とのズレが余計に大きくなる
ママが小さな声で言う 「きょう、どこかへ行かない? 死ぬ前にお別れしたいの」
近年、彼の延伸時間は随分短くなった 若い頃は20時間ほどあったのに、今は8時間ほどだ
基本時間で、彼は死ぬらしいのだ 延伸時間がゼロになった時、死が訪れるのか彼には分からない
いつかは、夜明けを待たずに死ぬのではないか?
延伸時間内では、朝はもう来ないのは寂しいことだ
減速期
会社に戻る国電で、楠田はかつてのクラスメート大島杏子にソックリな女子高生を見かけて驚く
偶然にしても似すぎている だが、あの頃の杏子がまだ学生であるはずもない
あれは杏子の娘なのか? それにしても後を尾けるなんてできない
杏子とは付き合っていたが、大学受験を優先させて、一方的に縁を切った
大学に合格し、就職して、今の自分がある
時々寄るバーで、昼間のことをぼんやり考えてみる
あの時、別れたのは正解だったと思いながら、己の損得のために
杏子やほかの多くのことを振り捨ててきた気がする
カウンターの隣りに若い男女が座って喋り出し、ふと見ると北野千佳だ!
千佳は、今の会社に入社した時の同僚で、男子社員に人気があり
親しくなったが、彼女が意外に真剣になって困り、結婚も覚悟したが
なんとか別れるのに成功し、千佳は失意のうちに会社を辞めたのだ
だが、やはり千佳のはずはない 千佳はもう40を越えているはずだ
隣りに座っている男を見て、再び驚いた 同期入社をしたNにソックリだ
一流大学出の秀才で、仕事もできたが、点数稼ぎを狙いすぎると
まずOLに嫌われ、楠田も含めて同期の連中が、先輩や上司にいろいろ吹き込み
1年にならないうちにNは会社を飛び出した
「何か言いたいんですか? じろじろ見られては不愉快です」
男が向き直って言った その言い方もNそのものだ
「出よう こんなおっさんを相手にするのは不愉快だ」
「おっさん?」
「そうじゃないか 年功序列のおかげで首がつながってるおっさんじゃないか」
楠田は年甲斐もなくケンカを買いそうになり、バーテンダーに止められた
休日 楠田はいつもの習慣で、運動不足解消のためにサイクリングに出かけた
スポーツ車も多いが、彼はマイペースで漕いだ
公園を2周もすれば疲れてベンチで休んでいると
トレーニングウェアの若者が座っていて、まぎれもなく自分自身だった
若い日の彼そのものなのだ
「失礼ですが・・・あなたは私の若い時分にそっくりなものですから」
「構いませんよ よく人違いをされるんです」
「私もそうでした」
妻にも言いかねていたことを言わずにいられなくなり、事情を説明した
「その偶然は、あなたが呼び出したのかもしれませんよ
父も似たようなことを言うんですが、ひたすら生きてきた
自分のために片っ端からいろんなものを置き去りにしてきたというんです
僕は自分なりに優雅にやろうと努めてます 現役で大学に入らず浪人したんです
就職するのも憂鬱で大学院に行っています
あなたや父のような人たちは、疲れて減速期に入ってるんじゃないですか
それで、捨ててきたものを思い出した 無意識に求めていたのが出てきた
実は、父も同様らしいんですよ 減速期だと言ったら不機嫌になりましたが」
若者は去っていき、楠田はもう走る気力もなくなった
朝の通勤ラッシュで、自分の前に座っている人を見ると、庶務にいて定年退職したSさんだ
もちろん本当のSさんではない 彼は自分が30になる前に退職し、2、3年前に亡くなったと聞いた
近頃は、昔の誰かにソックリな人と何度も遭遇する それも同じ人間と2度、3度も
それが同一人物なのかも確信は持てない
かれらは、彼の過去から呼び出された人々なのだ
今の自分を嘲笑するために出てきたのだ
そんなにまでして振り捨ててきた結果、今の自分は平凡な存在だ
この程度じゃないかと嘲笑するために
少し高い椅子
37歳の秋山は、ひびきと離婚したあたりから飲み過ぎるようになった
今夜もだいぶ酔って帰ると、奥から女が出てきた それも赤ん坊を抱いている
「洋子、まだ寝ないのよ ご飯、食べてきた?」
自分で鍵を開けて入ったのだから、ここは自分の部屋だ
間違えたとしても、こうも平然と出迎えるものか
自分がパパ?
