【エリザベス・ギルバート「創造力の神秘を探る」】(4.22 ON AIR)
体験記「食べて、祈って、恋をして」が大ヒットした女性作家。
その後は、マスコミだけでなく、友人・知人からもやたらと
「あれを越える小説なんて書けないんじゃないの?」と言われて不安感を煽られるようになったのが悩みだという。
クリエイターには、なぜかアルコール依存症になる、短命で死ぬなどのマイナスイメージがついて回るのはなぜか?と問いかける。
とても興味深いスピーチだった。
天職だと思える仕事に恐れを感じるのはおかしくないか?
なぜクリエイターだけが精神的に不安定になると思われているのか。
20世紀だけでも実際、数多くの偉大なクリエイターが若死にしている。その多くは自殺。
人々はもはや、創作とは苦しいものだと思い込んでしまった。
実際は、逆に芸術家を励ますべきでは? 私はまだアラフォーだから、あと40年ぐらいは書ける。
書き続けるためには、心理的な防御が必要。どう評価されるか、意識しないようにすること。
クリエイターの精神的ストレスを減らすいい方法はないかと調べまくったら、古代ギリシャとローマにヒントがあった。
当時の人々は創造性は人間の持つ能力ではなく、精霊のようなものだと考えていた。
ギリシャ人はそれを「デイモン(悪魔)」と呼び、ローマ人は「ジニアス(天才)」と呼んだ。
天才とは今の意味と違い、妖精を指していた/驚
それがルネサンス期になると、人間中心の考え方に変わった。
誰も神の言葉を伝える妖精など信じなくなってしまった。これが人文主義の始まり。
だが、自分の力だけで作品ができるなんて思ったらダメ。
人間の繊細な心には重荷になってしまう
エゴは肥大化するし、過剰な期待も生まれる。
この重圧こそ、この500年間、芸術家を殺してきた。
信憑性などどんな説でも同じ。ひらめきのメカニズムは分からないのだから。
創作は理不尽で、時にオカルト的なプロセスだ。
数年前に雑誌の取材で会ったトム・ウェイツは、典型的な苦悩するアーティストで
創造への衝動を自分の中だけで消化していたが、歳をとって丸くなり、ある日、運転中に悟ったという。
高速道路を走っていて、突然、曲の断片が頭の中で聞こえた。
この一瞬のひらめきをキャッチしないと でも紙も鉛筆もテープレコーダーもない。
“ああ、オレはこの曲に一生悩まされることになる”と思った時、空を見上げてこう言った。
“あのな、今、運転してんだよ。書いてほしけりゃタイミングを考えろ。
でなけりゃ、レナード・コーエンのところへでも行ってくれ!”と/爆
創造の精霊を解放することで悩みは解消された。ひとりで苦しまなくてもいいんだと気づいた。
自分ではない“何か”との対話型の共同作業でいいんだと。
「この本がイマイチでも、私だけのせいじゃないんだからね。
私は精一杯やってるんだから、もっと良くしたいならちゃんと手伝ってよ。
私はちゃんと自分の仕事をしてますからね」
そもそも自分の才能だと思わず借り物だと考えれば、多少は苦悩が和らぐのでは?
どこからか回ってきて、ちょっと借りたら次に回す。そう考えればすべてが変わる。
彼女は小説家ってだけじゃなくて話術も素晴らしいな。
私は、創造する力はみんなの中にあって、みんなが芸術家なんだと思う。
神さまも自分の中にあって、みんなが神さまなんだと思う。
そういう意味では、伊藤さんも「日本人としては、クリエイティブになるには、自分の内面を見る」ってゆってたことに似ていた。
体験記「食べて、祈って、恋をして」が大ヒットした女性作家。
その後は、マスコミだけでなく、友人・知人からもやたらと
「あれを越える小説なんて書けないんじゃないの?」と言われて不安感を煽られるようになったのが悩みだという。
クリエイターには、なぜかアルコール依存症になる、短命で死ぬなどのマイナスイメージがついて回るのはなぜか?と問いかける。
とても興味深いスピーチだった。
天職だと思える仕事に恐れを感じるのはおかしくないか?
なぜクリエイターだけが精神的に不安定になると思われているのか。
20世紀だけでも実際、数多くの偉大なクリエイターが若死にしている。その多くは自殺。
人々はもはや、創作とは苦しいものだと思い込んでしまった。
実際は、逆に芸術家を励ますべきでは? 私はまだアラフォーだから、あと40年ぐらいは書ける。
書き続けるためには、心理的な防御が必要。どう評価されるか、意識しないようにすること。
クリエイターの精神的ストレスを減らすいい方法はないかと調べまくったら、古代ギリシャとローマにヒントがあった。
当時の人々は創造性は人間の持つ能力ではなく、精霊のようなものだと考えていた。
ギリシャ人はそれを「デイモン(悪魔)」と呼び、ローマ人は「ジニアス(天才)」と呼んだ。
天才とは今の意味と違い、妖精を指していた/驚
それがルネサンス期になると、人間中心の考え方に変わった。
誰も神の言葉を伝える妖精など信じなくなってしまった。これが人文主義の始まり。
だが、自分の力だけで作品ができるなんて思ったらダメ。
人間の繊細な心には重荷になってしまう
エゴは肥大化するし、過剰な期待も生まれる。
この重圧こそ、この500年間、芸術家を殺してきた。
信憑性などどんな説でも同じ。ひらめきのメカニズムは分からないのだから。
創作は理不尽で、時にオカルト的なプロセスだ。
数年前に雑誌の取材で会ったトム・ウェイツは、典型的な苦悩するアーティストで
創造への衝動を自分の中だけで消化していたが、歳をとって丸くなり、ある日、運転中に悟ったという。
高速道路を走っていて、突然、曲の断片が頭の中で聞こえた。
この一瞬のひらめきをキャッチしないと でも紙も鉛筆もテープレコーダーもない。
“ああ、オレはこの曲に一生悩まされることになる”と思った時、空を見上げてこう言った。
“あのな、今、運転してんだよ。書いてほしけりゃタイミングを考えろ。
でなけりゃ、レナード・コーエンのところへでも行ってくれ!”と/爆
創造の精霊を解放することで悩みは解消された。ひとりで苦しまなくてもいいんだと気づいた。
自分ではない“何か”との対話型の共同作業でいいんだと。
「この本がイマイチでも、私だけのせいじゃないんだからね。
私は精一杯やってるんだから、もっと良くしたいならちゃんと手伝ってよ。
私はちゃんと自分の仕事をしてますからね」
そもそも自分の才能だと思わず借り物だと考えれば、多少は苦悩が和らぐのでは?
どこからか回ってきて、ちょっと借りたら次に回す。そう考えればすべてが変わる。
彼女は小説家ってだけじゃなくて話術も素晴らしいな。
私は、創造する力はみんなの中にあって、みんなが芸術家なんだと思う。
神さまも自分の中にあって、みんなが神さまなんだと思う。
そういう意味では、伊藤さんも「日本人としては、クリエイティブになるには、自分の内面を見る」ってゆってたことに似ていた。