■『詩神の声聞こゆ 犬は吠える』(早川書房)
トルーマン・カポーティ/著
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
図書館には、このハードカバーと「ハヤカワepi文庫」の2冊あって、ハードカバー好きなので、こちらを選んだ。
何度も泣いた場面があった。人々の暮らしの不公平さに。
ひと口に「米ソ冷戦」「鉄のカーテン」という歴史も、ここまでだったとは!
現ロシアに住む人々も、住む環境、政治のやり方が同じなら、当時とあまり変わらない暮らしも残っているのでは?
そこに、アメリカの汚点とも言うべき黒人問題を扱った舞台『ポギーとベス』を初めて上演するという、国をあげての大事業!
移動も、進行も、予定もなにもかも分からない状態の中でも、ベテラン演技者たちの個性的な面々のキャラが立ってて面白い。
5編入っているうち、タイトルの『詩神の声聞こゆ』は、フェデリコ・フェリーニ監督の映画を観ているみたい。
カポーティは、出演者と知り合いということで同行したのか、いきさつが書いていないけれども、ほぼ傍観者の視点から書いている。
最後の最後に日本で映画を撮る話にマーロン・ブランドが出てくるとはね!驚×5000
しかも、『および日本人』では、カポーティの最初の美意識を育てたのは日本人男性のおかげだって!
何に対しても公平に批判的wな彼から称賛されるのは、素直に嬉しかった。
外国人が今よりもっと珍しかった当時、日本でも大スターのマーロンらに対する旅館スタッフの様子、
京都、奈良の風景描写などもとても興味深い。
マスクがこの国では奇異じゃないこと、宝塚歌劇団は女性ばかりで観客も女性なのが珍しいなどなど。
邦題は、本編に出てくるセリフの引用だけど、原題は副題となっているほう『THE DOGS BARK』なんだ。
そこに含まれた皮肉は、あとがきに取り上げられている。
【内容抜粋メモ】
●詩神の声聞こゆ(1956)~砲声絶えるとき(Part1)
1995年12月17日、アメリカの舞台『ポギーとベス』一行総勢94名は、4年間の世界巡業の最後を飾るのに、
ソ連に初めてツアーに出かけることが決まった。
公演の最初のキャストには、キャブ・キャロウェーらもいたが、スターたちは次々と他の俳優に代わっていった。
キャストの心配は、手紙はすべて開封してチェックされ、ホテルやらには盗聴器、隠しカメラなどがあるのではないかということ。
スタッフは、可能性があることを示唆した。
「ソ連においては計画されないことは何ひとつ起こらず、皆さんが成功をおさめることはすでに計画されています」
「気がついておられるでしょうな、我々はたった今も監視されているということに」
その後も、想定不可能な問題、疑惑が次々と明らかにされていく。
最たる問題は、黒人問題を扱ったテーマ。
次に、極度にエロティックな表現法は、人前でキスしても逮捕されかねない国民には相当ショッキングだろうということ。
人間がさまざまな無価値なもので幸せになり得ることを高らかに歌いあげるメッセージ、などなど。
ソ連では、精神分析学とその医師は歓迎されないという理由でカウンセラーはリストから排除された。
莫大な資金問題では「1セントも出さない」と言われ、その後、米国務省を困らせるためだけに、資金を出そうと約束される。
文化的慈善事業とはいえ、連日売り切れた場合、投資の倍額に相当するはずだったが、ギャラは、これまでよりはるかに低いこと。
ミセス・ガーシュインいわく「それは絶対解けない謎なのだから」
(後に、ホテルの数より人間の数が多く、ミセス・ガーシュインでさえ部屋がない状態が後に起こる。
アール・ブルース・ジャクソンと、ヘレン・シグペンは、モスクワで結婚式を挙げるというイベントを用意していた。
ヘレン「実は、私、それまで婚約したことさえ知らなかったのよ」
アール「モスクワで結婚する最初のニグロアメリカンのカップル。こいつは新聞のトップ記事ものだ」
移動手段は、「ブルー・エクスプレス」の寝台車。
まず、ソ連国境に着くまでの30時間、列車に「食堂車がない」と言われる(スラップスティックコメディのようだな
そして、列車乗務員は、舞台巡業のことを誰一人知らされていなかった。その後、事情を知って大喜びしてくれる。
彼らの給仕するサモワールで淹れた濃い紅茶は、唯一極寒の地をさまよう体を温めてくれた。
髭を剃る時に、そのお湯を使わせてくれと頼むと、丁寧に断られる。
「私のお湯は、熱い、美味しい、精神の活力となるお茶のためのものです」
列車までは、バスで爆撃された東ベルリンを走った。
デリリアスは、バスに乗り遅れ、東ベルリンに行きたがらないタクシーをやっと見つけて、
バタバタしているうちに駅にコートを2着も忘れてショックで泣く。
ミス・ライアンは慰める「私たちは今、パスポートもビザも何もなしでソ連に向かっているのよ」
パスポートは、政府にまとめて渡した挙句、戻ってきたのは、約束のソ連の地ではなく、途中の駅でだった。それも無造作に投げ返される。
TCは列車を降りて、銃を持つ乗務員から注意された。
デリリアスの飼い犬(ボクサー犬のトワープ)は、いたる所にそそうをするが、「降りれないのに、どうしろっていうの?」
ワルシャワは、凍河と荒涼たる氷の世界。
国境は、がっしりした木造の監視塔で、南部の囚人収容所を取り巻くものと似ていた。
インド人の女性たちが、極寒の外でつるはしやシャベルで除雪している。
カメラマンのジョアキムは、なにかを見つけるたびに熱心に写真を撮った。
ブレスト・リトフスクに到着。氷点下10度。
「我々の諺で言えば、将来はないより今あるほうがまし、です。皆さんの来訪は、平和への第一歩です。
砲声ひびくとき詩神の声とだえ、砲声絶えるとき詩神の声聞こゆ、です」
ソ連人・サフチェンコの十八番のセリフに感動するキャストら。
キヨスクでは、不思議なことにどこでも同じものを売っていた。
赤星印の鮭缶、埃っぽいクレムリン香水瓶など。
立ち売りの中国商人だけがしなびた小さなリンゴを売っていて、長蛇の列ができていた。
ミス・ライアン「私、ホームシックにかかったことはないけど、ときどき、故郷から遠くまできたもんだ、と思うものね」
どこに行っても結局ウォッカは見つからず、ビールを頼むTCとミス・ライアン。
酒場に入ると、見知らぬ者同士を同席させ、ビールを試飲させるソ連の慣習がある。
そこで英語を話せる男と知り合う。
「私はレニングラードが好きです。モスクワとはまるで違います。
あなた方の国に行くといつでも、アメリカ人はソ連人を思い出させる唯一の国民だ、という気がします。
アメリカ人は寛大でエネルギッシュだが、子どもや犬のように愛されたいという願望があります。
他の国の者と同じように、あるいはそれ以上に、いい人たちだと言われたい。
だが、アメリカ人はそれを信じようとしない。劣等感、疎外感を持ち続けている」
「ニエ・クルトゥルニ」(教養がない)という言葉が、ソ連人に対する一番の悪口だということも教えてくれる。
待ちに待った食堂車が連結され、やっとキャビアが食べられると期待して、出てきたのは、
毎日毎日、ヨーグルト、ラズベリー・ソーダ、子牛のカツレツ、鉄砲玉のように転がる(爆)豆だった。
そして、それは、目的地のホテルでも同じでガッカリする一団。
ギャンブル好きのアールは、[博打はソ連では違法」だと告げられる。
「レストラン労働者たちに法律が破られるのを見せることは好ましくないのです」
文化省通訳のヘンリーは、勇気を振り絞ってTCに話しかけてくる。TCは旅をしたいと思うか訊ねると、
「私は心の風景で満足です。世界は同じです。(胸に手をあて)ここは変化に富みます。どちらが正しいでしょうか?」
TCが自分の本を差し出すと迷った末に「私にはそのための時間がありません」と残念そうに言った。
ようやく目的地レニングラードが近づき。車内は騒然となる。
「駅ではニュース映画を撮られるはずよ」
到着して迎えた主要な舞台芸術家たちは、黒人キャストが含まれていることを誰一人知らず、
押しかけた一般市民も驚きで固まり、“大歓声に迎えられる”という思惑は外れる。
●詩神の声聞こゆ(Part2)
レニングラード最高のホテル「ホテル・アストリア」では、深夜までオーケストラがロシアジャズを演奏している(どんなジャズだろう???
