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『ルー・リード / ワイルドサイドを歩け』(1992 大栄出版)

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■『ルー・リード / ワイルドサイドを歩け』(1992 大栄出版)
ピーター・ドゲット/著 奥田祐士/訳
原題:LOU REED growing up in public

※1994.3~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。

【内容抜粋メモ】
458ページの本文を読み始めて257ページ。あと201ページ。
半分までやっときて、できればスラスラと今日か明日午前中には読みきってしまいたい。

The Bandのメロディに乗せて、この後には、昨日買った「beyond the Velvet Underground」と、
ビデオ「A Night with Lou Reed」(ポップスターみたいでいいね、このタイトル。
なんと消費税込みで2000円ちょいで「Virgin」で買った。ほかにも安価な輸入ものが2本ほどあった)

 

とにかく、ここまで読んだ感想を書いておこうと思いついた。
1人の人間の半生といっても400ページにおさまるはずがないのよね。

真剣に読んでない(!)せいもあるけど、ルー・リードが本当はどんな人間なのか、
まだ全然イメージが浮かんでこない。

彼が翻弄しているジャーナリストの1人の目に映った姿を読んでも分からないのは当然かも。
出版社は、「JANIS JOPLIN PEAL 禁断のパール」を出してる大栄出版。

どおりでスタイルが似ていると思った。
ぶ厚いけど、その割に読みやすくて、なかなかいい写真も載っていて、
ストーリーの中から次々飛び出すアーティストなんかを章ごとに、たくさん訳注がついているのも嬉しい。

ここまで分かったことは、ルーが1942年3月生まれのニューヨーカー(ディランと同じ)、
作家志望、ロカビリーなどのファン、中産階級の生まれで、大学を卒業しているっていうのは
ロックンローラーとしては珍しいかな。同性愛傾向にあるというのが興味深い。

著者はルー個人のことより、フォーク、ロックはなんちゃらの音楽の歴史の観点から書いていて、
すっかりついていけないんだもの。
中盤すぎてやっとボウイや、ボラン、イギーの名前が見れた時はホッとして笑っちゃった。


みんなどこかでアンディ・ウォーホルと通じているのは興味深い発見。
アンディの「ファクトリー」や、短編映画なんかのブッ飛びようは楽しいもんね。
アンディのストーリーも本になっているとしたら、ルー以上に複雑怪奇だろうな。

ルーがグラムロックのボウイそのままにヒラヒラのスタイルで腰を振って歌っていたところをぜひ見てみたいなあ!
いやあ、アメリカってつくづくわけが分からないところだね。

ボブ・ディランなんていうアーティストを生み出して絶賛するかと思えば、
彼は単にアンフェタミンに浮かれてたジャンキーだって蹴落とす奴もいるし。
音楽界の名曲がドラッグの影響をかなり受けてるんだってことを再認識した。


ニコ、イーディ・セジウィック(ケヴィン・ベーコンと結婚したキーラの母親だよね)、
離婚した元ルーの妻ベティまできたでしょ。

それぞれの歌、アルバムには、語り尽くせない制作過程のストーリーがあるんだよね。
それを、それぞれのアーティストのストーリーと重ね合わせて、すべての曲を聴くことなんか出来ないよ。
せめて表面に表れた作品だけで、単にぼんやりとアーティストの輪郭、時代背景をイメージするのが限界。


ヴェルヴェッツを解散して、2年間、家で静養して、ボウイのおかげで幸先のいいソロデビューを飾ったルー。
ヴェルヴェッツ再結成であんなにクールに落ち着いて、伝説扱いのルーになるまで、後半どんなストーリーがあるのか。

あー文字を読んで理解していくのって時間をロスする割に頭に入らない。非効率的作業。
ビデオ映像にまとまっていれば、もっと分かりやすいのに。
もっとリアルに、素早く、感覚的に理解できるのに。

といっている間に0:03。さて、終わりまで一気に読んじゃおう。

1日2時間ずつ残業して稼いだ2000円ちょいでCDを買いまくるって案もいいかも。
土曜丸一日出たら、1日で最低3枚は買えた。
その3枚は後々までの重要な財産になり得るけど、実際ウィークデイに働いて、
土曜も出ようなんて、たとえ3枚のCDのためでもムリだわな。




結局、昨晩は午前4時過ぎまで読んで、今朝は8:30頃起きてから、ずっとこの電気敷布の温かいベッドから出ずに
不健康な状態で丸1冊を約2日間で読んでしまった。

結果、あまりルーの姿は立体的でないまま、信じられないくらいクールにキメて歌う姿に興奮した感覚にとってかわって、
一人のアーティスト、男として、現実的な印象に変わったって感じかな。


激しい人生を突っ走って、途中下車した“若死にシリーズ”(当時はこう呼んで夢中になってた/謝)と違って、
彼は今、この瞬間も地球のどこかで、ヴェルヴェッツのメンバも一人として失われることなく
再始動に追われているという事実はなんだかフシギ。

1991年に書かれた時点で筆者はまだ知らないが、ヴェルヴェッツは確かに活動を再開して、
そのライヴをこの前ビデオで観て、今回、この本を読むにいたったわけだけど、
逆回転されたストーリーのような気分。


ルーはヴェルヴェッツのヒットナンバーで何度もアルバムやステージでこれでもかと演奏してきた
♪ヘロイン、♪ロックン・ロール、♪スウィート・ジェーン、♪ペイル・ブルーアイズ、♪ファム・ファタル を
50歳過ぎてもなお変わらぬ情熱でもって、新参者の私に見せつけてくれたということだ。

