■『森に生きる』(講談社)
立松和平/文 写真:江本守男、高野康男、田中洋一、菊地和義
図書館巡りで見つけた1冊シリーズ。
山から里におりてきて、田畑を荒し、ヒトに危害を加えたとして殺される「害獣」。
かれらは、山をゴルフ場、スキー場などに「開拓」したヒトのせいで、棲む場所、食べる物を失った動物たちだ。
いまだ、なくならない「密猟」。お金に換えるヒトもいれば、ただ「楽しみ」のためだけに殺すヒトもいる。
山を開拓して理想郷を作ろうとした江本守男さんは、同じように長い年月をかけて自然に戻す決断をした。
自然を破壊するのは一瞬でも、元に戻すには果てしない時間がかかる。
日光の「霧降高原」の神秘的な写真とともに紹介される、鹿の親子の物語り。
【内容抜粋メモ】
日光は野生動物が多い。ツキノワグマ、ニホンカモシカ、ニホンジカ、キツネ、テン、ヤマネ、、、、
ある年の冬、何十年ぶりかの寒さが日本を襲い、霧降高原にもかつてないほどの雪が降った。
美しい雪景色とは裏腹に、山ではたくさんのシカが死んでいた。
餌になるミヤコザサが雪の下に埋もれ、冬を越せなかったのだった。
その他、ヒトが仕掛けた罠にかかったシカもたくさんいた。
木と木の間に針金の輪を仕掛け、通りかかったシカの頭や胴体にひっかかり、動けば動くほどきつく絞まる仕組み。
ヒトはシカを殺し、剥製にしたり、角、皮、肉をとる。これは法律で禁じられている。「密猟」
ただ楽しみのためにシカを撃つ密猟者もいる。ライフル銃は何百mも弾が飛ぶ。
「野犬」もシカの敵となる。
かつてペットとして飼われて、捨てられた犬が、山で子どもを産み育てると、ヒトに馴染んだことのない犬が増えた。
餌がなくて弱っているシカ、罠にかかったシカは、野犬の群れに噛み殺されることもある。
著者の友人・江本守男さんは、牛とミツバチを飼い、理想郷を作ろうと霧降高原を開拓した。昭和23年のこと。
やがてサル、シカに畑を荒らされ、蜂蜜はクマになめられてしまった。
自然の中には、ムダなものは1つもない。
「いちばんムダなのは、人間です」と江本さんは言う。
山にいる動物が畑を荒らすようになったのは、自然林が大量に切られたから。
その後、スギ、ヒノキ、マツが植えられたが、それらは餌となる実をつけず、葉も食べられない。
江本さんが開拓したことも、動物たちの生活空間を奪ってしまった。
その後、別荘地、スキー場が出来たりして、ますます餌が減った。川にいたたくさんのイワナも姿を消した。
林業を営む著者の友人も悩んでいた。
「植えたばかりのスギやヒノキの苗、木の皮をシカに食べられてしまうんだ」
苗に網をかぶせたり、柵を作ったり、木に薬品を塗る手段もあるが、コストがかかり、簡単には解決できない。
汗と涙で開墾した畑を、江本さんは、時間をかけて森に戻しはじめた。
「理想郷」とは、「開拓地」ではなく、豊かな自然のあるところだと、考え方を変えて、森をキャンプ場にした。
江本さんは、何年間も、仲間たちと山に仕掛けられたたくさんの罠を外してシカを守ってきた。
ヒトに囲まれたショックで死んでしまわないように、まず、頭を布で包んで目をふさぐ。
ワイヤーカッターで素早く罠を切って自由にしてあげる。
罠にかかり、生きたまま野犬に食べられたシカもたくさんいて、目を覆いたくなる有様だった。
罠の近くで弱々しい子ジカを見つけた時、江本さんは最初、ヒトの手で育てることに疑問を持っていた。
家に連れて帰り、温めてあげ、野菜と果物とハチミツ入りのジュースをムリにでも口に流し込んだ。
子ジカは元気になり、「若子」と名付けた。
この冬、日光や足尾の山で死んだシカは、300〜500頭とも言われている。
山が緑で覆われた頃、若子は江本さんの前から姿を消して、森に帰った。
それから2年後、若子は、若いお母さんになって、江本さんのもとにやって来た。
その後、毎年、若子は新しい子どもを連れてやってきた。
7回目の冬が過ぎ、若子はその年から、姿を見せなくなった。
今、この森の木は切り倒され、ゴルフ場になろうとしている。
「私たちが飲む水道水は、日光の森から湧き出る水です」
著者は、小学生の時に社会科でこう習った。
若子が森の奥で今も元気でいたらいいなと、祈るように願っている。
立松和平さん ほか
【関連本】
