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すべては乱歩から始まった ~日本ミステリーの父 没後50年~

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すべては乱歩から始まった ~日本ミステリーの父 没後50年~@NHKアーカイブス
ゲスト:綾辻行人さん(ミステリ・ホラー作家)、嗣永桃子さん(カントリー・ガールズ)

宮崎駿さんが愛した小説「幽霊塔」
 



 


八重洲ブックセンター


******************

その時 歴史が動いた「日本ミステリー誕生 江戸川乱歩・大衆文化との格闘」
2007年5月16日に放送された番組を再放送。

 
土蔵の中には乱歩の集めた大量の本!

中には犯罪心理学などもある
 

 
室内はこんな風なのかあ


 
9歳の頃、母から当時人気だった新聞小説を読み聞かせてもらい、興味を持った(斬新なお母さん/驚


中2の時、窓からもれる光にレンズを通すと、天井に映ったゆらめきに惹かれたという
 


「怖いからこそ人一倍それに驚き、興味を持つ訳である」


大学生時代


「黄金虫」は世界で初めて暗号を登場させた探偵小説。乱歩はこれに夢中になる
 


アメリカの大衆文化



乱歩は自らの人生を年代別に記録したスクラップブックを遺している/驚
 
渡米しようとして書いた履歴書

「日本には探偵雑誌ひとつあるわけでもなかった。
 英語さえアメリカ人と同様になれば、筋なんか負けないと考えた」

乱歩はアメリカで探偵作家になる夢を抱くが、渡航費用が作れず諦める。
大坂の貿易会社に勤めるが1年以内で辞め、古本屋経営(イイね)、ラーメン屋台をひいたり、20ほどの仕事を転々とした。

 


大正11年当時は翻訳ものばかり。日本の書き手が育っていなかった
 

「『新青年』の増刊が非常に華やかに見えた。
 それまで探偵雑誌もなかったし、日本で書いてもだめだと思っていた。
 もう日本の探偵小説があってもいいじゃないかと書いてみた」

乱歩は27歳の時、数日で処女作「二銭銅貨」を書いて雑誌に載る。
この時初めて江戸川乱歩というペンネームを使った。



点字を使った暗号が世間で大いに評価され、賞もとった
 



「犯人当てに参加できて夢中になる読者が増えた」

大正の2年間で、乱歩は短編18本、長編4本を書いた。


「D坂の殺人事件」(1925)で探偵明智小五郎登場!

「屋根裏の散歩者」では、屋根から毒薬を飲ませるという斬新なトリックが使われた
 


大正14年に住んでいた部屋の2階が書斎。ここで初期作品を数多く書いた
 

 
この天井から覗いてみたりしていたという


洋装+短髪のモダンガールが街を歩く時代。乱歩は大衆文化の寵児と言われるようになる


 
珍しいものは「猟奇」と呼ばれた/「芋虫」はエログロの代表作品と言われた


当時、最新の流行を作品に取り入れた




 



勝手に作られてゆく虚像
 

昭和7年に起きたバラバラ殺人事件の犯人ではないかとまで投書が新聞社に送りつけられた


「私の中には二人の人間が住んでいて、一人は小説でも書こうという方の人みしりの男と、
 もう一人はなかなか商売人で図々しい男。
 その二人の同居人が私に取っては恐らく一生の悩みの種である」『無駄話』より

大衆文化に嫌気がさした乱歩は、執筆を止め、放浪して葛藤する。



少年雑誌への依頼
昭和10年。『少年倶楽部』は当時、代表的な雑誌だった。依頼に驚きつつ新境地を開くために引き受ける。
 

明智と怪人二十面相の戦い
 

小林少年たちの活躍が大人気となる




日中戦争はじまる

「探偵小説は犯罪を誘発する反体制的なもので文学ではない」と言われる

「度々内務省から書き換えを命じられた。ブラックリストに載って探偵小説はいかんということになった」

その後太平洋戦争が始まり、乱歩の作品は全て絶版となり、乱歩は再びペンを置く。




戦後の復興
貯えも尽きて、作家を辞める覚悟で福島に疎開。



乱歩の孫の平井さんのもとには、乱歩が就職先を斡旋してくれた友人への断りの手紙が残されている
 



「アメリカは探偵小説が盛んな国だから、復活するに決まっていると思った。
 いち早く感じたんだよ。だから就職はよして帰ることにした」

作家仲間も大勢戦死したが、大衆は活字に飢えていた。
400誌を超える雑誌が創刊復活する。


『宝石』は探偵小説の専門誌。乱歩は執筆は断り、作家への助言、審査員を務めたり、プロデューサー役に徹した


創刊号には仲間の横溝正史の『本陣殺人事件』(1946年)を掲載
 

新しい組織をつくって人材育成等をする重要性を感じる。



その時~昭和22年「探偵作家クラブ」設立
全国各地で講演、座談会を開き、後進の育成、賞の創設に励んだ。
 


還暦祝いに賞を設立。車イス作家の仁木悦子の小説は、当時破格の十数万部を売り上げた。
 



民主主義国家でないと成熟しないミステリー小説


「他の文芸ジャンルと比べてミステリーは、社会における基本的人権の保障をはかる指数となる。
 今日の文化的成熟度を示すインデックス(指標)となる」



戦後の創作活動
撮影が趣味だった乱歩。フィルムにはひょうきんな様子がたくさん映されている。



「少年探偵シリーズ」は晩年も14年間書き続けられた。
 

 






「この謎がどうして解けるのだろうと、先を読まないではいられなくなる。
 そしてお話の最後には、必ず、その種明かしがある。
 そこで、ああそうだったのかと満足する」


ミステリー評論家の香山二三郎さんのうしろには「少年探偵シリーズ」がどっさりある!
 



日本ミステリー小説の変遷

「社会派ミステリー」という言葉ができ空前のブームとなった。

森村「推理小説の花が開いた。孤独に書くのではなく、商店街のように魅力的な作家を集めると客も集まる」


昭和30年代の高度経済成長期。社会が抱える問題を取り込んでリアルに書かれた。
汚職、公害、貧困、戦争の影など(今と変わらないね




ラジオで乱歩が松本清張について語った記録が残っている。

「調べて書くということ。リアルな生活とミステリーは離れている。
 実際の社会生活を大事にして、その中に謎を織り込む。これは新技巧ですね」

『野獣死すべし』(1958)、島田荘司の『占星術殺人事件』 (1981)ほか次々と新作が生まれる。


綾辻さん(当時27歳)。なにやら懐かしいパソコン!


「新本格」は古典の復興
 

綾辻「変格ミステリーっていうのもあるんですよ」


90年代、今、日本で活躍するミステリー作家は700人以上。

香山「乱歩がミステリーの楽しみ方を教えてくれた。
   出版不況と言われる中でミステリーが文学を引っ張ってくれている。
   乱歩は自分の好みでないものも積極的に評価して世に出した。
   それはいまだに、他のジャンルに比べて、他を評価する土台として残っている」


多様化


ハードボイルド、警察小説、トラベルミステリー
スパイ小説、SFミステリー、歴史ミステリー、冒険小説、医学ミステリーetc....



乱歩がよく色紙に書いていたという言葉


綾辻「この言葉の解釈はそれぞれだけれども、なにをもってリアルなのか? 現実に囚われていても面白くない」



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