■『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 下 1901-2006年』(あすなろ書房)
ハワード・ジン/著 レベッカ・ステフォフ/編著 鳥見真生/訳
学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 上(1492-1901年)(あすなろ書房)
上巻では、コロンブスがアメリカ大陸に足の乗せた瞬間から
ネイティヴ・アメリカンの大虐殺が始まり、
その後も“インディアン”“黒人”“女性”たちへの「人種差別」が受け継がれていったことを学んだ。
下巻では、アメリカがどれだけ巧みに国民を騙しながら戦争を生み出していったかが語られてゆく。
「第二次世界大戦」と、未だに暗い影を残す「ベトナム戦争」を経てなお、
“愛国心”と“資本主義”が戦争を支持していることに驚く。
国はもはや政治家ではなく、巨大企業に乗っとられ、貧困の格差、戦争は永久になくならないのでは?と思われるが、
1970年代に湧き上がった「ストライキ」「シットイン」など、最初は勇気ある少数の行動が、やがて全国に広がり、
国、政治家、大企業に頼らずとも、自助力、結び合い、助け合うことで、大きな力と戦う歴史からなにか学べるかもしれない。
けれども、アメリカも、その下にある日本も、まだまだ「お金」「数%の富裕層」の力、歪んだ歴史書の中にいる。
この2冊の本が、子どもたちの教育に普通に取り入れられるようになれば、なにか変わるだろうか?
【内容抜粋メモ】(誤字脱字、メモに誤りがあったらすみません/謝
アメリカスペイン戦争後、無政府主義&女性解放論者エマ・ゴールドマンいわく
「この戦争の原因は砂糖の値段だった。アメリカ人の命、血、金は、アメリカの資本家の利権を守るために使われていたのだ」
『野生の呼び声』を書いたジャック・ロンドンは、『ジャングル』の中で、シカゴの生肉業界のショッキングな実態を曝露し、
アメリカ政府は生肉業界を規制する法を定めた(また今の日本とリンクした
「マックレイカー」と呼ばれるジャーナリスト、作家らも政治の腐敗ぶりを暴いた。
企業は、さらに生産性をあげ、金儲けするため、工程をいくつもの単純作業に分ける「分業」を編み出した。
これなら職人を雇わずに済み、機械同様、ヒトも交換可能となり、個性、人間性は奪われた。
NYの大勢の移民は「スウェットショップ」(縫製工場、搾取の象徴)で「出来高払い」で働いていた。
1909 女子工員がストに入った。そこで火事が起き、雇用主により違法に施錠されていたため、若い女性工員146人が死んだ。
「労働運動」はますます盛んになり、メンバーは熟練労働者の白人男性で、黒人は加入できなかった。
「AFL(アメリカ労働総同盟)」は“グーン”という用心棒軍団にガードさせ、批判的な組合員を痛めつけていた。
新しいタイプの「IWW(世界産業労働組合)」が結成された。組合員は“ウォブリー”と呼ばれ、暴力には暴力で応じた。
「労働者が1人殺されたら警官を1人殺す」と言った。
IWW組織者の多くは無職者か、季節労働者だった。ジョー・ヒルもその1人。
貧困者を見て見ぬふりをする教会に対して、歌った。
♪働きなさい 祈りなさい 干草を糧にして
死んだら食べられますとも 天国でパイを
ヒルは食料品店の店主を殺した罪で逮捕された。証拠はなかったが、銃殺刑となった。
「アナルコ・サンディカリズム」は、経済システムを停止させて権力を握ろうというものだった。
*
アメリカの「社会主義」は、ユダヤ人、ドイツ系民からスタートした。
1901 アメリカ社会党が生まれた。
多くの女性は社会の変革より「参政権」を得ることに関心があった。
社会主義者のヘレン・ケラーは、言った。
「この国の民主主義は名ばかりです。似たり寄ったりの候補者2人のどちらかから選ぶしかないのだから」
貧しい黒人女性は言った。
「職場で辛い目に遭い、家では黒人の男から虐待されています。奴隷扱いなのです!」
1905 W.E.B.デュボイスにより「ナイアガラ運動」がはじまり、
5年後、「NAACP(全米黒人地位向上協会)」が結成されるが、白人手動だった。
歴史書でいう20C初頭の「革新主義時代」
理由は、食品や医薬品の安全確保などの新しい法が制定されたから。
第26代ローズベルト大統領は「トラスト破壊者」として名を売っていた。
みな変化を嫌い、権力・資産の現状維持を気にかける「保守派」だった。
社会党は躍進。
1913 コロラドの炭坑ストは暴力的な「階級闘争」となった。
州知事は鎮圧のために州兵を出し、ロックフェラー家が費用を負担
1914 ストに参加していた女性と子ども13人の死体が見つかる。当局側は誰も罪に問われなかった。
************第一次世界大戦(1914~1918)はアメリカを潤わせた
第一次世界大戦は、ドイツvsフランス+イギリス連合軍の戦い。
社会主義者はこの戦争を「帝国主義戦争」と呼んだ。
フランスとドイツが、東欧、中東の勢力範囲をめぐって戦い、開戦後3ヶ月で、イギリス陸軍兵士の大半が死んだが、
国民に正確な死傷者数は知らされなかった。
毎日1000人単位で死んだのに「西部戦線異状なし」と言われ、
後に作家レマルクは小説に書いた(映画化もされたね
1917 アメリカが参戦 北大西洋の航行権問題が理由。
イギリスのルシタニア号が沈没し1200人が死んだ。客船と主張されたが実は武装していて、弾薬輸送中だった。
ヨーロッパでの戦争は、アメリカ経済を潤わせた。連邦議会はドイツに宣戦布告
志願者が足りず、議会は男性を強制的に入隊させる「徴兵制」を認める。
「スパイ法」が制定され、戦争反対者を弾圧、投獄した。
社会主義者チャールズ・シェンクは言論・出版の自由を主張したが、最高裁は有罪とした。
社会主義のリーダー、ユージン・デブスの事件も最高裁にもちこまれた。
