■没後40年 熊谷守一 生きるよろこび@東京国立近代美術館(2018.1.16)
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
会期:2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)
開館時間:10:00-17:00 (金曜・土曜は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで 休館日:月曜(1/8、2/12は開館)、年末年始(12/28-1/1)、1/9(火)、2/13(火)
特設サイト
熊谷守一(ウィキ参照
【ブログ内関連記事】
熊谷守一美術館
チラシを見てからずっと観たいと思っていた展覧会をやっと観に行ってきたv
頭の中では国立新美術館の気でいて、竹橋に着いてからやっと違うと気づいた(名前が似てる!
かなり久しぶりでは?と今ブログ内検索したら2011年?! そんなに/驚
『パウル・クレー~おわらないアトリエ』@東京国立近代美術館
川沿いにスイレンが咲いていた
「竹橋駅」に「たけばし」があるって、ロス・プリモスさんの歌う♪さらば~シリーズみたいw
【内容抜粋メモ】
思ったより収蔵点数が多くて、時代順、転換期ごとに部屋に分かれていて
行っても行ってもまだ次があり、普段の運動不足がたたって途中でふらふらに
お腹も減ってきて、スタッフさんに飲食できる場所がないか聞いたら
「あと1部屋で出口ですが、飲食できるのは、美術館の外にあるベンチだけです」
本来は再入場はダメだけれども、「スタッフに言えば、大丈夫だと思いますよ」と親切な対応/礼
でも、あと1部屋ならガマンしようと思って耐えた
外を出歩かなくなってから、こうした大きな展覧会も、ずっと立ったまま真剣に観ていると
腰が痛くなったり、とにかく辛い・・・
1部屋ごとに座るところがあったのがせめてもの救い
いったん入ったら、飲食禁止とか、トイレもない、休憩所もないんじゃ
美術観賞どころじゃなくなるものね
●樺太調査隊に参加し、風景画のスケッチをしていた
風景画と裸婦像の多さが意外 力強い筆のタッチで、抽象的
晩年も裸婦像を描いているけれども、美術家にとって基本なのかな?
とても色調が暗いのは劣化のせいだけではないのかも
初期からキャンバスだけでなく、「板」に描いていたのはお金がなかったから?
素材的に気に入っていたから?
●油彩画 「光と影」
なんとなく勝手なイメージでモリカズさんて仙人だから
学校で絵を習わずとも、最初から緻密な自然観察で描けたのでは?と思っていたけれども
最初はとてもダークな油彩画などを描いていたことが分かった
今では油が劣化して、もとの色が分からなくなっている
保存状態が悪かったのか? ここまで劣化することに皆も驚いていた
何が描かれているかより、ブキミに黒光りしている印象
この頃からこだわっていたのは「光と影」
時系列に観ていくと、あの特徴的な「単純化」「中間色」「赤いふちどりの線」にたどり着くまでには
もちろん試行錯誤もあり、その片鱗が過去作品の中にも垣間見れたり
「三原色」などの関係を科学者のように考えて描いていたことが分かった
●「轢死」シリーズ
1903年 電車に飛び込み自殺して亡くなった女性の死体を見た衝撃が何度も繰り返し絵に出てくる
夏目漱石の書いた『三四郎』にも同じ事件ではないかと思われる記述があるとか/驚
「ヨコ」と「タテ」
モリカズさんは、ヨコに描いた女性をタテに描くことによって
まるで女性が生き返ったような錯覚に見えることにこだわる
それは後に、自身の子どもを2人亡くした時の構図にも表れる
●楽譜
チェロ、バイオリンで遊んでいたことがあり、作曲もしていて
その楽譜も展示されていた/驚
楽譜が読めたら、どんな曲が分かるのに!
●5人の子ども
この時代は珍しくないのだろうけど、やっぱり大家族だよなあ 奥さんは苦労したことだろう
次男の陽、長女の萬(21)を亡くした経験は大きかった
萬さんが「何も残さずこの世を去る」ことを不憫に思い、絵を描き始めたが
自分が絵に没頭していることに気づいてやめたと後に記録しているモリカズさん
経済的に厳しい時代もあったが、モリカズさんを支え続けたのは
木村定三さんという方で、今回、木村さんのコレクションからの展示も多かった
一度、この絵たちに魅了されたら、何を描いても欲しくなっちゃう気持ち分かる!