そして、部屋を入退出する時は必ず、あちこちにいるおばさんに鍵を預けるのが厳格なルールだった。
極寒のため、換気されない部屋の中で、なぜか裏方たちがVIPルームに案内され、キャストは裏部屋に案内された。
外を歩くと、原因の分からない何かを気にして眉をひそめ、見つめ、何度も振り返り、ついには後を尾けられる
建物は、フランスとイタリア建築。劇場のマチネーは12時、夜は20時に開幕する。
開幕初日までの数日間、まずはバレエ・オペラ観劇に招待されて、ドレスアップして行くと、とんでもない場違いなことに気づかされる。
ベビー・シッターに1人30ルーブル払うことに激怒する者もいたが、
1ドル70セントにしかならない額になぜ激怒するのかソ連人には見当もつかなかった。
劇団員の非礼に詫びつつ「これだけ大人数になれば、コンマ以下の人間がいるのは止むを得ないでしょう」と弁解するブリーン。
レニングラード・オペラ・バレエ団は、ソ連の批評家たちに第一流と評価されている。
文化省は、ソ連こそ住民の意向と共鳴する芸術文化を産み出してきた唯一の国だと自慢する。
ソ連では、劇場やレストラン、博物館などにコートを着たまま入るのは最高の無教養と考えられていて、
知らなかった人たちはひどく寒い思いをする。
レナード「君もマリリン・モンローの気持ちが分かったろう?」
ミス・ライアン「ソ連では、妻以外の愛人を持っている男の数、持ちたがっている男の数は大変なものよ!」
彼女は、ステファン・オルロフという男性に「レニングラードを案内したい」とデートを申し込まれた。
ブリーンは、『海賊』の場面展開が何度もあることと、『ポギーとベス』には3回しかないことを比べて不安になる。
*
翌日、TCらはネフスキー・プロスペクトに買い物に行くが、どこに行っても政府が店を管理し、
分類に従って同じ品を同じ値段で売っているので、掘り出し物のお土産など探しようがないことに気づく。
あるとすれば、家宝を現金に換えられる[国営質屋」くらいだが、そこには雑多なモノの中に
すっかりすり減った古靴が1足50~175ドルで売られていた。
ソ連のカレンダーではxmasは2週間先だが、お正月の贈り物のほうが好きで、店には買い物客があふれていた。
やがて、その中にいつも後ろのほうに立っている男がいるのに気づく3人。
TCは、国営百貨店で帽子1つ買うのに40分も待たなければならなかった。
会計係から店員へ、そしてまた会計係へ、次は包装の長い列に並ぶ。
TCはその帽子の箱を置き忘れ、なぜか謎の男が持ってきてくれる。
アイラ「社会主義リアリズムには、リアリズムがないんだ。オレは閉所恐怖症になりそうだよ」
ステファンは、ホテルはいろいろ面倒なので、そばの寺院の周りを回っていてくださいと言ってくる。
彼はもう現れないのではとTCが思った頃、4人の男がもう1人の男を殺しかねないほど殴っているところを目撃し、
タクシーに乗ったステファンに「(その男を)乗せてほしい」と頼むと「ばかなこと言わないで!」と断られる。「あれは他人のケンカです」
ステファンは、ミス・ライアンが来られないと分かり失望し、TCを歌手だと思い込んでいたが、物書きと知って警戒する。
誤解を解くため「アメリカの記者は最低です。一番汚い連中です」と弁解する。
「イースタン」というヨーロッパレストランに連れていかれ、1人キャビアにありつくTC。
ほとんど飲めないのに、酒をわんさか強要される
ステファン「私はまもなく40で、結婚して5年になります」
ソ連の知的職業階級は、同じ分野の者と結婚するのが慣例。
散々酔った後に、労働者の店に連れていかれる。3人の女ウェイトレスは用心棒も兼ねていた/驚
ウォッカは高級レストランでしか売ることが許されず、ここではコニャックを注文。
「海岸通りは下品です。ここは一般的なだけです」
TCはギター弾きの少年に深刻な頼まれごとをされる。
父はイギリス人、母はポーランド人なため、酷い目に遭わされているという。
「助けて!」と追いかけてくる少年の声が闇に消えていった。
*
翌日は「エルミタージュ美術博物館見学」。
そこでラジオドラマで成功したヨーゼフ・アダモフに会う。「にっこり笑って人を斬る男だよ」(イタリア人記者)
それは一般市民の知らない特権を享受しているという意味。
宝石の部屋では「ご婦人がたはハンドバッグを“落とされる危険があるので”守衛にお預けください」と言われる。
有名な「孔雀時計」は、豪勢な仕掛けだったが、ジョー(アダモフ)は否定する。
「この孔雀は私が塵になってもまだ尻尾をパタパタやってるでしょう。
人間は一生働き通して、結局は塵となるわけです。博物館はそれを思い出させる、人間の死を」
*
クリスマス・イヴ
ホテルミュージシャンの代わりに、劇団員が演奏し、アメリカンジャズ(とくにディジー・ガレスピーの熱愛者)は喜んだ。
モーゼス・ラマーは♪Sunny Side of the Street を熱唱。
ミセス・ブリーン「私たちは道を切り開いたのよ。外交官たちが出来なかったことを」
ソ連のビング・クロスビーだと自己紹介するネルヴィツキー。だが、TCが知らないと言うとひどく驚いていた。
その妻「レニングラードはまるで死んでいるようだとはお思いになりませんか? 美しい死骸だと」
彼女は「劇団員らが身につけているものなら、いい値段でなんでも買うと伝えてくれ」とTCに頼む。
*
レニングラード最大の反宗教的博物館「カザン寺院」にも行く。
ローマ・カトリック教会は、キャピタリズム保護のためのみに存在する。
xmas当日、ソ連が用意したのは、カトリックのミサか、バプティストの礼拝かだった。
ミス・ボッグスは泣いて感激していた。
「牧師さんは、私たち黒人にスピリチュアルを歌ってくれと頼み、帰る時はみんな白いハンカチを振って
♪神ともにいまして行く道を譲り を歌いだしたの。胸がかきむしられてしまって」
*
ホテルはジャーナリズムの競争の場と化した
記者レナードは、書き損じをトイレに流した。
最高60ルーブル(15ドル)の切符を買うため、市民は雪の中で徹夜で並んだ。
ショー「たいした連中さ、『ポギーとベス』一座は。まるでサーカスの連中と暮らしているようなもんだ」
売れ行きのすさまじさで、マリインスキー劇場から「文化宮」に舞台が変わった。
だが、公演プログラムはまだ印刷所にあり、できあがるのに2~3日かかるという
ブリーンは、サーシャに各幕ごとにプロットの説明をさせる案を出し、彼女は真っ青に緊張した
開幕直前の稽古で、観客が6分間もカーテンコールするとは思えず、ブリーンは、団員が1人ずつ現れて拍手を求める案も考え出した。
ベス役は2人立てていたが、エセルは風邪で寝込んでいた。ミス・フラワーズは、緊張なんてとんでもないが、喉がもつか心配だという。
いろんな要人を招待したが
「ここの人たちはドアに入ってくるまであてにすることは出来ません。
そして、彼らがパーティを開く時は、土壇場になるまで招待しないのです」
ミセス・ザルツバーガー:
「あの人たちの着ているものって、ひどい貧乏のせいだと思っていたけど、そうではないのです。そうしたいから、わざとそうしているのです。