「有史以来、戦争は征服と掠奪が目的だった。支配階級はつねに宣戦布告をし、実戦に駆り出されるのはいつも支配されている者なのだ」
デブスは禁固10年を宣告された。
出版界も政府と組んで、ひと役買った。
男たちは「アメリカ自警団」に入り、戦争反対演説を阻止した。
「広報委員会」は、互いに隣人の様子を監視させた。
司法省は「アメリカ護国連盟」の後ろ盾となった。メンバーは銀行家、産業界のリーダー。
なぜここまでしたのか? 理由は国民が戦争を拒否したから。「徴兵忌避者」が33万人以上もいた。
IWWはこう書いた。
「アメリカの資本家よ、我々は諸君のために戦うつもりはない! これは事業家のための戦争ではないのか」
IWWメンバーは有罪とされ、事実上潰された。
1918 終戦 5万人以上のアメリカ兵が死んだ。
議会は「エイリアン(移民)は国外追放できる」という法を制定した。
NYのFBIにアンドレア・サルセドという無政府主義者が2ヶ月監禁され、死体で見つかり自殺とされた。
その後、友人も逮捕された。映画『死刑台のメロディ』の題材とされた
************狂乱の1920年代、大恐慌
1919 インフルエンザが世界中で猛威を奮った。シアトルの造船所労働者がストに入る。
参加者たちは、各家庭に牛乳を届けたりして5日間平和に続いたが、当局は39人のIWWメンバーを投獄した。
「ゼネスト」
ゼネラル・ストライキ(general strike)とは、労働者が団結して行う労働争議の一形態で、
一企業や組織によるストライキではなく全国的な規模で行われるストライキのこと。
当局側は「ゼネスト」に脅かされた。時代は、王を退位させた「ロシア革命(1917)」など変革の時を迎えていた。
1920年代は、“ジャズエイジ”と呼ばれ、繁栄の時代と思われている。
しかし、富の大部分はピラミッドの頂点にいる少数者に限られた。
移民が増え、白人は優遇されたが、東欧のラテン系、スラブ系、ユダヤ系には厳しい入国制限が課せられた。
「KKK(クー・クラックス・クラン)」が復活。
1920 ついに女性は参政権を勝ち取ったが、上流・中産階級に限られ、変わらない政党を支持し続けた。
国内に「共産党」が成立。
株価はかつてない高値になった。
1929 株式市場が大暴落
銀行も投資していたため、人々は預金をおろせなくなり、かつてない経済危機となる。
5000以上の銀行が閉鎖され、何千という会社が倒産。
国内には何百万トンの食料があったが、輸送して売っても利益にならないため放置され、飢餓となり、空き家が増えた。
シカゴでは、ボロをまとい、頬のこけた500人の生徒が、学校給食を求めて行進した。
第一次世界大戦の退役軍人は、職、金も失った。
大統領フーバーは彼らを排除せよと軍に命じた。
1932 フランクリン・D.ローズベルト大統領が「ニューディール(新規まき直し)」政策を打ち出す。
「全国産業復興法」を定めるが、2年後、裁判所は憲法違反とした。
人々は「自助行為」に出るしかなかった。
漁師、農家、材木業者の間で、物々交換が行われた(近隣での助け合いが一番いいんじゃない?
人々は、必要なものは自分たちで賄えると気づいた。
「座り込みストライキ」など、アメリカ最大のストライキが決行された。
スト委員会は、娯楽、勉強会、郵便サービス、衛生管理の部門を作った。
政府は労働運動に介入しはじめた。「全国労働関係委員会」
労働者の反抗エネルギーを、労使間の団体交渉へ振り向けようとし、
州政府は、ストやスト破りが出ないよう監視するピケ行為をしにくくさせる法律を成立。
1930年代後半 大恐慌の最悪の時期が過ぎ、
1938 1週間の労働時間は40時間に制限、児童労働が禁止され、低所得者向けの公営住宅を建設。
だが、黒人は、小作農、農場労働者、家事使用人、季節労働者のため、「ニューディール」政策から何も得られなかった。
詩人ラングストン・ヒューズ「アメリカをふたたびアメリカたらしめよ」
“ここは食うか食われるかの国 強きが弱きをくじくところ”
「ニューディール」政策では、芸術分野に資金が投入され、労働者階級が初めて演劇を観た。
支援は1939年で打ち切られた。
ヨーロッパではヒトラーが勢力を拡大し、日本は中国を侵略していた。
************第二次世界大戦
第一次世界大戦からわずか20年後、第二次世界大戦がはじまった
第二次世界大戦はアメリカにとって時に“最も人気の高い戦争”と言われる。
ドイツとイタリアは同盟「枢軸国」と呼ばれる対抗したのが「連合国」。
日本は「スズ」「ゴム」「石油」を求めて中国に攻め入った。
1941 「真珠湾攻撃」をきっかけにアメリカは参戦。ヨーロッパでの参戦の口実となった
イギリス、ロシアが連合軍に入った時のアメリカの最大の目標は何だったのか?
アメリカの政府高官はフランス政府に対し、帝国の地位を戦後に回復できるよう密かに約束していた。
イタリア、ドイツは軍事目標ではなく「民間人」を攻撃した。
ローズベルトは非難したが、1000機以上の連合軍は、ドイツの都市を爆撃した
戦時中の新聞見出しは、部隊の動きに関するものだけ。
その陰で、外交官、事業家は、戦後はアメリカが世界一の経済大国になれるよう画策した。
詩人アーチボルト・マクリーシュ
“我々が築こうとしている平和は、石油、金、通商のための平和のようだ”
ドイツは600万人のユダヤ人、数百万人の少数民族、反対者を抹殺「ホロコースト」。
ヒトラーは、白人のドイツ民族を「アーリア人」「ノルディック」と呼び、他より優れていると主張。「民族的優位性」
アメリカはこの間、悲運の人々を救わなかった。
アメリカの軍隊でも、黒人と白人は隔離されていた。
「血液銀行」をつくった黒人医師チャールズ・ドリューは、血液の分離保存をやめさせようとして解雇された。
黒人系新聞より:
“ドイツ兵だろうと 日本兵だろうと 恐れるものはここにある それはアメリカだ!”
