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『神との対話 宇宙をみつける自分をみつける』(サンマーク出版)

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『神との対話 宇宙をみつける自分をみつける』(サンマーク出版)
ニール・ドナルド・ウォルシュ/著 吉田利子/訳

『10代のための「神との対話」(PHP研究所)』の感想メモでも書いたとおり、きっかけはツイッタの「あいのことば@love_bot」。
その1
その2
その3

私の理解力だとまずヤングアダルトコーナーのverのほうが分かりやすいだろうと思って借りたのは正解だった。
本書を最初に読んだらきっと「???」がたくさん生まれて、より深く知ることはムリだったろうし、
親密感を抱く度合いも低かったかもしれない。

また感想メモが長く長くなりそうだけど、あくまで自分のためのメモ用ってことで。
また、『10代のための「神との対話」(PHP研究所)』で書いたことは重複して書かないから、
もし興味のある方は、上の感想メモのほうを先に読んでもらえたら、より本書のほうも理解しやすいと思われます。

1冊289pあって、シリーズは全3冊。
まず、1章目を読んでみて「神話」に関する話にとても納得してしまった/驚


【著者による“謝辞”の抜粋メモ】
著作とそっくりの経験が書かれているとビックリしたリチャード・バック氏らに感謝を述べている。


【著者による“はじめに”の抜粋メモ】
この本を出したら、“神を恐れぬ者”“インチキ”“偽善者”、もっと悪いことに“聖者”などと呼ばれるかもしれない。
だが原稿を数人に読んでもらったら、みんな感動し、泣いてくれた。本書のおかげで変われたと言ってくれた。

「生徒の準備が整ったところで、教師が現れる」という古い格言がある。この本はあなたの教師だ。全3冊の主な内容は、
1冊目は、主に個人的な人生における課題と機会について。
2冊目は、世界的、地球上、形而上学的なことがらについて。
3冊目は、さらに高い秩序、宇宙の真実について。魂の課題と機会について。


【内容抜粋メモ】

■第1章 人生は、自分が何者であるかを思い出すため。すでに知っていることを体験する機会だ。

ニール氏は、あらゆる災難を経験した後、神に対してなかば怒りの手紙を書いた。1992年の春。
質問を書き終えた後、ふいにペンが勝手に動き出した。書くというより、「口述筆記」をしているようだった(自動書記ってやつかな?

「あなたはほんとうに、すべての質問の答えを知りたいのか?
 あなたをここに導いたのは、あなたの人生だ」

こうして対話は始まった。(質問文を省略して、返答の一部をメモします

A:
まず、言葉で語ろうとすると制約に縛られる。「感情」は魂の言語だ。
言葉より「思考」のほうが、コミュニケーションの道具として効果的。
ほかにも「経験」という偉大なコミュニケーション手段がある。
言葉は、もっとも非効率的で、曲解され、誤解されやすい。
経験や感情によって、ひとは直感的に知る。

神からのメッセージと、そうでないものを見分けるのは難しい。
どんなに未熟でも、一番気高く、曇りがなく、偉大なものはすぐに分かる。
最高の考えには、必ず喜び、真実、愛が含まれている。

最も力強いメッセージは「経験」だ。だがあなたがたは経験を無視する。だから何度も同じ経験を繰り返さなければならない。

すべての人は特別。すべての時は黄金である。
メッセージを受け取ったと認めれば、自分で考えて、実行する責任が生じる。他人の解釈を受け入れるほうがはるかに楽で安全だ。

あなたがたにとって「正しい」というのは、自分が同意したことを指す言葉。
自分が理解できないことは、最初は「間違っている」と感じる。
自分の最高の考えに耳を傾けなさい。言葉のほうを忘れなさい。言葉は真実の伝達手段として一番あてにならない。


わたしは偉大なる「見えざるもの」で、形や姿ではない。
外界の現象を通じて出現するのではなく、内的体験を通じて出現する。
思考と言葉、2つが合わされば、現実が生まれる。