いつも負けてばかりいたからでしょうか? それとも、ひどい格好をするからいつも負けてばかりいたのでしょうか?」
開幕前に延々と長いスピーチが続いた。その中にはバレエ・ダンサーのコンスタンチン・セルゲーエフもいた。
しかし式が長引いたせいで、サーシャのあらすじは誰も聞いていなかった。
それが影響して、♪サマータイム を歌った時も、一幕の終わりも拍手はまばらで誰もストーリーを把握できなかった。
博打のシーン、スカートをあげてガーターを直すシーンでは、観客の囁き声がショックのふるえ声に変わった。
*
ステファン:
「問題は、我々年輩がどう思うかではありません。大事なのは若い人たちです。
彼らの胸に新しい種が植え付けられたことが大事なのです、今夜。
明日、彼らは口笛でこの曲を吹くでしょう。
そして夏になると、若い人たちが川辺を歩きながら口笛を吹くのをあなたはお聞きになるでしょう」
その通りだった。TCが舞台後歩いていると、若い男女が興奮して喋りながら、♪サマータイム の一節をハミングしていた。
若者たちは忘れないだろう。刺激を受けて、新しいものの見方をするようになるだろう、という明るい希望こそ、
初日は成功だったといっていい根拠だと、TCは約束していた記者に報告しようとして少々迷った。
舞台評は二大新聞に好評で取り上げられ、「ガーシュインの音楽はメロディックで、ニグロ・フォークロアを意図的に溢れさせている」
というと同時に「ソ連の観客は、貧困によって抑圧された民衆の意識、道徳面に及ぼす資本主義の腐食的影響を思い知らされる」と付け加えた。
ある批評家は「黒人たちの優れた才能を立証した。現代アメリカ芸術についての我々の概念を広げた」と書いた。
キャストの1人は代表して言った。
「ソ連人がどう思うかなんてどうだっていい。アメリカの連中にオレたちのことがどう伝わるかが問題だ」
ミス・ライアンは、トリビューンでもタイムズでも好評だと話した。
●お山の大将(1956)
日本のたいていの娘たちはくすくす笑う。明らかな動機がなくても起こる(w
マーロン・ブランドは『サヨナラ』の映画化のロケで京都の旅館に滞在していた。
ブランド「あの連中にはほんと参るよ。子どもたちもだ。素晴らしいと思わないか、大好きにならないか、日本の子どもたちを?」
部屋はこれ見よがしの飾り気のなさを尊ぶ日本趣味を説明する教科書のようだった。
ブランドの部屋は和洋折衷だったため、一方は所有品を誇示しないことで感銘を与えようとして、他方はまさにその逆を意図する。
ブランドの創作の手伝いをしているマレーは、『朱色の爆発』の原稿をまとめて「あとでまた来ます」と言って出た。
ブランドとTCは“セメントのように固い煎餅”を食べていたが、後にそれは他の客宛てだったと主人が謝罪に来る
ワーナーの男「今度の映画はどうしても大スターが必要で、それだけが切符の売り上げに大事なのです」
ブランドは、撮影中に和気藹々と飲みに行くタイプではなく、いつもホテルに閉じこもって、哲学書や心理学書などを読んだりしていた
映画のために減量したのに、京都に来てすっかり増量してしまっていた
「この8、9年、オレの人生は惨めだったよ。
感受性の強い人間は、他の者が7つしか印象を受けない時も、50ぐらい受ける。それだけ傷つきやすく、獣的になりやすい。
何かを感じることを自分に許さない。いつもあまり感じすぎるんでね」
TCが初めてブランドを見たのは、まさに舞台『欲望という名の電車』の稽古の時だった。
逞しい胴体に、別の人の首のように美しい顔があった。
彼は狡猾な火トカゲのごとく、自分を消して、役になりきった。
「マーロンてほんと精神的なのよ。彼が人を見つめる時、心底気の毒だなって目つきをするだろう。
こっちは喉をかっ切って自殺したくなるよ」
ブランドは、『欲望~』の当時、裏方とふざけてパンチを食らい、鼻がつぶれて手術した。
舞台にウンザリしていてちょうどいいと思い、包帯などで細工したら、やり手プロデューサーのミセス・セルズニックは騙されて舞台を休ませた
「正直言って、折れた鼻のおかげでセックス・アピールを与えてひと財産作れたのよ。あの人は美男子すぎたの」
舞台俳優をやりたいと思いつつ、映画の魅力、お金儲けになることへの逆らえなさを吐露するブランド。
興収面で男優のうち彼を上回るのはおそらくウィリアム・ホールデンだけだろう。
ブランド「精神を向上させるような映画だってある。オレがやりたいのはそういうのだ」
「オレが演って一番明るい色は赤だった。それが褐色、灰色、黒になった」
「それでも映画は最高の可能性をもっている。差別、憎悪、偏見とかについて追究する映画を作りたい。娯楽という形で。
だからオレは自分の独立プロを始めたんだ」
「だが、最初の映画は金儲けしなければならない。でないともうおしまいになる。オレは今、破産寸前なんだ」
「キャスティングなら誰にも負けない。それがすべてだろう、製作ってやつは」
TCは、なだめすかしたりする感情の外交家、金銭問題について有能な職人でなければならないと思う。
友人いわく「彼は誰でも15分見ていたら、その真似を見事にやってのける」
ブランド「オレの本心は、オレの言葉の40%にすぎない」
創造者は、自分の創造するものの価値を信じる必要がある。
映画はトラブルつづきだった。
恋人役は本物の宝塚歌劇団のメンバを起用しようとして失敗し、夜のバーの女たちから選んだ。
理由は、“日本で最も美しい少女100名”コンテストを開いたが、誰一人現れなかったから。
だが、夜の女たちは、映画撮影に必要条件の「早起き」が苦手だった
今度は、アメリカ空軍側が、朝鮮戦争中、日本人と結婚した軍人が船で帰国させられるプロットに抗議した。
「実地における“慣例”だったかもしれないが、公式な方針ではなかった」という理由でカットされた。
ローガンは、昔から日本演劇に夢中で、歌舞伎、能、文楽シーンを強く期待していて、
演劇界を支配する「松竹」に1年ほど交渉したが、結局それも失敗し、歌舞伎役者役にメキシコ人俳優を起用する(
空軍将校ブランドの恋心をかきたてる役で、最初はヘップバーンに頼んで断られ、演技経験のないミス・高美に決定した。
*
人口比例から言えば、酒類を供給する店の数はNYより上で、日本人のモノマネ上手を示して、
ロックンローラー、ヒルビリー・カルテット、アメリカ・ニグロ訛りで歌うヴォーカリストを呼び物にしている。
TCはブランドに、アメリカ人青年の仏教徒が京都西本願寺で修行した末、すっかり世俗的になってしまった話をすると、
ブランドも「坊さんがオレの写真にサインをくれというんだ。どうしようってんだ」と嘆く。
「オレは本気で考えてるんだ。すっかり辞めてしまおうかと。
成功しすぎるのは、失敗しすぎるのと同じほど確実に破滅の元になる」
知人いわく「彼はくよくよ考えこむ男だったよ。部屋の壁には“生きていることを知らざれば生きているにあらざるなり”、って書いてあった」
日本人は牛肉の質の良さを誇りとしている。日本で西欧風の料理を注文するのは概して間違いだ。