国内では日本人への悪感情が急激に高まり、“強制収容所に入れろ”と下院議員が発言。
当時、西海岸に1万1000人の日系がいて、3/4はアメリカで生まれたアメリカ市民だった。
日系アメリカ人は、捕虜のように内陸部の仮設の建物に送られ、3年以上も隔離された。
1945 ドイツが降伏
日本も降伏しようとしたが、天皇制を維持することを条件にした。
もし、アメリカがこれに同意していたら、日本は戦いをやめただろう。
1945.8 広島と長崎に原爆投下 日本降伏
もし、日本がソ連に降伏していたら、ソ連が戦後の日本を支配したはずだ。
愛国心に沸く中で、断固、戦争に反対したのは社会主義労働者党だった。
約35万人が徴兵を忌避、入隊しても戦いを拒否。史上最大のストが起きた。
軍需物資会社が莫大な利益を上げ、、農産物の価格も上がった。
世界最大の複合企業の1つ「ゼネラル・エレクトリック社」社長は、
“企業と軍は、永続的な戦争経済をつくるべき”と主張した。
************冷戦
ソ連アメリカはライバル関係にあった。ソ連は戦禍から復興、軍は勢いを回復。
アメリカ政府は「共産主義」の恐ろしさを強調した。
中国は世界一人口の多い「共産主義国家」となったため、アメリカ人の恐怖はさらに煽られた。
「保守派」と「リベラル」
「リベラル」は、進歩や変革を支持する。
政府は冷戦への支持のため、「保守派」と「リベラル」の団結をもくろむ。
国連(戦時中に創設され、アメリカが幅をきかせていた)は、韓国への援助を求め、
アメリカ軍は国連運として北朝鮮を攻撃したため、中国が北朝鮮に味方をして参戦
3年間の戦争で、200万人が死に、国土は荒れ果てたが、2国の国境線は変わらなかった。
赤狩り
中国では「共産党政権」が生まれ、アジア、アフリカの植民地はヨーロッパからの独立を求め革命を起こした。
これらはすべて「共産主義」の陰謀としてアメリカ国民に知らされた。
共産主義者、国家への反逆者は裁判をへずに強制収容所に入れられる法を作る。
ジュリアス、エセルのローゼンバーグ夫妻はスパイとして処刑された。
************立ち上がる黒人、公民権運動
黒人の詩人クロード・マッケイ
“死ぬしかないにしろ あっさり殺されたりはしない”
共産党に入り、体制に抵抗する黒人もいた。
1930年代 共産主義者らは貧困者を援助する委員会をつくり、組織者が逮捕された。
世界中の非白人から“アメリカは人種差別の国だ”と糾弾された。
1946 トルーマンは軍隊に人種隔離をやめる命を出した。10年かかって撤廃された。
公立学校では、黒人の児童はまだ隔離されていた。
1955 アラバマ州で、43歳の黒人婦人ローザ・パークスは、バスの“白人用”の席に座って逮捕された。
その後、市バスに対して「乗車ボイッコット」をし、徒歩か、クルマの相乗りをして対抗。
ボイッコットを支援した牧師マーティン・ルーサー・キングの自宅には散弾銃が撃ち込まれた。
キングは「非暴力の実践」を説いた。
「シットイン(座り込み)デモンストレーション」が広がる。
「フリーダム・ライド(自由のための乗車運動)」は、ワシントンDCからニューオリンズ行きのバスに乗り、
放火され、鉄パイプで襲いかかられても警察は動かなかった。
「SNCC(学生非暴力調整委員会)」の青年らが協力し、白人暴徒から攻撃を受けて逮捕され、ニュースは全世界に伝わった。
彼らは「ミシシッピ夏期計画」を実行。南部に来て、黒人投票権、不平等反対に参加してほしいと訴えた。
1963 キング率いるワシントンDCへの行進は「私には夢がある!」という演説で有名。
戦闘的な黒人活動家マルコムXはこれを批判した。
“白人は行進に紛れ込んで乗っ取り、まるでサーカスのようだった。”
1965 より強力な投票権法が制定
黒人の教会には爆弾が投げ込まれ、子どもらが死んだ。
1965年までに黒人の半分は北部に移った。
「ブラック・パワー」をスローガンにしたリーダーはマルコムXだった。
1965、演説の最中に撃たれて死亡。彼の自伝は大勢に読まれ、死後のほうが影響力が増した。
1967 史上最悪の都市暴動がスラム街で発生。83人が死んだ。
1976 FBIはキング牧師の暗殺を計画していた、と上院報告書に書かれていた。
1968 キング牧師は腕のいい狙撃犯に射殺された。
(だんだん『X-FILES』ぽくなってきたな
政府は、非戦闘的な黒人グループの指導者をホワイトハウスに招待し、宣伝効果を上げた。
しかし、スラム街の黒人の貧困、失業、犯罪、麻薬、暴力の解決にはならなかった。
************アメリカ最初の敗北「ベトナム戦争」
世界史上もっとも裕福で強力な国が、10年間ほどもかけて、小さな農業国の革命を挫折させようとした。
最先端の軍事技術組織された生身の人間との戦いで勝利したのは人間だった。
「ベトナム戦争」は、かつてない規模の「反戦運動」を生んだ。
アジアの天然資源はだれのもの?
第二次世界大戦以前、ベトナムを支配していたのはフランス。
第二次世界大戦中は日本、終戦時にはついに解放されたと祝典が開催された。
まもなくイギリスとアメリカは、フランス支配に戻そうとし、抵抗されたため
1946 「インドシナ戦争」勃発 “ベトミン(共産主義組織)”フランス
アメリカはフランスを支援。目的は「天然ゴム」「スズ」「石油」。
『写真が語るベトナム戦争』(あすなろ書房)
和平協定で、ベトナムは南北に分割(なんでも分けちゃうね)ベトミンは北部にとどまるが、
アメリカは南北統一を阻むべく、ゴ・ディン・ディエムに南ベトナム政府を作らせ、アメリカ影響下に置く。
1958 南ベトナムでゲリラ攻撃始まる「ベトコン」(北ベトナムの共産主義政権から支援されていた←この辺が何度読んでも分からない
1960 アメリカは数千人の顧問を送り、すでに戦争を始めていた
CIAは役に立たないディエム政権を倒すようベトナム人将軍をそそのかし、ディエムと弟を処刑。
その3週間後、ジョン・F.ケネディが暗殺される。
魚雷の発射を受けたというウソによりアメリカは北ベトナムへの空爆を開始
南ベトナムの村々を「ナパーム爆弾」で破壊。
1968 米軍歩兵中隊はソンミ村ミライ地区で赤ん坊、女性、老人を含め村人全員を溝に入れて、射殺した。
この件は隠蔽されたが、漏れ出し裁判となった。
近くからは450~500人が埋められた墓穴も見つかる。
カリー中尉は終身刑となったが、3年間自宅軟禁されただけ。
