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『ブラタモリ #13 仙台』

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『ブラタモリ #13 仙台』

【お題:「杜」と「都」~“杜の都”の秘密とは?~】

定禅寺通り
真っ直ぐにのびた道の両脇に並ぶ木立。戦後に撮られた写真にも若木が写っている。

 


時代によって違う石垣の組み方のわけ
武家屋敷があった名残り。古地図の見方として、名前が書いてある方向が入り口。
武家屋敷の割合が7~8割。これは江戸が5割だったことからするとかなりの多さ。

 

 

伊達120万石あったのが、戦の後に62万石に減らされたが、
伊達は侍たちをリストラせず、そのまま住まわせた。
その代わり「木を植えろ」と命令。


伊達政宗が考えた自給自足生活
果樹、杉などの建材を植えることで、生きのびることが出来たと同時に、森が増える理由となった。
 


樹齢1000年杉が残る豪邸
広瀬側沿いに建ち並んでいた武家屋敷跡が見れる立派なお宅を訪問。

 




巨樹の合間には巨大防空壕~「仙台空襲」
空襲の際には、付近の住民らも合わせて60人ほどがここに避難して助かった。
窓のある防空壕は珍しい。大勢の煮炊きが出来る竈まであったし/驚
この空襲で森は消失した。

 

 


Y字路を境に分かれた2つの城下町のわけ
本来、碁盤の目のように組まれるはずが、途中にY字路がある。
当時の古地図には、何も描かれていない謎の空白地帯がある。

 


伊達政宗が別宅と言い張った「若林城」
2つ目の城を「静かに隠居するための仙台屋敷」といって幕府に許可されたが、造りはまったく城同様。

 




城跡を利用した宮城刑務所
「走ると警備員が来ますので、走らないでください」と言われて緊迫した空気の中でロケ。
城だった証拠の見張り部分もそのまま残っている。「出丸」

 

 



刑務所内で不正に作って没収したものがたくさん展示してあって、芸術的な硯まで!


「臥竜梅」
 

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