どんなにきれいに並べられていても、ウナギの吸い物や、タコの足の予感に脅えることがある
ブランド:
「どこに家を見つけようと垣根がなければな。鉛筆をもった連中のために。
盗み聞きされるんだ、オレの電話は。この部屋は紙でできているから」
ジェームス・ディーンが1955年に急逝し、その生涯ドキュメンタリーのナレーションを受けようか迷うブランド。
主演映画『ジャイアンツ』未公開前で、収益に悪影響することを恐れて、その死を“魅惑的なもの”にして埋め合わせようとしていたから(
ジミーは、ブランドの演技が剽窃したと思われるほど、プライベートでもブランド同様、バイクを突っ走らせ、
ボンゴを叩き、乱暴者のような格好をした。
ブランド:
「ディーンっはけしてオレの友だちじゃなかった。ろくに知り合ってもいない。
だが、あの男はオレのやることはなんでもやっていたし、よく電話してきたよ」
「やつは自分が病気だと分かっていると言った。精神分析医を教えて、そこに行き、仕事は少なくともよくなったよ。
だがこのように美化するのは間違っている。だからこのドキュメンタリーは重要になる気がする。
奴が英雄でなく、ありのままの姿~自分を見失って見つけようとしている若者の姿を見せるとすれば」
TCはブランドに尊敬する俳優の名をあげさせると、ロレンス・オリヴィエ、ジョン・ギールグッド、ジェラール・フィリップなどなど。
「『天井桟敷の人々』は素晴らしかった! アルレッティに夢中になって会いに行ったら、幻滅した。姉御だったよ」w
「演技なんてか弱い、儚いものだ。感受性の強い監督に助けられて導き出される」その例としてエリア・カザンを出す。
友人「マーロンは、仕事が何であれ、必ず反撥するんだ。不満を言うほうが気持ちが落ち着く。それが彼のパターンだ」
ミス・高美から電話があり、TCは席を外し、京都の夜景を眺める。
遠くにあるコンクリート造りの高層ビルは、紙でできた住居より長持ちしそうにない(同感
ブランドから奈良をすすめられる。たしかに面白い町だった。
老人が蓮の池で手を叩いて大きな鯉を呼び集めたりする様子など。
ブランド:
「オレも結婚したくなったよ。子どもが欲しいんだ。他に生きる意味なんてない。人間もネズミと別に変わりゃしない。
生まれてくるのは生殖という同じ機能を果たすためだ」
ブランドは子どもに対しては優しく、気楽だった。事実、感情的には同世代で共犯者に見えた。
彼が憐れむような目は、子どもを見る時は消えていた。
「オレには出来ないんだ。誰かを愛することは。自分を捧げてもいいと思うほど誰かを信じることが出来ない。
でも、他に何がある? それが生きるすべてなんだ」
その当時、ブランドは1ヵ月前に密かに式を挙げていた(
相手は無名の女優で、誰も相手が何者か知らないままだった。
「オレはどうやって友だちを作ると思う? 非常に優しくする。だんだん近づいて、周りをぐるぐる回る。
また引き下がる。しばらく待つ。相手は不思議に思う。また近寄る。触れる。ぐるぐる回る。
すると、突然、相手にとってオレしかいないことになる。そういう奴は大抵、どこにも適応できない連中なんだ。
受け入れられず、傷つき、オレはそういう連中を助けてやりたい。オレはお山の大将だ」
実際、ブランドの家は、いつもドアが開いてて、得体の知れない大勢がゴロゴロしていて、互いを知らなかった。
友人「マーロンは、同時に2人に話しかけることはしたがらない。けしてグループの会話に加わろうとしない」
ブランド「100人がいる部屋に入ったとする。その中に僕を嫌う人が一人いれば、僕は気づき、出て行かざるを得ない」
TCが帰ろうとする。「眠らないと・・・」
「眠るってことは、また起きるってことだろう。いつも朝になると、なぜオレは起きるのか分からない」
「オレのおふくろだがね、花瓶が割れるようにポックリ逝っちゃったよ」
ブランドは母を尊敬していた。
友人「あれほど美しくて、魅力的な両親は想像できまい。ビックリしたのは、マーロンは2人の前ではまるで模範的な息子だった」
父は石灰石製品のセールスマンで、ブランドは3番目の子ども。田園では雌牛の乳搾りをする役目だった。
母は、どこに住もうと、その土地の演劇クラブの主役をして、その憧れが子どもに影響し、
フランシスは画家、ジョスリンはプロの女優。ブランドは17歳で聖職者になりたいと言った。
話し合いの結果、希望は絶たれ、膝疾患のせいで入隊もできず、NYに出て来た(運命だな
「オヤジはオレに無関心でね。何をしても喜ばせることはできなかった」
「だが、おふくろは、オレにとって全世界だった。おふくろはオヤジを家に残しオレと一緒に暮らしたが、
オレの愛は充分じゃなかった。おふくろは帰って行った。そしてある日、オレにとりすがって、オレは離した。
それ以上抱きかかえていられなくなったんだ。
ポックリ逝くのを見つめて、オレはおふくろをまたいだ。その時からオレは無関心なままだ」
TCは小1時間かかる自分の宿に着くまで迷い、ブランドの映画ポスターを見つける『八月十五夜の茶屋』。
●文体―および日本人(1955)
私の家族以外の交際で初めて印象に強く残ったのは、ミスター・フレデリック・丸子という日本の老紳士だった。
丸子は、ニューオリンズの花屋をやっていて、私が会ったのは6歳だったろう。
彼が突然セント・ルイスへの船旅の途中で亡くなるまで、10年間、たくさんのオモチャを作ってくれた。
その遊ぶには精妙すぎるオモチャが、私の最初の美的経験だった。
何年か後、紫式部や、『枕草子』を読んだり、歌舞伎や、3本の映画『羅生門』『雨月物語』『地獄門』を観た時、丸子を思い出した。
日本人は、形と色に完璧な音感を持っているようだ。
高度の文体が西欧演劇の長所になったことは一度もない。
やや近いものは王政復古期喜劇だろう。日本人の文体感は、長い、美しい美的思想の集積だ。
アーサー・ウェイリーが言ったように、この思想の基底にあるのは「恐れ」。
「明晰なるもの」「露骨なもの」への恐れだ。
9Cにおいては、文通はほとんど詩でなされた。
その慣習は今でも一般的だ。確かに我々が受け取るものはコミュニケーションの詩なのである。
【知られざるノンフィクション・ノヴェル/青山南 内容抜粋メモ】
『犬は吠える』の名付け親は、フランスの文豪アンドレ・ジッドだそう。
「犬は吠える、がキャラヴァンは進む」というアラブの諺があると言った。
犬は評論家ども、キャラヴァンは芸術家の活動のこと。
これらの短編は、書評では好評でも、一般の関心は集めなかった。
いろんな資料を調べると、このノンフィクションは「『ポギーとベス』のソヴィエト公演随行記」と紹介されるだけ。
TC「結局、芸術は蒸留水ではない、個人的な知覚、偏見、選択感覚が無菌の真実の純粋性を汚すからだ」(序文より
本書は『冷血』後に刊行され、旧作の意図をようやく口にし、読者も了解できた。そういう意味では10年早すぎた。
これは2つのカーテンの裏側を描いている。1つは「鉄のカーテン」、もう1つは舞台のカーテン。
(この後、南さんは“1980年代の今となってはちょっと古臭い”などとちょっと批判もしているが、それこそ、犬の遠吠えでは?
