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パニック障害について

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クリニックの担当医、親、周囲にパニック障害のこと、発作の状況などを話すと「大変だったね」と同情する。
そして、自分の生活に戻る(自分も同じだ

でも、そういう時いつも思うのは、少なくとも医師には、
自分の担当する病気に、一度、全部罹って、自分が普段している治療をやってみてから
医師になって欲しいと本気で思う。


例えばパニック障害なら、
手足を突然縛られて、狭くて、真っ暗な場所に閉じ込められ、
口と鼻をテープでふさぎ、心拍数が2、3倍に上がる注射を打たれ、
いつそこから出られるか分からない状態を、一度、経験すれば、

「パニック障害では死ぬことはない」

「15分間ほど不快な状態が続くだけです」

「認知行動療法がおすすめです」

などとカンタンに済ませられないだろう。

あんな目に遭うくらいなら、いっそのことアッサリ死んだほうがどんなにマシか。

歯医者だけでなく、美容院、エレベーター、やけに長くて、両側ともぎっしりなエスカレーター、
高層階、新幹線(快速ですら)、家から遠く離れること、etc...
人によっては、買い物のレジに並ぶことすら死にかけるような気持ちになる。


パニック障害の例えが分かりづらいなら、「がん」ならどうだろう?

医師も一度、突然がんを告知されて、抗がん剤治療で、毛髪がごっそり抜けて、
毎日、毎晩、吐き気と闘い、不安でいっぱいな夜を、1ヵ月ほど過ごしてみたら分かるかもしれない。
そしたら、

「早期発見なら治りますよ」

「最新医療を信じてください」

と言うだけで済ませられるだろうか?


あまりに日常のルーティンに慣れてしまって(あるいは、精神科、内科、外科など分野が違うだけで勉強が足りないために)
毎日来る患者が、ある人は週に1回、ある人は月に1回でも、皆に同じ対応で、決められたルーティンをこなす。
医療技術を信じて、症状を聞いて、クスリを出す。


医師や病院側の諸事情も想像できるけれども、心身を病んでいる患者のほうがもっと弱い。

そんな状態なのに、ココロの病の場合は、身近な家族ですら「なまけ病だ」「気の持ちようだ」「がんばって」と言われ、
テレビなどで聞きかじった情報の一部を「こうしたらどう?」「ああしたらどう?」とすすめ、
「最近はちょっとはよくなった?」「そろそろ社会に戻れるのでは?」とプレッシャーをかける。

やっかいなのは、これらがほとんど善意からきていること。
その奥には「無知」「無理解」があるのだけれど、
善意からの言葉に、患者は自分を責めはじめる。病を得たことを恥じるようになる。もしくは誰かのせいと恨んだりする。

本当に理解するには、同じ体験をしないと誰にも実際のところは分かり得ない。
「経験する」ことと「経験しない」ことの間には、天と地の差があるんだ。



患者側の意識も変える

今回の歯医者の治療では、最初のカウンセリングがあったから、自分がパニック障害であること、
逆流性食道炎もあるから、イスを真っ直ぐ倒されることに恐怖を感じ→予期不安→発作につながることなどを説明した。
そして、自分の希望も細かく伝えた。

1.治療行程を事前に細かく詳しく教えてほしい
2.これから何をするのかゆってから作業に入ってほしい
3.もし発作や予期不安が出たら、少し落ち着くまで次の作業に入るのは待ってほしい



それに対して担当医は実際に配慮してくれた。

1.丁寧に治療行程をメモやイラストにして書いてみせてくれた。
2.これ以上ムリそうなら、延期することも可能だと伝えてくれた。
3.不安が頂点になった時「手を握ってもらってていいですか?」と言ったら、ずっと両手で握っててくれた。
4.最短で予約を取ってくれ、治療を長引かせない配慮をしてくれた。
5.最後に「よく頑張りました」と褒めてくれた。自分でも自分を褒めた。


