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『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)vol.2

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『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)
ハワード・ジン/著 レベッカ・ステフォフ/編著 鳥見真生/訳

『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)vol.1


************1980年代、不信感は払拭されたか?

マリアン・ライト・エデルマン(児童防衛基金を創設)は、
子どもの健康対策事業から8800万ドルの予算を削られたため、「セーフティネットの穴」について伝えたかった。

大勢が、自分は将来家族を養えるか? 貧困層にすべり落ちるのでは? 環境汚染の懸念も生まれた。

共和党、民主党の二大政党は、歴史家リチャード・ホフスタッターが『アメリカの政治的伝統』と呼んだものにしがみついていた。
それは「資本主義」と「国家主義」だ。

民主党のジミー・カーターはほんの少し、リベラル側に向けた。
公民権運動家の黒人アンドリュー・ヤングを国連大使に任命したのだ。
また、「アパルトヘイト」を廃止するよう勧告した。

『ネルソン・マンデラ』(鈴木出版)

南アフリカが無秩序になると、設置してあるレーダーシステムによってアメリカの権益が脅かされるため。
(このレーダーは、多数の国の航空機、人工衛星の監視に必要)

南アフリカは、工業分野で不可欠なダイヤモンド産出国でもある。

カーターは、ベトナム戦争後の復興支援に反対し、イランなどの圧制への軍事物資の援助もしていた。
巨額の軍事予算は維持したまま「貧しい児童の牛乳のお代わりを有料にすれば、1年間に2500ドル節約できる」と発表した。


レーガン政権下、富裕者と貧困者の格差が拡大
レーガンとブッシュはよく似ていた。貧困層の援助をカットし、軍事予算をアップ
連邦裁判所には右寄りの判事を選び、体制側に有利な法解釈をする保守派を任命して死刑を復活させた。

100万人以上の児童が、無料の給食を受けられなくなった。

ある母親は新聞に書いた。
“この国には、職探しに役立たない職業紹介所、まともな政治をしない政府、
 働きたい者に仕事を提供しない経済システムがあるように感じられます。”

「福祉」という言葉は政治的な意図で使われるため、1992の世論調査では「福祉に多額が支払われている」という回答が44%あった。

1980年代の企業のトップ役員は、工場労働者の平均サラリーの40倍の報酬を得ていて、1989年には93倍にまで拡大していた。
(93倍って・・・何
下層階級(黒人、ヒスパニック、女性、若者)が深刻な経済打撃を受けた。


ソ連崩壊、「湾岸戦争」

「ベルリンの壁崩壊」
1989 たった一夜で共産主義政府の旧体制は崩壊した。

1991「ソ連崩壊」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%B4%A9%E5%A3%8A
アメリカは、それまで自国をソビエトの脅威から守るために数兆ドルを税金として徴収し、軍を展開してきた。
その脅威が消えた。軍事力はまだ不可欠だと証明するため、4年間に2つの戦争をした

1989 中央アメリカのパナマに対して。市民居住区への爆撃で数千人が死んだ

1990 イラクがクウェートに侵攻。“イラクの核爆弾製造を阻むため”と説明して開戦

1991 数ヶ月後、イラクの独裁者サダム・フセインの危険性を説き、ペルシャ湾岸に50万の兵を送った。「湾岸戦争」
戦況情報は軍と政府が厳重に統制。

この戦争の目玉は「スマート爆弾」という空対地ミサイル。軍事目標だけを狙い撃ちすると謳ったが、
実際は女性、子どもを含む何千人のイラク市民が死んだ。戦争は6週間しか続かなかった。
戦後、飢餓、病気で、さらに何千人の子どもが死んだ。

黒人詩人ジューン・ジョーダンは戦争で勝つ喜びをこう語った。
“クラック(高純度のコカイン)が一瞬グッと来るのと同じ。快感は長く続かない”


************反戦と労働運動

1960 「ピードモント平和活動」工場から出された有毒物質で父を亡くしたリンダ・スタウトが起こした。

「フード・ナット・ボムズ(爆弾ではなく食料を)」
1990 活動家キース・マクヘンリーは繰り返し逮捕された。貧しい人々に無料で食料を配る許可を得なかったため。

「核兵器反対運動」
1970年代からあった。1980年代には女性が主導的となり、2000人の女性がペンタゴンまで行進した。
“社会的責任をになう医師団”が結成される。