アメリカのラオス爆撃
1968 4万人のアメリカ兵が死に、25万人以上が負傷。
「LBJ、LBJ、今日はいったい何人の若者を殺した?」と反戦デモが起こった。
※LBJ=リンドン・B.ジョンソン
国民ははじめからベトナムへの軍事介入に反対だった。
キング牧師
“貧しいアメリカ人に代わって語る。この戦争を終わらせる主導権は我々にあるべきなのです”
退役軍人ロン・コビックは『7月4日に生まれて』を出版、後に映画化された
1968.10.1は全国的反戦デーとなる。
『セールスマンの死』を書いたアーサー・ミラーはホワイトハウスの招待を断った。
女性歌手アーサ・キットは招待を受け「戦争には反対だ」と言って周囲を驚かせた。
1971 『ペンダゴン・ペーパーズ』が外部に流れ、『NYタイムズ』に掲載された。
リチャード・ニクソンは掲載差し止めを求めたが自身の「ウォーターゲート事件」が発覚する。
1975 終戦 ベトナムは社会主義共和国として統一
************女性解放運動、インディアン
ボブ・ディランは1960年代に♪時代は変わる と歌った。
人々は体制を信頼しなくなった。政府、学校、企業、とくに製薬業界という大きな権力を。
言われたことを鵜呑みにしなくなった。
自分で自分のことを決めるには「自由」が必要だと気づき、生き方、働き方、教育、芸術について新たな試みが始まる。
女性解放運動
社会は女性を「妻」「母」「家政婦」として見ていた。
1964 ミシシッピの公民権運動家は「自由の家」で共同生活をしていたが、
そこで女性は男性運動家に対してストを決行。
1966 「全国女性機構」が結成
彼女らは「ミス・アメリカ」に抗議し、ブラジャー、つけまつげ、かつらを「自由の屑入れ」に投げ込んだ。
「男女平等権修正条項」の成立を目指した。
シャーリー・チザム:
“法律は、女性のために何もしてくれない。我々自身で変えなければならないのだ”
これらの活動は「ウーマンリブ」「フェミニズム」と呼ばれた。
中産階級の主婦ベティ・フリーダンは『フェミニン・ミスティーク』を書いた。
「ミスティーク」とは、女性は母や妻の立場に100%満足しているという社会のイメージのこと。
ジョニー・ティルモンは“家事、育児にも賃金を支払うべきだ”と訴えた。
女性に対する社会的支配は、国がしているのではなく、家庭内で行われている。
もし女性が自身を解き放ち、男女が共感しあったら、より大きな体制に抵抗しうるのではないだろうか?
アルカトラズ島を占拠したインディアン
『ノーザンライツ』(新潮社) vol.2
20Cはじめに30万人まで減ったインディアンは、1960年は80万人に増えた。
半分は保留地に住み、半分は各地に散らばっていた。
公民権運動が活発化すると、部族に地域を譲るという昔結んだ条約の問題を政府につきつけた。
インディアンはシットインならぬ「フィッシュイン(強行出漁)」を行った。
1969 “ザ・ロック”と呼ばれ嫌悪されていたアルカトラズ島の使われていない連邦刑務所をインディアンが占拠した。
リーダーはモホーク族のリチャード・オークスら。11月には50部族から600人が暮らした。
半年後、連邦軍が排除して事件は終わる
ニューメキシコのナバホ族は、“土地を返せ”と声をあげ、インディアン文化の復興にも乗り出した。
インディアン史に関する本が次々出版され、生徒たちも動き出した。
1973 サウスダコタ州で「アメリカン・インディアン・ムーブメント」が起こる。
数時間でFBI、連邦法執行官、警察官が包囲し、撃ち合いがはじまり、インディアン120人を逮捕
性の解放など
ゲイ、レズビアンなどは、以前ほど隠さず、差別と戦う団体を作る。
教育現場では、生徒、親、教師が伝統的な教育方針に疑問を抱く。
身体に障害のあるものは、差別から守る法を働きかけた。
1962 レイチェル・カーソンは『沈黙の春』で、化学製品が汚染していると書きベストセラーとなり、
「環境保護運動」のさきがけとなる
「シエラクラブ」「ウィルダネス・ソサイエティ」「アース・ファースト!」などの自然保護団体への参加者が増加。
政府は、水質浄化法、大気浄化法、絶滅危惧種保護法を制定したが、優先的に施行されなかった。
ロナルド・レーガンは、「EPA(環境保護局)」の予算をカットした。
************激動の1970年代
「政府は、自己の利益を追求する少数の巨大企業によって動かされていると思うか?」
「ウォーターゲート事件」
この質問に1972年、回答者の半数が「YES」と答えた。
「ウォーターゲート事件」は初めて大統領を辞任へ追い込んだ政治スキャンダルだった。
ニクソンは2期目を勝ち取ろうと、1972年の大統領選に向けて支持を集めた。
6月、ワシントンDCで5人の男が不法侵入容疑で逮捕された。
彼らはニクソン政権、CIAにもつながっていると発覚。
その他、選挙運動に関わる書類の窃盗、報道機関への虚偽情報の流布、巨大企業の莫大な献金、
国務長官ヘンリー・キッシンジャーは政府役人の電話を盗聴、ニクソンの50万ドル以上の違法な税金控除etc...
ある企業家“我々はただ、違う選手が出る同じ試合を見るだけだ”
政治顧問“腐ったリンゴは捨てなければならないが、リンゴ箱(体制)は救うべきだ”
大統領が代わろうと、共和党から民主党になろうと、体制は変わりなく機能しつづけてきた。
ホワイトハウスに対して大きな影響力を持つのは企業だというのは真実だ。
FBIとCIAの秘密工作
「ウォーターゲート事件」の捜査過程で、ベトナムの隣国カンボジアへの秘密軍事作戦が明るみにされた。
キッシンジャー:
“地上のどこであろうと、アメリカはいつでも行動を起こすべきだ。
それこそ、世界大国でありつづけるという決意表明なのだ”
アメリカ戦闘機は、カンボジアの船を爆撃し、アメリカ人乗員まで攻撃した
なぜフォードは、カンボジア本土攻撃を命じたのか?
答えは、ベトナムに敗れても、強国アメリカはいまだ健在だと世界に示すため。
大統領は軍事行動の前に連邦議会と協議が必要という法は「マヤグエース号事件」で無視された。
「ウォーターゲート事件」のせいで、FBIとCIAのイメージも悪化した。
調査機関はさらに卑劣な秘密工作を暴いた。
CIAは、キューバのカストロ暗殺計画をしていた。
チリ政府の転覆を画策。
「ブラックパンサー党」の黒人活動家フレッド・ハンプトンの暗殺計画etc...
