■『天国にいちばん近い島』(1984)
原作:森村桂 監督:大林宣彦
出演:原田知世、高柳良一、峰岸徹、赤座美代子、泉谷しげる、高橋幸宏、小林稔侍、室田日出男、松尾嘉代、乙羽信子 ほか
原田知世ちゃん出演の角川映画シリーズ。
こんなに美しい島が、同じ地球にあったんだと驚いたとともに、
大林監督のインタビューで、撮影当時は革命中でホテルが炎上したりして、とても危険だったと聞いてさらに驚いた。
そのインタビューで、ハリウッドの話も出てきたけど、冒頭からなにか懐かしいMGMミュージカルでも始まって、
幼いJ.ガーランドでも出てくるんじゃないかといった雰囲気。
よく考えれば16歳の少女の1人旅、しかもツアーガイドからも離れて、あちこちの島を巡るなんて無謀極まりないけど、
こうゆうファンタジーを語る大林さんて、宮崎駿さんに通じるものがあるんじゃないかって思う。
▼story(ネタバレ注意
幼い頃、父はニューカレドニアには「天国にいちばん近い島」があるんだと何度も話を聞かせてくれた。
そんな父が急死して、16歳のマリは「ニューカレドニアに行きたい」と言い出す。
いつもは、何を考えてるか分からない無口な子だが、母親は快く送り出す。
時はちょうどクリスマス。
ツアーの飛行機で隣り合わせになった山本福子は、バブル女子を思わせる軽い女性だが、なんだかんだとマリを世話する。
自転車を借りて島を巡っていると、トラックから椰子の実がこぼれて怪我を負い、日系三世の青年・タローと出会う。
フリーガイドの深谷有一についていって、一緒に「天国にいちばん近い島」を探してもらうマリ。
「私には分かります。お父さんと約束した島ですから」
深谷は20年前、恋人と来た夕陽の見える丘に連れていく。
「太陽が沈む時に緑色の光が見えると幸福が訪れるという。君にぜひ見て欲しいんだ。
20年前に見えたと言った人がいた。あの人は他の誰にも似ていないんだ」
深谷は、マリをカジノに連れてゆき、ルーレットで当てたお金で思い当たる島にセスナで連れて行く。
一番高い山に登り、そこも素晴らしい景色だったが、ここでもないと言う。
「私の思ってるのとは違うんです。私の天国にいちばん近い島も、他のどの島とも違うんです」
「僕たちの旅はもう終わった。それを決めたのは君だよ」
朝早くマーケットに行き、タローと再会できたマリ。
「よかった、会いたかった、あなたに!」
「天国にいちばん近い島」の話をすると、「ウベアだと思います。世界で一番早く夜が明ける島なんです」
タローは島の酋長の息子と友だちのため、タダで船に乗せてもらえる。
翌朝には島に着くし、ギリギリ帰りの飛行機にも間に合うと安心するマリ。
酋長から「我々はみな太陽の子です」と歓迎されるが、その夜、マリは高熱を出して寝込んでしまった。
回復すると、もう飛行機は行ってしまった後で、ツアーガイドの青山はカンカン
「ホテルは移ってもらいます。次のフライトは満杯。あとは自己負担でお願いしますよ!」
怒りながらも、当座のお金を渡す青山。
紹介されたボラボラホテルは、なんだか危険な香りで、スーツケースを引っ張って歩いて疲れたマリは船の中で寝てしまう。
留置所に入れられそうになって、タローが迎えに来てくれ、自宅に泊まれと案内する。
タローの母は8歳の時に亡くなったが、日本に行くのが夢だという。
失敗ばかりで、「天国にいちばん近い島」も見つからず、マリはドラム缶の風呂の中で号泣してしまう。
タローの父タイチは「旅行者を好きになると、寂しい思いをするぞ」と釘を刺す。
夫がニューカレドニアの海で戦死したという石川貞は、エッセイストの村田圭子とともに弔いに行くから一緒に来ないかと誘われる。
「沈んでいく潜水艦を見たけれども、日本兵を助けたら、私たちはここでは生きていけない」とつぶやくタイチ。
貞「誰かをかつて好きになった誇り。誰かを愛した自分の心だけは決して忘れちゃいけない。
愛って結局は、自分のための物語なのね」
マリは貞と同じホテルに招かれ、もう一度だけタローに会いたいという。
マリ「我がままでしょうか?」
貞「我がままを言っても、言い過ぎるほど人生は長くはないわ」
マリはタローがくれたお金を返し、代わりに子どもたちに聞かせていた日本のことを描いた紙芝居を読んでもらう。
大林監督の角川作品はココロがほっこりする
ツアーガイド役の小林稔侍さんのキャラも濃いけど、タローの父役の泉谷しげるさん、怪しすぎっ!
