■臓器移植法20年 あなたは"意思表示"できますか?@週刊ニュース深読み
専門家:
門田 守人さん(日本臓器移植ネットワーク 理事長)
小谷 みどりさん(第一生命経済研究所 主席研究員)
中村 幸司(NHK 解説委員)
ゲスト:
マキタスポーツさん(ミュージシャン・俳優)
榊原 郁恵さん(タレント)
先日観たばかりのドラマ『わたしを離さないで』とリンクしたテーマ
私もパンフレットをもらったけど、まだ迷っている段階だったから
いろいろ知ることが出来てためになった
今後、家族とも話し合いたいテーマ
【内容抜粋メモ】
緑に染まった東京タワーなど
東京タワー/太陽の塔(大阪)
鳥取/岩手
1997 臓器移植法が施行から20年目
実際、移植を受けた小西さん(43)
心臓の筋肉が徐々に動かなくなる難病を抱えていた
移植手術後、結婚、12歳の娘と暮らす生活を大切に過ごしている
小西:
ドナーのおかげで新しい命も生まれたし、すごいな、有り難いなあという気持ちです
<街角インタビュー>
Q:もしあなたや家族が臓器を提供する立場になったら?
女性(40代くらい?):
役に立ちたい気持ちはあるが、自分となるとまだそこまで勇気が持てない 決断できない
男性(30代くらい?):
オレ、するわ 死んじゃったら僕じゃない
だから、人に役立つほうがいいと思う
女性(20代くらい?):
今のところはまだそういうことをちゃんと考えたことがないですし
まだ実感がないので分からない
(臓器移植のことをよく知らない、情報が浸透していないせいもあるかも
免許証、保険証の裏に「臓器提供」の意思表示の項目が書いてある
<プレゼン:臓器移植はなぜ必要なのか?>
医学は進歩しているけれども、クスリや手術で治せない、
健康な臓器を移植するしか助からない病気がある
なかには一刻を争う容態の人もいる 年齢も幅広い
●誰からもらう? ポイントは「脳死」
・生きている人からはムリ
・亡くなった人からもムリ
そこで作られたのが「臓器移植法」
●「脳死」とはどんな状態を言うのか?
・脳のすべての機能が失われた状態
・治療を尽くしてもやがて呼吸が止まり心停止に至る
・回復の見込みがない
今は「人工呼吸器」があるため、脳が止まっていても臓器は動かせる
その臓器を取り出して移植する
法律では、心臓、肺、肝臓、小腸を移植できるとしている
1人の体から最大11人への提供が可能(2つある臓器はそれぞれに数えて
●日本臓器移植ネットワーク
臓器が必要な人が登録をする
臓器提供してもいいという人との橋渡しをする
意思確認を表す「臓器提供意思表示カード」
病院や役所などに置いてある
カードに意思表示「イエス」「ノー」を書く
今、現場はどうなっているか
例:
交通事故に遭い、意識不明で運ばれた男性
医師は「脳死」と診断
カードもなく、免許証、保険証の裏にも書いていないと移植は出来ない
法律が出来てしばらくの間、移植は年間数例しかなかった
移植が必要な患者数は年々増え続けている
2010年に法律が改正された
「脳死」と診断されたタイミングで家族に聞く
※「脳死」は突然くる
例:交通事故で頭をうった、脳卒中、くも膜下出血 など
決断した家族に取材したところ
「臓器がまだ動いているので体が温かく、にわかに“死”を受け入れられない」
「自分がどう選択しても、本人が納得してくれるだろうかとものすごく悩む」
医師は「家族で決めて」と言う
マキタ:国の定めた「死」のラインと、家族が認める「死」のラインがちょっと違うのかも
家族が提供すると言った段階で、医師が「脳死判定」を行い、これで確定する
臓器提供を待っている病院からたくさんの医師が来て、待っている患者さんに速やかに移植する
残された家族は、死の悲しみ+短い時間で大きな決断を迫られる重圧・責任がのしかかる
日本臓器移植ネットワークでは、家族の重い負担を軽減するためにも
「ぜひ意思表示をしてほしい」と呼びかけている
しかし、実際、書面で意思表示をしている人の割合は12.6%(2013 内閣府調査
マキタ:自分のことですけど意識が低いですね
郁恵:
書く欄は分かっているけれども書けない どう判断していいのか
家族に負担をかけたくないから、自分で意思表示しなきゃといつも思うけれども・・・
マキタ:意思表示だけでいい? ちゃんと手続きをしないと認められない?