【訳者あとがき 内容抜粋メモ】
『冷血』後、その前に出版された『ローカル・カラー(1951)』『観察記録(1959)』の3冊に数篇を加えて1冊にした。
カポーティが豊かな地平を広げたノンフィクション、ルポルタージュという文学ジャンルは、ますます隆盛になっている。
トルーマン・カポーティ/著
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
図書館には、このハードカバーと「ハヤカワepi文庫」の2冊あって、ハードカバー好きなので、こちらを選んだ。
何度も泣いた場面があった。人々の暮らしの不公平さに。
ひと口に「米ソ冷戦」「鉄のカーテン」という歴史も、ここまでだったとは!
現ロシアに住む人々も、住む環境、政治のやり方が同じなら、当時とあまり変わらない暮らしも残っているのでは?
そこに、アメリカの汚点とも言うべき黒人問題を扱った舞台『ポギーとベス』を初めて上演するという、国をあげての大事業!
移動も、進行も、予定もなにもかも分からない状態の中でも、ベテラン演技者たちの個性的な面々のキャラが立ってて面白い。
5編入っているうち、タイトルの『詩神の声聞こゆ』は、フェデリコ・フェリーニ監督の映画を観ているみたい。
カポーティは、出演者と知り合いということで同行したのか、いきさつが書いていないけれども、ほぼ傍観者の視点から書いている。
最後の最後に日本で映画を撮る話にマーロン・ブランドが出てくるとはね!驚×5000
しかも、『および日本人』では、カポーティの最初の美意識を育てたのは日本人男性のおかげだって!
何に対しても公平に批判的wな彼から称賛されるのは、素直に嬉しかった。
外国人が今よりもっと珍しかった当時、日本でも大スターのマーロンらに対する旅館スタッフの様子、
京都、奈良の風景描写などもとても興味深い。
マスクがこの国では奇異じゃないこと、宝塚歌劇団は女性ばかりで観客も女性なのが珍しいなどなど。
邦題は、本編に出てくるセリフの引用だけど、原題は副題となっているほう『THE DOGS BARK』なんだ。
そこに含まれた皮肉は、あとがきに取り上げられている。
【内容抜粋メモ】
●詩神の声聞こゆ(1956)~砲声絶えるとき(Part1)
1995年12月17日、アメリカの舞台『ポギーとベス』一行総勢94名は、4年間の世界巡業の最後を飾るのに、
ソ連に初めてツアーに出かけることが決まった。
公演の最初のキャストには、キャブ・キャロウェーらもいたが、スターたちは次々と他の俳優に代わっていった。
キャストの心配は、手紙はすべて開封してチェックされ、ホテルやらには盗聴器、隠しカメラなどがあるのではないかということ。
スタッフは、可能性があることを示唆した。
「ソ連においては計画されないことは何ひとつ起こらず、皆さんが成功をおさめることはすでに計画されています」
「気がついておられるでしょうな、我々はたった今も監視されているということに」
その後も、想定不可能な問題、疑惑が次々と明らかにされていく。
最たる問題は、黒人問題を扱ったテーマ。
次に、極度にエロティックな表現法は、人前でキスしても逮捕されかねない国民には相当ショッキングだろうということ。
人間がさまざまな無価値なもので幸せになり得ることを高らかに歌いあげるメッセージ、などなど。
ソ連では、精神分析学とその医師は歓迎されないという理由でカウンセラーはリストから排除された。
莫大な資金問題では「1セントも出さない」と言われ、その後、米国務省を困らせるためだけに、資金を出そうと約束される。
文化的慈善事業とはいえ、連日売り切れた場合、投資の倍額に相当するはずだったが、ギャラは、これまでよりはるかに低いこと。
ミセス・ガーシュインいわく「それは絶対解けない謎なのだから」
(後に、ホテルの数より人間の数が多く、ミセス・ガーシュインでさえ部屋がない状態が後に起こる。
アール・ブルース・ジャクソンと、ヘレン・シグペンは、モスクワで結婚式を挙げるというイベントを用意していた。
ヘレン「実は、私、それまで婚約したことさえ知らなかったのよ」
アール「モスクワで結婚する最初のニグロアメリカンのカップル。こいつは新聞のトップ記事ものだ」
移動手段は、「ブルー・エクスプレス」の寝台車。
まず、ソ連国境に着くまでの30時間、列車に「食堂車がない」と言われる(スラップスティックコメディのようだな
そして、列車乗務員は、舞台巡業のことを誰一人知らされていなかった。その後、事情を知って大喜びしてくれる。
彼らの給仕するサモワールで淹れた濃い紅茶は、唯一極寒の地をさまよう体を温めてくれた。
髭を剃る時に、そのお湯を使わせてくれと頼むと、丁寧に断られる。
「私のお湯は、熱い、美味しい、精神の活力となるお茶のためのものです」
列車までは、バスで爆撃された東ベルリンを走った。
デリリアスは、バスに乗り遅れ、東ベルリンに行きたがらないタクシーをやっと見つけて、
バタバタしているうちに駅にコートを2着も忘れてショックで泣く。
ミス・ライアンは慰める「私たちは今、パスポートもビザも何もなしでソ連に向かっているのよ」
パスポートは、政府にまとめて渡した挙句、戻ってきたのは、約束のソ連の地ではなく、途中の駅でだった。それも無造作に投げ返される。
TCは列車を降りて、銃を持つ乗務員から注意された。
デリリアスの飼い犬(ボクサー犬のトワープ)は、いたる所にそそうをするが、「降りれないのに、どうしろっていうの?」
ワルシャワは、凍河と荒涼たる氷の世界。
国境は、がっしりした木造の監視塔で、南部の囚人収容所を取り巻くものと似ていた。
インド人の女性たちが、極寒の外でつるはしやシャベルで除雪している。
カメラマンのジョアキムは、なにかを見つけるたびに熱心に写真を撮った。
ブレスト・リトフスクに到着。氷点下10度。
「我々の諺で言えば、将来はないより今あるほうがまし、です。皆さんの来訪は、平和への第一歩です。
砲声ひびくとき詩神の声とだえ、砲声絶えるとき詩神の声聞こゆ、です」
ソ連人・サフチェンコの十八番のセリフに感動するキャストら。
キヨスクでは、不思議なことにどこでも同じものを売っていた。
赤星印の鮭缶、埃っぽいクレムリン香水瓶など。
立ち売りの中国商人だけがしなびた小さなリンゴを売っていて、長蛇の列ができていた。
ミス・ライアン「私、ホームシックにかかったことはないけど、ときどき、故郷から遠くまできたもんだ、と思うものね」
どこに行っても結局ウォッカは見つからず、ビールを頼むTCとミス・ライアン。
酒場に入ると、見知らぬ者同士を同席させ、ビールを試飲させるソ連の慣習がある。
そこで英語を話せる男と知り合う。
「私はレニングラードが好きです。モスクワとはまるで違います。
あなた方の国に行くといつでも、アメリカ人はソ連人を思い出させる唯一の国民だ、という気がします。
アメリカ人は寛大でエネルギッシュだが、子どもや犬のように愛されたいという願望があります。
他の国の者と同じように、あるいはそれ以上に、いい人たちだと言われたい。
だが、アメリカ人はそれを信じようとしない。劣等感、疎外感を持ち続けている」
「ニエ・クルトゥルニ」(教養がない)という言葉が、ソ連人に対する一番の悪口だということも教えてくれる。
待ちに待った食堂車が連結され、やっとキャビアが食べられると期待して、出てきたのは、
毎日毎日、ヨーグルト、ラズベリー・ソーダ、子牛のカツレツ、鉄砲玉のように転がる(爆)豆だった。
そして、それは、目的地のホテルでも同じでガッカリする一団。
ギャンブル好きのアールは、[博打はソ連では違法」だと告げられる。
「レストラン労働者たちに法律が破られるのを見せることは好ましくないのです」
文化省通訳のヘンリーは、勇気を振り絞ってTCに話しかけてくる。TCは旅をしたいと思うか訊ねると、
「私は心の風景で満足です。世界は同じです。(胸に手をあて)ここは変化に富みます。どちらが正しいでしょうか?」
TCが自分の本を差し出すと迷った末に「私にはそのための時間がありません」と残念そうに言った。
ようやく目的地レニングラードが近づき。車内は騒然となる。
「駅ではニュース映画を撮られるはずよ」
到着して迎えた主要な舞台芸術家たちは、黒人キャストが含まれていることを誰一人知らず、
押しかけた一般市民も驚きで固まり、“大歓声に迎えられる”という思惑は外れる。
●詩神の声聞こゆ(Part2)
レニングラード最高のホテル「ホテル・アストリア」では、深夜までオーケストラがロシアジャズを演奏している(どんなジャズだろう???