とりあえずなりゆきを見守って考えるのが良策だ
食卓は、自分のより一回り大きく、茶碗なども見覚えがない
翌朝、「うちに戸籍謄本か抄本はあったかな」と聞くと、女は普通に引き出しから持ってきた
謄本を見ると、本来なら10年前に森ひびきと結婚し、半年前離婚したと書かれているはずが
10歳も若い佐藤明子と結婚し、半年前に長女・洋子が出生とある
自分は、似てはいるけど別の世界に来たのではないか?
新たな不安が湧いてきた 会社はちゃんとあるだろうか?
あったとして、自分の場はあるのだろうか?
勤務先は、二部に上場されている会社で、彼は経理部の係長だ
いささか昇進遅れで、本当は企画部に行きたかったが、研修が終わると経理に配属された
企画に入った同期は須田という奴だ
自分の席だった場所に行くと、自分の部下の女子社員が妙な表情で
「須田係長は、今日は風邪でお休みになるそうです」と言う
タイムカードはあったから、彼の席はほかにあるはずだ
トイレに入り、名刺を確かめると、昨日と同じだった
そういえば、この服は昨日もずっと着ていたのだ
あの女子社員の言う須田が同期の須田なら、須田は会社に1人しかいないから、2人いるのはおかしいことになる
企画部に行き、勇気を出して、須田の席に座ると誰も何も言わなかった
名刺を見ると、企画部課長 秋山と印刷されている
安堵とともに満足にかわった
異変以来半月近くになるが、最初はまごついたものの、じきに同化できた
なぜこうなったか分からないが、このままでいいのだ
時々行く喫茶店に行こうとしたら、ひびきが声をかけてきた
彼女はより美しく、生き生きしている
喫茶店で話すと、コピーライターをして、3年前にフリーになったという
「昔、秋ちゃんのプロポーズ断ったでしょ 束縛されたくないからって
でも、こう長く独身だと、旦那があっても悪くないんじゃないかって気になるのよ
もっとも、一緒になっても、いろいろ苦労したでしょうけど」
彼は衝動に駆られて、異変のことを夢として喋った
「楽しいわね でも本当なら厄介ね だって、その新しい世界には、
以前からもう一人の秋ちゃんがいたわけでしょう?
その秋ちゃんが現れて、文句をつけたらひどい騒ぎになるわよ
ま、夢だから理屈はどうでもいいけど」
言われてみるとそうだ もう一人の元からいた自分が現れたら・・・
今のこの快適な生活はご破算なのだ
今の自分は、そう、少し高い椅子に座っているのだ
いつひっくり返るか分からぬ高い椅子に
だが、いつひっくり返るか分からず、後ろめたい生活という点では、
前の毎日も本質的には同じではなかったか
そこそこの会社の経理部の係長でも、いつ放り出されるか分からない立場で
世のしわ寄せを受ける小さな企業の連中を思えば、後ろめたいはずではなかったか?
もう一人の自分が現れたら、その時考えよう
脅えながらでも、そうするしかないのだ
【年譜 著者自筆(!) 昭和63年)】
1934 大阪府大阪市西成区生まれ
1945 大阪空襲で罹災
1957 大阪窯業耐火煉瓦会社に入社
1959 高校の同級生だった森川悦子と結婚 25歳
高校時代以後続けていた詩文が、SFへと傾斜しつつあった
1963 長女・知子出生 29歳
1965 大広との嘱託契約を解除し、フリーとなる
本書が昭和63年初版だから、年譜は昭和58年「引き潮のとき」を「SFマガジン」に連載中 で切れている
その後はウィキ参照
***
私の中で勝手に初期→後期と思っていたのが、実際書かれた順番とかなり違っていることに驚いた
とても疲れて擦り切れたサラリーマンものを、すでに30代で書いていたり
『とらえられたスクールバス(前編・中編・後編)』などは、かなりの年月をかけて3冊にまとめたと知った
それにしても多作で、どれも外れなし!
生年月日を見て、父と1歳しか違わないことにもビックリ
生まれ育った地域は違っても、同じ時代を生きていたのか
では、このサラリーマンSFの虚無感も、本好きな父にも通じるだろうか?
