■SONGS 星野源 ~苦しみの先に見つけた僕の歌~
【ブログ内関連記事】
星野源くんがゲスト@A-studio
星野源×阿部サダヲ対談@魁!音楽の時間
二階堂ふみ&星野源主演のショートムービー「スノービューティー」
星野源@情熱大陸
原点の川口を訪れた
1981年生まれ。ジャズミュージシャンを目指した両親のもとで育った。
憧れのアイドルはマイケル・ジャクソン。でも、はしゃぎ過ぎがもとでクラスでイジメられた。
マイケルが父から虐待を受けていたってビックリ
母校の川口市立前川小学校/生徒「いつも『LIFE!』見てます!」「ありがとう!w」
テツオの数奇な運命@「LIFE!~人生に捧げるコント~ season3 #15」ほか
「給食の時間だけが楽しみだった。すごい食べる子だったんで」
「自分がウザいのを、だんだんみんなの反応で実感して、自重していった。
学校に居場所がなくて、公園のブランコにずっといた」
「友だちの家に“遊ぼうぜ”て行くと、お母さんから“ごめん、今いないのよ”て言われるんだけど、
明らかにそいつの声や友だちの声が家の中からして、“うわっハブられてる”みたいな」
救ってくれたのはマイケル・ジャクソン
「みんなから支持されて、ステージに上がるだけで失神するような人なのに、
すごい寂しそうだと思った感じが、自分とリンクさせて、共感したのかもしれない」
高校を卒業し、SAKEROCK結成
「人との関係の上手くいかなさみたいな」
歌へのコンプレックスがあった
友人に誘われて初めて歌を披露したカフェ
「人に聴かせるのは迷惑だろうなとか、嫌な気持ちになるんじゃないかって、自信がまるでなかった」
「ハッと気づいて前見たら、お客さんが泣いてるんですよ。それがショックで」
♪くだらないの中に は、どん底で書いた曲だった。
「悪い思い出をワーッてぶつけて“お前らも同じ気持ちになれ”てことじゃなくて、
悪いものを、楽しい、嬉しい、素敵に変換できるんだ、人間はっていう」
「これまでグジグジしてきた自分っていうもの、それをやって許されるのは20代までだなって思って、“自分と戦う決心”をした」
2011年、30歳で1stシングル♪くだらないの中に を発表。
♪くだらないの中に
演劇、ドラマ、映画、本・・・
大人計画に入団
活動の場が広がっていった
『箱入り息子の恋』(2013)
「どんどん仕事があるのは嬉しかったし、暇になるのも怖かったし。暇になって自分と向き合うのも怖かった」
CMソングで曲が明るく
曲調はアップテンポなポップスに変化し、バンド編成も大きくなった
「僕は楽譜が書けないんで、音の構成のバランスが悪かったり、どっちかに偏ったりとか、
それでもなぜ自分でやりたいかって言うと、自分の音楽なんで、自分をしっかり通さないといけない。
アレンジで違う人を立ててしまうと、最終的なアウトプットが違うフィルターで出てしまう。
この人たちが作ってるんだなていうものを、自分もすごく身近に感じるので」
♪夢の外へ
くも膜下出血で2度の手術
レコーディング直後に倒れ、即日、手術を受け、仕事はすべてストップした
一度、仕事に復帰したが、3ヶ月後、定期検診で再び手術が必要となった。
「仕事があるならずとやってたい。止まるのは怖い。
でも、仕事を止めないと死んじゃうし、死にたくないから」
2ヶ月の入院中救ってくれたのもマイケル
退院して2ヶ月後に仕事復帰
♪SUN は自己最高のヒットに
「散々辛い思いをしたし、もういいんじゃないかなと思って。
太陽みたいな明るい曲を書きたいって思った時に、自分にとっての太陽って何だろうって思うとやっぱりマイケル。
栄養と光、パワーをもらって、彼への感謝の気持ちも込めつつ、
もう楽しいことしたいから、楽しい曲作ろうって思いで出来ました」
♪SUN
*
生き急いでる人って、それに気づかせるために大きな事故に遭ったり、怪我や大病をして、
そこから意識が大きく変革して、それを人々に伝えていくことが多いのは偶然じゃないと思う。
たけしさんのバイク事故も、冷牟田さんのバイク事故も、まだまだたくさん。
オーティス、サム・クック、ジミヘン、ジャニス、ジョンみたいに
若くして亡くなって、永遠のアイコンになる人もいるけど、
再びもらった命はプレゼントとして大事にして、