そして、部屋を入退出する時は必ず、あちこちにいるおばさんに鍵を預けるのが厳格なルールだった。
極寒のため、換気されない部屋の中で、なぜか裏方たちがVIPルームに案内され、キャストは裏部屋に案内された。
外を歩くと、原因の分からない何かを気にして眉をひそめ、見つめ、何度も振り返り、ついには後を尾けられる
建物は、フランスとイタリア建築。劇場のマチネーは12時、夜は20時に開幕する。
開幕初日までの数日間、まずはバレエ・オペラ観劇に招待されて、ドレスアップして行くと、とんでもない場違いなことに気づかされる。
ベビー・シッターに1人30ルーブル払うことに激怒する者もいたが、
1ドル70セントにしかならない額になぜ激怒するのかソ連人には見当もつかなかった。
劇団員の非礼に詫びつつ「これだけ大人数になれば、コンマ以下の人間がいるのは止むを得ないでしょう」と弁解するブリーン。
レニングラード・オペラ・バレエ団は、ソ連の批評家たちに第一流と評価されている。
文化省は、ソ連こそ住民の意向と共鳴する芸術文化を産み出してきた唯一の国だと自慢する。
ソ連では、劇場やレストラン、博物館などにコートを着たまま入るのは最高の無教養と考えられていて、
知らなかった人たちはひどく寒い思いをする。
レナード「君もマリリン・モンローの気持ちが分かったろう?」
ミス・ライアン「ソ連では、妻以外の愛人を持っている男の数、持ちたがっている男の数は大変なものよ!」
彼女は、ステファン・オルロフという男性に「レニングラードを案内したい」とデートを申し込まれた。
ブリーンは、『海賊』の場面展開が何度もあることと、『ポギーとベス』には3回しかないことを比べて不安になる。
*
翌日、TCらはネフスキー・プロスペクトに買い物に行くが、どこに行っても政府が店を管理し、
分類に従って同じ品を同じ値段で売っているので、掘り出し物のお土産など探しようがないことに気づく。
あるとすれば、家宝を現金に換えられる[国営質屋」くらいだが、そこには雑多なモノの中に
すっかりすり減った古靴が1足50~175ドルで売られていた。
ソ連のカレンダーではxmasは2週間先だが、お正月の贈り物のほうが好きで、店には買い物客があふれていた。
やがて、その中にいつも後ろのほうに立っている男がいるのに気づく3人。
TCは、国営百貨店で帽子1つ買うのに40分も待たなければならなかった。
会計係から店員へ、そしてまた会計係へ、次は包装の長い列に並ぶ。
TCはその帽子の箱を置き忘れ、なぜか謎の男が持ってきてくれる。
アイラ「社会主義リアリズムには、リアリズムがないんだ。オレは閉所恐怖症になりそうだよ」
ステファンは、ホテルはいろいろ面倒なので、そばの寺院の周りを回っていてくださいと言ってくる。
彼はもう現れないのではとTCが思った頃、4人の男がもう1人の男を殺しかねないほど殴っているところを目撃し、
タクシーに乗ったステファンに「(その男を)乗せてほしい」と頼むと「ばかなこと言わないで!」と断られる。「あれは他人のケンカです」
ステファンは、ミス・ライアンが来られないと分かり失望し、TCを歌手だと思い込んでいたが、物書きと知って警戒する。
誤解を解くため「アメリカの記者は最低です。一番汚い連中です」と弁解する。
「イースタン」というヨーロッパレストランに連れていかれ、1人キャビアにありつくTC。
ほとんど飲めないのに、酒をわんさか強要される
ステファン「私はまもなく40で、結婚して5年になります」
ソ連の知的職業階級は、同じ分野の者と結婚するのが慣例。
散々酔った後に、労働者の店に連れていかれる。3人の女ウェイトレスは用心棒も兼ねていた/驚
ウォッカは高級レストランでしか売ることが許されず、ここではコニャックを注文。
「海岸通りは下品です。ここは一般的なだけです」
TCはギター弾きの少年に深刻な頼まれごとをされる。
父はイギリス人、母はポーランド人なため、酷い目に遭わされているという。
「助けて!」と追いかけてくる少年の声が闇に消えていった。
*
翌日は「エルミタージュ美術博物館見学」。
そこでラジオドラマで成功したヨーゼフ・アダモフに会う。「にっこり笑って人を斬る男だよ」(イタリア人記者)
それは一般市民の知らない特権を享受しているという意味。
宝石の部屋では「ご婦人がたはハンドバッグを“落とされる危険があるので”守衛にお預けください」と言われる。
有名な「孔雀時計」は、豪勢な仕掛けだったが、ジョー(アダモフ)は否定する。
「この孔雀は私が塵になってもまだ尻尾をパタパタやってるでしょう。
人間は一生働き通して、結局は塵となるわけです。博物館はそれを思い出させる、人間の死を」
*
クリスマス・イヴ
ホテルミュージシャンの代わりに、劇団員が演奏し、アメリカンジャズ(とくにディジー・ガレスピーの熱愛者)は喜んだ。
モーゼス・ラマーは♪Sunny Side of the Street を熱唱。
ミセス・ブリーン「私たちは道を切り開いたのよ。外交官たちが出来なかったことを」
ソ連のビング・クロスビーだと自己紹介するネルヴィツキー。だが、TCが知らないと言うとひどく驚いていた。
その妻「レニングラードはまるで死んでいるようだとはお思いになりませんか? 美しい死骸だと」
彼女は「劇団員らが身につけているものなら、いい値段でなんでも買うと伝えてくれ」とTCに頼む。
*
レニングラード最大の反宗教的博物館「カザン寺院」にも行く。
ローマ・カトリック教会は、キャピタリズム保護のためのみに存在する。
xmas当日、ソ連が用意したのは、カトリックのミサか、バプティストの礼拝かだった。
ミス・ボッグスは泣いて感激していた。
「牧師さんは、私たち黒人にスピリチュアルを歌ってくれと頼み、帰る時はみんな白いハンカチを振って
♪神ともにいまして行く道を譲り を歌いだしたの。胸がかきむしられてしまって」
*
ホテルはジャーナリズムの競争の場と化した
記者レナードは、書き損じをトイレに流した。
最高60ルーブル(15ドル)の切符を買うため、市民は雪の中で徹夜で並んだ。
ショー「たいした連中さ、『ポギーとベス』一座は。まるでサーカスの連中と暮らしているようなもんだ」
売れ行きのすさまじさで、マリインスキー劇場から「文化宮」に舞台が変わった。
だが、公演プログラムはまだ印刷所にあり、できあがるのに2~3日かかるという
ブリーンは、サーシャに各幕ごとにプロットの説明をさせる案を出し、彼女は真っ青に緊張した
開幕直前の稽古で、観客が6分間もカーテンコールするとは思えず、ブリーンは、団員が1人ずつ現れて拍手を求める案も考え出した。
ベス役は2人立てていたが、エセルは風邪で寝込んでいた。ミス・フラワーズは、緊張なんてとんでもないが、喉がもつか心配だという。
いろんな要人を招待したが
「ここの人たちはドアに入ってくるまであてにすることは出来ません。
そして、彼らがパーティを開く時は、土壇場になるまで招待しないのです」
ミセス・ザルツバーガー:
「あの人たちの着ているものって、ひどい貧乏のせいだと思っていたけど、そうではないのです。そうしたいから、わざとそうしているのです。
いつも負けてばかりいたからでしょうか? それとも、ひどい格好をするからいつも負けてばかりいたのでしょうか?」