●赤いふちどり線
風景画にも赤いふちどりの線を描くようになる
だんだんモリカズさんらしい絵になっていく過程が楽しい
色調も明るくなり、中間色が増え、色の対比にこだわっている
線がどんどん単純化されて、説明がないと何を描いたか分からないものもある
いろんな場所のタイトルがついていて、各地を旅して回っていたのだろうか?
海のシリーズは、美しい水の色、空の色と、手前の岩の色とのコントラストがイイ
「スケッチ」と絵画を並べてある作品も多く、ラフなものから、輪郭が整い、
色指定されていて、アニメの絵コンテのよう
昭和20年代には、もうモリカズさんの世界観
ヤギ、ウシなどの動物も可愛いくて笑ってしまう
●筆づかい
のっぺりと塗っているようでいて、よく観ると、絵の対象によって
塗る向きを変えたり、細かく丁寧に塗られているのが分かった
大好きな猫シリーズも、毛並みを描くように筆運びがさまざまな向きに塗られていたし
●動いているように見える効果
絵画の詳しいことは分からないけれども、色の組み合わせによって、
白が浮き立ち、水滴が動いているように見える効果を狙っているのだとか
●海外の画家の影響
これも意外/驚 マティス「生きる喜び」の笛を吹いている少年、後ろ向きの裸婦像などを模していたり
(黒く囲った部分
アンドレ・ドラン(初耳)、ゴーギャンなどを模した作品もあるそう
裸婦像の髪の色はなぜ緑なんだろう?
「少女」(1963)の顔は、明るく、ハッキリとした線で、元気な娘 初期の暗さはまったくない
●70代半ばで体を壊し、庭の動植物を描く 「中間色」「単純化」
体を壊してからの作品がよく知られて、人気って、人生分からないものだ
昼に庭を観察して、夜アトリエにこもって描いていたそうで
一見、なにげなく描いたように見えて、光と影、色の対比などへの強いこだわりは
晩年のほうが強かったのかもしれない
「蟻」(1970)の土色なんて、土そのもの!
●同じモチーフで複数描く
トレペで板に転写していた?とか説明書きがあった
花の絵を観ていた奥さんが「こんな絵が家にあったら嬉しいなあって思う」て言っててほんとにそうだ
シンプルで見飽きない 永遠に癒される感じ
●揮毫(毛筆で何か言葉や文章を書くこと
木村に求められて初めて揮毫を始めた
「心月輪」(1940)
自由に踊るような文字 そこにもモリカズさんの構図がちゃんとあるそう
「無」(1940)
長い掛け軸に1字「無」てステキ
木村氏はモリカズさんの「かなも素晴らしい 第三の芸術」と讃えたそう
墨で描いた絵もイイ ぼんやりと描いた猫とか
●猫シリーズ(やっと!
「豊島区立熊谷守一美術館」の館長を務める次女・熊谷榧さんいわく
「家には野良猫、飼い猫とも分からない猫がつねにいて
父は、猫が暮らしやすいように気を配っていた」
「眠り猫」(1959)は、猫アンモナイトみたい
動物ものはどれもなんとものどか
「木小屋」(1966)の家シリーズももっと観たかったな
「土塊(つちくれ)」(1965)では、ついに土そのものを描いていて斬新すぎ!
「夜の月」(1961)もイイ
●最後は日輪シリーズ
こないだ読んだ絵本『はじまるよ』にまとめられた日輪が数点並べられてあった
熊谷守一 『はじまるよ』(福音館書店)
その上に著書からの引用文がこれまた良かった
『蒼蠅』より
“生きていたいと思いますね
わたしってしみったれですから
幾つになっても命は惜しいです
命が惜しくなかったら見事だけれど
残念だが惜しい”(1976)
***
いったん外に出て、ベンチに座って、朝行きがけに買ったおにぎりを食べたら落ち着いた
【2~4F 常設展 MOMAT コレクション】
たくさんの収蔵品の中から、年数回展示入れ替えをしているそう
気になる画家がいれば、オフィサイトで検索すれば収蔵品名リストが見られる
驚いたのは、禁止マーク付き以外は写真撮影許可だったこと
今回は戦争にまつわる絵画、熊谷さんつながりのテーマに沿った展示だった中
私の好きな岡本太郎さん、草間彌生ちゃんの作品まであってビックリ
早速、気になった作品を写メって来ましたv
岡本太郎「夜明け」(かなり大きい!
