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『さがしています』(童心社)

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『さがしています』(童心社)
アーサー・ビナード/作 岡倉禎志・写真

「むかし むかし・・・
 ほんとうは そういいたい
 でも ちっとも むかし むかしにならない」


アメリカ人が日本語で詩を書いていると知って驚いた

詩と写真のもつ、直接、心に訴える力は改めて凄いと感じた

モノの1つ1つが“語り部”となり、仲良しだった持ち主を探す言葉が胸に突き刺さる

それを知らない人がたくさんいる 国内にも、国外にも

これらを見たら、もう「核爆弾」など造ろうとは思えないのでは?

それでもやっぱり「正義」のために必要だと思うだろうか?

電気や、町の経済のために、「原発」は必要だと思うだろうか?




【内容抜粋メモ】

「おはよう おはよう」



わたしにとって 「いま」は いつでも あさの 8時15分

あの光は わたしの 顔の 「1」にも 「2」にも ささってきました

わたしの 「いま」は とまったのです

「おはよう」のあとの 「こんにちは」を わたしは さがしています


<語り部のプロフィール>

中島本町にあった理髪店の壁にあった時計
親戚が瓦礫から掘り出し、末っ子の徳三さんが大切に持っていた




「がんばれ がんばれ みんなで がんばろう」



板を はこんだり 柱を ひきたおしたり・・・

でも それは むだな しごとだった

なにかを つくるんじゃなくて ヒロシマの
たてものを つぎつぎと こわしていったんだ

たった いっぱつの ほんの 1キログラムの
ウランが はじけて まちを ぶっこわした

ぼくらは いまも あの右手と左手を さがしているんだ


<語り部のプロフィール>

浅野くんは、12歳で広島の崇徳中学に入ったが、授業はなく
学徒動員として、八丁堀の建物疎開現場で働かされていた
大火傷を負っても、橋で眠ったら死体と間違えられてしまうと必死でこらえ
7日の夜に親戚の家にたどり着いて、眠るように亡くなった




「いただきます いただきます」



12さいの レイコちゃんは
ヒロシマの たてものを こわすしごとを 毎日 やらされていた

ぼくは ごはんを ぎゅっと まもろうとした
なのに なかまで 放射能は じわっと しみてきたんだ

もう ごはんは たべてはいけない

それでも ぼくは さがしているんだ

レイコちゃんが いえなかった 「いただきます」を


<語り部のプロフィール>

市立第一高等女学校の玲子さんは、
学校より建物疎開の現場に向かうことが多く、遺体は見つからず
炭化したご飯と緑豆の入った弁当箱だけが、姉の桂さんにより発見された




「すー・・・ はー・・・ すー・・・ はー・・・」



セツコさんは ヒロシマの会社で つくえの まえに すわっていた

放射能というのは あとから からだを こわしていく

わたしは わすれないよ すー・・・ はー・・・


<語り部のプロフィール>

23歳の節子さんは、裁縫が得意で、このワンピースも布を染めて縫った
爆心地から750mにあった会社が爆風で崩れても脱出し
親戚の家に避難したが、その後、高熱が出て、黒髪は抜け落ち、
鼻血が止まらず、8月18日に亡くなった




「ちぃぃぃ・・・ ちょろ・・・ ちょろちょろと」



どんな 火だって おれは へいきだった

ところが ピカアアアッと 光ったのは
おれの しっている 火とは ちがった

あれは ウランの 核分裂の ねつだったんだ

ちょろ・・・ ちょろちょろって いわせてくれた
ほんものの火を おれは さがしている


<語り部のプロフィール>

菊美さんは、生後11ヶ月の次男と朝食をとるところだった
4歳の長男は郊外の実家にいて、夫は応召中

菊美さんの父親が遺体を見つけた時、
すっぽり包まれるように孫の遺体も隠れていた
瞬時にわが子をかばおうとしたに違いない




「はじめて お目にかかります」



事務所へ でかけたら
ぼくが いつも とまっていた おじさんの
鼻が きえてしまった

ウランの 核分裂を はじめたら
どうやって おわりに できるか
さがしているけど 見えないんだ


<語り部のプロフィール>

保さんは鞄店を経営 この日は用事で連合会へ出かけた
妻は郷里の賀茂郡にいたが市内で何日も夫を探し回り
この眼鏡を見つけて死亡を確認したのは8月25日
長男の大作さんも基町で被爆し、21日に亡くなった




「ひみつ ひみつよ」



ヒロシマに 転校するとき
ともだちから わたしを もらった
だれにも いえない ひみつを かいてくれるはずだった

そのあさ 光ったのは アメリカの グンタイの
いちばんの ひみつだった

アメリカの ひとたちにも かくして
だれにも なにも おしえなかった

どうしたら みんなに おしえられるか
わたしは さがしているの


<語り部のプロフィール>

15歳の貞子さんは、県立第二高等女学校に転入したばかり
学徒動員で皆実町の専売局で働かされていた
父親は必死で探し、遺体を爆心地から700mのところで確認したと知らされた




「がちゃっと あけて がちゃっと しめる
 がちゃっと あけて がちゃっと しめる」



ニッポンの ヘイタイが おれたちを 穴にさしこみ がちゃっと まわす
アメリカの ヘイタイを おしこんで
また とびらを がちゃっと しめたんだ

ピカアアアアッと 光ったら もう
とじこめられた ヘイタイも
とじこめた ヘイタイも おなじ

ほんとうに とじこめなきゃならないのは ウランじゃないか・・・
おれたちは やくめを さがしてるんだ


<語り部のプロフィール>

日本軍の中国憲兵隊司令部が基町にあり、アメリカ兵の捕虜10余名も収容されていた
その責任者の中村中佐、憲兵、捕虜たちもひとしく放射線、熱線、爆風に晒さた
遺骨を発見して鍵束を含めた遺品で確認できた