(しかも、プロフに、昔はマンガ家を目指してたってほんと!?驚
妻を亡くして、2人の子どもと旅行に来ていた室田日出男さんの役は薄かったな。
▼DVD特典
ナレーションも知世ちゃん。初めての海外ロケで、150人のスタッフが飛行機で大移動したって/驚
映画には地元の人、観光客も参加した。セスナ機は「暑くて、揺れてムカムカしました」
タローの家はセットで、なんと、材料をすべて日本から運んで、現地で組み立てた!
原田貴和子さんも一緒で「ちょっと恥ずかしいです」
お風呂で泣くシーンは何度もやり直したんだろうなあ・・・て思いながら観てたら、やっぱりそうだった。
この一生懸命な撮影シーンだけでも泣ける。
★ニューカレドニアの観光映像もありw
成田から8時間で行けるの!? カルティエ・ラタンといえば、フランスの若き芸術家たちが集まった街だよね?
通りかかる人々に手を振るのは、村の習慣。みんなイイ人たちだなあ。
大林監督インタビュー
毎回、これが楽しみ。大林さんの言葉はあったかくて、ひと言ひと言に深い含蓄が溢れている。
撮影当時、独立革命の最中で、出演してくれた方々も「明日は命がないかもしれない」と言っていたため、
原作通りには出来なかった。
かといって生々しい現実を敢えて描かず、少女の夢と理想を描いたことで、二重構造の映画となっている。
その切実な願いには作者の森村さんも共感してくれた。
ウベアは、突然雨が降って、サァーっと通り過ぎる。まさにスコール
私たちは雨が降ると家に逃げ込むけれども、島の人たちは外に飛び出して全身に浴び、体を洗ったりしている。
サンゴ礁の窪みには天然水がたまるため、とても貴重。「雨も神さまからの恵み」ということ。
30もある集落それぞれに酋長がいて、まずは挨拶して、心ばかりの贈り物をして迎えられる。
「太陽はひとつ。血の色もひとつ」
そこに白人文明を持ち込んだんだから革命が起きても当然。
撮影中もホテルが炎上して、テントに泊まった。
Q:知世ちゃんについて。
A:
「時をかける少女」の時は、本人も「ポキポキした人形みたい」と言っていたけど、
本作はドキュメンタリーで、文明vs文化、それを彼女の感性に委ねてみた。
メガネは一種の仕掛け。「目に見えるものがすべて」ということから離れて、想像力、心の目で見ること。
最初はイヤホンで音楽を聴いていたけど、「それも外しなさい」と言うと、後日、
「無数の貝が海で鳴るのが聴こえるようになりました」と言ってきた。
フランス領のウベアで、子どもたちが歌っているのはすべて賛美歌。
日本の歌を教えると、教会のハーモニーになるんだよね。
Q:共演者について。
A:
高柳くんは、自然そのもの。当時は「シラケ世代」で、猫背の若者が多い中で貴重だった。
小林稔侍さんは、文明・経済に侵された人間として島の自然と対比させた
乙羽信子さんは“日本の母”の象徴、赤座美代子さん演じる圭子は、自立しつつ迷子になっている現代女性の典型。
私の映画はすべてつながっている。映画は、俳優を見つめる仕事なんです。
Q:オールアフレコの噂について。
A:
アフレコは嫌いです。スタジオでとる缶詰の音。
アニメの「少年ケニア」ですら、スタジオではなく、実際、アクションをしながら外で録った。
でも、お風呂で知世ちゃんが泣くシーンだけは、アフレコ。これは彼女のためにそうした。
一度やったことをもう一度やると感動は必ず冷めるんです。なぞることになるんです。
上手になぞったものは感動しない。
感動ってゆうのは1回だけ。演技も1回、人生も1回。だから感動するんです。
演技を何度も繰り返すってことは関心(感心?)の度合いは上がるけれども、感動が失われる。
でも、知世がこれから女優として生きていくなら、関心(感心?)の中にもういっぺん感動を再現する力を持たなきゃならない。
私は、いつも、2本目の新人女優にそういう試練を課しているんです。
何度もやって苦労しました。だから全編アフレコだっていう伝説が生まれたんじゃないですかね。
Q:音楽について。
A:
「ゲキバン(ハリウッドで開発された、劇に合わせた伴奏)」は当時の日本では不評でした。
朝川朋之さんは、見事なゲキバンをしてくれたけれども、「独立した音楽を書きたい」とゆってたのをどこかで読んで、縁を切りました。
なぜかというとスタッフを不幸にしてはいけないから。でも、日本のジョン・ウィリアムスを失ったと思いましたけどね。
現に、今のハリウッドは「ゲキバン」がよみがえっていますよ。