1981 55日間、ラッシュアワー時に主要道路を封鎖。
軍事費のための福祉の予算カットに国民は気づいていた。財源は「銃」に使われていた。

マリアン・ライト・エデルマン
“最大の犠牲者は子どもたちです”

1982 NYセントラルパークでの大衆集会はかつてない規模だった。

メキシコ人、「ラティーノ」(ラテンアメリカ人)の子孫も声をあげた。
「ラティーノ」はアメリカ総人口の12%を占め、黒人と同じ割合となり、音楽、芸術などに影響を与えている。

チャールズ・ハットーはミライ地区での虐殺に加わった元兵士だった。

“時には自分で判断しろ、国のことは忘れて、自分の良心に従えと、私は知りませんでした。
 ベトナムへ行く前に誰かに教えてもらっていたらと思います。戦争は人の心をメチャメチャにします。”

「湾岸戦争」の抵抗・抗議活動は、開戦の数ヶ月前からあった。
開戦後、メディアには“愛国的”な意見があふれ、大多数のアメリカ人は戦争を支持した。

大学生パトリシア・ビッグズはプラカードに「教えてほしい、戦争ではなく平和を」と書いた。

“この戦争は経済の問題だと思うのです。イラクに関係しているのは、巨大な石油会社です。
 私たちは、金儲けのために、国民の命を危険にさらしています。”


コロンブスをめぐる問題
1992年はコロンブスのアメリカ大陸到着から500年目。
インディアンは声をあげようと決意した。

体制側の知識人は、“アメリカの歴史は、無人の荒野へのヨーロッパ文明の展開である”と考えていた。
インディアンは、従来の歴史観を変えるため、
“コロンブスはインディアンを虐殺し、黒人は自由を否定され、女性は不平等な扱いに苦しんできた”と言った。

1990年代 アメリカの政界は、とんでもなく裕福な企業に牛耳られ、マスメディアも所有された。



************世界最大の武器輸出国アメリカ

ノーベル平和賞を受けたジョゼ・ラモス・ホルタは語った。

“21歳の妹が空爆で死に、17歳の弟がベル社のヘリコプターに攻撃されて死に、
 別の弟もアメリカ製のライフル銃で処刑された。
 なぜ、アメリカはそこで戦争をしていないのに、アメリカ製の武器が、地球の反対側にいる人々の命を奪ったのか?”

答えは、アメリカがインドネシアに軍事援助をしていたからだ。
アメリカは、20C終わり、世界最大の武器輸出国になった。

アイゼンハワー:
“すべての軍艦、ロケット弾は、飢えている、凍えている人々からの、盗みの結果だ”

1990 ビル・クリントンが大統領だった8年間も同じだった。
「新しい世紀には、新しい政府が必要だ」という公約は守られず、選挙に勝つことに関心があった。
福祉財源のカット+軍備増強を訴えた

1996 共和党、民主党は「犯罪法案」を可決。死刑を増やした。
大統領はみな、権力にとどまる手段として、国民の怒りの矛先を、アメリカに敵対的な外国に向け、
アメリカの社会体制の欠陥に気づかれないようにしてきた。


世界一“裕福な国”アメリカ
1995 1%の「スーパー富裕層」に1兆ドル以上の収入が入ったが、これは国の財貨の40%にあたる。
反面、健康保険に加入していない人は4000万人もいる。他国よりアメリカの赤ん坊は病気、栄養不良で大勢死んでいる。

これを解決するには2つの財源から資金を引き出すことが必要。1つは「軍事費」。
それは、世界各地の「アメリカの軍事基地の閉鎖」を意味する。
しかし、軍事予算は上がる一方で、年間約3000億ドルになった

もう1つは「スーパー富裕層」への課税。「富裕税」があれば改善する。
クリントンはほんのわずか引き上げた。
クリントン政権が終わる頃、200万人以上が増やされた刑務所に入っていた。
アメリカは、中国を除いて、囚人が全人口に占める割合は世界一だろう。