開幕前に延々と長いスピーチが続いた。その中にはバレエ・ダンサーのコンスタンチン・セルゲーエフもいた。
しかし式が長引いたせいで、サーシャのあらすじは誰も聞いていなかった。
それが影響して、♪サマータイム を歌った時も、一幕の終わりも拍手はまばらで誰もストーリーを把握できなかった。
博打のシーン、スカートをあげてガーターを直すシーンでは、観客の囁き声がショックのふるえ声に変わった。
*
ステファン:
「問題は、我々年輩がどう思うかではありません。大事なのは若い人たちです。
彼らの胸に新しい種が植え付けられたことが大事なのです、今夜。
明日、彼らは口笛でこの曲を吹くでしょう。
そして夏になると、若い人たちが川辺を歩きながら口笛を吹くのをあなたはお聞きになるでしょう」
その通りだった。TCが舞台後歩いていると、若い男女が興奮して喋りながら、♪サマータイム の一節をハミングしていた。
若者たちは忘れないだろう。刺激を受けて、新しいものの見方をするようになるだろう、という明るい希望こそ、
初日は成功だったといっていい根拠だと、TCは約束していた記者に報告しようとして少々迷った。
舞台評は二大新聞に好評で取り上げられ、「ガーシュインの音楽はメロディックで、ニグロ・フォークロアを意図的に溢れさせている」
というと同時に「ソ連の観客は、貧困によって抑圧された民衆の意識、道徳面に及ぼす資本主義の腐食的影響を思い知らされる」と付け加えた。
ある批評家は「黒人たちの優れた才能を立証した。現代アメリカ芸術についての我々の概念を広げた」と書いた。
キャストの1人は代表して言った。
「ソ連人がどう思うかなんてどうだっていい。アメリカの連中にオレたちのことがどう伝わるかが問題だ」
ミス・ライアンは、トリビューンでもタイムズでも好評だと話した。
●お山の大将(1956)
日本のたいていの娘たちはくすくす笑う。明らかな動機がなくても起こる(w
マーロン・ブランドは『サヨナラ』の映画化のロケで京都の旅館に滞在していた。
ブランド「あの連中にはほんと参るよ。子どもたちもだ。素晴らしいと思わないか、大好きにならないか、日本の子どもたちを?」
部屋はこれ見よがしの飾り気のなさを尊ぶ日本趣味を説明する教科書のようだった。
ブランドの部屋は和洋折衷だったため、一方は所有品を誇示しないことで感銘を与えようとして、他方はまさにその逆を意図する。
ブランドの創作の手伝いをしているマレーは、『朱色の爆発』の原稿をまとめて「あとでまた来ます」と言って出た。
ブランドとTCは“セメントのように固い煎餅”を食べていたが、後にそれは他の客宛てだったと主人が謝罪に来る
ワーナーの男「今度の映画はどうしても大スターが必要で、それだけが切符の売り上げに大事なのです」
ブランドは、撮影中に和気藹々と飲みに行くタイプではなく、いつもホテルに閉じこもって、哲学書や心理学書などを読んだりしていた
映画のために減量したのに、京都に来てすっかり増量してしまっていた
「この8、9年、オレの人生は惨めだったよ。
感受性の強い人間は、他の者が7つしか印象を受けない時も、50ぐらい受ける。それだけ傷つきやすく、獣的になりやすい。
何かを感じることを自分に許さない。いつもあまり感じすぎるんでね」
TCが初めてブランドを見たのは、まさに舞台『欲望という名の電車』の稽古の時だった。
逞しい胴体に、別の人の首のように美しい顔があった。
彼は狡猾な火トカゲのごとく、自分を消して、役になりきった。
「マーロンてほんと精神的なのよ。彼が人を見つめる時、心底気の毒だなって目つきをするだろう。
こっちは喉をかっ切って自殺したくなるよ」
ブランドは、『欲望~』の当時、裏方とふざけてパンチを食らい、鼻がつぶれて手術した。
舞台にウンザリしていてちょうどいいと思い、包帯などで細工したら、やり手プロデューサーのミセス・セルズニックは騙されて舞台を休ませた
「正直言って、折れた鼻のおかげでセックス・アピールを与えてひと財産作れたのよ。あの人は美男子すぎたの」
舞台俳優をやりたいと思いつつ、映画の魅力、お金儲けになることへの逆らえなさを吐露するブランド。
興収面で男優のうち彼を上回るのはおそらくウィリアム・ホールデンだけだろう。
ブランド「精神を向上させるような映画だってある。オレがやりたいのはそういうのだ」
「オレが演って一番明るい色は赤だった。それが褐色、灰色、黒になった」
「それでも映画は最高の可能性をもっている。差別、憎悪、偏見とかについて追究する映画を作りたい。娯楽という形で。
だからオレは自分の独立プロを始めたんだ」
「だが、最初の映画は金儲けしなければならない。でないともうおしまいになる。オレは今、破産寸前なんだ」
「キャスティングなら誰にも負けない。それがすべてだろう、製作ってやつは」
TCは、なだめすかしたりする感情の外交家、金銭問題について有能な職人でなければならないと思う。
友人いわく「彼は誰でも15分見ていたら、その真似を見事にやってのける」
ブランド「オレの本心は、オレの言葉の40%にすぎない」
創造者は、自分の創造するものの価値を信じる必要がある。
映画はトラブルつづきだった。
恋人役は本物の宝塚歌劇団のメンバを起用しようとして失敗し、夜のバーの女たちから選んだ。
理由は、“日本で最も美しい少女100名”コンテストを開いたが、誰一人現れなかったから。
だが、夜の女たちは、映画撮影に必要条件の「早起き」が苦手だった
今度は、アメリカ空軍側が、朝鮮戦争中、日本人と結婚した軍人が船で帰国させられるプロットに抗議した。
「実地における“慣例”だったかもしれないが、公式な方針ではなかった」という理由でカットされた。
ローガンは、昔から日本演劇に夢中で、歌舞伎、能、文楽シーンを強く期待していて、
演劇界を支配する「松竹」に1年ほど交渉したが、結局それも失敗し、歌舞伎役者役にメキシコ人俳優を起用する(
空軍将校ブランドの恋心をかきたてる役で、最初はヘップバーンに頼んで断られ、演技経験のないミス・高美に決定した。
*
人口比例から言えば、酒類を供給する店の数はNYより上で、日本人のモノマネ上手を示して、
ロックンローラー、ヒルビリー・カルテット、アメリカ・ニグロ訛りで歌うヴォーカリストを呼び物にしている。
TCはブランドに、アメリカ人青年の仏教徒が京都西本願寺で修行した末、すっかり世俗的になってしまった話をすると、
ブランドも「坊さんがオレの写真にサインをくれというんだ。どうしようってんだ」と嘆く。
「オレは本気で考えてるんだ。すっかり辞めてしまおうかと。
成功しすぎるのは、失敗しすぎるのと同じほど確実に破滅の元になる」
知人いわく「彼はくよくよ考えこむ男だったよ。部屋の壁には“生きていることを知らざれば生きているにあらざるなり”、って書いてあった」
日本人は牛肉の質の良さを誇りとしている。日本で西欧風の料理を注文するのは概して間違いだ。
どんなにきれいに並べられていても、ウナギの吸い物や、タコの足の予感に脅えることがある
ブランド:
「どこに家を見つけようと垣根がなければな。鉛筆をもった連中のために。
盗み聞きされるんだ、オレの電話は。この部屋は紙でできているから」