草間彌生「冥界への道標」(1976)
布の詰め物、木、靴の組み合わせが斬新
●ロバート・フランク
●猫シリーズ
(これは、混み合い過ぎでは・・・
【ミュージアムショップ】
外にもミュージアムショップがあり、熊谷さん関連もあったし
その他の美術書、ポストカードなどもある
美術館から出て少し歩いた所の「ラー・エ・ミクニ」はやたら高級レストランだし
ここのスタッフさんに、ここら辺で適当に休める喫茶店みたいなのはないか聞いたら
「地下鉄の竹橋駅まで戻って、朝日新聞社の地下街にスタバとかあります」とのこと
やっぱ駅まで戻らなきゃないのか
朝日新聞社のビルに入ってみたら1F入り口に、なにやら飛行機の記念碑があった
朝日新聞社主催の横山大観展覧会の宣伝があった
1、2Fにコンビニ、居酒屋、ドラッグストア、百均などが並んでいる
昔ながらの地下街のいなたい雰囲気で、この頃にはお腹も落ち着いていたから
そのままラッシュにひっかかる前に電車に乗った
<今日拾ったチラシ>
追。
美術館内でボールペンでメモっていると「鉛筆を使ってください」と言われるから
先日、わざわざ普段使わない鉛筆を1本だけ、近所の文具店で買ったのに
館内でバッグの中をいくら探しても見つからず
結局、スタッフさんに借りて済んだけれども、家に帰って、
バッグをひっくり返して探してみたら、なんと
内ポケットが破れていて、その中から出てくるわ、出てくるわ
エンピツも、ボールペンも、、、
一番驚いたのは、去年の真心ライブ以降すっかりどこかで落としたと思って
あらゆるJRやら、地下鉄やら、お店に電話して探しまくった
MP3プレイヤーまでゴロンと出てきた
こんなことってあるのね・・・
バッグとポケットの間の布?1枚の合間に全部入ってたってシャレにならない
いろいろ戻ってきて嬉しいんだか、なんだか、すごい複雑な気持ちになった
とりあえず、ポケットの穴は縫わないと
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
会期:2017年12月1日(金)~2018年3月21日(水・祝)
開館時間:10:00-17:00 (金曜・土曜は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで 休館日:月曜(1/8、2/12は開館)、年末年始(12/28-1/1)、1/9(火)、2/13(火)
特設サイト
熊谷守一(ウィキ参照
【ブログ内関連記事】
熊谷守一美術館
チラシを見てからずっと観たいと思っていた展覧会をやっと観に行ってきたv
頭の中では国立新美術館の気でいて、竹橋に着いてからやっと違うと気づいた(名前が似てる!
かなり久しぶりでは?と今ブログ内検索したら2011年?! そんなに/驚
『パウル・クレー~おわらないアトリエ』@東京国立近代美術館
川沿いにスイレンが咲いていた
「竹橋駅」に「たけばし」があるって、ロス・プリモスさんの歌う♪さらば~シリーズみたいw
【内容抜粋メモ】
思ったより収蔵点数が多くて、時代順、転換期ごとに部屋に分かれていて
行っても行ってもまだ次があり、普段の運動不足がたたって途中でふらふらに
お腹も減ってきて、スタッフさんに飲食できる場所がないか聞いたら
「あと1部屋で出口ですが、飲食できるのは、美術館の外にあるベンチだけです」
本来は再入場はダメだけれども、「スタッフに言えば、大丈夫だと思いますよ」と親切な対応/礼
でも、あと1部屋ならガマンしようと思って耐えた
外を出歩かなくなってから、こうした大きな展覧会も、ずっと立ったまま真剣に観ていると
腰が痛くなったり、とにかく辛い・・・
1部屋ごとに座るところがあったのがせめてもの救い
いったん入ったら、飲食禁止とか、トイレもない、休憩所もないんじゃ
美術観賞どころじゃなくなるものね
●樺太調査隊に参加し、風景画のスケッチをしていた
風景画と裸婦像の多さが意外 力強い筆のタッチで、抽象的
晩年も裸婦像を描いているけれども、美術家にとって基本なのかな?
とても色調が暗いのは劣化のせいだけではないのかも
初期からキャンバスだけでなく、「板」に描いていたのはお金がなかったから?