門田:
まずはご本人にそういう意思があったと証明するものがあって
改めてご家族が承諾しないといけない
あらかじめ家族内で相談して、カードにはご本人の後に、ご家族の署名もあるといいが
本人だけ書いて、家族が知らなかったケースはけっこうある
日本の場合は、家族の書面による承諾を得なければ前に進まない
(やっぱり自身のOKだけじゃダメなのか?
自分の命、体なんだから本人の意思を尊重してほしいな 尊厳死などと似ている
●「オプティングアウト」
海外は2種類ある アメリカは日本と同じ方式
郁恵:
このほうが考えやすいかも
自分で決めろと言われると私みたいな弱い人間は悩んでしまう
中村:
弱いのではなくて、日本はまだここまではいけない
日本人は今の形でないと臓器提供までいかない
マキタ:
自分の体は自分のものって思ってるけど、公共のものという前提ってことか
小谷:
日本の場合、自分の体は自分のものって思ってる人より
“親からもらった体”という考えが強い それを他人にあげていいのかと考える
郁恵:
意思があっても健康な臓器でなければ提供できないですよね
それまで健康だったのが「死」というプロセスをしっかり考えられる時間があれば
家族ももっと受け入れられるけど、突然となると
整理がつかないうちにどんどん言われると切替が難しいのでは?
門田:
生まれたからには、年齢に関係なく必ず「死」があるということは皆さん知っている
マキタ:でも、自分の子どもは死なないと思ってます 心情的に
門田:
そこなんです “我が身、我が子には”という心情がある
がんの告知も、言われた瞬間真っ白になるのと同じ
先ほどの「オプティングアウト」の国では、
キリストが十字架にかかったというような、生死の問題を子どもの頃から考える環境の違いがある
日本はそこを遠ざけている
「隣りの猫が死んだ」「縁起でもないこと言わないで」という感情がある
小谷:
少しずつ死に向かって脳死にはならない 突然になる
心臓が動いている状態で、本人が亡くなったとは家族はとても思えない
そこに「心臓を提供しますか?」と言われるとパニック状態になる
家族の中でも提供するしないで分かれた時に
「あげる」ほうがいい人で、「あげない」人は悪い、
心が狭い人みたいに思わせるような雰囲気になるのはよくない
中村:
意思表示を書く時に、家族の欄があるものとないものがあるが
脳死状態になる前に相談をしておいたほうがいい
郁恵:
テーマが大きいのにも関わらず、相談、考える材料が少なすぎるというか
門田:
突然くるという状態からだとそうなる
日常の話の中でそう何度もする話ではない
「隣りの誰かが病気になった」などの話の延長線上などから
「今、どう生きて」「終わりをどうするか」1回ちょっとでも触れておいていただければ
まるで白紙状態のところに「脳死」が来るより違うのではと思う
●脳死はヒトの死か?
小谷:
少しずつ悪くなるような助からない病の場合は、ご家族でも話し合えると思う
亡くなる前に「延命」をしたいか、したくないかなど
でも、もし突然事故に遭ったりしたら・・・と段階を踏んで話すとよいと思う
その大前提として、日本では、「脳死がヒトの死か?」という議論がまだなされていない
心臓を提供する人は「脳死」はヒトの死と考えるが
心臓を提供しないという人は、心臓が止まった時がヒトの死と考える
人によって「死の瞬間」が違うというのがより問題を複雑にしている
スペインでは「脳死はヒトの死」と法律上で決まっている 提供を別にして
そこが大きな違いではないか
門田:
20年前に法律ができた時は、そのあたりの死、脳死、移植に関して
世の中全体が顧みていた時に出来た
「この法律は3年で見直す」と書かれていたが、結局見直しまで13年もかかった
今回、改正した時も「脳死はヒトの死」とはなっていない
臓器を提供することを家族が選択して→脳死と判定してという2段階
大人の場合は6時間間隔、子どもは24時間間隔で
2回目の脳死判定で「死」になり→提供手術が行われる
<グラフィックレコーディング>
Q:家族はお別れの時間を充分にもてる?