父の本棚を見ると、山や無線、歴史の本が多くて、私とは異なるようだけれども
眉村卓/著 カバー/木村光佑(昭和63年初版)
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
[カバー裏のあらすじ]
夜明けに、玲子は死んだ。玲子のお父さんがつぶやいた。「あすの延伸時間になったら、さぞ、ぶつぶついうんだろうな」。
全ては延伸時間での出来事だった。延伸時間―それはとても魅力に満ちた世界だ。
殺人、核戦争はもちろん超能力を使って空を飛ぶこともできる。しかも次の延伸時間がくれば元通りに戻ってしまう。
延伸時間とは夢の世界なのか、それとも幻覚なのか?(「素顔の時間」)。
さまざまな人間模様が織りなすオリジナル傑作SF短編集!
私の好きな木村さんのカバーデザインのスタイルは、どうやら昭和50年代のものらしい
昭和60年代になると、レトロさはあっても、幾何学模様が増えたり、変化している
今見ると、本自体も新刊とかわらない
amazonで買いためた中で、短編集ではもうあの写真を引っ掻いたようなデザインのものはなくなったけれども
これから読む作品はすべて、私にとっては眉村さんの新刊となるので楽しみ
本書の短篇は、どれも、これまでになくやけに今の自分とのリンクが多くて驚いた
▼あらすじ(ネタバレ注意
点滅
月刊雑誌の副編集長の佐久間保雄は、ゆうべ学校時代のOB会ですぐに酔ってしまった
40過ぎた時分から悪いクセで、仕事の成功話や、年収、自宅の広さなどを自慢してしまう
しらふの時はけしてプライバシーのことは口外しないため、その反動かもしれないが
彼には耐え難いことだ そろそろ驕りが見えてきたということではないだろうか
昔、あるスナックで羽振りのいい中年客が女の子たちにストローでビールを飲ませる競争をさせ
やりたくない彼女たちに「金が欲しくないのか、金だぞ!」とわめいたのを思い出す
本人は成功者のつもりでも小成に安んじる小人の所業で、自分はけしてそんな人間にはならないぞと思った
編集部員の1人が倒れ、佐久間は、現代の側面という特集で、
奇人と言われる刈谷という大学教授に、カメラマンと2人だけで取材に行くことになった
若いカメラマンがマイホームを買ったという話をした
「僕らの商売は体力でもっているようなもんですよ
今はいいけど、年とって体力がなくなったらゾッとしますね
家のローンは延々と続くし・・・」
まだ結婚相手も決まらないうちに、この若さで借金までして家を買うなど
佐久間の若い頃は考えられないことで、かすかな羨望を覚えつつも
不動産が本当に頼りになるものかと疑念を抱いた
所有権なんて、つまるところは国家に一時的に保障されているだけで、いつ喪失するか分からない
刈谷は古い公団住宅に一人暮らし 何年か前に妻を亡くし、2人の息子も寄り付かない
部屋に入ると、彼はサングラス、マスク、手袋という奇妙な格好だ
教え子によると、刈谷は現代は滅亡に瀕していて、原因は科学で突き止められない悪性の病にあるという
「話せというなら話しますが、どうせ本気で聞かないでしょう 反感を抱いて帰る人のほうが多い
あなたは向上心をお持ちですか?
現代では、真の精神性なんて存在しない すべては物質に置換され、帰着する」
「これが是非欲しいというものはないみたいです 小市民なのでしょうか
こんな気持ちが驕りにつながっているのも否定しませんが」
「ほう あなたはともかく分を知った そういう人なら理解してもらえるかも分からない
病気といっても、まだどう伝染するのか分からない 我欲ですよ 正確には所有欲
何でもかんでも欲しくなる
便利なものが手に入ると、さらに便利なものを求める
そこまでやらなくてもと言いたくなるような商品開発競争は際限がない
観察によると、罹病している人と親しく付き合うとうつるようですな
おそらく、人間は最初からそういう要素を内包してたのでしょう
歴史が証明しています 異常なまでの権勢欲に駆られた実力者は病人だったのです
以前は進行を食い止める社会慣習やタブーがあったがそれもなくなった
生産力は向上し、ものは豊富になった ローンも当たり前になっている
もう歯止めがきかない 日本はその様相が顕著です」
これはやはり妄想に基づく神経症だと思っていたが、否定出来ないものがあると感じた
「自分の中に歯止めを持っている人は、罹病してもある程度のところで進行は停止する
あなたはそれを驕りと呼んだ せいぜい自戒して慎めばいいことだ
しかし、私の話を聞くとカチンとくる人がいる」
「嫌な男ですね」と後にカメラマンは言った
特集自体はそれほど反響はなかったが、刈谷に書いてもらったより詳細な文章は
週刊誌がセンセーショナルに取り上げ、汚職、強盗、サラ金地獄による一家心中などが
所有欲肥大病と結びつけられて話題になった
刈谷はマスコミに追いまわされ、取材を拒否し、真意が歪曲されていると抗議した
編集長「刈谷がひき逃げされたらしい」
部員「誰かが殺したんじゃないですか」
みんな一斉に笑い出した
編集長「あいつは、ふつうの人間にとって迷惑きわまる奴だったんだ」
部員「それに嫌味だったよ 自分だけ立派な人間みたいな言い方で」
編集長「佐久間さんは、病気の進行に歯止めがかかる人間もいて
あんたもその一人だとすると、同類ということで・・・危ないよ」
部員「憎まれているかもしれませんね」
佐久間は、内心築きあげてきた平衡があっという間に崩れていくのを自覚していた
(11万円もする新型iPhoneを、ただ「見せびらかしたいだけに並んで初日に買う」って
インタビューで答えてた男性も同じ病かな?
