去年あたりからずっと、これまで書き溜めていたノートの映画、ライヴレポ部分を抜粋してアップしていた過程で気づいたこと。
小さい頃から厭世的な詩を書いたりしてたけど、概ね自分は楽観的なほうだと思っていた。
でも、10代後半から、とくに働きはじめてからの日記を今読み返すと、自分のことながら可哀相になってくる/苦笑
「この人、よくこんな状態で毎日生きてこれたな」ってくらい、なんていうか、ココロと日常のギャップに苦しんでいたんだな。
このままじゃ、いつか自分は壊れてしまうだろうって思いが、どこかにあった。
カウンセリング等を経て、今こうして改めて自身を振り返る機会がもてたことは偶然じゃないんだ。
ノートを読み返しながら、徒然と思ったことは、、、
・日常的に弱音を吐ける人ほど、実は強い。
・胃腸が丈夫な人ほど健康で長生き。
・今の時点で花粉症じゃない人は、ストレス耐性が相当強い。
たとえば、一度も虫歯になったことのない人に、虫歯の本当の辛さは分からない。
うずくような痛みや、生活がままならない感じや、歯医者に行ってキーンて機械で削られる不快感、恐怖感etc...
同じ状況を経験して初めて、どんなトラブルや悩みも「ああ、なるほど、こういうことか」と腑に落ちる。
こんな歪んだシステムの中で、“ただ生きている”ことだけでもエライんじゃないか。
今までそーとー頑張ってきて疲労困憊な人に「もっとがんばれ」なんて励ます人は、
自分は人の弱さが分かっていないってことを意識してみてほしい。
みんな弱くて、カンペキじゃない。
カンペキである必要もない。
なぜなら、その「違い」こそが、かけがえのない「個性」だから。
「かわいそう」
と言って済ませるのはカンタンだ。
その人の立場を想像して、寄り添ったら、安易な同情や励ましより、
ただ静かに見守ってもらうだけでありがたい時もある。
「よーい、どん!」
でみんな一斉にスタートしても、個性や能力の差でバラつきが出るのは当然。
先を走っているからといって「成功」して「幸福」だともかぎらない。
世間一般の言う「成功」や「安定した生活」を幸せだと思わない人もいる。
十人十色の生き方、価値観があって当然。
みんな自分のペースで、自分の歩きたい道を歩けばOK。
アップダウンを1つ1つ乗り越える、そのプロセスにこそ価値がある。
自分を大切にすることを学び、他人の痛みを知ることを学ぶ。
「自分もそのままでOK」
「他人もそのままでOK」
自分を知って、今置かれている状況を、客観的に見えるようになるには、
いろんな体験をする、それ相応の時間が必要なんだ。
そして、みんなその道の途中にいる。
だから、今ある状況を「肯定」することからはじめよう。
すべての事象には、その「結果」に至るまでの「原因」がある。
さかのぼっていけば、それこそ永遠に続いている。
その因果関係がすべて見えたなら、きっとすべてを許せることだろう。
悪の裏にある人間の弱さ、孤独、不安、驕り、、、
それはみんなが持っているもので、それを一方的に責めることはできないから。
このノートを書いていた頃、私は自分の弱さを人に言えなかった。きっと気づいてもいなかった。
怒ったり、愚痴ったり、人前で泣いたりなんて、未熟で、カッコ悪いと思っていた。
今でもほんとうの自分をさらけ出せないのは変わっていないけど、
「自分は思っているほど強くはない」ってことは意識できる。
「よーい、どん!」の競争に
これ以上ムリして加わらなくてもいいし、加わりたいとも思っていない。
それが敗北でも、恥でもないと、自分を許して、解放してあげよう。
誰かの期待や、自分のプライドに添えなくても、
自分がやりたくもないことを、やり続けなければいけないと
誰かから命令されたワケじゃないのだから。
月曜〜金曜まで、
朝9時〜18時まで、
年がら年中、殺人的に混雑した電車に乗って、
働かなければいけないのは、どうしてなんだろう?
毎日、食べていくため?
家のローンを払うため?
子どもの教育費?
老後の資金のために、今の生活を潰さなきゃいけないの?
同じ地球上には、この「当たり前」が当たり前じゃない地域もたくさんある。
だけど、お金、時間、社会のシステムを最優先させて、
「みんなそうしてるんだから、仕方ないじゃん」と思っている。
毎日、不平不満を漏らし、病気にかかり、
犯罪、虐待、飢餓がはびこり、ひいては戦争が引き起こされても、
それは一部の悪い人たちが起こした、まったく別の問題?
「ヒトは、野放しにしておいたら堕落する」
「ルールや義務は必要だ」
「理想郷なんて夢の話だ」
そう言う人たちが、今のシステムを維持しているのでは?
「自分も我慢して頑張っているんだから、あなたもそうすべきだ」
でも、同じように頑張れない人もいる。
それで道から外れてしまっても、可哀相だけど置いていくしか仕方がないの?
問題は目に見えている表面じゃなくて、もっと1人1人の心の根っこの部分にある。
日常、ひいては世界をよりよく変えるのは、どこかの見知らぬお偉い先生方じゃなくて、
毎日を暮らしている1人1人の、日常的な考え方の中にあるんだと思う。
まずは、「当然だ」と思って無意識にやり過ごしていることを客観視して、疑問を持ってみる。
「これで、わたしも、あなたも、みんなしあわせ?」
♪Mr. Guder/The Carpenters
→歌詞和訳
追。
結婚や仕事場が複雑な人間関係を学ぶ修行のプロセスだというなら唯一納得できるけどね。