健康保険制度
世論調査では、国民全員のための「健康保険制度」に賛成だった。
みんなが結束していたら、富を再分配する経済体制が作られていたかもしれない。

ハーバード大学での抗議活動は、共通点のないグループでも、力を合わせれば目標を達成できる好例だ。
用務員らの劣悪な労働条件に対して、学生とキャンパス労働者が協同して最低生活賃金を獲得する運動だ。
マット・デイモン、ベン・アフレック(父がこの大学の貧しい下働きだった)も賛同した。

1999 シアトルでの抗議集会では巨大な多国籍企業が生活を圧迫していることを知らせようとしていた。
「WTO(世界貿易機関)」の最終目標は、「自由貿易協定」を通じて、世界中に資本主義の原理を広めることだった。

数百人が逮捕されても、抗議運動は続き、ニュースは世界中に報じられた。


************アメリカと“テロ”

2000 共和党候補はジョージ・W.ブッシュ、民主党はアル・ゴア。

マクドナルドの店長で、低賃金をわずかに超える給料の女性は言った。
「私たちはどちらにも関心がない。変わりっこないもの、私たちの人生は」
投票日には、有権者の半分は投票所に行かなかった。2人の違いが分からなかったから。

ブッシュは、石油業界と深く結びついていることで知られていた。
ゴアも大企業から援助を受けていた。

実は、ラルフ・ネーダーという3人目の候補者もいた。
彼は医療、教育、環境保護計画を用意していたが、全国放送のテレビ討論から締め出された。


疑惑だらけのフロリダの一般投票
一般投票では、ゴアがブッシュより何十万票も上回った。
フロリダ州知事はブッシュの弟だった。フロリダではブッシュが勝ったと宣言した。
再集計を求めたが、アメリカ司法の頂点、アメリカ合衆国連邦最高裁判所の9人のうち4人の判事は
再集計すべきだと言ったが、残りの保守派は再集計を中止。


●2001.9.11
選挙から9ヶ月後、ハイジャックされた民間機が世界貿易センターと、ペンタゴンにつっこんだ。
アメリカの富と権力のシンボルである建物を攻撃したのは、中東、大半がサウジアラビア出身の19人の男たち。
彼らは、敵国に致命的な一撃を与えて、喜んで死んでいった。

政府は、これは過激なイスラム教徒オサマ・ビン・ラディンが指揮したと断定し、アフガニスタン空爆を決意
ブッシュは彼を捕捉か殺害して、“アルカイダ”(戦闘的イスラム組織)を壊滅させるつもりだったが、
5ヶ月経っても彼は捕まらなかった。

テロリズムを力でくじくことはできない。
歴史で明らかなように、国家が軍事力でテロ行為に反応すれば、さらに多くのテロを招くのだ。

アフガニスタンは1979年、ソ連侵攻を受け、内戦、アメリカ空爆で荒廃した。
空爆では1000人以上の民間人が犠牲となった。

連邦議会は「愛国者法」というテロ防止法を可決。
疑わしいという理由だけで、イスラム教徒1000人以上が拘束された。
ある男性は、ジムに行き、ブッシュを批判したらFBIに尋問された。

遺族の中には、大統領にこう手紙を書いた。
「暴力に対して暴力で報いないで欲しい。私の家族も私自身も、そうした怒りの言葉に慰められないことを
 政治家のみなさんにハッキリ申し上げたい。」

遺族の中には、アメリカの空爆で愛する人を失ったアフガニスタン人の遺族に会いに現地に行く者もいた。
テロを止めるには、彼らの不満に耳を傾けなければならないのだ。

サウジアラビアには以前、アメリカ軍が駐留し、その国にはイスラム教の第一の聖地メッカがあった。
アメリカは10年間、イラクが他国と交易できないようにし、医薬品や食料不足で何十万人の子どもが死んだ。
こうした問題を解決するには、アメリカが各国に置いた軍事基地を撤収し、政治的、経済的干渉を止めればいいのだ。