ジェームス・ディーンが1955年に急逝し、その生涯ドキュメンタリーのナレーションを受けようか迷うブランド。
主演映画『ジャイアンツ』未公開前で、収益に悪影響することを恐れて、その死を“魅惑的なもの”にして埋め合わせようとしていたから(
ジミーは、ブランドの演技が剽窃したと思われるほど、プライベートでもブランド同様、バイクを突っ走らせ、
ボンゴを叩き、乱暴者のような格好をした。
ブランド:
「ディーンっはけしてオレの友だちじゃなかった。ろくに知り合ってもいない。
だが、あの男はオレのやることはなんでもやっていたし、よく電話してきたよ」
「やつは自分が病気だと分かっていると言った。精神分析医を教えて、そこに行き、仕事は少なくともよくなったよ。
だがこのように美化するのは間違っている。だからこのドキュメンタリーは重要になる気がする。
奴が英雄でなく、ありのままの姿~自分を見失って見つけようとしている若者の姿を見せるとすれば」
TCはブランドに尊敬する俳優の名をあげさせると、ロレンス・オリヴィエ、ジョン・ギールグッド、ジェラール・フィリップなどなど。
「『天井桟敷の人々』は素晴らしかった! アルレッティに夢中になって会いに行ったら、幻滅した。姉御だったよ」w
「演技なんてか弱い、儚いものだ。感受性の強い監督に助けられて導き出される」その例としてエリア・カザンを出す。
友人「マーロンは、仕事が何であれ、必ず反撥するんだ。不満を言うほうが気持ちが落ち着く。それが彼のパターンだ」
ミス・高美から電話があり、TCは席を外し、京都の夜景を眺める。
遠くにあるコンクリート造りの高層ビルは、紙でできた住居より長持ちしそうにない(同感
ブランドから奈良をすすめられる。たしかに面白い町だった。
老人が蓮の池で手を叩いて大きな鯉を呼び集めたりする様子など。
ブランド:
「オレも結婚したくなったよ。子どもが欲しいんだ。他に生きる意味なんてない。人間もネズミと別に変わりゃしない。
生まれてくるのは生殖という同じ機能を果たすためだ」
ブランドは子どもに対しては優しく、気楽だった。事実、感情的には同世代で共犯者に見えた。
彼が憐れむような目は、子どもを見る時は消えていた。
「オレには出来ないんだ。誰かを愛することは。自分を捧げてもいいと思うほど誰かを信じることが出来ない。
でも、他に何がある? それが生きるすべてなんだ」
その当時、ブランドは1ヵ月前に密かに式を挙げていた(
相手は無名の女優で、誰も相手が何者か知らないままだった。
「オレはどうやって友だちを作ると思う? 非常に優しくする。だんだん近づいて、周りをぐるぐる回る。
また引き下がる。しばらく待つ。相手は不思議に思う。また近寄る。触れる。ぐるぐる回る。
すると、突然、相手にとってオレしかいないことになる。そういう奴は大抵、どこにも適応できない連中なんだ。
受け入れられず、傷つき、オレはそういう連中を助けてやりたい。オレはお山の大将だ」
実際、ブランドの家は、いつもドアが開いてて、得体の知れない大勢がゴロゴロしていて、互いを知らなかった。
友人「マーロンは、同時に2人に話しかけることはしたがらない。けしてグループの会話に加わろうとしない」
ブランド「100人がいる部屋に入ったとする。その中に僕を嫌う人が一人いれば、僕は気づき、出て行かざるを得ない」
TCが帰ろうとする。「眠らないと・・・」
「眠るってことは、また起きるってことだろう。いつも朝になると、なぜオレは起きるのか分からない」
「オレのおふくろだがね、花瓶が割れるようにポックリ逝っちゃったよ」
ブランドは母を尊敬していた。
友人「あれほど美しくて、魅力的な両親は想像できまい。ビックリしたのは、マーロンは2人の前ではまるで模範的な息子だった」
父は石灰石製品のセールスマンで、ブランドは3番目の子ども。田園では雌牛の乳搾りをする役目だった。
母は、どこに住もうと、その土地の演劇クラブの主役をして、その憧れが子どもに影響し、
フランシスは画家、ジョスリンはプロの女優。ブランドは17歳で聖職者になりたいと言った。
話し合いの結果、希望は絶たれ、膝疾患のせいで入隊もできず、NYに出て来た(運命だな
「オヤジはオレに無関心でね。何をしても喜ばせることはできなかった」
「だが、おふくろは、オレにとって全世界だった。おふくろはオヤジを家に残しオレと一緒に暮らしたが、
オレの愛は充分じゃなかった。おふくろは帰って行った。そしてある日、オレにとりすがって、オレは離した。
それ以上抱きかかえていられなくなったんだ。
ポックリ逝くのを見つめて、オレはおふくろをまたいだ。その時からオレは無関心なままだ」
TCは小1時間かかる自分の宿に着くまで迷い、ブランドの映画ポスターを見つける『八月十五夜の茶屋』。
●文体―および日本人(1955)
私の家族以外の交際で初めて印象に強く残ったのは、ミスター・フレデリック・丸子という日本の老紳士だった。
丸子は、ニューオリンズの花屋をやっていて、私が会ったのは6歳だったろう。
彼が突然セント・ルイスへの船旅の途中で亡くなるまで、10年間、たくさんのオモチャを作ってくれた。
その遊ぶには精妙すぎるオモチャが、私の最初の美的経験だった。
何年か後、紫式部や、『枕草子』を読んだり、歌舞伎や、3本の映画『羅生門』『雨月物語』『地獄門』を観た時、丸子を思い出した。
日本人は、形と色に完璧な音感を持っているようだ。
高度の文体が西欧演劇の長所になったことは一度もない。
やや近いものは王政復古期喜劇だろう。日本人の文体感は、長い、美しい美的思想の集積だ。
アーサー・ウェイリーが言ったように、この思想の基底にあるのは「恐れ」。
「明晰なるもの」「露骨なもの」への恐れだ。
9Cにおいては、文通はほとんど詩でなされた。
その慣習は今でも一般的だ。確かに我々が受け取るものはコミュニケーションの詩なのである。
【知られざるノンフィクション・ノヴェル/青山南 内容抜粋メモ】
『犬は吠える』の名付け親は、フランスの文豪アンドレ・ジッドだそう。
「犬は吠える、がキャラヴァンは進む」というアラブの諺があると言った。
犬は評論家ども、キャラヴァンは芸術家の活動のこと。
これらの短編は、書評では好評でも、一般の関心は集めなかった。
いろんな資料を調べると、このノンフィクションは「『ポギーとベス』のソヴィエト公演随行記」と紹介されるだけ。
TC「結局、芸術は蒸留水ではない、個人的な知覚、偏見、選択感覚が無菌の真実の純粋性を汚すからだ」(序文より
本書は『冷血』後に刊行され、旧作の意図をようやく口にし、読者も了解できた。そういう意味では10年早すぎた。
これは2つのカーテンの裏側を描いている。1つは「鉄のカーテン」、もう1つは舞台のカーテン。
(この後、南さんは“1980年代の今となってはちょっと古臭い”などとちょっと批判もしているが、それこそ、犬の遠吠えでは?
【訳者あとがき 内容抜粋メモ】
『冷血』後、その前に出版された『ローカル・カラー(1951)』『観察記録(1959)』の3冊に数篇を加えて1冊にした。
カポーティが豊かな地平を広げたノンフィクション、ルポルタージュという文学ジャンルは、ますます隆盛になっている。