今回、軽い発作が出た理由は、金属の棒(土台)が刺さっているのを鏡で見て、
(もう刺してしまったものを抜くことができない=これも拘束感)
歯根を削る時に出血し、口をゆすいだ時に、真っ赤な血を見て動揺したこと、
(なんで私だけこんな目に遭わなきゃならないのか=治療だけじゃなく、予期不安も全体含めて)
人前で泣いている自分が情けなくても、どうしようもないこと、などなど。



自己肯定感・自己評価を高めること
クリニックの担当者から、私は自己肯定感が低い。頑張ったことより、出来なかったほうを話すと指摘された時、ピンと来なかった。

たとえ、安定剤を飲んででも、快速に乗ってみたこと、ちょっと外に出てみたなどささいな事でも、
「自分がチャレンジ、トライしたことに対して、プラスに評価すること、達成感を感じることが大事だ」とも言っていた。

困難なこと、恐怖心、強い不快感、苦手意識に挑戦して、やり遂げたんだと評価することがポイント。



無意識と無理解
パニック障害でない人には、何がそんなに不安なのかとフシギに思うだろう(パニ障自体まだまだ知られていないし

ほんの数年前までは、私も足が宙に浮くほどの満員電車で通勤し、
休日には遊園地のジェットコースターにも乗ったし、
飛行機に十数時間も乗って海外にも行っていた。

それが“フツウ”、というより“ムイシキ”だった。

それが今は“自分で自分がコントロールできない”という恐怖でがんじがらめになっている。



でも、考えてみたら、世の中って“拘束感”でいっぱいだ。
それを“ムイシキ”に享受している人々のほうが、今の私にとっては奇妙に見えている。

パーマをかけるために、キツイニオイの液体をかけ“られ”、
何十個ものカーラーを髪を引っ張“られ”てつけ“られ”、そのまま何十分も待た“され”、
洗面台でのけぞるような姿勢で洗髪“され”、、、

男性にこの例えは分かりづらいか

高所恐怖症なのに、スカイツリーの先端にのぼり、
着いた途端に大地震が起こって、ブラブラと大きく揺れたら、さすがに強い恐怖感でトラウマになるだろう。


世間でいう“楽しいこと”“癒されること”が恐怖となる。

それを治す手立ては「認知行動療法」。
つまり、苦手なことを、苦手じゃないと思い込む訓練を繰り返すこと。

「これは、電車のせいではなく、脳の伝達物質のせいで、不安と状況が結びついたものなんです」
などと言われても、なんの慰めにも、解決にもならない。

しかも、その認知行動療法専門の治療者が日本にはほぼいない(自称はたくさんいるそう


なんて「先端医療」って、どれもこれも遅れているんだろうと思う。
それを有り難いと崇めて医師を「先生、先生」と呼び、「もっとクスリをください」と望む人たちもいる。
何十年も同じ病院に通っている時点で、治療じゃなく「対処療法」でしかない。



自分を治すのは、クスリではなく、本来備わっている「免疫力」。
天が創ったこの複雑怪奇で、まだまだ全然解明されていない、生命のしくみ、自分の体の力を信じるしかない。
私の問題は、自分自身を信じていないことかもしれない。
自分を信じられずに、どうして他人を心底信じて、身を預けることができるだろう?

でも、同時に私は、すべてはなるようにしかならないとも思っている。
これもすべては経験、鍛錬で、なんだかんだいって上手く事が進んでいるんだろうという根拠のない自信がある。

そうして、このギリギリの崖っぷちでバランスをとっているんだ。
子どもの頃からずーーーーーーーーーーーーーっと。


追。
そういえば、私は子どもの頃、すべての歯を治療したんじゃないかってくらい虫歯でいつも歯医者に通っていた。
「キーーーーーーーーン」ていうあの悪魔みたいな音の出る、当時の古臭い器具で(今もあまり見た目は変わらないけど
同じ歳の子らの泣け叫ぶ声を聞きながら、不安と同情をもった記憶はあるけれども、
思い出せるかぎりでは、自分が歯医者で泣いたことはない気がする。

「喜怒哀楽」の中で、いつでも「怒」と「哀」が抜けている。
ムイシキの沼のずっと底に閉じ込められているままなんだ。



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