■『未来への伝言 90歳の元海軍中尉が伝えたい、平和へのメッセージ』(現代書林)
中村重幸/著
図書館の「平和図書」コーナーで見つけた1冊。
現代書林てなんか聞いたことあるなあ。就活で受けて落ちたところかな?
わたしが好きな草原に1本の木が立ってる表紙写真のほかにもキレイな写真がたくさん掲載されている
元軍人のおじいちゃんが、若い世代に伝えたいという強い想いが込められた1冊。
具体的な戦争体験というより、道徳的な視点から書かれている。
【内容抜粋メモ】
●戦前、戦後を生きて、日本と日本人が大きく変わったと感じた2つの点
戦前・戦中は「家」を中心に人、集団、組織、地域社会が回っていたが、
戦後はGHQから入った民主主義や自由主義によって「個人」が中心となった。
高度経済成長期の昭和30年代に入って、ものがない時代から、ものがあふれる時代になった
一方、人と人がギスギスしたり、格差社会などと言われ生きにくくなった。
●若い人に伝えたい3つの想い
1.戦争は絶対に繰り返してはいけない。正しい戦争はない
2.日本人の母国語である日本語をもっと大切にし、日本人としての誇りや気概を取り戻そう。
3.生きづらくなった日本を、誰にも公平公正で、将来に希望の持てる日本に変えていこう。
自立は大切だが、孤立は生きにくい。
学徒出陣
昭和18年。「出陣学徒壮行会」が神宮外苑競技場で行われた。
著者も学生だけの徴兵検査を受け、横須賀の海兵団に入った
アニメ映画『火垂るの墓』
野坂昭如氏原作、高畑勲氏監督によるジブリ映画。「戦災孤児」がテーマ。
神戸空襲で家も母も失った兄妹の話。妹は栄養失調で終戦から7日後に亡くなり、
14歳の兄も三ノ宮駅構内で衰弱死する。
白洲次郎
終戦直後、吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、終戦処理にあたる。
昭和25年の「サンフランシスコ講和会議」に吉田の演説原稿がGHQの美辞麗句だったことに激怒し、
「講和会議は、戦勝国代表と同等の資格で出席できるはず。
その晴れの原稿を、相手方と相談の上、相手方の言葉で書く馬鹿がどこにいるのか」と一喝し、
受諾演説原稿は、急遽日本語に書き直され、奄美諸島、琉球諸島、小笠原諸島の施政権返還が盛り込まれた。
彼の名言のひとつ。
「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」
「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。
日本も、ますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。
西洋人と付き合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である」
***************************************
『新版 きけ わだつみのこえ』(岩波文庫版)
「わだつみ」=海神を意味する古語
第二次世界大戦で戦死した日本人は約310万人。
本書には、特攻隊として沖縄沖で戦死した23歳の海軍少尉ほか、たくさんの学徒兵の遺稿が集められている。
ひめゆり部隊
昭和20年。女子生徒222人+教師18人からなる学徒隊は陸軍病院の看護要員として動員された
病院といっても、地下に掘られた横穴壕だった。
この動員は、あくまでも本人の志願によるものだったが、
敗戦色が濃くなった6/18、軍から突然解散命令が出されてから1週間以内に犠牲者が出た。
240人中136人が死亡。そのうち14人は、荒崎海岸で集団自決した。
広島・長崎に原爆投下
昭和20年8月6日、人類に対して初めて「ウラン型原子爆弾」が使用された。約14万人が死亡。
8月9日、「プルトニウム型原子爆弾」が長崎に投下された。約7万人が死亡。
生き残った人も「原爆症」と呼ばれる症状に一生悩み続けることになる。
核兵器使用を押し止める力は、「核兵器の使用を絶対に認めない」という声以外にない。
「ポツダム宣言」の受諾
昭和20年7月26日、米・英・中・ソ連の共同宣言で、日本軍の無条件降伏を要求し、戦争が終わった。
昭和26年9月8日「サンフランシスコ講和条約」が調印された。
日本は太平洋戦争から4年間、
日中戦争から8年間、
「満州事変」からは14年間、
日清・日露戦争までさかのぼれば、およそ半世紀にわたって戦争を繰り返していた。
アウシュヴィッツ
ドイツの占領地ポーランドに築いた強制収容所。150万人ものユダヤ人が虐殺されたホロコーストの舞台。
