■『学習漫画 世界の伝記4 エジソン』(集英社)
飯野貞雄/監修
エジソンの幼少期って、『大きな森の小さな家』みたいな開拓期だったのかな。
意外と少年の頃から商魂たくましいというか、発明だけじゃなくて商売上手だったんだね
壮年期の写真はハンサムだし。なんだか昔の人って気がしていたけど、ついこの間まで生きてたことがフシギ。
【内容抜粋メモ】
1847年 アメリカ、ミランという町でトーマス・アルバ・エジソンが7番目の子どもとして産まれた。
アルは、なんにでも興味をもって、すべてに「なぜ?」と聞く子だった。
生家は博物館になっている。
1854年 エジソン一家はミシガン州のポートヒューロンに引っ越した。7歳。
翌年から学校に通い始める。教会で教室はたった1つ。先生はエングル牧師と奥さんの2人だけ。生徒も全部で48人。
よく質問するアルを怒ってムチをふるったため、アルは下を向いて絵ばかりかいた。
「1番出来が悪い」とか「あなたのお子さんの頭は腐っている」とか牧師が言う言葉じゃないよね
母は3ヶ月でアルに学校を辞めさせ、自分で勉強を教えた。母は元小学校教師。
アルは野菜を作って町に売りに出て小遣いを稼いだ。
また、デトロイト公共図書館の本を一番下の棚から順番に全部読んだ(これやってみたい・・・
1859年 汽車が好きなアルに、車掌スティーブンソンさんは、車内でキャンディや新聞を売る仕事を任せる。12歳。
しかし、乗り遅れてしまったアルを車掌が引き上げた際、耳を引っ張ったため、大きな音でないと聴こえなくなってしまう
1838年にモールスが電信機を発明してから、電信技手は当時の子どもの憧れの仕事だったため、
アルは電信機を夢中で学び、手荷物室を借りて「走る実験室」にした。
1861年 南北戦争勃発
アルは1駅ごとに値段をあげて新聞を高値で売った。
自ら編集もした「ザ・ウィークリー・ヘラルド」は大好評だった。
リンの瓶が割れて火事を起こしたことで実験は止めさせられたが、新聞売りは続けさせてもらった。
1862年 駅長の息子を列車事故から助けたことで、駅長の家に住み込んで勉強し、二級電信技手となる。16歳。
1864年 駅長の推薦でカナダの大きな駅の電信技手として勤務するが、退屈したため、
時計と組み合わせて自動的に電信機を打つ仕掛けを考案。これが発明第一号。
貨物列車が正面衝突しそうになったことで罪に問われそうになり、カナダからアメリカに逃げ出し、4度会社を変えた。
1865年 ウエスタンユニオン電信会社のシンシナティ本局に勤務。
発明に夢中でリンカーン大統領暗殺のニュースにも気づかず、もっと勉強するため都会に出て、一級電信技手となる。
1868年 ボストンで投票記録機を発明。特許第一号になったが実用化されなかった。21歳。
1869年 ニューヨークに行き、友人の紹介でポープという電気技師の会社の電池室に泊まる。
送信機の故障を直したきっかけで月給300ドルで雇ってもらう(実際はバネが外れていただけだった
社長が会社をウエスタンユニオンに売ってしまったため、「ポープ・エジソン会社」として独立。
ウエスタンユニオン社長から相場記録機の修理を頼まれ、4万ドル支払われた/驚
1871年 ニュージャージー州のニューアークに研究所兼工場をつくる。24歳。
平均睡眠時間は3時間/日。1日5、6回30分ずつ研究所の床や机の上で眠っていた
モールス信号でプロポーズして、メリー・スチルウェルと結婚(当時15歳
エジソンは、自分の名前も忘れるほど研究に夢中になっていた()
母死去。
1876年 メンロパークに新しい工場をたて、電話の研究を開始。
ベルとグレーが電話の発明を宣言していて、ベルが先に完成させた。
2人は電話の権利をめぐってしばらく争うが、ベルに権利を譲った。
1877年 炭素送話機(今のマイクロフォンのもと)を発明。30歳。蓄音機も発明。
1878年 疲れから病気になる。
1879年 白熱電灯を発明。日本では「あかりの日」
ガス灯は火事になりやすく、嫌な臭いがする、アーク灯は明るすぎて普通の家では使えない。
エジソンは、フィラメントの研究をして、6000種類もの植物を調べ、京都の岩清水八幡宮にある竹が最適として輸入した。
京都の岩清水八幡宮にはエジソン記念碑がある
1880年 アメリカで最初の電気機関車、電気自動車を発明。
1882年 白熱電灯用の中央発電所をつくった。
ロンドンの博覧会にこれらの装置を出品し、世界中に名前が広まった。
1883年 「エジソン効果」が発見された。36歳。
「エジソン効果」ラジオやテレビの真空管のもとになる
1884年 3人の子どもを残して妻メリーが腸チフスで死去。
1886年 ミナ・ミラー(18歳)と結婚(ロリコン?