「いってきます いってきます」



トシユキという 男の子は 毎日 ぼくらを はいて
ヒロシマの たてものを こわすしごとを やらされていたんだ

からだじゅう おおやけど
それでも トシユキくんは あるきだした

あれから ぼくらは 「いってきます」を まっている


<語り部のプロフィール>

14歳の敏行くんは、この革靴を履いて、毎日家から何kmも離れた
広島市中心部の建物疎開の作業をやらされていた

大火傷を負いながら、川に沿って歩き、電車に乗り、奇跡の帰宅を果たしたが
体中が腫れて、靴を脱がせるのが難しかった 9日死去




「ぐっぐっ ぐっぐっぐっと」



歯医者に ぼくらを つくってもらって 歯を なおしたんだ

事務所で つくえに むかったら
おもいのと あついのと くやしいので
ぐっぐっぐーーーっと 口が まるごと きえちゃった

ぼくらは さがしているんだ


<語り部のプロフィール>

岡原さんは、広島の歯科医師会館に勤めていた
妻はすぐ捜しに行こうとしたが、火災の猛威に阻まれた

後日、市内の救護所を回り、勤め先の焼け跡で
座ったままの遺骨と義歯を見つけた




「もしも いま にげなきゃ!」



「もしも」のために わたしを もちあるいていた

非常食の いり豆と すこしの くすりと
ちいさい弟のための おむつとかも
わたしの なかに つめておいたの

光ったときには なにひとつ まにあわない
それは はじける まえに とめるしかない

「もしも」を わたしは さがしているの


<語り部のプロフィール>

次女の麻里子さんは、市立第一高等女学校に入り、建物疎開の作業をやらされていた
父は娘の死亡をこの非常袋を見つけて確認した
その父も腸内出血が止まらず、被爆死した




「あそぼ あそぼ なにして あそぶ?」



トシヒコくんは 毎日 ヒロシマの工場で はたらかされて
あそぶ 時間が なくなっちゃった

ぼくらも とけて まんまる じゃなくなっちゃった

なんの ために はたらかされていた?

あそぼ あそぼ なにして あそぶ?

ぼくらは さがしているんだ


<語り部のプロフィール>

市立第一工業学校3年生の敏彦くんは、動員先の製油工場で働いていた

鷹野電停で閃光を見て、即座に地面に伏せ、手と頭部に火傷を負ったが
2日かけて母親と再会した時

「橋が焼けたけぇ、川を3つも泳いで渡った」
「死にゃあせんから、心配しなさんな」と言っていたが
21日に亡くなり、このビー玉が形見となった




「べんきょう べんきょう べんきょうしなさい」



頭ばかり まもっても いきのこれない

なにを べんきょうしたら いきのこれたか

ぼくは さがしているんだ


<語り部のプロフィール>

達也くんは、中広町の市立中学校に通っていた
校庭で被爆し、大火傷を負い、川に逃げ、通りかかった男性が自転車で家まで運んだ

帽子は脱げたが、制服は皮膚にくっついて離れず
母親はハサミで切ってやっと脱がせた

傷口にウジがわき、ピンセットで1匹ずつ取って
16日まで懸命に看病した




「いらっしゃいませ いらっしゃいませ」



ヒロシマの 銀行へ やってくる おきゃくが
みんな わたしを ふんでから 店内に はいっていきました

わたしに のこったのは このくろい かげです

わたしは おしりの ぬくもりを さがしています


<語り部のプロフィール>

ウラン235の核爆弾を搭載したB-29爆撃機が
テニアン島から広島に向かった
約6時間半後、核爆弾は投下され、50kgのウランの2%ほどが上空600mで核分裂を起こした

住友銀行広島支店の階段に腰掛けていた人は、
熱線と放射線をもろに受けて黒い影になった

3日後、プルトニウム239の核爆弾が投下され
長崎上空500mで核分裂を起こした





【アーサー・ビナードあとがき 内容抜粋メモ】

僕はアメリカに生まれ育って、原爆投下について、繰り返し、その必要性と正当性を教えられた

僕はその頃「ピカドン」という言葉を知らなかった
「Atomic Bomb」「Nuclear Weapon」「原子爆弾」も「核兵器」も、核開発をすすめた人たちがつくった呼び名
それに対して「ピカドン」は、生活者が生み出した言葉だ

「もの」がカタリベとなり、読者にはっきり聞こえる言葉を発するために様々な力添えが必要だった

まず語る足場として、石工の京面さんとつながり、倉橋島の見事な「議員石」をきりだし、台を仕上げてくれた
日本の国会議事堂にも使われている石だ

「広島平和記念資料館」の地下収蔵庫にある2万1000点の中から、この14点を選んだ



アーサー・ビナード:
詩人 1967年ミシガン州生まれ
日本語での詩作、翻訳をしている
詩集『釣り上げて』、『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』など


岡倉禎志:
写真家 1963年東京生まれ
現在、エディトリアルを中心に活動

「エディトリアルデザイン」(ウィキ参照
“新聞・雑誌・書籍などの出版物のデザイン。
 読み手の視線、意図を考えて視覚的に効果的な図や写真等を整理・配列・編集 あるいは計画すること。紙面構成。”




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