門田:
脳死の場合はいろんな判定をしたり、準備をするのに時間があるので
充分な時間は今はほぼとれている
臓器提供するかしないか最終的な判定をする時間
先ほど説明したが、1回目の脳死判定から2回目まで6時間ある
1回目は提供する前提で始まっている
2回目は法的に提供しますと言ってから始まる(なんだか分からない???
手順
「分からないから話を聞きたい」となればコーディネーターが説明する
「遺体はどう家族に戻るのか」など、さまざまな事柄について説明されてから、ここでやめることもできる
家族が承諾したら→医師の判定で「死亡」となる
Q:「脳死」と判定されてから意識が戻ることはある?
門田:それはない
郁恵:
説明というのは、臓器移植のシステムだけ?
心臓を必要としている人がどれだけいるとか、こちらが具体的に考えられるような材料?
中村:
そのプロフェッショナルとして「コーディネーター」がいるので
材料を提供するキーパーソン 家族が後で後悔しないように説明する
Q:臓器提供に年齢制限はある?
門田:
年齢制限は臓器によって違う
心臓なら若くて使えるもの、肝臓などはもう少し歳とっていても使える
提供できるかどうかは、その時の状況によっても変わる
脳死に陥った時の血圧などいろいろある
そのタイミングによって使えるかどうか判断する
本人が「全部提供したい」と言っても、機能的に使えないものもたくさんあることもある
Q:どんな姿になって家族のもとに戻ってくるのか知りたい
門田:
傷は1ヶ所のみ ノドから恥骨まで切りますが、他に傷はできない
目は義眼を入れるので、外から見て分からないようにする
小谷:
ご家族の中には「本当に亡くなったのか」「誰かの中に生きているのか」
死を本当に受容できているかという問題が残ると思う
マキタ:
自分の両親の葬式を出した時、けっこうシステマチックだった
亡くなって、火葬するまであっという間で、悲しむヒマもない
あっという間に灰や骨になる
その前の段階にこういうプロセスがあってもいいかなと思った
あまりにも自動的に行われていて、死んでから灰になるまでが早いなと思う
焼いちゃうってけっこう強烈なこと
その前に人の役に立つようなシステムがあっても、僕はいいと思う
門田:
この人がどういう気持ちで死を迎えようとしているのか
最後に社会貢献をしたいとか、本人はどうなんでしょうねというところに集中していただいて
それを参考にコーディネーターの話を聞くなどして、
この人の体の一部が誰かの体としてこれからも生きていくという方向で考えれば
あんまり両極端な意見は出にくくなるのではないかと思う
メール:自分は提供したいが、同意してくれる家族がいない
メール:昔から提供の意思がありますが、母が反対しています
●提供したいという人は増えている
門田:
若い方にも多い
NOという人が減ってきて、YESという人が増えたというのがこの15年間の動き
郁恵:
死を受け止められず、この人がどう生きたいのか「生き様」を家族は考えてしまう
脳が死んでも、他の臓器をどう生かそうか、考え方の転換をすれば
もう少し受け入れられるかなと思った
死を考えるより、どう生きたいかを前向きに考えたい
小谷:
欧米では、臓器は「神さまからもらったもの」というのがキリスト教にある
「自分が使いきれなくなったら、人に使ってもらう」という考え方がある
だからNOという人が少ない
●臓器提供件数の海外との比較 日本は極端に低い数値
スペインはカトリックで、臓器は「神さまからもらったもの」「預かっているだけ」という考え
郁恵:アメリカは「オプティングアウト」じゃないのにすごく意識が高いですね/驚
中村:
「脳死はヒトの死」という社会的なコンセンサスがとれている国と
日本のように法律を作ろうとすると、国会で多数賛成がないと出来ない国がある
日本人は受け止め方は複雑で難しい
メール:
今は亡き祖父が角膜移植していただいたので失明せずに済みました
私は「臓器提供可」の意思表示をしています
小谷:
自分で意思表示をするのがやはり大前提 家族に責任を押しつけるのは重い
「もし仮に脳死になった時はどうしたいと思う?」という話し合いをしてほしい
メール:その人の価値観が顕著に表れるものだから、敢えて人と衝突してまで話したくないなと思う
マキタ:
思考停止してる状態のほうがラクなんですよね
今、考える局面に来ているということですね
郁恵:考えるための時間を作ったほうがいい気がする
小谷:
海外では「死」の教育が行われているが、日本ではまだほとんど行われていない
門田:
宗教的な問題なのか、文化的な問題なのか、西洋と東洋を比べると相当考え方が違うということ
<グラフィックレコーディング>
専門家:
門田 守人さん(日本臓器移植ネットワーク 理事長)
小谷 みどりさん(第一生命経済研究所 主席研究員)
中村 幸司(NHK 解説委員)
ゲスト:
マキタスポーツさん(ミュージシャン・俳優)
榊原 郁恵さん(タレント)
先日観たばかりのドラマ『わたしを離さないで』とリンクしたテーマ
私もパンフレットをもらったけど、まだ迷っている段階だったから
いろいろ知ることが出来てためになった
今後、家族とも話し合いたいテーマ
【内容抜粋メモ】
緑に染まった東京タワーなど
東京タワー/太陽の塔(大阪)
鳥取/岩手
1997 臓器移植法が施行から20年目
実際、移植を受けた小西さん(43)
心臓の筋肉が徐々に動かなくなる難病を抱えていた
移植手術後、結婚、12歳の娘と暮らす生活を大切に過ごしている
小西:
ドナーのおかげで新しい命も生まれたし、すごいな、有り難いなあという気持ちです
<街角インタビュー>
Q:もしあなたや家族が臓器を提供する立場になったら?