それを周りに還元して、どんどん表現していって欲しいんだ。
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原点の川口を訪れた
1981年生まれ。ジャズミュージシャンを目指した両親のもとで育った。
憧れのアイドルはマイケル・ジャクソン。でも、はしゃぎ過ぎがもとでクラスでイジメられた。
マイケルが父から虐待を受けていたってビックリ
母校の川口市立前川小学校/生徒「いつも『LIFE!』見てます!」「ありがとう!w」
テツオの数奇な運命@「LIFE!~人生に捧げるコント~ season3 #15」ほか
「給食の時間だけが楽しみだった。すごい食べる子だったんで」
「自分がウザいのを、だんだんみんなの反応で実感して、自重していった。
学校に居場所がなくて、公園のブランコにずっといた」
「友だちの家に“遊ぼうぜ”て行くと、お母さんから“ごめん、今いないのよ”て言われるんだけど、
明らかにそいつの声や友だちの声が家の中からして、“うわっハブられてる”みたいな」
救ってくれたのはマイケル・ジャクソン
「みんなから支持されて、ステージに上がるだけで失神するような人なのに、
すごい寂しそうだと思った感じが、自分とリンクさせて、共感したのかもしれない」
高校を卒業し、SAKEROCK結成
「人との関係の上手くいかなさみたいな」
歌へのコンプレックスがあった
友人に誘われて初めて歌を披露したカフェ
「人に聴かせるのは迷惑だろうなとか、嫌な気持ちになるんじゃないかって、自信がまるでなかった」
「ハッと気づいて前見たら、お客さんが泣いてるんですよ。それがショックで」
♪くだらないの中に は、どん底で書いた曲だった。
「悪い思い出をワーッてぶつけて“お前らも同じ気持ちになれ”てことじゃなくて、
悪いものを、楽しい、嬉しい、素敵に変換できるんだ、人間はっていう」
「これまでグジグジしてきた自分っていうもの、それをやって許されるのは20代までだなって思って、“自分と戦う決心”をした」
2011年、30歳で1stシングル♪くだらないの中に を発表。
♪くだらないの中に
演劇、ドラマ、映画、本・・・
大人計画に入団
活動の場が広がっていった
『箱入り息子の恋』(2013)
「どんどん仕事があるのは嬉しかったし、暇になるのも怖かったし。暇になって自分と向き合うのも怖かった」
CMソングで曲が明るく
曲調はアップテンポなポップスに変化し、バンド編成も大きくなった
「僕は楽譜が書けないんで、音の構成のバランスが悪かったり、どっちかに偏ったりとか、
それでもなぜ自分でやりたいかって言うと、自分の音楽なんで、自分をしっかり通さないといけない。
アレンジで違う人を立ててしまうと、最終的なアウトプットが違うフィルターで出てしまう。
この人たちが作ってるんだなていうものを、自分もすごく身近に感じるので」
♪夢の外へ
くも膜下出血で2度の手術
レコーディング直後に倒れ、即日、手術を受け、仕事はすべてストップした
一度、仕事に復帰したが、3ヶ月後、定期検診で再び手術が必要となった。
「仕事があるならずとやってたい。止まるのは怖い。
でも、仕事を止めないと死んじゃうし、死にたくないから」
2ヶ月の入院中救ってくれたのもマイケル
退院して2ヶ月後に仕事復帰
♪SUN は自己最高のヒットに
「散々辛い思いをしたし、もういいんじゃないかなと思って。
太陽みたいな明るい曲を書きたいって思った時に、自分にとっての太陽って何だろうって思うとやっぱりマイケル。
栄養と光、パワーをもらって、彼への感謝の気持ちも込めつつ、
もう楽しいことしたいから、楽しい曲作ろうって思いで出来ました」
♪SUN
*
生き急いでる人って、それに気づかせるために大きな事故に遭ったり、怪我や大病をして、
そこから意識が大きく変革して、それを人々に伝えていくことが多いのは偶然じゃないと思う。
たけしさんのバイク事故も、冷牟田さんのバイク事故も、まだまだたくさん。
オーティス、サム・クック、ジミヘン、ジャニス、ジョンみたいに
若くして亡くなって、永遠のアイコンになる人もいるけど、
再びもらった命はプレゼントとして大事にして、
それを周りに還元して、どんどん表現していって欲しいんだ。