逢魔が時
島崎は、随想、紀行文、広告のコピーまで何でもやるフリーライターとしてこなしてきたが
この2、3年は絞り出さなければ書けなくなった 創作力が枯渇したのか?
こないだ記事で40を過ぎると脳は働く部分が減ると書いてあった
彼は引き出しから何気なく直径4cmほどの円盤を取り出した
小学生の時、見知らぬ男からもらったのだ
「これを大事にして、誰にもあげちゃいけないよ 後で役に立つかもしれない」
プラスチックみたいでありながら、硬いものに当たっても傷がつかず
タバコの火に触れても痕跡も残らなかった
これが自分の守護神だと思ったこともある
島崎は、叔父に育てられたが、叔父の子どもと比べて勉強ができたため憎まれていた
母はふと知り合った身元不詳の男と深い仲になり、彼を生んで衰弱死したという
もっと外を向いて、多くの人と喋るのも一策かと、あまり親しくない松田の個展の
オープニングパーティに出かけることにした
パーティに行くと、松田は意想外の色彩で知られる版画家・谷川なつえを紹介した
胸に着けたネックレスを見ると、そのペンダントが彼の持っている円盤にソックリなことに驚いた
その模様の数は3つではなく5つある
「実は、僕もそれと同じようなのを持っていましてね」
「本当に? 名刺いただけます? 一度ゆっくりお話ししたいから」
その数日後、スナックで会い、2つの円盤を見比べると模様の2つは共通して、あとは違う
「私も幼稚園の頃、知らない大人の男性が、これは君のものだといってもらったんです
私の父はどこの誰だか分からず、母は私を産んですぐ死んだそうで、施設から里親に引き取られました
私にくれた人と同一人物じゃないかしら
その男の人、父じゃないかという気がするんです
これをもらった人には、何か特別の才能があることが裏付けられた
私は小さい頃から色彩の感覚が他人より鋭かったらしいんです」
自分となつえの時では10年の開きがある
近頃はご利益が薄れてきていると話すと、なつえも同じだと言う
「これは地球のものではない あいつは宇宙人で、次々に女に手を出して子どもを産ませる
これは自分の子どもだと示すしるしなんだ
人間の女には宇宙人の子を宿すには荷が重過ぎて、衰弱して死ぬ 可哀相な話だ」
「その才能は、素晴らしければ、素晴らしいほど、早く擦り切れるのよ」
その後、なつえが部屋で睡眠薬を飲んで自殺したという記事を読んだ
自分の才能に限界を覚え自信を失ったと遺書にあった
彼女はあの護符にすがって切り抜けようとしたが、話し合ったことで
無意味だと悟ったのではないか
彼は原稿をもってTV局に入ると、若い女が出る占いの番組を収録していた
彼女が取り出したのはあの円盤だった 模様は7つか8つある
ディレクター
「あのコ、近頃売り出し中の霊感術師なんですよ
まるで予知能力を持ってるみたいに当たるんです まだ21歳なのに」
あの女も同族なのか 彼女ははるかに若く、はるかに大きな才能をもらっている
その才能は華やかだけに末路はさらに早くやって来るのではないか?