『森は生きている』富山和子著
立松和平/文 写真:江本守男、高野康男、田中洋一、菊地和義
図書館巡りで見つけた1冊シリーズ。
山から里におりてきて、田畑を荒し、ヒトに危害を加えたとして殺される「害獣」。
かれらは、山をゴルフ場、スキー場などに「開拓」したヒトのせいで、棲む場所、食べる物を失った動物たちだ。
いまだ、なくならない「密猟」。お金に換えるヒトもいれば、ただ「楽しみ」のためだけに殺すヒトもいる。
山を開拓して理想郷を作ろうとした江本守男さんは、同じように長い年月をかけて自然に戻す決断をした。
自然を破壊するのは一瞬でも、元に戻すには果てしない時間がかかる。
日光の「霧降高原」の神秘的な写真とともに紹介される、鹿の親子の物語り。
【内容抜粋メモ】
日光は野生動物が多い。ツキノワグマ、ニホンカモシカ、ニホンジカ、キツネ、テン、ヤマネ、、、、
ある年の冬、何十年ぶりかの寒さが日本を襲い、霧降高原にもかつてないほどの雪が降った。
美しい雪景色とは裏腹に、山ではたくさんのシカが死んでいた。
餌になるミヤコザサが雪の下に埋もれ、冬を越せなかったのだった。
その他、ヒトが仕掛けた罠にかかったシカもたくさんいた。
木と木の間に針金の輪を仕掛け、通りかかったシカの頭や胴体にひっかかり、動けば動くほどきつく絞まる仕組み。
ヒトはシカを殺し、剥製にしたり、角、皮、肉をとる。これは法律で禁じられている。「密猟」
ただ楽しみのためにシカを撃つ密猟者もいる。ライフル銃は何百mも弾が飛ぶ。
「野犬」もシカの敵となる。
かつてペットとして飼われて、捨てられた犬が、山で子どもを産み育てると、ヒトに馴染んだことのない犬が増えた。
餌がなくて弱っているシカ、罠にかかったシカは、野犬の群れに噛み殺されることもある。
著者の友人・江本守男さんは、牛とミツバチを飼い、理想郷を作ろうと霧降高原を開拓した。昭和23年のこと。
やがてサル、シカに畑を荒らされ、蜂蜜はクマになめられてしまった。
自然の中には、ムダなものは1つもない。
「いちばんムダなのは、人間です」と江本さんは言う。
山にいる動物が畑を荒らすようになったのは、自然林が大量に切られたから。
その後、スギ、ヒノキ、マツが植えられたが、それらは餌となる実をつけず、葉も食べられない。
江本さんが開拓したことも、動物たちの生活空間を奪ってしまった。
その後、別荘地、スキー場が出来たりして、ますます餌が減った。川にいたたくさんのイワナも姿を消した。
林業を営む著者の友人も悩んでいた。
「植えたばかりのスギやヒノキの苗、木の皮をシカに食べられてしまうんだ」
苗に網をかぶせたり、柵を作ったり、木に薬品を塗る手段もあるが、コストがかかり、簡単には解決できない。
汗と涙で開墾した畑を、江本さんは、時間をかけて森に戻しはじめた。
「理想郷」とは、「開拓地」ではなく、豊かな自然のあるところだと、考え方を変えて、森をキャンプ場にした。
江本さんは、何年間も、仲間たちと山に仕掛けられたたくさんの罠を外してシカを守ってきた。
ヒトに囲まれたショックで死んでしまわないように、まず、頭を布で包んで目をふさぐ。
ワイヤーカッターで素早く罠を切って自由にしてあげる。
罠にかかり、生きたまま野犬に食べられたシカもたくさんいて、目を覆いたくなる有様だった。
罠の近くで弱々しい子ジカを見つけた時、江本さんは最初、ヒトの手で育てることに疑問を持っていた。
家に連れて帰り、温めてあげ、野菜と果物とハチミツ入りのジュースをムリにでも口に流し込んだ。
子ジカは元気になり、「若子」と名付けた。
この冬、日光や足尾の山で死んだシカは、300〜500頭とも言われている。
山が緑で覆われた頃、若子は江本さんの前から姿を消して、森に帰った。
それから2年後、若子は、若いお母さんになって、江本さんのもとにやって来た。
その後、毎年、若子は新しい子どもを連れてやってきた。
7回目の冬が過ぎ、若子はその年から、姿を見せなくなった。
今、この森の木は切り倒され、ゴルフ場になろうとしている。
「私たちが飲む水道水は、日光の森から湧き出る水です」
著者は、小学生の時に社会科でこう習った。
若子が森の奥で今も元気でいたらいいなと、祈るように願っている。
立松和平さん ほか
【関連本】
『森は生きている』富山和子著