思考の陰には、常にもう1つの思考「思考を支える思考」というものがあって、それが思考をコントロールしている。
神があらゆる求めに応じてくれると信じるのは難しいが、
そもそも求める必要はないのだと直感的に分かっていれば祈ることはずっと易しくなる。
求めるのではなく、望みが叶っていることを素直に感謝するようになる。

あなたは、あなたの行動に神が関心を寄せているという大きな幻想を抱いている。
遊びに出た子どもを親がいちいち監視しないように、危ない遊びをするのを止めることはできない。
プロセスについて気にせず、結果について深く懸念すること、これが神の二分法に近い。

あなたがたは、神話の中で「悪」と呼ばれるものを創り出した。
神が「悪」という存在と闘っていると想像した。

いちばん大切なものを愛し、つぎに破壊し、それからふたたび愛するのが、ヒトというものだからだ。
深く探れば、ヒトの行動には2つの動機しかない。「不安」か「愛」か。
どちらかが、すべての思考の陰にある。ヒトを動かす生のエネルギーだ。
ヒトが何度も同じ体験を繰り返す理由もここにある。

あらゆる行動が「失う不安」に対する自衛反応になる。
どうして自分はダメだと思い込んだのか?
そう思わせたのは、あなたがたが無条件で信じた唯一の人たち、母親と父親だ。
親は、「こうしてはいけない」と叱りはしなかったか?

愛は条件つきだと教えたのは親だ。
親に突き放された経験があるから、無条件に愛されるということがどんなことかを忘れている。


愛について“間違った”考えをしているから、あなたがたは純粋な愛を体験できない。
だが、それも、いつかは終わる。永遠に私を否定し続けることはできない。
不安は縮こまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけるエネルギーだ。

どちらを選ぶかは自由に決められる。
適者生存、いちばん強い者が勝利し、いちばん利口な者が成功すると聞かされてきた。
愛に支えられた行動をとれば、生き延び、勝利し、成功し、栄光に包まれた経験ができるだろう
いちばん偉大な教師は外にいる者ではなく、あなたがたの心の声。

生きとし生けるものすべての目的は、できるかぎりの栄光を体験すること。
この目的の素晴らしいのは、けして終わりがないことだ。
最高の秘密は、人生とは発見ではなく創造のプロセスだということ。
自分が何者であるかを知ろうとするのは、もうやめなさい。
何者になりたいかを考え、そうなろうと決意して努力しなさい。


Q:なにかを学ぶために生きているのですか?
A:
ちがう。自分が何者かを思い出すため、そして創りなおすためだ。
人生とは、概念として知っていることを体験的に知る機会だ。


***********人生とは、概念として知っていることを体験的に知る機会とは?

あなたがたの魂は、知る必要のあることはすべて知っている。
だが、知っているだけでは、充分じゃない。魂はそれを「体験」したがっている。

まず、はじめにあったのは「存在のすべて」、それだけだった。
神話における「すべてであり、無である」と同じ。
この絶対的な素晴らしさを体験するためには、「相対的なもの」が必要だった。

そこで考えた。
一部は全体よりも小さいはず。それなら自らを分割すれば、残る全体を振り返って素晴らしさを知ることができるだろう。
「存在のすべて」は自分を分割し「これ」と「あれ」とになった。また「どちらでもないもの」も存在している。
これは科学者のいう「ビッグバン仮説」だ。

そこに「時」が生まれた。なぜなら、「ここ」から「あそこ」に移る時間は計測できるから。


神は、愛が存在し、愛である自分を知るため、対照となる「不安」を創りあげた。
この二元性が、神話で言われる「アダムの堕落」、「悪の反抗」などだ。
神話とは、ヒトが自分なりに理解して語ろうとする、昔の試みだった。神話は現実にそう遠くない。

「わたしでない」部分はさらに爆発して、無数の小さい部分になった。これが「霊(いのち)」と呼ばれるもの。
聖なる目的は、たくさんの部分を創って、自分を体験的に知ること。
「創造者である自分」を体験する方法は、唯一。それは、創造することだ。
その能力には、宇宙から物質的な現実を創出する力も含む。

