■アッキーがゆく!もっと沖縄を知りたい(前編)@あさイチ
シリーズ戦争遺跡2『戦場になった島 沖縄・本土戦』(汐文社)
今回アッキーが旅したのは56号線沿い。
柳澤「いざという時は、飛行機の滑走路にもできるような幅になっている」
「お笑い米軍基地」
祖父の亡くなる直前言った言葉が、軍用機の爆音で消えて聞こえないまま死んでしまうというネタ
「コレ、笑っちゃっていいんですか? 複雑な気持ちになりますけど・・・」
「現地の人にとっては、ほんとに“あるある”なんで、地元の人はよく笑いますよ」
「嘉数高台公園」からは「普天間基地」が見える
「米軍基地」~間近に見える「オスプレイ」(2012年から設備された)
沖縄県に占める「米軍基地」は18%、全国的に見ても7割が集中している/驚
アッキーの祖母も沖縄に住んでいたため、子どもの頃はよく遊びに行った。
その祖母宅からわずか100mのところに「普天間基地」があった。
「基地があることは知っていたが、柵から覗いて“芝生が広くて、あすこで遊びたいなあ”と思っていたくらいで
これまで戦争と結びつけて考えたことがなかったのが恥ずかしくなった」
近所のスーパーの女性店員は、アッキーのことを覚えていてくれた。
基地の近くに住むのはどういう気持ちかと聞くと、、、
「私にも小さい孫たちがいるので、事故とかで子どもたちに何かあればと思うと。。。
戦闘機が飛行訓練とかエンジンの調整する音を聞くと、“また、どっかで戦争起こるの?”と思う。
ベトナム戦争、湾岸戦争のときもそうだったから。
そういう音が激しくなってきたら、“また、どこかの戦地に行くんだ”“どこかで戦争が起こるんだ”
と、この辺の人は感じていると思いますよ」
【問題点】
騒音
振動(飛行機が通るたび家が揺れる
家の屋根スレスレの低空飛行
戦時中に基地が作られ、戦後は基地内の職を求めて、全国から労働者が移住して町ができたが、
当時から基地内での作業等で事故が絶えなかった。その不安は今でも続いている。
でも、先祖の墓があったりして、気軽に県外に引っ越せない。
返還合意から19年目
柳澤「基地を撤去する際、日本のどこかに移すのが条件だった。
宜野湾市から名護市の辺野古が移転先候補地となったが、
知事が変わったり、首相は“最低でも県外”と言ったりして、延びたまま」
地元の人は、「ウソ?! なくなるの?」と希望を持ったが、同じ県内の移設と聞いて落胆したという。
基地内で働く方への配慮もあって、今では諦めの気持ちが大きいとともに「現状をもっと知ってほしい」と思っている。
地上戦の痕跡「陣地壕」
最初の激戦地となった「嘉数の戦い」では、たった2週間で両軍10万人近い方が死傷した。
宜野湾市の民家にある「チンガーガマ」
ほんとに家のすぐ前/驚
「かがまないと進めないですね」
横穴の長さは170m続いている。ここに当時、近所の人も含めて30人が、2ヵ月半ほど暮らした/驚
当時の日用品もそのまま残されている。
呉屋さんは当時4歳で記憶はないが、よく大人から聞かされたという。
「中では、タオルで口をふさがれて、泣くな、上に聞こえるから、と。
聞こえたら爆弾を落とされるから静かにしておけよと言われた」
耐え切れずに外に逃げた人の中には亡くなった方もいる
「ガマ」は市内に約140ある。中が広くて1000人入れるものもあった。
ガマで助かった人々もいれば、日本軍が入ってきて、攻撃を受け、多数死傷したケースもある。
ガマから出て収容所に連行され戻ってきた時には土地を米軍に接収されて基地となり、家もなにもかもなくなっていた。
「皆さんに知って欲しい」という沖縄の人たちの声を聞いても、視聴者からのFAXの中にはいろんな意見が飛び交った。
「私たちの安全は基地があるからです。ネガティヴ・キャンペーンは止めて欲しい」
(この人はどこに住んでいるんだろう・・・?