新聞、テレビは、こうした情報にあまり触れなかった。
1975 世論調査で「大統領と連邦議会を信頼している」と答えたのはわずか13%だった。
1976 アメリカ独立200年の節目で大規模な祝賀行事が予定されていたが、式典はさほど盛り上がらなかった。
ハワード・ジン/著 レベッカ・ステフォフ/編著 鳥見真生/訳
学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史 上(1492-1901年)(あすなろ書房)
上巻では、コロンブスがアメリカ大陸に足の乗せた瞬間から
ネイティヴ・アメリカンの大虐殺が始まり、
その後も“インディアン”“黒人”“女性”たちへの「人種差別」が受け継がれていったことを学んだ。
下巻では、アメリカがどれだけ巧みに国民を騙しながら戦争を生み出していったかが語られてゆく。
「第二次世界大戦」と、未だに暗い影を残す「ベトナム戦争」を経てなお、
“愛国心”と“資本主義”が戦争を支持していることに驚く。
国はもはや政治家ではなく、巨大企業に乗っとられ、貧困の格差、戦争は永久になくならないのでは?と思われるが、
1970年代に湧き上がった「ストライキ」「シットイン」など、最初は勇気ある少数の行動が、やがて全国に広がり、
国、政治家、大企業に頼らずとも、自助力、結び合い、助け合うことで、大きな力と戦う歴史からなにか学べるかもしれない。
けれども、アメリカも、その下にある日本も、まだまだ「お金」「数%の富裕層」の力、歪んだ歴史書の中にいる。
この2冊の本が、子どもたちの教育に普通に取り入れられるようになれば、なにか変わるだろうか?
【内容抜粋メモ】(誤字脱字、メモに誤りがあったらすみません/謝
アメリカスペイン戦争後、無政府主義&女性解放論者エマ・ゴールドマンいわく
「この戦争の原因は砂糖の値段だった。アメリカ人の命、血、金は、アメリカの資本家の利権を守るために使われていたのだ」
『野生の呼び声』を書いたジャック・ロンドンは、『ジャングル』の中で、シカゴの生肉業界のショッキングな実態を曝露し、
アメリカ政府は生肉業界を規制する法を定めた(また今の日本とリンクした
「マックレイカー」と呼ばれるジャーナリスト、作家らも政治の腐敗ぶりを暴いた。
企業は、さらに生産性をあげ、金儲けするため、工程をいくつもの単純作業に分ける「分業」を編み出した。
これなら職人を雇わずに済み、機械同様、ヒトも交換可能となり、個性、人間性は奪われた。
NYの大勢の移民は「スウェットショップ」(縫製工場、搾取の象徴)で「出来高払い」で働いていた。
1909 女子工員がストに入った。そこで火事が起き、雇用主により違法に施錠されていたため、若い女性工員146人が死んだ。
「労働運動」はますます盛んになり、メンバーは熟練労働者の白人男性で、黒人は加入できなかった。
「AFL(アメリカ労働総同盟)」は“グーン”という用心棒軍団にガードさせ、批判的な組合員を痛めつけていた。
新しいタイプの「IWW(世界産業労働組合)」が結成された。組合員は“ウォブリー”と呼ばれ、暴力には暴力で応じた。
「労働者が1人殺されたら警官を1人殺す」と言った。
IWW組織者の多くは無職者か、季節労働者だった。ジョー・ヒルもその1人。
貧困者を見て見ぬふりをする教会に対して、歌った。
♪働きなさい 祈りなさい 干草を糧にして
死んだら食べられますとも 天国でパイを
ヒルは食料品店の店主を殺した罪で逮捕された。証拠はなかったが、銃殺刑となった。
「アナルコ・サンディカリズム」は、経済システムを停止させて権力を握ろうというものだった。
*
アメリカの「社会主義」は、ユダヤ人、ドイツ系民からスタートした。
1901 アメリカ社会党が生まれた。
多くの女性は社会の変革より「参政権」を得ることに関心があった。
社会主義者のヘレン・ケラーは、言った。
「この国の民主主義は名ばかりです。似たり寄ったりの候補者2人のどちらかから選ぶしかないのだから」
貧しい黒人女性は言った。
「職場で辛い目に遭い、家では黒人の男から虐待されています。奴隷扱いなのです!」
1905 W.E.B.デュボイスにより「ナイアガラ運動」がはじまり、
5年後、「NAACP(全米黒人地位向上協会)」が結成されるが、白人手動だった。
歴史書でいう20C初頭の「革新主義時代」
理由は、食品や医薬品の安全確保などの新しい法が制定されたから。
第26代ローズベルト大統領は「トラスト破壊者」として名を売っていた。
みな変化を嫌い、権力・資産の現状維持を気にかける「保守派」だった。
社会党は躍進。
1913 コロラドの炭坑ストは暴力的な「階級闘争」となった。
州知事は鎮圧のために州兵を出し、ロックフェラー家が費用を負担
1914 ストに参加していた女性と子ども13人の死体が見つかる。当局側は誰も罪に問われなかった。
************第一次世界大戦(1914~1918)はアメリカを潤わせた
第一次世界大戦は、ドイツvsフランス+イギリス連合軍の戦い。
社会主義者はこの戦争を「帝国主義戦争」と呼んだ。
フランスとドイツが、東欧、中東の勢力範囲をめぐって戦い、開戦後3ヶ月で、イギリス陸軍兵士の大半が死んだが、
国民に正確な死傷者数は知らされなかった。
毎日1000人単位で死んだのに「西部戦線異状なし」と言われ、
後に作家レマルクは小説に書いた(映画化もされたね
1917 アメリカが参戦 北大西洋の航行権問題が理由。
イギリスのルシタニア号が沈没し1200人が死んだ。客船と主張されたが実は武装していて、弾薬輸送中だった。
ヨーロッパでの戦争は、アメリカ経済を潤わせた。連邦議会はドイツに宣戦布告
志願者が足りず、議会は男性を強制的に入隊させる「徴兵制」を認める。
「スパイ法」が制定され、戦争反対者を弾圧、投獄した。
社会主義者チャールズ・シェンクは言論・出版の自由を主張したが、最高裁は有罪とした。
社会主義のリーダー、ユージン・デブスの事件も最高裁にもちこまれた。