素材的に気に入っていたから?
●油彩画 「光と影」
なんとなく勝手なイメージでモリカズさんて仙人だから
学校で絵を習わずとも、最初から緻密な自然観察で描けたのでは?と思っていたけれども
最初はとてもダークな油彩画などを描いていたことが分かった
今では油が劣化して、もとの色が分からなくなっている
保存状態が悪かったのか? ここまで劣化することに皆も驚いていた
何が描かれているかより、ブキミに黒光りしている印象
この頃からこだわっていたのは「光と影」
時系列に観ていくと、あの特徴的な「単純化」「中間色」「赤いふちどりの線」にたどり着くまでには
もちろん試行錯誤もあり、その片鱗が過去作品の中にも垣間見れたり
「三原色」などの関係を科学者のように考えて描いていたことが分かった
●「轢死」シリーズ
1903年 電車に飛び込み自殺して亡くなった女性の死体を見た衝撃が何度も繰り返し絵に出てくる
夏目漱石の書いた『三四郎』にも同じ事件ではないかと思われる記述があるとか/驚
「ヨコ」と「タテ」
モリカズさんは、ヨコに描いた女性をタテに描くことによって
まるで女性が生き返ったような錯覚に見えることにこだわる
それは後に、自身の子どもを2人亡くした時の構図にも表れる
●楽譜
チェロ、バイオリンで遊んでいたことがあり、作曲もしていて
その楽譜も展示されていた/驚
楽譜が読めたら、どんな曲が分かるのに!
●5人の子ども
この時代は珍しくないのだろうけど、やっぱり大家族だよなあ 奥さんは苦労したことだろう
次男の陽、長女の萬(21)を亡くした経験は大きかった
萬さんが「何も残さずこの世を去る」ことを不憫に思い、絵を描き始めたが
自分が絵に没頭していることに気づいてやめたと後に記録しているモリカズさん
経済的に厳しい時代もあったが、モリカズさんを支え続けたのは
木村定三さんという方で、今回、木村さんのコレクションからの展示も多かった
一度、この絵たちに魅了されたら、何を描いても欲しくなっちゃう気持ち分かる!
●赤いふちどり線
風景画にも赤いふちどりの線を描くようになる
だんだんモリカズさんらしい絵になっていく過程が楽しい
色調も明るくなり、中間色が増え、色の対比にこだわっている
線がどんどん単純化されて、説明がないと何を描いたか分からないものもある
いろんな場所のタイトルがついていて、各地を旅して回っていたのだろうか?
海のシリーズは、美しい水の色、空の色と、手前の岩の色とのコントラストがイイ
「スケッチ」と絵画を並べてある作品も多く、ラフなものから、輪郭が整い、
色指定されていて、アニメの絵コンテのよう
昭和20年代には、もうモリカズさんの世界観
ヤギ、ウシなどの動物も可愛いくて笑ってしまう
●筆づかい
のっぺりと塗っているようでいて、よく観ると、絵の対象によって
塗る向きを変えたり、細かく丁寧に塗られているのが分かった
大好きな猫シリーズも、毛並みを描くように筆運びがさまざまな向きに塗られていたし
●動いているように見える効果
絵画の詳しいことは分からないけれども、色の組み合わせによって、
白が浮き立ち、水滴が動いているように見える効果を狙っているのだとか
●海外の画家の影響
これも意外/驚 マティス「生きる喜び」の笛を吹いている少年、後ろ向きの裸婦像などを模していたり
(黒く囲った部分
アンドレ・ドラン(初耳)、ゴーギャンなどを模した作品もあるそう
裸婦像の髪の色はなぜ緑なんだろう?
「少女」(1963)の顔は、明るく、ハッキリとした線で、元気な娘 初期の暗さはまったくない
●70代半ばで体を壊し、庭の動植物を描く 「中間色」「単純化」
体を壊してからの作品がよく知られて、人気って、人生分からないものだ
昼に庭を観察して、夜アトリエにこもって描いていたそうで
一見、なにげなく描いたように見えて、光と影、色の対比などへの強いこだわりは
晩年のほうが強かったのかもしれない
「蟻」(1970)の土色なんて、土そのもの!