ほかにもまだいるかもしれない 奇妙な星の下に生まれた子どもたち
しかし、自分が何であろうと、続けるしかないのだ
秋の陽炎
安田が起きると午後1時だった 午前2、3時まで起きて、昼過ぎまで眠るのがサイクルになっている
自分はたしかに日ごとに衰えているのだ
広告という苛酷な世界に身を置いて、ようやくフリーになったものの
働き過ぎで、人より速く老化が進行しているのかもしれない
悪循環を断ち切ろうと努力もしたが、仕事のやりかたそのものも、すでに型にはまっているのだろう
だから、1ヶ月ほどアメリカ・ヨーロッパに行けば、生活リズムが戻るかもしれないと仕事を受けた
その代わり2週間後の出発を控えてしわ寄せは日ごとに増している
新聞の新製品欄をチェックしても、最近はどういう原理で働き、どんな構造なのかつかめないものが多い
以前は、あの理屈の応用かと納得できたが、疲れのせいか、新奇なものを追っても際限がない
意味もない気がして、勉強不足になり、さらに疑問が増える
それがまた、自分と社会が切り離され、孤立したような感覚につながる
広告制作局ディレクター・中尾から仕事の打ち合わせの話が来て、4時半に約束した
駅に向かうと、すれ違う人々に陽炎がたっている
陽炎は春のものだ 今は秋で曇天の状態であり得ない
疲労が蓄積されて、視野に変調がきているのかもしれない
地下鉄から上がると陽炎がまた見えた それぞれに色がついている
青色、紫色、黄色・・・人だけではなく、クルマ、ビルまでが色づいている
自分を見ると、彼自身は何も出していないようだ
ビルに入ると色は立っていない 屋内だと消えてしまうのか?
アルコール中毒になると幻覚を見るというが
中尾にそれとなく聞くと
「そりゃまるでオーラみたいじゃないか よく知らないけど、人には霊気があって、見える人には見える」
日曜でもフリーの安田には休日とは限らない 今日は休養が必要だ 心身を休めなければならない
妻には心配させまいとまだ言っていない 家族の陽炎も見えないのだ
今日は、都心の繁華街で久しぶりに映画でも観よう
人でごった返している場所では何も色がついていない
いろんな色が混ざると無色になるようなのだ
彼のほうに歩いてきた男が青色のゆらゆらをまとっていて目に入った
時々仕事で依頼する印刷会社の社員だ
彼のゆらゆらが青くなったのは、自分を見つけた時だった
社員としての意識を抱き、行動した時だ
つまり、社員意識、組織体の意識の反映か?
その後も、いくら休養し、酒をやめてもゆらゆらは見える
飛行機に乗り、機体の上昇に耐えている時はみんな孤独だと思って、彼は不意に了解した
あれも孤独のせいではないか どの組織にも属さず、世間と次第にズレてきたという自覚
それが疲労で鋭敏になった神経と相乗して見るようになったのだ
これが昼だったら、眼下に青色のゆらゆらが見える気がする
彼は見つめ続けるしかないのだ
枯れ葉
大槻は逃亡者になろうとしていた
礼子に電話をして、結婚は出来なくなったと話した
マンションを買い、ローンが払えず、あちこちのサラ金から追われているのだ
ポストに1通の書状を見つけ、差出人の名前がない
ポケットに突っ込んでとにかく家を出た
彼がこんな羽目になったのは空想癖のせいだ
子どもの頃から家族が多く、一人の空間を持てなかったせいで
ほかの兄弟は適応したが、彼はよく本を読む非現実的な子だった
就職したのは、自宅から遥かに遠い大都市だ
独身寮に入り、初めて個室を持ったが、集団ルールが次第に煩わしくなった
出張で列車に乗ると家々が見える
その家の中で暮らす自分を想像する 哀れな境遇だったり、栄華を楽しんだり
そのうち、いくつかは自分にも可能ではないかと考えるようになった
何百という間取り図を集めて、マンションを買ってしまうと、もう想像出来なくなった
終着駅に着き、構内の食堂で空腹を満たしながら思案した
逃亡先でも生きる手段を求めなければならない 行く先は3種類
故郷へ帰るのは危険だ サラ金に捕まるために帰るようなものだ
人里離れた場所は、自分に合っているが、そんな土地の人々はよそ者に気を許さない
溶け込むには10年、20年ではダメかもしれない
となると、別の大都市に紛れ込むのだ
ポケットの給料のほかに金はない
そのポケットから出掛けにポストに入っていた書状が入っていた
「あなたが追われていることを知りました
行く所がなければ、私たちの町へいらっしゃい
M線S駅の駅前にうどん屋があります そこでこの紙を渡して下さい」
これは罠かもしれないと思ったが、どうにも興味を抑えきれない
行くと、古ぼけたモルタルの2階建てで、観光案内所と書かれている
男に手紙を渡すと、なにか計算機にタイプして、印刷された紙を持っていろいろ質問した
名前、住所、卒業学校名・・・答えたくなければ、それでいいという態度だ
大槻は正直に答えると「奥の部屋に入ってください」
そこは見慣れぬ機械だらけの部屋で、女が言う
「あなたをテストします これから行く所に適当かどうか調べなければなりません
いやならドアから出てください ただし、かなりの記憶が失われますよ」
せっかく来たのだ 恐れより好奇心のほうが強くなっていた
テストが終わると
「あなたなら厄介な問題は起こさないと判断します さあ出発してください」
奥に進むと黒い四角いシミが出現して、入ると外に出ていた
さっきまで夜だったのが、ここは真昼だ 丘には何百という集合住宅がある
行き来する大勢の人は、人間だけでなく、トカゲに似ていたり、猫そっくりの顔や(ステキ
そこに彼とあまり年の違わない青年がやって来て
「新しい仲間だね 私は面倒をみる役の者だ」
*
「よくある脱出タイプだな 地球型の生命体を一緒に住ませて
どの種族が友好的か観察する場所なんだ
そこでは、心優しく、他人をしのぐのが苦手な連中が必要なんだ
現代の落ちこぼれ、不適応者がもっとも適格なんだよ」
「類型的なのよ スター・トレックか何かにもあったんじゃない?