1887年 ウエストオレンジに研究所を移転。
1891年 キネトグラフを発明。
「キネトグラフ」連続した写真をとる機械。
1893年 映画用スタジオをつくり、世界で初めての映画をつくった。サイレント。
世界最初の連続フィルムが「くしゃみの記録」てw
1896年 エジソンの会社の発電所の主任技師として働いていたヘンリー・フォードに会い、のちに親友となる。
1909年 エジソン式ニッケル・鉄・アルカリ電池を発明。
1910年 円盤式レコード、組み立て住宅を発明(のちのプレハブ住宅のもと
1912年 キネトスコープと蓄音機をつないでキネトフォンを発明(現在の映画のもと
1914年 研究所が火事で全焼。フォードはエジソンに75万ドルを貸した。
新聞や雑誌の投票で「最大の市民」「最大の功績のある市民」として選ばれ英雄になった。
インタビューで「はたらくこと、発明とは?」と聞かれて、
「自然の秘密を解き明かして、それを人間の幸福に役立てること」
「成功の原因は?」「天才とは99%の努力と、1%のひらめきだ」と答えた。
1929年 電灯50年祭にて演説後に倒れる。
1931年 突然体が弱って死去。84歳。その夜10時にアメリカ中の家庭で数分間電気を消し死を悼んだ。
【飯野さんによる解説抜粋メモ】
19〜20Cにかけて石炭で発電する電気が機械に利用されはじめた技術革新の時代。
エジソンがとったアメリカ国内の特許数は1099件。
南北戦争から近代ってものすごい発明ラッシュだったことが分かる。
1893年 ディーゼルがディーゼル・エンジンを発明
1895年 マルコーニが無線電信を発明、レントゲンがエックス線を発見
1896年 キュリー夫人がラジウムを発見
1903年 ライト兄弟が人類初飛行に成功
1938年 熱の出ない蛍光灯がアメリカで開発された
飯野貞雄/監修
エジソンの幼少期って、『大きな森の小さな家』みたいな開拓期だったのかな。
意外と少年の頃から商魂たくましいというか、発明だけじゃなくて商売上手だったんだね
壮年期の写真はハンサムだし。なんだか昔の人って気がしていたけど、ついこの間まで生きてたことがフシギ。
【内容抜粋メモ】
1847年 アメリカ、ミランという町でトーマス・アルバ・エジソンが7番目の子どもとして産まれた。
アルは、なんにでも興味をもって、すべてに「なぜ?」と聞く子だった。
生家は博物館になっている。
1854年 エジソン一家はミシガン州のポートヒューロンに引っ越した。7歳。
翌年から学校に通い始める。教会で教室はたった1つ。先生はエングル牧師と奥さんの2人だけ。生徒も全部で48人。
よく質問するアルを怒ってムチをふるったため、アルは下を向いて絵ばかりかいた。
「1番出来が悪い」とか「あなたのお子さんの頭は腐っている」とか牧師が言う言葉じゃないよね
母は3ヶ月でアルに学校を辞めさせ、自分で勉強を教えた。母は元小学校教師。
アルは野菜を作って町に売りに出て小遣いを稼いだ。
また、デトロイト公共図書館の本を一番下の棚から順番に全部読んだ(これやってみたい・・・
1859年 汽車が好きなアルに、車掌スティーブンソンさんは、車内でキャンディや新聞を売る仕事を任せる。12歳。
しかし、乗り遅れてしまったアルを車掌が引き上げた際、耳を引っ張ったため、大きな音でないと聴こえなくなってしまう
1838年にモールスが電信機を発明してから、電信技手は当時の子どもの憧れの仕事だったため、
アルは電信機を夢中で学び、手荷物室を借りて「走る実験室」にした。
1861年 南北戦争勃発
アルは1駅ごとに値段をあげて新聞を高値で売った。
自ら編集もした「ザ・ウィークリー・ヘラルド」は大好評だった。
リンの瓶が割れて火事を起こしたことで実験は止めさせられたが、新聞売りは続けさせてもらった。
1862年 駅長の息子を列車事故から助けたことで、駅長の家に住み込んで勉強し、二級電信技手となる。16歳。
1864年 駅長の推薦でカナダの大きな駅の電信技手として勤務するが、退屈したため、
時計と組み合わせて自動的に電信機を打つ仕掛けを考案。これが発明第一号。