「有史以来、戦争は征服と掠奪が目的だった。支配階級はつねに宣戦布告をし、実戦に駆り出されるのはいつも支配されている者なのだ」
デブスは禁固10年を宣告された。
出版界も政府と組んで、ひと役買った。
男たちは「アメリカ自警団」に入り、戦争反対演説を阻止した。
「広報委員会」は、互いに隣人の様子を監視させた。
司法省は「アメリカ護国連盟」の後ろ盾となった。メンバーは銀行家、産業界のリーダー。
なぜここまでしたのか? 理由は国民が戦争を拒否したから。「徴兵忌避者」が33万人以上もいた。
IWWはこう書いた。
「アメリカの資本家よ、我々は諸君のために戦うつもりはない! これは事業家のための戦争ではないのか」
IWWメンバーは有罪とされ、事実上潰された。
1918 終戦 5万人以上のアメリカ兵が死んだ。
議会は「エイリアン(移民)は国外追放できる」という法を制定した。
NYのFBIにアンドレア・サルセドという無政府主義者が2ヶ月監禁され、死体で見つかり自殺とされた。
その後、友人も逮捕された。映画『死刑台のメロディ』の題材とされた
************狂乱の1920年代、大恐慌
1919 インフルエンザが世界中で猛威を奮った。シアトルの造船所労働者がストに入る。
参加者たちは、各家庭に牛乳を届けたりして5日間平和に続いたが、当局は39人のIWWメンバーを投獄した。
「ゼネスト」
ゼネラル・ストライキ(general strike)とは、労働者が団結して行う労働争議の一形態で、
一企業や組織によるストライキではなく全国的な規模で行われるストライキのこと。
当局側は「ゼネスト」に脅かされた。時代は、王を退位させた「ロシア革命(1917)」など変革の時を迎えていた。
1920年代は、“ジャズエイジ”と呼ばれ、繁栄の時代と思われている。
しかし、富の大部分はピラミッドの頂点にいる少数者に限られた。
移民が増え、白人は優遇されたが、東欧のラテン系、スラブ系、ユダヤ系には厳しい入国制限が課せられた。
「KKK(クー・クラックス・クラン)」が復活。
1920 ついに女性は参政権を勝ち取ったが、上流・中産階級に限られ、変わらない政党を支持し続けた。
国内に「共産党」が成立。
株価はかつてない高値になった。
1929 株式市場が大暴落
銀行も投資していたため、人々は預金をおろせなくなり、かつてない経済危機となる。
5000以上の銀行が閉鎖され、何千という会社が倒産。
国内には何百万トンの食料があったが、輸送して売っても利益にならないため放置され、飢餓となり、空き家が増えた。
シカゴでは、ボロをまとい、頬のこけた500人の生徒が、学校給食を求めて行進した。
第一次世界大戦の退役軍人は、職、金も失った。
大統領フーバーは彼らを排除せよと軍に命じた。
1932 フランクリン・D.ローズベルト大統領が「ニューディール(新規まき直し)」政策を打ち出す。
「全国産業復興法」を定めるが、2年後、裁判所は憲法違反とした。
人々は「自助行為」に出るしかなかった。
漁師、農家、材木業者の間で、物々交換が行われた(近隣での助け合いが一番いいんじゃない?
人々は、必要なものは自分たちで賄えると気づいた。
「座り込みストライキ」など、アメリカ最大のストライキが決行された。
スト委員会は、娯楽、勉強会、郵便サービス、衛生管理の部門を作った。
政府は労働運動に介入しはじめた。「全国労働関係委員会」
労働者の反抗エネルギーを、労使間の団体交渉へ振り向けようとし、
州政府は、ストやスト破りが出ないよう監視するピケ行為をしにくくさせる法律を成立。
1930年代後半 大恐慌の最悪の時期が過ぎ、
1938 1週間の労働時間は40時間に制限、児童労働が禁止され、低所得者向けの公営住宅を建設。
だが、黒人は、小作農、農場労働者、家事使用人、季節労働者のため、「ニューディール」政策から何も得られなかった。
詩人ラングストン・ヒューズ「アメリカをふたたびアメリカたらしめよ」
“ここは食うか食われるかの国 強きが弱きをくじくところ”
「ニューディール」政策では、芸術分野に資金が投入され、労働者階級が初めて演劇を観た。
支援は1939年で打ち切られた。
ヨーロッパではヒトラーが勢力を拡大し、日本は中国を侵略していた。
************第二次世界大戦
第一次世界大戦からわずか20年後、第二次世界大戦がはじまった
第二次世界大戦はアメリカにとって時に“最も人気の高い戦争”と言われる。
ドイツとイタリアは同盟「枢軸国」と呼ばれる対抗したのが「連合国」。
日本は「スズ」「ゴム」「石油」を求めて中国に攻め入った。
1941 「真珠湾攻撃」をきっかけにアメリカは参戦。ヨーロッパでの参戦の口実となった
イギリス、ロシアが連合軍に入った時のアメリカの最大の目標は何だったのか?
アメリカの政府高官はフランス政府に対し、帝国の地位を戦後に回復できるよう密かに約束していた。
イタリア、ドイツは軍事目標ではなく「民間人」を攻撃した。
ローズベルトは非難したが、1000機以上の連合軍は、ドイツの都市を爆撃した
戦時中の新聞見出しは、部隊の動きに関するものだけ。
その陰で、外交官、事業家は、戦後はアメリカが世界一の経済大国になれるよう画策した。
詩人アーチボルト・マクリーシュ
“我々が築こうとしている平和は、石油、金、通商のための平和のようだ”
ドイツは600万人のユダヤ人、数百万人の少数民族、反対者を抹殺「ホロコースト」。
ヒトラーは、白人のドイツ民族を「アーリア人」「ノルディック」と呼び、他より優れていると主張。「民族的優位性」
アメリカはこの間、悲運の人々を救わなかった。
アメリカの軍隊でも、黒人と白人は隔離されていた。
「血液銀行」をつくった黒人医師チャールズ・ドリューは、血液の分離保存をやめさせようとして解雇された。
黒人系新聞より:
“ドイツ兵だろうと 日本兵だろうと 恐れるものはここにある それはアメリカだ!”