元アメリカ将校ロバート・ボウマンはこう書いた。

「我々が憎まれるのは、アメリカが、第三世界(そこには多国籍企業が切望してやまない資源がある)の人々に
 そうしたものを与えないからだ。アメリカが蒔いた憎悪という種は、テロという形で戻ってきた」


************世界で2番目の石油埋蔵国イラク

9.11以来、アメリカは「テロとの戦い」を“任務”にするようになり、またイラクとの戦争を始める
アメリカ指導者は、アフガニスタン侵攻のおかげで、「タリバン」を追い出し、女性は解放されたと主張し、
民間人数千人が死に、何十万人が家を失ったことを正当化しようとしたが、
アフガニスタンの女性はそんな事実はないという。

タリバンに代わり政権を握ったのは「北部同盟」。
彼らはカブールをはじめに残虐行為を繰り返していた。

侵攻から16ヶ月後、支援物資を運ぶスコットランド人は言う。
“ここには、世界でもっとも多くの「地雷」が埋められている。子どもの25%は5歳まで生きられない。”

『地雷のない世界へ はたらく地雷探知犬』(講談社)

アメリカの暴力は、逆に中東の人々の怒りを買い、さらなるテロリストをつくり出した。


イラクの大量破壊兵器疑惑は石油のためのウソ
9.11にイラクが関与している証拠はまったくないまま、ブッシュらは“イラクは核爆弾製造を計画している”と国民に思わせようとした。
国連チームは、イラク全土を数百回、査察しても、「大量破壊兵器」は見つからなかった。
政府は、イラクの少数民族クルド人5000人を毒ガスで虐殺したというフセインの過去の行為を明らかにした。
その1988年当時、アメリカは非難の声を上げていない。

1980「カーター・ドクトリン」で、アメリカはいかなる手段でも中東の石油の利益を死守する立場にあると主張。
2002 ブッシュ政権は、アメリカは単独でイラクに軍事行動を起こすと宣言。これは『国連憲章』違反だ。

「イラクの自由作戦」と呼ばれた大規模な攻撃で数百人のアメリカ兵が死に、イラクの一般市民が数千人死んだ。
サダム・フセインを逮捕した後も、イラクとの武力衝突はおさまらず、アメリカ軍は何千人ものイラク人を捕虜にした上、
「拷問」している写真が公表された。拷問はアメリカ国防長官の承認が得られていた。

彼らは、国際法で定められる「戦争捕虜」としてでなく「違法敵性戦闘員」と呼ばれ、基地に拘置され、拷問され、中には自殺者も出た。

2006 アメリカ兵の戦死者は2500人以上、イラク人は数十万人が死んだ。
政府は、戦死者の棺、手足を失った帰還兵の姿を国民の目から隠そうとした。


息子を戦死させられたシンディ・シーハンは、テキサス州のブッシュの牧場近くにキャンプを張り、泊まりこんだ。
「真実を語ってください。私の息子は石油のために殺されたのだと」

入隊したディエドラ・コブは、自らを「良心的兵役拒否者」と呼んだ。
「たとえ多くが死んでも、最後は善が現れるはずだと信じていたが、そこにこそ私の誤りがあった。戦争に終わりはないのだ」

三等軍曹ケビン・ベンダーマン
「頭からその光景を追い払うことができない。爆撃された村、共同墓所に投げ入れられた死体を食らう犬、
 8、9歳の少女がひどい火傷で火ぶくれとなった片方の腕、その泣き叫ぶ声が忘れられない」


軍は、新兵獲得のため、ティーンエージャーに目をつけ、ハイスクールのカフェテリアにいる学生に近づいた。
反戦運動グループも学校を訪問し、違う話を聞かせた。

CBSテレビの人気報道番組「60ミニッツ」のコメンテーター、アンディ・ルーニーは、
5月30日の「メモリアル・デー」に、自分は第二次世界大戦の帰還兵だと打ち明け、
「せめて、この日をこれから死ぬかもしれない若者の命を救う方法を考える日にしたい」と語った。