●同じモチーフで複数描く
トレペで板に転写していた?とか説明書きがあった
花の絵を観ていた奥さんが「こんな絵が家にあったら嬉しいなあって思う」て言っててほんとにそうだ
シンプルで見飽きない 永遠に癒される感じ
●揮毫(毛筆で何か言葉や文章を書くこと
木村に求められて初めて揮毫を始めた
「心月輪」(1940)
自由に踊るような文字 そこにもモリカズさんの構図がちゃんとあるそう
「無」(1940)
長い掛け軸に1字「無」てステキ
木村氏はモリカズさんの「かなも素晴らしい 第三の芸術」と讃えたそう
墨で描いた絵もイイ ぼんやりと描いた猫とか
●猫シリーズ(やっと!
「豊島区立熊谷守一美術館」の館長を務める次女・熊谷榧さんいわく
「家には野良猫、飼い猫とも分からない猫がつねにいて
父は、猫が暮らしやすいように気を配っていた」
「眠り猫」(1959)は、猫アンモナイトみたい
動物ものはどれもなんとものどか
「木小屋」(1966)の家シリーズももっと観たかったな
「土塊(つちくれ)」(1965)では、ついに土そのものを描いていて斬新すぎ!
「夜の月」(1961)もイイ
●最後は日輪シリーズ
こないだ読んだ絵本『はじまるよ』にまとめられた日輪が数点並べられてあった
熊谷守一 『はじまるよ』(福音館書店)
その上に著書からの引用文がこれまた良かった
『蒼蠅』より
“生きていたいと思いますね
わたしってしみったれですから
幾つになっても命は惜しいです
命が惜しくなかったら見事だけれど
残念だが惜しい”(1976)
***
いったん外に出て、ベンチに座って、朝行きがけに買ったおにぎりを食べたら落ち着いた
【2~4F 常設展 MOMAT コレクション】
たくさんの収蔵品の中から、年数回展示入れ替えをしているそう
気になる画家がいれば、オフィサイトで検索すれば収蔵品名リストが見られる
驚いたのは、禁止マーク付き以外は写真撮影許可だったこと
今回は戦争にまつわる絵画、熊谷さんつながりのテーマに沿った展示だった中
私の好きな岡本太郎さん、草間彌生ちゃんの作品まであってビックリ
早速、気になった作品を写メって来ましたv
岡本太郎「夜明け」(かなり大きい!
草間彌生「冥界への道標」(1976)
布の詰め物、木、靴の組み合わせが斬新
●ロバート・フランク
●猫シリーズ
(これは、混み合い過ぎでは・・・
【ミュージアムショップ】
外にもミュージアムショップがあり、熊谷さん関連もあったし
その他の美術書、ポストカードなどもある
美術館から出て少し歩いた所の「ラー・エ・ミクニ」はやたら高級レストランだし
ここのスタッフさんに、ここら辺で適当に休める喫茶店みたいなのはないか聞いたら
「地下鉄の竹橋駅まで戻って、朝日新聞社の地下街にスタバとかあります」とのこと
やっぱ駅まで戻らなきゃないのか
朝日新聞社のビルに入ってみたら1F入り口に、なにやら飛行機の記念碑があった
朝日新聞社主催の横山大観展覧会の宣伝があった
1、2Fにコンビニ、居酒屋、ドラッグストア、百均などが並んでいる
昔ながらの地下街のいなたい雰囲気で、この頃にはお腹も落ち着いていたから
そのままラッシュにひっかかる前に電車に乗った
<今日拾ったチラシ>
追。
美術館内でボールペンでメモっていると「鉛筆を使ってください」と言われるから
先日、わざわざ普段使わない鉛筆を1本だけ、近所の文具店で買ったのに
館内でバッグの中をいくら探しても見つからず
結局、スタッフさんに借りて済んだけれども、家に帰って、
バッグをひっくり返して探してみたら、なんと
内ポケットが破れていて、その中から出てくるわ、出てくるわ
エンピツも、ボールペンも、、、
一番驚いたのは、去年の真心ライブ以降すっかりどこかで落としたと思って
あらゆるJRやら、地下鉄やら、お店に電話して探しまくった
MP3プレイヤーまでゴロンと出てきた
こんなことってあるのね・・・
バッグとポケットの間の布?1枚の合間に全部入ってたってシャレにならない
いろいろ戻ってきて嬉しいんだか、なんだか、すごい複雑な気持ちになった
とりあえず、ポケットの穴は縫わないと