「福島に似ていると思った」
「私の住んでいる近くにも横田基地があります。沖縄だけの問題ではありません」
(凄惨な地上戦があったって部分が忘れられているのかも
私は昔、「横田基地」に花火を見に行ったことがある。日本の職人じゃなかったのか、すごい雑だった・・・
屋台のステーキもゴムかってくらい固かったし
基地と同様「自衛隊駐屯地」も、飛行機訓練がウルさくて、コワいんだ・・・
都内の米軍基地
追。
内藤剛志さんが、ちょうど5月27日に誕生日&60歳の還暦ということで、おめでとうございます~
(同じふたご座さんだ/嬉
「最初の1990年のドラマもNHKで撮って、今日もここでお仕事させていただいているのは有り難いです」
沖縄でも撮影をしたことがあって、戦争の内容がどんどん悲惨になる後半、現地の人たちの表情が陰鬱に変わったことで、
撮影を東京に移したことがある。「まだまだ、戦争の記憶が生々しく残っていると感じました」
追2。
その前の「スゴ技Q カンタン!おいしい!そうめんグレードアップ術@あさイチ」で、
初めて全問正解して、角の切れた五稜郭の壁紙をゲットしたw
嬉しいかどうかは別のこの壁紙シリーズw
イノッチ画伯のながしそうめんイラスト可愛い
シリーズ戦争遺跡2『戦場になった島 沖縄・本土戦』(汐文社)
今回アッキーが旅したのは56号線沿い。
柳澤「いざという時は、飛行機の滑走路にもできるような幅になっている」
「お笑い米軍基地」
祖父の亡くなる直前言った言葉が、軍用機の爆音で消えて聞こえないまま死んでしまうというネタ
「コレ、笑っちゃっていいんですか? 複雑な気持ちになりますけど・・・」
「現地の人にとっては、ほんとに“あるある”なんで、地元の人はよく笑いますよ」
「嘉数高台公園」からは「普天間基地」が見える
「米軍基地」~間近に見える「オスプレイ」(2012年から設備された)
沖縄県に占める「米軍基地」は18%、全国的に見ても7割が集中している/驚
アッキーの祖母も沖縄に住んでいたため、子どもの頃はよく遊びに行った。
その祖母宅からわずか100mのところに「普天間基地」があった。
「基地があることは知っていたが、柵から覗いて“芝生が広くて、あすこで遊びたいなあ”と思っていたくらいで
これまで戦争と結びつけて考えたことがなかったのが恥ずかしくなった」
近所のスーパーの女性店員は、アッキーのことを覚えていてくれた。
基地の近くに住むのはどういう気持ちかと聞くと、、、
「私にも小さい孫たちがいるので、事故とかで子どもたちに何かあればと思うと。。。
戦闘機が飛行訓練とかエンジンの調整する音を聞くと、“また、どっかで戦争起こるの?”と思う。
ベトナム戦争、湾岸戦争のときもそうだったから。
そういう音が激しくなってきたら、“また、どこかの戦地に行くんだ”“どこかで戦争が起こるんだ”
と、この辺の人は感じていると思いますよ」
【問題点】
騒音
振動(飛行機が通るたび家が揺れる
家の屋根スレスレの低空飛行
戦時中に基地が作られ、戦後は基地内の職を求めて、全国から労働者が移住して町ができたが、
当時から基地内での作業等で事故が絶えなかった。その不安は今でも続いている。
でも、先祖の墓があったりして、気軽に県外に引っ越せない。
返還合意から19年目
柳澤「基地を撤去する際、日本のどこかに移すのが条件だった。
宜野湾市から名護市の辺野古が移転先候補地となったが、
知事が変わったり、首相は“最低でも県外”と言ったりして、延びたまま」
地元の人は、「ウソ?! なくなるの?」と希望を持ったが、同じ県内の移設と聞いて落胆したという。
基地内で働く方への配慮もあって、今では諦めの気持ちが大きいとともに「現状をもっと知ってほしい」と思っている。
地上戦の痕跡「陣地壕」
最初の激戦地となった「嘉数の戦い」では、たった2週間で両軍10万人近い方が死傷した。
宜野湾市の民家にある「チンガーガマ」
ほんとに家のすぐ前/驚
「かがまないと進めないですね」
横穴の長さは170m続いている。ここに当時、近所の人も含めて30人が、2ヵ月半ほど暮らした/驚
当時の日用品もそのまま残されている。
呉屋さんは当時4歳で記憶はないが、よく大人から聞かされたという。
「中では、タオルで口をふさがれて、泣くな、上に聞こえるから、と。
聞こえたら爆弾を落とされるから静かにしておけよと言われた」
耐え切れずに外に逃げた人の中には亡くなった方もいる
「ガマ」は市内に約140ある。中が広くて1000人入れるものもあった。
ガマで助かった人々もいれば、日本軍が入ってきて、攻撃を受け、多数死傷したケースもある。
ガマから出て収容所に連行され戻ってきた時には土地を米軍に接収されて基地となり、家もなにもかもなくなっていた。
「皆さんに知って欲しい」という沖縄の人たちの声を聞いても、視聴者からのFAXの中にはいろんな意見が飛び交った。
「私たちの安全は基地があるからです。ネガティヴ・キャンペーンは止めて欲しい」
(この人はどこに住んでいるんだろう・・・?
「福島に似ていると思った」
「私の住んでいる近くにも横田基地があります。沖縄だけの問題ではありません」
(凄惨な地上戦があったって部分が忘れられているのかも
私は昔、「横田基地」に花火を見に行ったことがある。日本の職人じゃなかったのか、すごい雑だった・・・
屋台のステーキもゴムかってくらい固かったし
基地と同様「自衛隊駐屯地」も、飛行機訓練がウルさくて、コワいんだ・・・
都内の米軍基地
追。
内藤剛志さんが、ちょうど5月27日に誕生日&60歳の還暦ということで、おめでとうございます~
(同じふたご座さんだ/嬉
「最初の1990年のドラマもNHKで撮って、今日もここでお仕事させていただいているのは有り難いです」
沖縄でも撮影をしたことがあって、戦争の内容がどんどん悲惨になる後半、現地の人たちの表情が陰鬱に変わったことで、
撮影を東京に移したことがある。「まだまだ、戦争の記憶が生々しく残っていると感じました」
追2。
その前の「スゴ技Q カンタン!おいしい!そうめんグレードアップ術@あさイチ」で、
初めて全問正解して、角の切れた五稜郭の壁紙をゲットしたw
嬉しいかどうかは別のこの壁紙シリーズw
イノッチ画伯のながしそうめんイラスト可愛い