戦争という政治的な暴力は、民族が違う、人種が違う、宗教が違う、考え方が違うなどといったこと、
つまり自分とは違うほかの人を認めようとしない、人が人に対する暴力なのです。
アウシュヴィッツは、ヒトがどこまで「冷酷」になれるか、
逆に「人間としての誇り」をどこまで貫くことができるのかを実証してみせた場所でもある。
30数箇所の収容所群からなるアウシュヴィッツは、原爆ドーム同様、
「人類が二度と繰り返してはならない20世紀の負の遺産」としてユネスコ世界遺産に登録された。
オスカー・シンドラー
映画『シンドラーのリスト』にもなったドイツ人実業家。
敗戦の色濃くなった1944年、チェコへ工場を移すという理由で、ユダヤ人労働者を軍に要求し、1200人を救いだした。
1945年ドイツ軍が降伏後、ユダヤ人は解放され、シンドラーは戦犯として連合国軍に捕らえられた。
杉原千畝
1939年。リトアニアに日本領事館開設のため外交官・副領事として赴任する。
ドイツ軍から迫害を受けていたユダヤ人が日本を経由してアメリカなどに行こうとして
リトアニア領事館の周囲にたくさん集まっていた。
杉原は、基準を満たさない彼らに、悩んだ末、独自の判断でビザの発給に踏み切る。
それによって命を救われたユダヤ人は6000人と言われる。
平和の意味
・「食べる」それは、ほかの生き物の命をいただくこと
みんなもとは生き物だった。毎日食べるものがある有り難さに気づけば、命の大切さをきっと実感できるはず。
・「学ぶ・遊ぶ」それは、生きる力を養うこと。
本当に大切なのは、自分の頭で考えること。
難しい問題や悩み事に向き合った時も、逃げ出さず、自分の頭で考えて答えが導き出せる。
自分が大好きなことが、やがて生きる力のもとになる。
・「働く」それは、だれかの役に立つということ。
働くとは「傍を楽にする」こと。自分が一生懸命働くことで周りにいる人が楽になるという意味が込められていたといわれる。
世の中に無駄な仕事はない。
ILO(世界労働機関)の調査では、貧困のために15歳未満の6人に1人が学校に行きたくても行けずに「児童労働」させられている。
・「友だち」ってやっぱりいいな。
友だちという財産は、心を豊かにする。
・「家族」にはいろいろな形がある。
・「お金」お小遣いの使い道をよく考えて
お金は「労働の対価」。
・与えられた時間を生き切る。よく生きることが一番大切。
中村重幸/著
図書館の「平和図書」コーナーで見つけた1冊。
現代書林てなんか聞いたことあるなあ。就活で受けて落ちたところかな?
わたしが好きな草原に1本の木が立ってる表紙写真のほかにもキレイな写真がたくさん掲載されている
元軍人のおじいちゃんが、若い世代に伝えたいという強い想いが込められた1冊。
具体的な戦争体験というより、道徳的な視点から書かれている。
【内容抜粋メモ】
●戦前、戦後を生きて、日本と日本人が大きく変わったと感じた2つの点
戦前・戦中は「家」を中心に人、集団、組織、地域社会が回っていたが、
戦後はGHQから入った民主主義や自由主義によって「個人」が中心となった。
高度経済成長期の昭和30年代に入って、ものがない時代から、ものがあふれる時代になった
一方、人と人がギスギスしたり、格差社会などと言われ生きにくくなった。
●若い人に伝えたい3つの想い
1.戦争は絶対に繰り返してはいけない。正しい戦争はない
2.日本人の母国語である日本語をもっと大切にし、日本人としての誇りや気概を取り戻そう。
3.生きづらくなった日本を、誰にも公平公正で、将来に希望の持てる日本に変えていこう。
自立は大切だが、孤立は生きにくい。
学徒出陣
昭和18年。「出陣学徒壮行会」が神宮外苑競技場で行われた。
著者も学生だけの徴兵検査を受け、横須賀の海兵団に入った
アニメ映画『火垂るの墓』
野坂昭如氏原作、高畑勲氏監督によるジブリ映画。「戦災孤児」がテーマ。
神戸空襲で家も母も失った兄妹の話。妹は栄養失調で終戦から7日後に亡くなり、
14歳の兄も三ノ宮駅構内で衰弱死する。
白洲次郎
終戦直後、吉田茂に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、終戦処理にあたる。
昭和25年の「サンフランシスコ講和会議」に吉田の演説原稿がGHQの美辞麗句だったことに激怒し、
「講和会議は、戦勝国代表と同等の資格で出席できるはず。
その晴れの原稿を、相手方と相談の上、相手方の言葉で書く馬鹿がどこにいるのか」と一喝し、
受諾演説原稿は、急遽日本語に書き直され、奄美諸島、琉球諸島、小笠原諸島の施政権返還が盛り込まれた。
彼の名言のひとつ。