女性(40代くらい?):
役に立ちたい気持ちはあるが、自分となるとまだそこまで勇気が持てない 決断できない
男性(30代くらい?):
オレ、するわ 死んじゃったら僕じゃない
だから、人に役立つほうがいいと思う
女性(20代くらい?):
今のところはまだそういうことをちゃんと考えたことがないですし
まだ実感がないので分からない
(臓器移植のことをよく知らない、情報が浸透していないせいもあるかも
免許証、保険証の裏に「臓器提供」の意思表示の項目が書いてある
<プレゼン:臓器移植はなぜ必要なのか?>
医学は進歩しているけれども、クスリや手術で治せない、
健康な臓器を移植するしか助からない病気がある
なかには一刻を争う容態の人もいる 年齢も幅広い
●誰からもらう? ポイントは「脳死」
・生きている人からはムリ
・亡くなった人からもムリ
そこで作られたのが「臓器移植法」
●「脳死」とはどんな状態を言うのか?
・脳のすべての機能が失われた状態
・治療を尽くしてもやがて呼吸が止まり心停止に至る
・回復の見込みがない
今は「人工呼吸器」があるため、脳が止まっていても臓器は動かせる
その臓器を取り出して移植する
法律では、心臓、肺、肝臓、小腸を移植できるとしている
1人の体から最大11人への提供が可能(2つある臓器はそれぞれに数えて
●日本臓器移植ネットワーク
臓器が必要な人が登録をする
臓器提供してもいいという人との橋渡しをする
意思確認を表す「臓器提供意思表示カード」
病院や役所などに置いてある
カードに意思表示「イエス」「ノー」を書く
今、現場はどうなっているか
例:
交通事故に遭い、意識不明で運ばれた男性
医師は「脳死」と診断
カードもなく、免許証、保険証の裏にも書いていないと移植は出来ない
法律が出来てしばらくの間、移植は年間数例しかなかった
移植が必要な患者数は年々増え続けている
2010年に法律が改正された
「脳死」と診断されたタイミングで家族に聞く
※「脳死」は突然くる
例:交通事故で頭をうった、脳卒中、くも膜下出血 など
決断した家族に取材したところ
「臓器がまだ動いているので体が温かく、にわかに“死”を受け入れられない」
「自分がどう選択しても、本人が納得してくれるだろうかとものすごく悩む」
医師は「家族で決めて」と言う
マキタ:国の定めた「死」のラインと、家族が認める「死」のラインがちょっと違うのかも
家族が提供すると言った段階で、医師が「脳死判定」を行い、これで確定する
臓器提供を待っている病院からたくさんの医師が来て、待っている患者さんに速やかに移植する
残された家族は、死の悲しみ+短い時間で大きな決断を迫られる重圧・責任がのしかかる
日本臓器移植ネットワークでは、家族の重い負担を軽減するためにも
「ぜひ意思表示をしてほしい」と呼びかけている
しかし、実際、書面で意思表示をしている人の割合は12.6%(2013 内閣府調査
マキタ:自分のことですけど意識が低いですね
郁恵:
書く欄は分かっているけれども書けない どう判断していいのか
家族に負担をかけたくないから、自分で意思表示しなきゃといつも思うけれども・・・
マキタ:意思表示だけでいい? ちゃんと手続きをしないと認められない?