国内では日本人への悪感情が急激に高まり、“強制収容所に入れろ”と下院議員が発言。
当時、西海岸に1万1000人の日系がいて、3/4はアメリカで生まれたアメリカ市民だった。
日系アメリカ人は、捕虜のように内陸部の仮設の建物に送られ、3年以上も隔離された。
1945 ドイツが降伏
日本も降伏しようとしたが、天皇制を維持することを条件にした。
もし、アメリカがこれに同意していたら、日本は戦いをやめただろう。
1945.8 広島と長崎に原爆投下 日本降伏
もし、日本がソ連に降伏していたら、ソ連が戦後の日本を支配したはずだ。
愛国心に沸く中で、断固、戦争に反対したのは社会主義労働者党だった。
約35万人が徴兵を忌避、入隊しても戦いを拒否。史上最大のストが起きた。
軍需物資会社が莫大な利益を上げ、、農産物の価格も上がった。
世界最大の複合企業の1つ「ゼネラル・エレクトリック社」社長は、
“企業と軍は、永続的な戦争経済をつくるべき”と主張した。
************冷戦
ソ連アメリカはライバル関係にあった。ソ連は戦禍から復興、軍は勢いを回復。
アメリカ政府は「共産主義」の恐ろしさを強調した。
中国は世界一人口の多い「共産主義国家」となったため、アメリカ人の恐怖はさらに煽られた。
「保守派」と「リベラル」
「リベラル」は、進歩や変革を支持する。
政府は冷戦への支持のため、「保守派」と「リベラル」の団結をもくろむ。
国連(戦時中に創設され、アメリカが幅をきかせていた)は、韓国への援助を求め、
アメリカ軍は国連運として北朝鮮を攻撃したため、中国が北朝鮮に味方をして参戦
3年間の戦争で、200万人が死に、国土は荒れ果てたが、2国の国境線は変わらなかった。
赤狩り
中国では「共産党政権」が生まれ、アジア、アフリカの植民地はヨーロッパからの独立を求め革命を起こした。
これらはすべて「共産主義」の陰謀としてアメリカ国民に知らされた。
共産主義者、国家への反逆者は裁判をへずに強制収容所に入れられる法を作る。
ジュリアス、エセルのローゼンバーグ夫妻はスパイとして処刑された。
************立ち上がる黒人、公民権運動
黒人の詩人クロード・マッケイ
“死ぬしかないにしろ あっさり殺されたりはしない”
共産党に入り、体制に抵抗する黒人もいた。
1930年代 共産主義者らは貧困者を援助する委員会をつくり、組織者が逮捕された。
世界中の非白人から“アメリカは人種差別の国だ”と糾弾された。
1946 トルーマンは軍隊に人種隔離をやめる命を出した。10年かかって撤廃された。
公立学校では、黒人の児童はまだ隔離されていた。
1955 アラバマ州で、43歳の黒人婦人ローザ・パークスは、バスの“白人用”の席に座って逮捕された。
その後、市バスに対して「乗車ボイッコット」をし、徒歩か、クルマの相乗りをして対抗。
ボイッコットを支援した牧師マーティン・ルーサー・キングの自宅には散弾銃が撃ち込まれた。
キングは「非暴力の実践」を説いた。
「シットイン(座り込み)デモンストレーション」が広がる。
「フリーダム・ライド(自由のための乗車運動)」は、ワシントンDCからニューオリンズ行きのバスに乗り、
放火され、鉄パイプで襲いかかられても警察は動かなかった。
「SNCC(学生非暴力調整委員会)」の青年らが協力し、白人暴徒から攻撃を受けて逮捕され、ニュースは全世界に伝わった。
彼らは「ミシシッピ夏期計画」を実行。南部に来て、黒人投票権、不平等反対に参加してほしいと訴えた。
1963 キング率いるワシントンDCへの行進は「私には夢がある!」という演説で有名。
戦闘的な黒人活動家マルコムXはこれを批判した。
“白人は行進に紛れ込んで乗っ取り、まるでサーカスのようだった。”
1965 より強力な投票権法が制定
黒人の教会には爆弾が投げ込まれ、子どもらが死んだ。
1965年までに黒人の半分は北部に移った。
「ブラック・パワー」をスローガンにしたリーダーはマルコムXだった。
1965、演説の最中に撃たれて死亡。彼の自伝は大勢に読まれ、死後のほうが影響力が増した。
1967 史上最悪の都市暴動がスラム街で発生。83人が死んだ。
1976 FBIはキング牧師の暗殺を計画していた、と上院報告書に書かれていた。
1968 キング牧師は腕のいい狙撃犯に射殺された。
(だんだん『X-FILES』ぽくなってきたな
政府は、非戦闘的な黒人グループの指導者をホワイトハウスに招待し、宣伝効果を上げた。
しかし、スラム街の黒人の貧困、失業、犯罪、麻薬、暴力の解決にはならなかった。
************アメリカ最初の敗北「ベトナム戦争」
世界史上もっとも裕福で強力な国が、10年間ほどもかけて、小さな農業国の革命を挫折させようとした。
最先端の軍事技術組織された生身の人間との戦いで勝利したのは人間だった。
「ベトナム戦争」は、かつてない規模の「反戦運動」を生んだ。
アジアの天然資源はだれのもの?
第二次世界大戦以前、ベトナムを支配していたのはフランス。
第二次世界大戦中は日本、終戦時にはついに解放されたと祝典が開催された。
まもなくイギリスとアメリカは、フランス支配に戻そうとし、抵抗されたため
1946 「インドシナ戦争」勃発 “ベトミン(共産主義組織)”フランス
アメリカはフランスを支援。目的は「天然ゴム」「スズ」「石油」。
『写真が語るベトナム戦争』(あすなろ書房)
和平協定で、ベトナムは南北に分割(なんでも分けちゃうね)ベトミンは北部にとどまるが、
アメリカは南北統一を阻むべく、ゴ・ディン・ディエムに南ベトナム政府を作らせ、アメリカ影響下に置く。
1958 南ベトナムでゲリラ攻撃始まる「ベトコン」(北ベトナムの共産主義政権から支援されていた←この辺が何度読んでも分からない
1960 アメリカは数千人の顧問を送り、すでに戦争を始めていた
CIAは役に立たないディエム政権を倒すようベトナム人将軍をそそのかし、ディエムと弟を処刑。
その3週間後、ジョン・F.ケネディが暗殺される。
魚雷の発射を受けたというウソによりアメリカは北ベトナムへの空爆を開始
南ベトナムの村々を「ナパーム爆弾」で破壊。
1968 米軍歩兵中隊はソンミ村ミライ地区で赤ん坊、女性、老人を含め村人全員を溝に入れて、射殺した。
この件は隠蔽されたが、漏れ出し裁判となった。
近くからは450~500人が埋められた墓穴も見つかる。
カリー中尉は終身刑となったが、3年間自宅軟禁されただけ。
アメリカのラオス爆撃
1968 4万人のアメリカ兵が死に、25万人以上が負傷。