フレドリック・ブラウンに似たような話があるわよ」
帝国大学教授は言った
「いくら君が未来から来た人間といっても・・・そんなことはあり得ないと断言するが
50年後にこんなものが活字になるとは信じられない
ちゃんとした日本人には馴染まないんだよ」
素顔の時間
吉川は、午前0時に独身寮に帰った
多忙な1日だったが、婚約者・玲子とのデートがある
寮ではコンパをやっていて、「今日もデートか?」と冷やかされ
柿原という寮長が「飲んで行け」とグラスを投げた
これは「延伸時間」に入ったのだ
「貴様、寮長だといって偉そうにするんじゃないよ!」
柿原がアタックしてきたが、彼の重量は1トン以上になっていて、柿原は吹き飛んだ
寮生らは、超能力でそのへんのものを投げあったりしている
部屋に登山ナイフがあることを思い出した
以前、3人も殺したことのある古参社員に奪われたが、今日はあいつはいない
延伸時間は、体調などで長さが変わる
基本時間では、延伸時間が存在することさえ気づいていないが
延伸時間では、どちらもみんな覚えているのだ
個人の幻覚に過ぎないという学者もいる 延伸時間で死んでも、基本時間では元に戻るからだ
だがそれならみなが共通に記憶しているわけがない
玲子のところに行く前にテレビを見た
全面核戦争はこれまで十数回おきていたが、延伸時間はみんなの自由時間で
それを減らすのは許せないとなぶり殺しにされ、最近は平穏だ
玲子はなるだけこまめに寄ってくれという
だから延伸時間になると、できるだけ家に行くようにしている
移動手段はクルマか電車かだが、吉川はクルマに偏見を抱き、運転を覚えたくないと思っているため
歩くことにすると2時間はかかる 遅れると電話をすると玲子の母が出た
「玲子、死にかけているんです 今夜は超能力がよく働くといって空を飛んでいたら
近所の人に銃で撃たれたんです そりゃ基本時間には戻りますけど、可哀相で」
狩猟が趣味で鉄砲の所持許可証を持ち、家に銃があるから、延伸時間になると他人を撃つクセがあると聞いていた
婦女暴行も稀ではない 女のほうが強い超能力があれば、恨みでゾッとするような殺され方をされるから
もしやるなら、周囲の状況を見極めないと危険だ
幸い、電車は動いていた
「この電車の乗務員は、延伸時間正常化同盟のメンバーです
延伸時間を秩序あるものにしましょう」とアナウンスが流れた
玲子は苦痛でうめき、楽にさせてくれと訴えていたが、家族にはどうにもできない
父親がモルヒネか何かを与えたが、夜明けに玲子は死んだ
ぼんやりと道を歩いていると、子どもの一群に囲まれていた
子どもでも超能力が強いと恐ろしい 子どもほど残酷なものはないのだ
彼はミサイルに当たり息絶えた
寮に戻るとコンパをやっている 柿原が「おい、飲んで行け」と言い、断れずに付き合った
部屋に戻って眠ると、玲子が誰かに撃たれて死ぬ夢を見た
行きつけのバーで延伸時間になった
S市に住んで5年目 ここに来るには家でかなり論議となった
妻の玲子が子どもの問題を強硬に主張し、単身赴任するしかなかった
玲子とは不仲になりだいぶ経つが、別居生活で決定的になってしまった
基本時間では建前を貫き、延伸時間とのズレが余計に大きくなる
ママが小さな声で言う 「きょう、どこかへ行かない? 死ぬ前にお別れしたいの」
近年、彼の延伸時間は随分短くなった 若い頃は20時間ほどあったのに、今は8時間ほどだ
基本時間で、彼は死ぬらしいのだ 延伸時間がゼロになった時、死が訪れるのか彼には分からない
いつかは、夜明けを待たずに死ぬのではないか?