霊の子たちに私の一部であることを知らせる方法は、単純にそう告げることだ。
でも、なにかを知ることと体験することは別ものだ。
概念で知っていることを体験として知るには、物質的な世界で経験するしかない。
自分が何かを知るために、自分ではないものと対決しなければならない。これが相対性の理論であり、すべての生命の目的だ。


***********創造者としての自分を知る方法「リメンバランス」

あなたがたは、自分がほんとうは何者であるかをという記憶を捨てた。忘れることで、自分が何者かを選べるようになった。
全体(神)に戻ることは思い出すこと。「リメンバランス」と呼ばれる。
地上でのあなたがたの仕事は、自分が何者かを学ぶことではなく(すでに知っているから)、思い出すことだ。


Q:なぜ世界はこんな酷い状態なのか?
A:
わたしは神の素晴らしさを示すために、あなたがたの周りを完全ずくめにしたりしない。
「知る」→「体験する」→「在る」ことの順に発達して進化する。これが「三位一体」だ。
単純に「在る」ことは至福だ。これこそ、神がはじめから求めていたもの。

宗教家の一部は、「三位一体」を父と子と聖霊と表現してきた。
心理学者の一部は、超意識、意識、潜在意識と言った。
霊を扱う人々は、精神、身体、霊魂と言う。
科学者の一部は、エネルギー、物質、エーテルと言う。

時は過去、現在、未来、
地点を考えるにも、ここ、あそこ、その間。

素朴な関係はつねに二元的だ。左右、上下、大小、遅速、寒暑、男女
崇高な領域では、対極というものはない。すべてはひとつ、一方から他方へと変転し、終わりのない循環を繰り返している。

生死の循環は、生命のリズム。
素朴な関係ではすべてこのリズムに従う。生命自体がリズムだから。
病は健康の対極。どこかのレベルで自らが引き起こさなければ病気にならないし、元気になろうと決意さえすれば快くなる。

だから、世界が「悪」と呼ぶものを非難してはいけない。それより、それのどこを悪と判断するか、どこを変えたいのか自問しなさい。
外ではなく、内に向かって。
「この災厄を前に、いま自分は何を体験したいのだろう。自分のどの部分を引き出したいのか」と問うこと。

あなたがたは、他者が歩む因果(カルマ)の道を、善悪で判断してはならない。
ひとのことは当人に任せておきなさい。
助けを求める声や、環境・条件を変える努力をしようという魂の呼びかけを無視せよというのではない。
ただ、レッテルを貼ったり、決めつけたりするのは避けなさい。
それぞれの環境が贈り物で、経験が隠された宝なのだから。

闇のなかの光になりなさい。闇を呪ってはいけない。


あなたがたは大きな創造の機械であり、考えるのと同じ速さで新しいことを出現させている。
出来事、事件、条件、環境、すべては意識から創造される。
2人以上の人たちが、神の名において集まったら、どんなに大きな創造的エネルギーが放出されるか、それなら集団意識ならどうか。

わたしと同じで、あなたがたはそれらを見ている傍観者だ。
世界には犠牲者も、悪人もいない。だがあるレベルでは、みんなで唾棄するものを創り出して、選んでいる。
すべてのマスターは、この責任を受けた時に初めて力を得て、ほんの一部でも「変える」ことができるようになる。

「こんな目に遭う」のは、何か、あるいは誰かのせいだと考えているかぎり、どうすることもできない。
「私の責任だ」と言った時はじめて、それを変えられる。

自分のしていことを変えるほうが、他者がしていることを変えるよりずっと容易だ。
選んだのは自分だと認めて、受け入れることだ。
間違っているからでなく、ほんとうの自分にふさわしくないからという理由で変化させる努力をしなさい。

(中学の美術の先生が「人のせいにしてるかぎり変わらない」って言った意味がやっと分かった気がする


間違いは、それを悪と呼ぶことだ。自分を悪と呼ぶのと同じ。創造したのはあなたがただから。
天災そのものはあなたがたが創造しているのではない。
あなたがたが創造しているのは、こうした出来事が人生に及ぼす影響の度合いだ。