門田:
まずはご本人にそういう意思があったと証明するものがあって
改めてご家族が承諾しないといけない
あらかじめ家族内で相談して、カードにはご本人の後に、ご家族の署名もあるといいが
本人だけ書いて、家族が知らなかったケースはけっこうある
日本の場合は、家族の書面による承諾を得なければ前に進まない
(やっぱり自身のOKだけじゃダメなのか?
自分の命、体なんだから本人の意思を尊重してほしいな 尊厳死などと似ている
●「オプティングアウト」
海外は2種類ある アメリカは日本と同じ方式
郁恵:
このほうが考えやすいかも
自分で決めろと言われると私みたいな弱い人間は悩んでしまう
中村:
弱いのではなくて、日本はまだここまではいけない
日本人は今の形でないと臓器提供までいかない
マキタ:
自分の体は自分のものって思ってるけど、公共のものという前提ってことか
小谷:
日本の場合、自分の体は自分のものって思ってる人より
“親からもらった体”という考えが強い それを他人にあげていいのかと考える
郁恵:
意思があっても健康な臓器でなければ提供できないですよね
それまで健康だったのが「死」というプロセスをしっかり考えられる時間があれば
家族ももっと受け入れられるけど、突然となると
整理がつかないうちにどんどん言われると切替が難しいのでは?
門田:
生まれたからには、年齢に関係なく必ず「死」があるということは皆さん知っている
マキタ:でも、自分の子どもは死なないと思ってます 心情的に
門田:
そこなんです “我が身、我が子には”という心情がある
がんの告知も、言われた瞬間真っ白になるのと同じ
先ほどの「オプティングアウト」の国では、
キリストが十字架にかかったというような、生死の問題を子どもの頃から考える環境の違いがある
日本はそこを遠ざけている
「隣りの猫が死んだ」「縁起でもないこと言わないで」という感情がある
小谷:
少しずつ死に向かって脳死にはならない 突然になる
心臓が動いている状態で、本人が亡くなったとは家族はとても思えない
そこに「心臓を提供しますか?」と言われるとパニック状態になる
家族の中でも提供するしないで分かれた時に
「あげる」ほうがいい人で、「あげない」人は悪い、
心が狭い人みたいに思わせるような雰囲気になるのはよくない
中村:
意思表示を書く時に、家族の欄があるものとないものがあるが
脳死状態になる前に相談をしておいたほうがいい
郁恵:
テーマが大きいのにも関わらず、相談、考える材料が少なすぎるというか
門田:
突然くるという状態からだとそうなる
日常の話の中でそう何度もする話ではない
「隣りの誰かが病気になった」などの話の延長線上などから
「今、どう生きて」「終わりをどうするか」1回ちょっとでも触れておいていただければ
まるで白紙状態のところに「脳死」が来るより違うのではと思う
●脳死はヒトの死か?
小谷:
少しずつ悪くなるような助からない病の場合は、ご家族でも話し合えると思う
亡くなる前に「延命」をしたいか、したくないかなど
でも、もし突然事故に遭ったりしたら・・・と段階を踏んで話すとよいと思う
その大前提として、日本では、「脳死がヒトの死か?」という議論がまだなされていない
心臓を提供する人は「脳死」はヒトの死と考えるが
心臓を提供しないという人は、心臓が止まった時がヒトの死と考える
人によって「死の瞬間」が違うというのがより問題を複雑にしている
スペインでは「脳死はヒトの死」と法律上で決まっている 提供を別にして
そこが大きな違いではないか
門田:
20年前に法律ができた時は、そのあたりの死、脳死、移植に関して
世の中全体が顧みていた時に出来た
「この法律は3年で見直す」と書かれていたが、結局見直しまで13年もかかった
今回、改正した時も「脳死はヒトの死」とはなっていない
臓器を提供することを家族が選択して→脳死と判定してという2段階
大人の場合は6時間間隔、子どもは24時間間隔で
2回目の脳死判定で「死」になり→提供手術が行われる
<グラフィックレコーディング>
Q:家族はお別れの時間を充分にもてる?
門田:
脳死の場合はいろんな判定をしたり、準備をするのに時間があるので
充分な時間は今はほぼとれている
臓器提供するかしないか最終的な判定をする時間
先ほど説明したが、1回目の脳死判定から2回目まで6時間ある
1回目は提供する前提で始まっている
2回目は法的に提供しますと言ってから始まる(なんだか分からない???
