■J・D・サリンジャー著『フラニーとゾーイ』
『ライ麦畑でつかまえて』に代表される「永遠に年をとらない青少年」と呼ばれる主人公たちの語り口調で書かれた、
「7人の神童」と世間で騒がれた兄妹たちと家族を巡る物語の1つ。
今作をはじめ、このちょっと変わったグラース家のシリーズはどれも秀逸。
読んだのは随分前だけど、いまでもサリンジャーは大好きな作家だ。
ストーリーは、カンペキなルックスなのに、ギリギリの感情のフラニーとBFとの珍妙なやりとりからはじまる。
家にひきこもり、ロクに食べずに祈りをつぶやく生活に心配した親は、兄ゾーイに説得するように頼む。
チキンスープをひと口でも飲ませようと必死な母と息子のおかしな会話は滑稽でもあり、感動でもある。
ゾーイは妹に、自分たちは2人の兄に宗教観念をわんさと詰め込まれた畸形児であること、
祈るには、少なくともその対象であるChristを好きでなくてはならないことなど、
ワイシャツを汗びっしょりにして話すがうまくいかない。
クライマックスは、兄の部屋から「役立たずの電話」で、兄バディのフリをしてフラニーに話すところ。
自殺した長兄シーモアのいっていた「僕らはあの『太っちょのオバサン』のために一生懸命やるのさ」という件がわたしは今でも大好きだ。
この太っちょのオバサンとは誰のことか?
自分自身でもあり、みんなでもあり、そして神さまなのかもしれない。
『ライ麦畑でつかまえて』に代表される「永遠に年をとらない青少年」と呼ばれる主人公たちの語り口調で書かれた、
「7人の神童」と世間で騒がれた兄妹たちと家族を巡る物語の1つ。
今作をはじめ、このちょっと変わったグラース家のシリーズはどれも秀逸。
読んだのは随分前だけど、いまでもサリンジャーは大好きな作家だ。
ストーリーは、カンペキなルックスなのに、ギリギリの感情のフラニーとBFとの珍妙なやりとりからはじまる。
家にひきこもり、ロクに食べずに祈りをつぶやく生活に心配した親は、兄ゾーイに説得するように頼む。
チキンスープをひと口でも飲ませようと必死な母と息子のおかしな会話は滑稽でもあり、感動でもある。
ゾーイは妹に、自分たちは2人の兄に宗教観念をわんさと詰め込まれた畸形児であること、
祈るには、少なくともその対象であるChristを好きでなくてはならないことなど、
ワイシャツを汗びっしょりにして話すがうまくいかない。
クライマックスは、兄の部屋から「役立たずの電話」で、兄バディのフリをしてフラニーに話すところ。
自殺した長兄シーモアのいっていた「僕らはあの『太っちょのオバサン』のために一生懸命やるのさ」という件がわたしは今でも大好きだ。
この太っちょのオバサンとは誰のことか?
自分自身でもあり、みんなでもあり、そして神さまなのかもしれない。