映画というものは目に見えるものしか映らない。目に見えない心は映らない。
その心を表現するのが、実は「ゲキバン」というものの使命なんですよね。
原作:森村桂 監督:大林宣彦
出演:原田知世、高柳良一、峰岸徹、赤座美代子、泉谷しげる、高橋幸宏、小林稔侍、室田日出男、松尾嘉代、乙羽信子 ほか
原田知世ちゃん出演の角川映画シリーズ。
こんなに美しい島が、同じ地球にあったんだと驚いたとともに、
大林監督のインタビューで、撮影当時は革命中でホテルが炎上したりして、とても危険だったと聞いてさらに驚いた。
そのインタビューで、ハリウッドの話も出てきたけど、冒頭からなにか懐かしいMGMミュージカルでも始まって、
幼いJ.ガーランドでも出てくるんじゃないかといった雰囲気。
よく考えれば16歳の少女の1人旅、しかもツアーガイドからも離れて、あちこちの島を巡るなんて無謀極まりないけど、
こうゆうファンタジーを語る大林さんて、宮崎駿さんに通じるものがあるんじゃないかって思う。
▼story(ネタバレ注意
幼い頃、父はニューカレドニアには「天国にいちばん近い島」があるんだと何度も話を聞かせてくれた。
そんな父が急死して、16歳のマリは「ニューカレドニアに行きたい」と言い出す。
いつもは、何を考えてるか分からない無口な子だが、母親は快く送り出す。
時はちょうどクリスマス。
ツアーの飛行機で隣り合わせになった山本福子は、バブル女子を思わせる軽い女性だが、なんだかんだとマリを世話する。
自転車を借りて島を巡っていると、トラックから椰子の実がこぼれて怪我を負い、日系三世の青年・タローと出会う。
フリーガイドの深谷有一についていって、一緒に「天国にいちばん近い島」を探してもらうマリ。
「私には分かります。お父さんと約束した島ですから」
深谷は20年前、恋人と来た夕陽の見える丘に連れていく。
「太陽が沈む時に緑色の光が見えると幸福が訪れるという。君にぜひ見て欲しいんだ。
20年前に見えたと言った人がいた。あの人は他の誰にも似ていないんだ」
深谷は、マリをカジノに連れてゆき、ルーレットで当てたお金で思い当たる島にセスナで連れて行く。
一番高い山に登り、そこも素晴らしい景色だったが、ここでもないと言う。
「私の思ってるのとは違うんです。私の天国にいちばん近い島も、他のどの島とも違うんです」
「僕たちの旅はもう終わった。それを決めたのは君だよ」
朝早くマーケットに行き、タローと再会できたマリ。
「よかった、会いたかった、あなたに!」
「天国にいちばん近い島」の話をすると、「ウベアだと思います。世界で一番早く夜が明ける島なんです」
タローは島の酋長の息子と友だちのため、タダで船に乗せてもらえる。
翌朝には島に着くし、ギリギリ帰りの飛行機にも間に合うと安心するマリ。
酋長から「我々はみな太陽の子です」と歓迎されるが、その夜、マリは高熱を出して寝込んでしまった。
回復すると、もう飛行機は行ってしまった後で、ツアーガイドの青山はカンカン
「ホテルは移ってもらいます。次のフライトは満杯。あとは自己負担でお願いしますよ!」
怒りながらも、当座のお金を渡す青山。
紹介されたボラボラホテルは、なんだか危険な香りで、スーツケースを引っ張って歩いて疲れたマリは船の中で寝てしまう。
留置所に入れられそうになって、タローが迎えに来てくれ、自宅に泊まれと案内する。
タローの母は8歳の時に亡くなったが、日本に行くのが夢だという。
失敗ばかりで、「天国にいちばん近い島」も見つからず、マリはドラム缶の風呂の中で号泣してしまう。
タローの父タイチは「旅行者を好きになると、寂しい思いをするぞ」と釘を刺す。
夫がニューカレドニアの海で戦死したという石川貞は、エッセイストの村田圭子とともに弔いに行くから一緒に来ないかと誘われる。
「沈んでいく潜水艦を見たけれども、日本兵を助けたら、私たちはここでは生きていけない」とつぶやくタイチ。
貞「誰かをかつて好きになった誇り。誰かを愛した自分の心だけは決して忘れちゃいけない。
愛って結局は、自分のための物語なのね」
マリは貞と同じホテルに招かれ、もう一度だけタローに会いたいという。
マリ「我がままでしょうか?」
貞「我がままを言っても、言い過ぎるほど人生は長くはないわ」
マリはタローがくれたお金を返し、代わりに子どもたちに聞かせていた日本のことを描いた紙芝居を読んでもらう。
大林監督の角川作品はココロがほっこりする
ツアーガイド役の小林稔侍さんのキャラも濃いけど、タローの父役の泉谷しげるさん、怪しすぎっ!