延伸時間内では、朝はもう来ないのは寂しいことだ
減速期
会社に戻る国電で、楠田はかつてのクラスメート大島杏子にソックリな女子高生を見かけて驚く
偶然にしても似すぎている だが、あの頃の杏子がまだ学生であるはずもない
あれは杏子の娘なのか? それにしても後を尾けるなんてできない
杏子とは付き合っていたが、大学受験を優先させて、一方的に縁を切った
大学に合格し、就職して、今の自分がある
時々寄るバーで、昼間のことをぼんやり考えてみる
あの時、別れたのは正解だったと思いながら、己の損得のために
杏子やほかの多くのことを振り捨ててきた気がする
カウンターの隣りに若い男女が座って喋り出し、ふと見ると北野千佳だ!
千佳は、今の会社に入社した時の同僚で、男子社員に人気があり
親しくなったが、彼女が意外に真剣になって困り、結婚も覚悟したが
なんとか別れるのに成功し、千佳は失意のうちに会社を辞めたのだ
だが、やはり千佳のはずはない 千佳はもう40を越えているはずだ
隣りに座っている男を見て、再び驚いた 同期入社をしたNにソックリだ
一流大学出の秀才で、仕事もできたが、点数稼ぎを狙いすぎると
まずOLに嫌われ、楠田も含めて同期の連中が、先輩や上司にいろいろ吹き込み
1年にならないうちにNは会社を飛び出した
「何か言いたいんですか? じろじろ見られては不愉快です」
男が向き直って言った その言い方もNそのものだ
「出よう こんなおっさんを相手にするのは不愉快だ」
「おっさん?」
「そうじゃないか 年功序列のおかげで首がつながってるおっさんじゃないか」
楠田は年甲斐もなくケンカを買いそうになり、バーテンダーに止められた
休日 楠田はいつもの習慣で、運動不足解消のためにサイクリングに出かけた
スポーツ車も多いが、彼はマイペースで漕いだ
公園を2周もすれば疲れてベンチで休んでいると
トレーニングウェアの若者が座っていて、まぎれもなく自分自身だった
若い日の彼そのものなのだ
「失礼ですが・・・あなたは私の若い時分にそっくりなものですから」
「構いませんよ よく人違いをされるんです」
「私もそうでした」
妻にも言いかねていたことを言わずにいられなくなり、事情を説明した
「その偶然は、あなたが呼び出したのかもしれませんよ
父も似たようなことを言うんですが、ひたすら生きてきた
自分のために片っ端からいろんなものを置き去りにしてきたというんです
僕は自分なりに優雅にやろうと努めてます 現役で大学に入らず浪人したんです
就職するのも憂鬱で大学院に行っています
あなたや父のような人たちは、疲れて減速期に入ってるんじゃないですか
それで、捨ててきたものを思い出した 無意識に求めていたのが出てきた
実は、父も同様らしいんですよ 減速期だと言ったら不機嫌になりましたが」
若者は去っていき、楠田はもう走る気力もなくなった
朝の通勤ラッシュで、自分の前に座っている人を見ると、庶務にいて定年退職したSさんだ
もちろん本当のSさんではない 彼は自分が30になる前に退職し、2、3年前に亡くなったと聞いた
近頃は、昔の誰かにソックリな人と何度も遭遇する それも同じ人間と2度、3度も
それが同一人物なのかも確信は持てない
かれらは、彼の過去から呼び出された人々なのだ
今の自分を嘲笑するために出てきたのだ
そんなにまでして振り捨ててきた結果、今の自分は平凡な存在だ
この程度じゃないかと嘲笑するために
少し高い椅子
37歳の秋山は、ひびきと離婚したあたりから飲み過ぎるようになった
今夜もだいぶ酔って帰ると、奥から女が出てきた それも赤ん坊を抱いている
「洋子、まだ寝ないのよ ご飯、食べてきた?」
自分で鍵を開けて入ったのだから、ここは自分の部屋だ
間違えたとしても、こうも平然と出迎えるものか
自分がパパ?