カルトロックのパイオニアとして、ディランや、ボウイらと肩を並べている割に、いまだにマイナー感のあるルー。
今作では、音楽の歴史上の偉人として、興味をそそられる幼年期や、もっとも実生活もアーティストとしても荒れ、
揺れていた時期の赤裸々なスキャンダル的要素は極力抑えられている。

その代わり、大学生のルーからスタートして、現在に至るまでの数多いアルバムの詳しい説明、
筆者の感覚で書かれる彼の音楽性が主軸になっている。


人それぞれで1つの曲にも何通りの受けとり方があるだろうけど、音楽評論家やリリース当時の世間の受けと、
今作を読んでも、私自身が聴いた曲への好き嫌いの感覚にはまったく影響を及ぼしていない。

著者が“売れ線狙い”だとかこきおろすイージーでポップな♪Sally can't dance ほかも私はとても好きだし、
逆に絶賛している『NEW YORK』のナンバーはどれも重くて、政治色が強く、日本語訳がつけられていないせいもあって、
何回聴いても言っていることがよく分からないのもある。
娯楽に走ってもいーじゃない。政治的ならなんでも価値があるわけじゃないし。

でも、散々さまざま勝手に書いてきた割に、ラストとあとがきでは、ルーの大ファンで、
彼の放浪の旅が『NEW YORK』で完璧に完成したと持ち上げている。
“彼の作品はこれからも批評されるだろう”て言っている本人が一番痛烈な批評をしてたりする。


要約すれば、作家志望のロック少年が、なんんとか独自のスタイルで世間をビックリさせようとして、
「ドローン」なる不協和音を奏でて、ドラッグとアルコールにドップリ浸かって、
ゲイとか今では公言されている言葉でも、アメリカでさえ'60年代では禁句だった題材を
ボウイをきっかけに作品に投影したことでも大センセーションを巻き起こした。

たぶん、今、彼がひきずっているダーティな、カルトなイメージはここからきているんじゃないかと思うんだけど、
アンディのファクトリーを卒業して、バンドを解散して、ソロ活動に悪戦苦闘して、ついに世間一般の評価を受けて、
偉人の1人として伝説にいたるまでのストーリーだったわけ。

ここに、ビデオともう1冊の本を叩き込めば、もう少しは立体的な像として浮かんでくるかも。
新たにアンディの魅力も発見したことだし。


胸を撃たれた傷が癒えないまま、'80年代後半にNYの病院で亡くなったアンディ。
モンローやリズの象徴化された作品のイメージしかなかったけど、
本書でアンディというアーティストのほうがよっぽど立体的に見えてくる。

その時代、時代のアルバムや、本人の活動とともに生きていたら、
それぞれのアルバム、ルーに対する価値観もいろいろ違ったかもしれないけど、

CDのレンタルで並列に、それも全アルバムの半分以下が年代も順不同で置いてあるのを
まったく何の先入観もなしで聴いている新しいリスナーにとっては、
やっぱり作品それ自体、表面に出てきたものだけが重要で、
もしかするとアルバムの多さから、このリード史も途中で投げざるを得なくなるかもしれない。

すべてを把握する時間、空間、条件があまりに貧弱なんだもの。
詩集も出版してるとあって興味は尽きないんだけど。


クールで、無口で、アーティストならではのバランスのとれた見方の持ち主と思いきや、
かなり饒舌で、自信家かと思うと、お天気屋で、自分のキャリアや作品に対して、
時に無関心だったりする部分はちょっと意外。

とくに物静かな詩人というより、アメリカの中産階級出なのが影響してか、安易な考えや、
時に暴力的、詩でもかなり胸が悪くなりそうな差別・暴力(とくに女性。人種に対する)発言もある。

一方で2度も結婚したり、何人もの女性と同棲生活があったり・・・
とにかく本人じゃないと分からないってことだね。


前も言ったけど、アメリカっていう特殊な国、人々、価値観があまりに私たち日本人とかけ離れているのも
理解しようと試みる際のネックになっている。

“日本はアメリカから10年遅れた歴史をたどっている”て言葉通り、ルーの描く異常な世界がもう日本にもはびこっている。
音楽で私たちはルーが平穏と成長、安定を勝ちとったように、成長し、世間を一変させることが可能かしら?


さまざまに変貌を遂げていった過程は、ボウイと同じだけど、ボウイのほうが私にはしっくりくる。
いまだに宇宙的、人間離れしたキャラクターが残っている点で、これからも、その創造に目が離せない。

2人が緊密だった頃のちょっとしたショッキングなエピソード。
ボウイがルーの気に障る言葉を2度も言って、その度に、ルーがボウイを殴ったっていう。

'60、'70は、それまでの堅苦しいルール、価値観から抜け出して、文化・芸術、生活様式、思想、
あらゆる方面で自由に解放され、古いものを糾弾し、取り払った革命的な時代だったんだね。

今からたった20年ばかり前なのに、今では“なんでもあり”のことが、
20年前はやっとこさ生み出されたものだなんて、なんだか信じがたいフシギな話。


ロック、音楽界にもまた停滞の雲が生じ始めている今、'60のディランやヴェルヴェッツ、ボウイ、ボランのような
ショッキングで、感動的な次のステップを創り出すアーティストは出てこないのかしら?



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