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『ぼくの伯父さんは、のんきな郵便屋さん』(平凡社)

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『ぼくの伯父さんは、のんきな郵便屋さん』(平凡社)
ジャック・タチ/原作 沼田元氣/訳

大好きなタチの本を図書館巡りで見つけて、早速借りてみた
まず、物語りに合わせて切手をデザインした表紙がステキ。まえがきには、エアメールの模様がついてるし。
とぼけた叔父さんフランソワは映画の中のタチそっくり。
カラフルで楽しい色使いのイラストも映画の絵コンテを見ているよう。
実際、これは映画化されているから、もしかしたら観たかなあ???
どのみち思い出せないから、こんど探して観てみたい!



【内容抜粋メモ】

▼まえがき
少し前までは、私たちの生活には、ケータイやメールはありませんでした。
50年ほど前までは各家に電話すらありませんでした。
郵便局は、情報のない村にとってのひとつのメディアでもありました。

いまやスピードを要求され、郵便というシステムも経済のためだけにあるべきと云っているかのようです。
しかしぼくは、ある種、郵便は、芸術や哲学、宗教の一分野として発達してほしいと思うのです。

▼あらすじ
サン・セヴェールというフランスの小さな村に待ちに待ったお祭りの移動遊園地がやって来た!
郵便配達人のフランソワは、とてものんびり屋だが、小さなテント小屋で上映されているアメリカの郵便配達の記録映画を観てビックリ!
小型回転翼飛行機で飛び回り、パラシュートで飛び降り、オートバイで燃えさかる炎を通り抜けて配達している(どこだよ!?
観客はフランソワを見て笑い「おまえさんは、いつからアメリカ式の配達をやるんだい?」と言ったことにとても傷つく。
彼には急いで配達することが“いいこと”だなんて考えもしなかったから。

 

翌日、フランソワはお祭りの興行師に言われた通り曲芸のような乗り方で自慢の自転車に乗って、
ハイスピードで配達に出かける。


トラックの後ろに自転車を付けて、荷台を机にして消印を押したりw


馬の尾に手紙を挟んでいったりw

「受取証!早くちょうだいシブムクレ!」と催促したり(ほんとはシルブプレ/爆


坂道を勝手に走っていってしまった自転車を慌てて追いかけたり、
白ヤギさんに電報を食べられちゃったり!


眼をつむって配達して、マダム・ピンソンに別の人の手紙を渡したり、


道路工事の雑草を燃やしている炎の上を走ったり

 
筋肉ムキムキな自転車競走レースの選手と張り合って、自転車ごと踏切棒に持ち上げられたり、

 
そんなフランソワを見て、村の人々はあっけにとられるやら、声援を送る人たちもいる。

“なにしろフランス人は、人生を楽しむ天才です。
 たとえ目的を忘れても、目的を失ったとしても、生きていること自体を楽しみ、
 今を生きることが一番大事だというラテン的な考えなのです。”


とうとうフランソワは、川へとドブン
年老いた農夫が、年老いた馬にまかせてゆっくりと通り過ぎながら
「おい、おまえさん、ダイジョウブかい? もしわしの荷馬車に乗りたきゃ、早くそこから上がっておいで」と声をかけた

フランソワは夢から醒め、自分の失敗にちょっと可笑しくなった。
アクロバティックな芸当はアメリカ人にまかせて、自分はまたフランスの田舎のリズムで仕事をしよう。
静かで、穏やかで、のんびりとした平和な配達。
これこそ、アメリカ人のマネできないフランソワ式の郵便配達じゃあないかって。

「祭りの日」は、どんな人のもとにも興奮とともにやってきて、興奮がさめた後には、
必ずや何か切なさをともなった幸運を置いていってくれるといいます。
郵便配達は、もう二度と失敗しないだろう。そしてずっと、のんびりと暮らすだろう。


********************************


まさに「優劣」を気にして無用な「競争」をして無理をしている様子が可笑しみを生んでいる。
タチの映画には、こうゆう「お祭り」的要素があるな、たしかに。で、映画が終わるとちょっと切なくなる。



解説メモ
日本での今作のタイトルは「のんき大将・脱線の巻」でした。
タチは、ミュージックホール出身の喜劇役者で、映画監督

本作でタチは、けして「道徳」や「教訓」ではなく、
ある種のものの見方、それを面白がることを伝えたかったのだと思う。

人生を愉しむためにのんびり暮らすフランス式も、
お金持ちになるため、成功するために忙しく働くアメリカ式も、時間を浪費していません
けれども、アメリカ人の「成功=幸福」というスローガンで、堕落しかかったことを危惧した。

アメリカ式の価値観は、「貧乏は悪」で、成功物語がもてはやされた。
アメリカ式の「能率」は「生産を高めること」「お金持ちになること」に関係するが、
「人生を高めること」「幸福」とは全く関係ない。

映画のロケ地、サン・セヴェール村では1年もの間滞在した。村人も大勢出演した。
村人にはお金がなかったが、欲しがりもしなかった。必要なものは全て揃っていたからかもしれない。

タチの映画の原点となる「すでにそこにあるユーモア=幸福」を発見し、長編第一作が完成した。
人をバカにしたり、こき下ろしたようなテレビ的下品さではなく、
すべてがクールな「お遊び時間(プレイタイム)=人生」につながっている。
たとえ他人が自分のことを笑っても、自分にあるささやかなユーモアに他人が気づいただけだと思うと腹が立たない。

「映画が撮影された村」というくくりをはずしたら、中世からそのまま残された場所ということで誰も気に留めない場所。
でも逆に、村という存在の中から映画が生まれたといえる。

幸せは作り出すものじゃない、すでに、いつもそこにあるものだと云っているかのようだ。


訳者略歴メモ/沼田元氣
メールアーティスト タチの親友・共同脚本家のJ.ラグランジュ氏や、
タチの映画ポスターのデザイナー・イラストレーターのP.エテックス氏()に会って話を聞き、
タチの娘・映像作家のソフィー・タチシェフさんに村を案内してもらった。
著書『ぼくの伯父さんの喫茶店学入門』ほかも面白そう!


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