出来事に感じる苦痛を減らすには、受けとめ方を変えればいい。
どんなことも、それ自体は苦痛ではない。
決めつけるのをやめれば、苦痛はなくなる。決めつけるのは、それまでの経験のせいだ。
ものごとに対する考えは、過去の考えから生まれる。

思考はしばしば「原罪」と呼ばれる。ものごとについての最初の考えが間違っていた。
この過ちからあなたがたを解放するために新しい理解を吹き込むこと、それが聖霊の役目だ。

非難したら、その相手に非難されるし、一方的に決めつけたら、いつかは自分が決めつけられる側になる。
変えようとしている人たちに味方するよう努力すること。すべてを祝福しなさい。

考え、言葉、行為も「間違っている」というのは、それをするなと禁じるのと同じ。
制約するのは、真のあなたがたを否定することだ。


Q:地獄とは何ですか?
A:
それは、あなたがたの選択、決定、創造の最悪の結果を体験することだ。
地獄は喜びの対局。満たされないこと。自分が何者か知っていながら、それを体験できないこと。
卑小なあり方であり、あなたがたの魂にとって、それより辛いことはない。

真の自分でなくなる時、自分で地獄の体験を創り出す。

行き着く先とは結果。自然のなりゆきとして起こることで、報いや罰とはまったく違う。
すべて物質的な生命は自然の法則に従う。
あなたがたの眼に罰、悪、不運と思われるものは、自然の法則の結果でしかない。

その法則に従えば、どんな状況でも、それを問題だと考えなくなるだろう。
すべての心配、疑い、不安に終止符が打たれるだろう。


Q:どうすれば、思い出せるんですか?
A:
まず、静かにすること。外の世界を静かにさせて、内側の世界が見えてくるようにしなさい。
何千年もの間、人々は「ほんとうにしては素晴らしすぎる」というバカバカしい理由で神の約束を信じなかった。

内側に入っていかなければ、からっぽで出ていかなければならない。


Q:弱い人、ハンディのある人、衰えた人については?
A:
経験を創り出すためのヒトや場所、出来事、条件、環境、障害は選ばれている。
魂が何を選んでも、あなたがたには限りない可能性が開けている。
神の世界では「たまたま起こること」は何もないし、偶然もない。

すべての人生は選択されたものだ。
その選択に介入したり、疑問をもったり、非難すべきではない。
魂がより高い選択を求め、実行するように助けてやることだ。
彼らの選択はいまの時点では完璧だということ。
それぞれの魂に、それぞれの道を自由に歩ませなさい。


「正しい」「間違っている」は、ものごとの本質ではなく、個人の主観的な判断だ。
その判断が下せるように世界が存在している。
世界が完璧になったら、自分を創造するプロセスとしての人生はそこで終わってしまう。
ゲームは続いたほうがいいのだ。

あなたがたの産業界と軍部はこれをよく知っている。だから戦争をしない政府を樹立しない
医学界は、奇跡的な新薬・治療薬に断固として抵抗し、
宗教界は、彼らの信仰とは違った信念をもつ人に攻撃を加える。自分たちの存立がかかっているからだ。


世界は基本的に2種類の人から成り立っている。あなたの欲するものを与える人と、操作する人。
ある意味では、欲するものを与える人(肉屋、パン屋など)も操作する人だと言える。
何かが欲しくなるというのは、「どうしても必要だ」と思うようしむけられるということだから。
それが昂じて中毒になると、際限なく欲しがるようになる。

あなたがたがほんとうに「飢餓」を終わらせたいと思った日に、飢餓はなくなるだろう。
あなたがたが、その選択をしないのだ。
あなたがたは毎日4万人が餓死するのを止められないと言いながら、
一方では毎日5万人の新しい命を誕生させている。それを愛だと言う。