貨物列車が正面衝突しそうになったことで罪に問われそうになり、カナダからアメリカに逃げ出し、4度会社を変えた。
1865年 ウエスタンユニオン電信会社のシンシナティ本局に勤務。
発明に夢中でリンカーン大統領暗殺のニュースにも気づかず、もっと勉強するため都会に出て、一級電信技手となる。
1868年 ボストンで投票記録機を発明。特許第一号になったが実用化されなかった。21歳。
1869年 ニューヨークに行き、友人の紹介でポープという電気技師の会社の電池室に泊まる。
送信機の故障を直したきっかけで月給300ドルで雇ってもらう(実際はバネが外れていただけだった
社長が会社をウエスタンユニオンに売ってしまったため、「ポープ・エジソン会社」として独立。
ウエスタンユニオン社長から相場記録機の修理を頼まれ、4万ドル支払われた/驚
1871年 ニュージャージー州のニューアークに研究所兼工場をつくる。24歳。
平均睡眠時間は3時間/日。1日5、6回30分ずつ研究所の床や机の上で眠っていた
モールス信号でプロポーズして、メリー・スチルウェルと結婚(当時15歳
エジソンは、自分の名前も忘れるほど研究に夢中になっていた()
母死去。
1876年 メンロパークに新しい工場をたて、電話の研究を開始。
ベルとグレーが電話の発明を宣言していて、ベルが先に完成させた。
2人は電話の権利をめぐってしばらく争うが、ベルに権利を譲った。
1877年 炭素送話機(今のマイクロフォンのもと)を発明。30歳。蓄音機も発明。
1878年 疲れから病気になる。
1879年 白熱電灯を発明。日本では「あかりの日」
ガス灯は火事になりやすく、嫌な臭いがする、アーク灯は明るすぎて普通の家では使えない。
エジソンは、フィラメントの研究をして、6000種類もの植物を調べ、京都の岩清水八幡宮にある竹が最適として輸入した。
京都の岩清水八幡宮にはエジソン記念碑がある
1880年 アメリカで最初の電気機関車、電気自動車を発明。
1882年 白熱電灯用の中央発電所をつくった。
ロンドンの博覧会にこれらの装置を出品し、世界中に名前が広まった。
1883年 「エジソン効果」が発見された。36歳。
「エジソン効果」ラジオやテレビの真空管のもとになる
1884年 3人の子どもを残して妻メリーが腸チフスで死去。
1886年 ミナ・ミラー(18歳)と結婚(ロリコン?
1887年 ウエストオレンジに研究所を移転。
1891年 キネトグラフを発明。
「キネトグラフ」連続した写真をとる機械。
1893年 映画用スタジオをつくり、世界で初めての映画をつくった。サイレント。
世界最初の連続フィルムが「くしゃみの記録」てw
1896年 エジソンの会社の発電所の主任技師として働いていたヘンリー・フォードに会い、のちに親友となる。
1909年 エジソン式ニッケル・鉄・アルカリ電池を発明。
1910年 円盤式レコード、組み立て住宅を発明(のちのプレハブ住宅のもと
1912年 キネトスコープと蓄音機をつないでキネトフォンを発明(現在の映画のもと
1914年 研究所が火事で全焼。フォードはエジソンに75万ドルを貸した。
新聞や雑誌の投票で「最大の市民」「最大の功績のある市民」として選ばれ英雄になった。
インタビューで「はたらくこと、発明とは?」と聞かれて、
「自然の秘密を解き明かして、それを人間の幸福に役立てること」
「成功の原因は?」「天才とは99%の努力と、1%のひらめきだ」と答えた。
1929年 電灯50年祭にて演説後に倒れる。
1931年 突然体が弱って死去。84歳。その夜10時にアメリカ中の家庭で数分間電気を消し死を悼んだ。
【飯野さんによる解説抜粋メモ】
19〜20Cにかけて石炭で発電する電気が機械に利用されはじめた技術革新の時代。
エジソンがとったアメリカ国内の特許数は1099件。
南北戦争から近代ってものすごい発明ラッシュだったことが分かる。
1893年 ディーゼルがディーゼル・エンジンを発明
1895年 マルコーニが無線電信を発明、レントゲンがエックス線を発見
1896年 キュリー夫人がラジウムを発見
1903年 ライト兄弟が人類初飛行に成功
1938年 熱の出ない蛍光灯がアメリカで開発された