(しかも、プロフに、昔はマンガ家を目指してたってほんと!?驚
妻を亡くして、2人の子どもと旅行に来ていた室田日出男さんの役は薄かったな。
▼DVD特典
ナレーションも知世ちゃん。初めての海外ロケで、150人のスタッフが飛行機で大移動したって/驚
映画には地元の人、観光客も参加した。セスナ機は「暑くて、揺れてムカムカしました」
タローの家はセットで、なんと、材料をすべて日本から運んで、現地で組み立てた!
原田貴和子さんも一緒で「ちょっと恥ずかしいです」
お風呂で泣くシーンは何度もやり直したんだろうなあ・・・て思いながら観てたら、やっぱりそうだった。
この一生懸命な撮影シーンだけでも泣ける。
★ニューカレドニアの観光映像もありw
成田から8時間で行けるの!? カルティエ・ラタンといえば、フランスの若き芸術家たちが集まった街だよね?
通りかかる人々に手を振るのは、村の習慣。みんなイイ人たちだなあ。
大林監督インタビュー
毎回、これが楽しみ。大林さんの言葉はあったかくて、ひと言ひと言に深い含蓄が溢れている。
撮影当時、独立革命の最中で、出演してくれた方々も「明日は命がないかもしれない」と言っていたため、
原作通りには出来なかった。
かといって生々しい現実を敢えて描かず、少女の夢と理想を描いたことで、二重構造の映画となっている。
その切実な願いには作者の森村さんも共感してくれた。
ウベアは、突然雨が降って、サァーっと通り過ぎる。まさにスコール
私たちは雨が降ると家に逃げ込むけれども、島の人たちは外に飛び出して全身に浴び、体を洗ったりしている。
サンゴ礁の窪みには天然水がたまるため、とても貴重。「雨も神さまからの恵み」ということ。
30もある集落それぞれに酋長がいて、まずは挨拶して、心ばかりの贈り物をして迎えられる。
「太陽はひとつ。血の色もひとつ」
そこに白人文明を持ち込んだんだから革命が起きても当然。
撮影中もホテルが炎上して、テントに泊まった。
Q:知世ちゃんについて。
A:
「時をかける少女」の時は、本人も「ポキポキした人形みたい」と言っていたけど、
本作はドキュメンタリーで、文明vs文化、それを彼女の感性に委ねてみた。
メガネは一種の仕掛け。「目に見えるものがすべて」ということから離れて、想像力、心の目で見ること。
最初はイヤホンで音楽を聴いていたけど、「それも外しなさい」と言うと、後日、
「無数の貝が海で鳴るのが聴こえるようになりました」と言ってきた。
フランス領のウベアで、子どもたちが歌っているのはすべて賛美歌。
日本の歌を教えると、教会のハーモニーになるんだよね。
Q:共演者について。
A:
高柳くんは、自然そのもの。当時は「シラケ世代」で、猫背の若者が多い中で貴重だった。
小林稔侍さんは、文明・経済に侵された人間として島の自然と対比させた
乙羽信子さんは“日本の母”の象徴、赤座美代子さん演じる圭子は、自立しつつ迷子になっている現代女性の典型。
私の映画はすべてつながっている。映画は、俳優を見つめる仕事なんです。
Q:オールアフレコの噂について。
A:
アフレコは嫌いです。スタジオでとる缶詰の音。
アニメの「少年ケニア」ですら、スタジオではなく、実際、アクションをしながら外で録った。
でも、お風呂で知世ちゃんが泣くシーンだけは、アフレコ。これは彼女のためにそうした。
一度やったことをもう一度やると感動は必ず冷めるんです。なぞることになるんです。
上手になぞったものは感動しない。
感動ってゆうのは1回だけ。演技も1回、人生も1回。だから感動するんです。
演技を何度も繰り返すってことは関心(感心?)の度合いは上がるけれども、感動が失われる。
でも、知世がこれから女優として生きていくなら、関心(感心?)の中にもういっぺん感動を再現する力を持たなきゃならない。
私は、いつも、2本目の新人女優にそういう試練を課しているんです。
何度もやって苦労しました。だから全編アフレコだっていう伝説が生まれたんじゃないですかね。
Q:音楽について。
A:
「ゲキバン(ハリウッドで開発された、劇に合わせた伴奏)」は当時の日本では不評でした。
朝川朋之さんは、見事なゲキバンをしてくれたけれども、「独立した音楽を書きたい」とゆってたのをどこかで読んで、縁を切りました。
なぜかというとスタッフを不幸にしてはいけないから。でも、日本のジョン・ウィリアムスを失ったと思いましたけどね。
現に、今のハリウッドは「ゲキバン」がよみがえっていますよ。
映画というものは目に見えるものしか映らない。目に見えない心は映らない。
その心を表現するのが、実は「ゲキバン」というものの使命なんですよね。