とりあえずなりゆきを見守って考えるのが良策だ
食卓は、自分のより一回り大きく、茶碗なども見覚えがない
翌朝、「うちに戸籍謄本か抄本はあったかな」と聞くと、女は普通に引き出しから持ってきた
謄本を見ると、本来なら10年前に森ひびきと結婚し、半年前離婚したと書かれているはずが
10歳も若い佐藤明子と結婚し、半年前に長女・洋子が出生とある
自分は、似てはいるけど別の世界に来たのではないか?
新たな不安が湧いてきた 会社はちゃんとあるだろうか?
あったとして、自分の場はあるのだろうか?
勤務先は、二部に上場されている会社で、彼は経理部の係長だ
いささか昇進遅れで、本当は企画部に行きたかったが、研修が終わると経理に配属された
企画に入った同期は須田という奴だ
自分の席だった場所に行くと、自分の部下の女子社員が妙な表情で
「須田係長は、今日は風邪でお休みになるそうです」と言う
タイムカードはあったから、彼の席はほかにあるはずだ
トイレに入り、名刺を確かめると、昨日と同じだった
そういえば、この服は昨日もずっと着ていたのだ
あの女子社員の言う須田が同期の須田なら、須田は会社に1人しかいないから、2人いるのはおかしいことになる
企画部に行き、勇気を出して、須田の席に座ると誰も何も言わなかった
名刺を見ると、企画部課長 秋山と印刷されている
安堵とともに満足にかわった
異変以来半月近くになるが、最初はまごついたものの、じきに同化できた
なぜこうなったか分からないが、このままでいいのだ
時々行く喫茶店に行こうとしたら、ひびきが声をかけてきた
彼女はより美しく、生き生きしている
喫茶店で話すと、コピーライターをして、3年前にフリーになったという
「昔、秋ちゃんのプロポーズ断ったでしょ 束縛されたくないからって
でも、こう長く独身だと、旦那があっても悪くないんじゃないかって気になるのよ
もっとも、一緒になっても、いろいろ苦労したでしょうけど」
彼は衝動に駆られて、異変のことを夢として喋った
「楽しいわね でも本当なら厄介ね だって、その新しい世界には、
以前からもう一人の秋ちゃんがいたわけでしょう?
その秋ちゃんが現れて、文句をつけたらひどい騒ぎになるわよ
ま、夢だから理屈はどうでもいいけど」
言われてみるとそうだ もう一人の元からいた自分が現れたら・・・
今のこの快適な生活はご破算なのだ
今の自分は、そう、少し高い椅子に座っているのだ
いつひっくり返るか分からぬ高い椅子に
だが、いつひっくり返るか分からず、後ろめたい生活という点では、
前の毎日も本質的には同じではなかったか
そこそこの会社の経理部の係長でも、いつ放り出されるか分からない立場で
世のしわ寄せを受ける小さな企業の連中を思えば、後ろめたいはずではなかったか?
もう一人の自分が現れたら、その時考えよう
脅えながらでも、そうするしかないのだ
【年譜 著者自筆(!) 昭和63年)】
1934 大阪府大阪市西成区生まれ
1945 大阪空襲で罹災
1957 大阪窯業耐火煉瓦会社に入社
1959 高校の同級生だった森川悦子と結婚 25歳
高校時代以後続けていた詩文が、SFへと傾斜しつつあった
1963 長女・知子出生 29歳
1965 大広との嘱託契約を解除し、フリーとなる
本書が昭和63年初版だから、年譜は昭和58年「引き潮のとき」を「SFマガジン」に連載中 で切れている
その後はウィキ参照
***
私の中で勝手に初期→後期と思っていたのが、実際書かれた順番とかなり違っていることに驚いた
とても疲れて擦り切れたサラリーマンものを、すでに30代で書いていたり
『とらえられたスクールバス(前編・中編・後編)』などは、かなりの年月をかけて3冊にまとめたと知った
それにしても多作で、どれも外れなし!
生年月日を見て、父と1歳しか違わないことにもビックリ
生まれ育った地域は違っても、同じ時代を生きていたのか
では、このサラリーマンSFの虚無感も、本好きな父にも通じるだろうか?
父の本棚を見ると、山や無線、歴史の本が多くて、私とは異なるようだけれども