「LBJ、LBJ、今日はいったい何人の若者を殺した?」と反戦デモが起こった。
※LBJ=リンドン・B.ジョンソン
国民ははじめからベトナムへの軍事介入に反対だった。
キング牧師
“貧しいアメリカ人に代わって語る。この戦争を終わらせる主導権は我々にあるべきなのです”
退役軍人ロン・コビックは『7月4日に生まれて』を出版、後に映画化された
1968.10.1は全国的反戦デーとなる。
『セールスマンの死』を書いたアーサー・ミラーはホワイトハウスの招待を断った。
女性歌手アーサ・キットは招待を受け「戦争には反対だ」と言って周囲を驚かせた。
1971 『ペンダゴン・ペーパーズ』が外部に流れ、『NYタイムズ』に掲載された。
リチャード・ニクソンは掲載差し止めを求めたが自身の「ウォーターゲート事件」が発覚する。
1975 終戦 ベトナムは社会主義共和国として統一
************女性解放運動、インディアン
ボブ・ディランは1960年代に♪時代は変わる と歌った。
人々は体制を信頼しなくなった。政府、学校、企業、とくに製薬業界という大きな権力を。
言われたことを鵜呑みにしなくなった。
自分で自分のことを決めるには「自由」が必要だと気づき、生き方、働き方、教育、芸術について新たな試みが始まる。
女性解放運動
社会は女性を「妻」「母」「家政婦」として見ていた。
1964 ミシシッピの公民権運動家は「自由の家」で共同生活をしていたが、
そこで女性は男性運動家に対してストを決行。
1966 「全国女性機構」が結成
彼女らは「ミス・アメリカ」に抗議し、ブラジャー、つけまつげ、かつらを「自由の屑入れ」に投げ込んだ。
「男女平等権修正条項」の成立を目指した。
シャーリー・チザム:
“法律は、女性のために何もしてくれない。我々自身で変えなければならないのだ”
これらの活動は「ウーマンリブ」「フェミニズム」と呼ばれた。
中産階級の主婦ベティ・フリーダンは『フェミニン・ミスティーク』を書いた。
「ミスティーク」とは、女性は母や妻の立場に100%満足しているという社会のイメージのこと。
ジョニー・ティルモンは“家事、育児にも賃金を支払うべきだ”と訴えた。
女性に対する社会的支配は、国がしているのではなく、家庭内で行われている。
もし女性が自身を解き放ち、男女が共感しあったら、より大きな体制に抵抗しうるのではないだろうか?
アルカトラズ島を占拠したインディアン
『ノーザンライツ』(新潮社) vol.2
20Cはじめに30万人まで減ったインディアンは、1960年は80万人に増えた。
半分は保留地に住み、半分は各地に散らばっていた。
公民権運動が活発化すると、部族に地域を譲るという昔結んだ条約の問題を政府につきつけた。
インディアンはシットインならぬ「フィッシュイン(強行出漁)」を行った。
1969 “ザ・ロック”と呼ばれ嫌悪されていたアルカトラズ島の使われていない連邦刑務所をインディアンが占拠した。
リーダーはモホーク族のリチャード・オークスら。11月には50部族から600人が暮らした。
半年後、連邦軍が排除して事件は終わる
ニューメキシコのナバホ族は、“土地を返せ”と声をあげ、インディアン文化の復興にも乗り出した。
インディアン史に関する本が次々出版され、生徒たちも動き出した。
1973 サウスダコタ州で「アメリカン・インディアン・ムーブメント」が起こる。
数時間でFBI、連邦法執行官、警察官が包囲し、撃ち合いがはじまり、インディアン120人を逮捕
性の解放など
ゲイ、レズビアンなどは、以前ほど隠さず、差別と戦う団体を作る。
教育現場では、生徒、親、教師が伝統的な教育方針に疑問を抱く。
身体に障害のあるものは、差別から守る法を働きかけた。
1962 レイチェル・カーソンは『沈黙の春』で、化学製品が汚染していると書きベストセラーとなり、
「環境保護運動」のさきがけとなる
「シエラクラブ」「ウィルダネス・ソサイエティ」「アース・ファースト!」などの自然保護団体への参加者が増加。
政府は、水質浄化法、大気浄化法、絶滅危惧種保護法を制定したが、優先的に施行されなかった。
ロナルド・レーガンは、「EPA(環境保護局)」の予算をカットした。
************激動の1970年代
「政府は、自己の利益を追求する少数の巨大企業によって動かされていると思うか?」
「ウォーターゲート事件」
この質問に1972年、回答者の半数が「YES」と答えた。
「ウォーターゲート事件」は初めて大統領を辞任へ追い込んだ政治スキャンダルだった。
ニクソンは2期目を勝ち取ろうと、1972年の大統領選に向けて支持を集めた。
6月、ワシントンDCで5人の男が不法侵入容疑で逮捕された。
彼らはニクソン政権、CIAにもつながっていると発覚。
その他、選挙運動に関わる書類の窃盗、報道機関への虚偽情報の流布、巨大企業の莫大な献金、
国務長官ヘンリー・キッシンジャーは政府役人の電話を盗聴、ニクソンの50万ドル以上の違法な税金控除etc...
ある企業家“我々はただ、違う選手が出る同じ試合を見るだけだ”
政治顧問“腐ったリンゴは捨てなければならないが、リンゴ箱(体制)は救うべきだ”
大統領が代わろうと、共和党から民主党になろうと、体制は変わりなく機能しつづけてきた。
ホワイトハウスに対して大きな影響力を持つのは企業だというのは真実だ。
FBIとCIAの秘密工作
「ウォーターゲート事件」の捜査過程で、ベトナムの隣国カンボジアへの秘密軍事作戦が明るみにされた。
キッシンジャー:
“地上のどこであろうと、アメリカはいつでも行動を起こすべきだ。
それこそ、世界大国でありつづけるという決意表明なのだ”
アメリカ戦闘機は、カンボジアの船を爆撃し、アメリカ人乗員まで攻撃した
なぜフォードは、カンボジア本土攻撃を命じたのか?
答えは、ベトナムに敗れても、強国アメリカはいまだ健在だと世界に示すため。
大統領は軍事行動の前に連邦議会と協議が必要という法は「マヤグエース号事件」で無視された。
「ウォーターゲート事件」のせいで、FBIとCIAのイメージも悪化した。
調査機関はさらに卑劣な秘密工作を暴いた。
CIAは、キューバのカストロ暗殺計画をしていた。
チリ政府の転覆を画策。
「ブラックパンサー党」の黒人活動家フレッド・ハンプトンの暗殺計画etc...
新聞、テレビは、こうした情報にあまり触れなかった。
1975 世論調査で「大統領と連邦議会を信頼している」と答えたのはわずか13%だった。
1976 アメリカ独立200年の節目で大規模な祝賀行事が予定されていたが、式典はさほど盛り上がらなかった。