自然ほど優しいものはほかにない。そして、自然に対するヒトの仕打ちほど残酷なものもほかにない。
しかし、あなたがたは全責任を否定している。

明日すべての戦争を終わらせることができる。簡単に。
いま必要で、これまでも必要だったのは、全員が心をひとつにすることだけだ。


Q:交通事故、強盗、レイプを自分で選んだんじゃない!という言うヒトもたしかにいるんです。
A:
あなたがたが自らの中に犯罪の原因を見出した時、ようやく犯罪の温床となる原因の治療を始めることができる。
飢えたヒトに食べ物、貧しいヒトに尊厳を与えなさい。運に恵まれていないヒトに機会を与えなさい。
偏見に終止符を打ち、性的エネルギーに関する無意味なタブーを捨てるよう助けてあげれば、
盗みやレイプがない社会に大きく前進するだろう。

人生は闘いだと信じ、闘いを中心に宗教を打ちたてれば、その宗教は闘いこそがすべてだと教えるだろう。
だが、プロセスの進行は闘いではない。身をゆだねていれば、いずれは勝利が得られる。

事故は起こるべくして起こる。
生命の要素がある時にある方法でぶつかり、ある結果を引き起こす。

イエスの最も偉大な教えは、あなたがたが永遠の命を得られるだろうということではなく、あなたがたには永遠の命があるということだ。
神のもとで兄弟であり、すでにすべて与えられているということだ。必要なのは、それを知ることだけ。
考えることは、現実になる。これが創造の第一歩である。


Q:ほかの法則についても教えてください。
A:
第一の法則は、あなたがたは自分が想像する通りになれるし、想像する通りのことができるし、想像する通りのものを持てるということだ。

イマジン だな


第二の法則は、あなたがたは恐れ、不安に思うものを引き寄せるということだ。
感情にはものごとを引き寄せる力がある。
あなたがたが劣った生命体だと考えている動物(動物の行動のほうがヒトより正直で一貫性があるが)は、
あなたがたが怖がっていると、すぐに感づく。

あなたがたが劣った生命体だと考えている植物は、かわいがってくれるヒトにずっとよく応える。
これは偶然じゃない。

感情は動いているエネルギーだ。大量のエネルギーが動けば「物質」が創りだされる。
物質は凝集したエネルギーだ。これは宇宙の錬金術だ。


エネルギーは似たもの同士が引きつけあう。
エネルギーがいったん物質になれば、反対、あるいは似ていない形のエネルギーに破壊されないかぎり、物質としてとどまる。
これが、あなたがたの原爆の基になる理論の初歩的な説明だ。アインシュタインは、宇宙の想像の秘密を発見していた。
同じ精神をもった人々が力を合わせれば好ましい現実を創り出せるということをあなたがたはそろそろ理解すべきだ。


たとえ個人でも、その考え、祈り、希望、願い、夢、不安が強ければ、奇跡的な結果を生み出す。
アダムの堕落とされているものは、実は「向上」だった。
アダムとイヴの行為は原罪ではなく、最初の祝福だったのだ。

あなたがたの神話では、イヴが「悪者」にされている。巧みにアダムを誘惑して同じ罪を犯させたという。
この神話によって、女性は男性を「堕落」させるということになり、性に対する偏った見方や混乱、
あらゆる歪んだ現実を創り出してきた。


法則は非常に単純だ。
1.思考は創造につながる。
2.不安や恐怖は似たエネルギーを引き寄せる。
3.存在するすべては愛である。


は究極の現実だ。
相対性の領域は、私が自らを体験するために創り出した。
だからといって、それが現実になるわけではない。創られた現実だ。
現実的に見せて、ほんとうに存在すると思わせるのが目的だからだ。

地球に生まれたマスターたちは、相対性の世界の秘密を発見したヒトたちだ。それが現実だと認めなかったヒトたちだ。
宇宙は、あらゆる設定を利用して、この真実をあなたがたに差し出してきた。
歌、物語、詩、踊り、言葉、動き、映画、本などを通じて。

だから注意していなさい。けして、この本だけがわたしの唯一の道具ではない。
質問をしたら、本を置いて目を凝らしなさい。耳をすましなさい。
次に聞く歌、読む記事、観る映画、出会うひとの言葉、川や大洋の波の音、そよ風のささやき、すべてが私の道具だ。


つづく・・・


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