手順
「分からないから話を聞きたい」となればコーディネーターが説明する
「遺体はどう家族に戻るのか」など、さまざまな事柄について説明されてから、ここでやめることもできる
家族が承諾したら→医師の判定で「死亡」となる
Q:「脳死」と判定されてから意識が戻ることはある?
門田:それはない
郁恵:
説明というのは、臓器移植のシステムだけ?
心臓を必要としている人がどれだけいるとか、こちらが具体的に考えられるような材料?
中村:
そのプロフェッショナルとして「コーディネーター」がいるので
材料を提供するキーパーソン 家族が後で後悔しないように説明する
Q:臓器提供に年齢制限はある?
門田:
年齢制限は臓器によって違う
心臓なら若くて使えるもの、肝臓などはもう少し歳とっていても使える
提供できるかどうかは、その時の状況によっても変わる
脳死に陥った時の血圧などいろいろある
そのタイミングによって使えるかどうか判断する
本人が「全部提供したい」と言っても、機能的に使えないものもたくさんあることもある
Q:どんな姿になって家族のもとに戻ってくるのか知りたい
門田:
傷は1ヶ所のみ ノドから恥骨まで切りますが、他に傷はできない
目は義眼を入れるので、外から見て分からないようにする
小谷:
ご家族の中には「本当に亡くなったのか」「誰かの中に生きているのか」
死を本当に受容できているかという問題が残ると思う
マキタ:
自分の両親の葬式を出した時、けっこうシステマチックだった
亡くなって、火葬するまであっという間で、悲しむヒマもない
あっという間に灰や骨になる
その前の段階にこういうプロセスがあってもいいかなと思った
あまりにも自動的に行われていて、死んでから灰になるまでが早いなと思う
焼いちゃうってけっこう強烈なこと
その前に人の役に立つようなシステムがあっても、僕はいいと思う
門田:
この人がどういう気持ちで死を迎えようとしているのか
最後に社会貢献をしたいとか、本人はどうなんでしょうねというところに集中していただいて
それを参考にコーディネーターの話を聞くなどして、
この人の体の一部が誰かの体としてこれからも生きていくという方向で考えれば
あんまり両極端な意見は出にくくなるのではないかと思う
メール:自分は提供したいが、同意してくれる家族がいない
メール:昔から提供の意思がありますが、母が反対しています
●提供したいという人は増えている
門田:
若い方にも多い
NOという人が減ってきて、YESという人が増えたというのがこの15年間の動き
郁恵:
死を受け止められず、この人がどう生きたいのか「生き様」を家族は考えてしまう
脳が死んでも、他の臓器をどう生かそうか、考え方の転換をすれば
もう少し受け入れられるかなと思った
死を考えるより、どう生きたいかを前向きに考えたい
小谷:
欧米では、臓器は「神さまからもらったもの」というのがキリスト教にある
「自分が使いきれなくなったら、人に使ってもらう」という考え方がある
だからNOという人が少ない
●臓器提供件数の海外との比較 日本は極端に低い数値
スペインはカトリックで、臓器は「神さまからもらったもの」「預かっているだけ」という考え
郁恵:アメリカは「オプティングアウト」じゃないのにすごく意識が高いですね/驚
中村:
「脳死はヒトの死」という社会的なコンセンサスがとれている国と
日本のように法律を作ろうとすると、国会で多数賛成がないと出来ない国がある
日本人は受け止め方は複雑で難しい
メール:
今は亡き祖父が角膜移植していただいたので失明せずに済みました
私は「臓器提供可」の意思表示をしています
小谷:
自分で意思表示をするのがやはり大前提 家族に責任を押しつけるのは重い
「もし仮に脳死になった時はどうしたいと思う?」という話し合いをしてほしい
メール:その人の価値観が顕著に表れるものだから、敢えて人と衝突してまで話したくないなと思う
マキタ:
思考停止してる状態のほうがラクなんですよね
今、考える局面に来ているということですね
郁恵:考えるための時間を作ったほうがいい気がする
小谷:
海外では「死」の教育が行われているが、日本ではまだほとんど行われていない
門田:
宗教的な問題なのか、文化的な問題なのか、西洋と東洋を比べると相当考え方が違うということ
<グラフィックレコーディング>