保守的なユタ州の市長ロッキー・アンダーソが、ブッシュを「戦争好きで、嘘つきの、人権を踏みにじる大統領」と呼んだ時、
数千人の人々から歓声があがった。



************「ハリケーン・カトリーナ」が教えたアメリカ

ブッシュ政権は、とくに不法にアメリカに来たメキシコ移民に対する怒りを広めた。
彼らはアメリカ経済を下支えしていたが、アメリカ人から仕事を奪っているという考えが広まった。

連邦議会はカルフォルニアとアリゾナの国境線沿いに750マイルのフェンスを建てたが、
そこは、かつて1840年代にアメリカがメキシコから奪い取った土地だった。

2005 大規模なデモが起きた。「不法な人間などいない」

2005.8 「ハリケーン・カトリーナ」がニューオリンズを襲った。
世界中が驚いたのは、アメリカ政府がなかなか救出しないことだった。
新聞の写真には、貧しい黒人が写っていて、世界の人々はアメリカに対する思い込みに気づいた。
アメリカ政府は、桁外れな金を戦争と帝国の建設にそそぎこむことに夢中だと分かった。

2006 中間選挙の最重要課題は、泥沼化したイラク戦争、それに垂れ流される軍事費について。


************アメリカの未来

「なぜこうした本を書こうと思ったのか?」とよく聞かれる。
私は従来と違う歴史書を書きたいと思った。

『アメリカ合衆国憲法』を作ったのは、特権階級の55人の白人男性で、
彼らは自分たちの既得権を守る、強力な中央政府を作ろうとした。

歴史についての教育、書物がいかにねじ曲げられてきたか、歴史研究をはじめるまで気づかなかった。

白人のもっている歴史観とは、
「そうえば昔はインディアンがいたのに、いつのまにかいなくなった」
「黒人は奴隷の時はよく見たけど、解放されたら見えなくなった」
彼らが大量虐殺されたことが語られることはほとんどなかった。

私は本書のタイトルを『People's History(民衆のアメリカ史)』とした。
たいていの歴史書には、危険に見舞われた時、私たちは救済者に頼らざるを得ないと書かれている。
私たちの役割は、4年に1度、投票所に行くことだ、と。

だが、自身の力で抵抗したこともあった。
体制側(政治家、軍の幹部、大企業のトップでなる社交クラブ)は、変革の過去などなかったことにしたいと思っている。

本当に社会を変えてきたのは、黒人、女性、インディアン、若者、労働者だった。
だが、歴史書には、政府の指導者にだけスポットが当てられる。

私たちは、“公平で、ムダを出さない経済”を作り直さなければならない。
変革は、賞や罰という従来のシステムでなく、人と人との協力で実現しなければならない。
重要な決定は、同等の立場で働く、少人数のグループで下すのが良いだろう。
選択次第で結果も変わるのだと心にとめておきたい。


19Cの詩人パーシー・シェリー

まどろみから覚めたライオンのように 立ちあがりなさい
打ち負かされることのない数をもって!
その体を縛る鎖を 大地へとふり捨てなさい
眠っている間に身を濡らしていた露を ふり払うがごとくに
お前たちは多く 彼らは少ないのだから!


************

【訳者あとがき(2009)内容抜粋メモ】
現代の私たち日本人は、アメリカ発の情報にどっぷりと浸かって暮らしている。
アメリカン・イングリッシュを学び、アメリカは“自由と平等の民主国家”だと教えられてきた。
だが、ここに描かれているアメリカは、“差別”“貧困”“戦争”の国だ。

著者ハワード・ジンは、オーストリア・ハンガリー出身の父と、東シベリア出身の母との間に、
1922年、ユダヤ系移民の貧しい労働者階級の子として、NYで生まれた。
若き日の海軍造船所での労働、組合活動、第二次世界大戦の従軍体験がある。
除隊後は、アトランタの黒人女子専門のカレッジで歴史学教授になり、1963年、公民権運動を理由に解雇された。

本書は2006年で終わっているが、その2年後、初の黒人大統領バラク・オバマが選ばれた(何が変わったのかねえ

本書をぜひ若い人たちに読んでもらいたい。
アメリカの歴史が分かれば、国際情勢、日本の現状、政治経済について自分の意見を持てるようになるだろう。

なお、「インディアン」という呼称は、近年、国際的に蔑称ではないという認識があり、原著の通りにした。




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