「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」
「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。
日本も、ますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。
西洋人と付き合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である」
***************************************
『新版 きけ わだつみのこえ』(岩波文庫版)
「わだつみ」=海神を意味する古語
第二次世界大戦で戦死した日本人は約310万人。
本書には、特攻隊として沖縄沖で戦死した23歳の海軍少尉ほか、たくさんの学徒兵の遺稿が集められている。
ひめゆり部隊
昭和20年。女子生徒222人+教師18人からなる学徒隊は陸軍病院の看護要員として動員された
病院といっても、地下に掘られた横穴壕だった。
この動員は、あくまでも本人の志願によるものだったが、
敗戦色が濃くなった6/18、軍から突然解散命令が出されてから1週間以内に犠牲者が出た。
240人中136人が死亡。そのうち14人は、荒崎海岸で集団自決した。
広島・長崎に原爆投下
昭和20年8月6日、人類に対して初めて「ウラン型原子爆弾」が使用された。約14万人が死亡。
8月9日、「プルトニウム型原子爆弾」が長崎に投下された。約7万人が死亡。
生き残った人も「原爆症」と呼ばれる症状に一生悩み続けることになる。
核兵器使用を押し止める力は、「核兵器の使用を絶対に認めない」という声以外にない。
「ポツダム宣言」の受諾
昭和20年7月26日、米・英・中・ソ連の共同宣言で、日本軍の無条件降伏を要求し、戦争が終わった。
昭和26年9月8日「サンフランシスコ講和条約」が調印された。
日本は太平洋戦争から4年間、
日中戦争から8年間、
「満州事変」からは14年間、
日清・日露戦争までさかのぼれば、およそ半世紀にわたって戦争を繰り返していた。
アウシュヴィッツ
ドイツの占領地ポーランドに築いた強制収容所。150万人ものユダヤ人が虐殺されたホロコーストの舞台。
戦争という政治的な暴力は、民族が違う、人種が違う、宗教が違う、考え方が違うなどといったこと、
つまり自分とは違うほかの人を認めようとしない、人が人に対する暴力なのです。
アウシュヴィッツは、ヒトがどこまで「冷酷」になれるか、
逆に「人間としての誇り」をどこまで貫くことができるのかを実証してみせた場所でもある。
30数箇所の収容所群からなるアウシュヴィッツは、原爆ドーム同様、
「人類が二度と繰り返してはならない20世紀の負の遺産」としてユネスコ世界遺産に登録された。
オスカー・シンドラー
映画『シンドラーのリスト』にもなったドイツ人実業家。
敗戦の色濃くなった1944年、チェコへ工場を移すという理由で、ユダヤ人労働者を軍に要求し、1200人を救いだした。
1945年ドイツ軍が降伏後、ユダヤ人は解放され、シンドラーは戦犯として連合国軍に捕らえられた。
杉原千畝
1939年。リトアニアに日本領事館開設のため外交官・副領事として赴任する。
ドイツ軍から迫害を受けていたユダヤ人が日本を経由してアメリカなどに行こうとして
リトアニア領事館の周囲にたくさん集まっていた。
杉原は、基準を満たさない彼らに、悩んだ末、独自の判断でビザの発給に踏み切る。
それによって命を救われたユダヤ人は6000人と言われる。
平和の意味
・「食べる」それは、ほかの生き物の命をいただくこと
みんなもとは生き物だった。毎日食べるものがある有り難さに気づけば、命の大切さをきっと実感できるはず。
・「学ぶ・遊ぶ」それは、生きる力を養うこと。
本当に大切なのは、自分の頭で考えること。
難しい問題や悩み事に向き合った時も、逃げ出さず、自分の頭で考えて答えが導き出せる。
自分が大好きなことが、やがて生きる力のもとになる。
・「働く」それは、だれかの役に立つということ。
働くとは「傍を楽にする」こと。自分が一生懸命働くことで周りにいる人が楽になるという意味が込められていたといわれる。
世の中に無駄な仕事はない。
ILO(世界労働機関)の調査では、貧困のために15歳未満の6人に1人が学校に行きたくても行けずに「児童労働」させられている。
・「友だち」ってやっぱりいいな。
友だちという財産は、心を豊かにする。
・「家族」にはいろいろな形がある。
・「お金」お小遣いの使い道をよく考えて
お金は「労働の対価」。
・与えられた時間を生き切る。よく生きることが一番大切。