■『さよなら、アンディ~ウォーホールの60年代』(1988)(平凡社)
原題:FAMOUS for 15 Minutes:My Years with ANDY WARHOL by Ultra Violet
ウルトラ・ヴァイオレット/著 入江直之、金子由美/訳
※1994.3~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
【内容抜粋メモ】
本名:イザベル・コラン・デュフレーヌ
1935年 フランス生まれの彼女が18歳で家を出てNYに渡り、
ダリを介してアンディと出会い、「ファクトリー」の仲間とともにフリークな生活を続け、
1987年2月、アンディが病院でこの世を去った後に書いた本。
D.ボウイ→B.ディラン→ディランの30周年記念コンサート→ルー・リード→
ヴェエルヴェッツ→アンディとたどり着いた私の'60~'70への探索。
噂の著書を図書館で発見して、約2週間で読み終えた。
これほどアンディが'60からずっとポップアーティストとして強烈な影響を与えていたとは知らなかった。
ただ、アンディとリキテンシュタイン展等を観に行って、例のマリリンのシルクスクリーンなんかが
なんとなく記憶に留まっていた程度。
今作はfactoryの面々と、とにかくセレブリティのゴシップ記事のピンナップを読んでいる感覚と、ウルトラの恋愛歴、
アンディと深く関わり合った1人でありながら、
彼女のヨーロッパでの厳しかった学校でのショック、規律で育った環境からか、
それともアートを人生そのものとして愛していることからか、半分、冷静に見つめている。
もっとも、これが書かれたのは20年後だから。
様々な日常生活(?)の様子、毎日のパーティ、またパーティ、パーティ=生活、
日々の雑誌に自分とアンディの記事が1つも載っていない日は“負け”と言いきるくらい、
有名人との出会い、自分の大胆さ、美しさ、新しいスタイルを売っている様子、
アンディの狙撃事件から何十年ぶりに実家に戻り、腸の病気、画家との別れを乗り越えて
聖書、心霊的なことにハマりながら、'60~'70の生き残りとして、
激しく、短く、永遠の炎を燃やした過去を鮮やかにイキイキと描いている。
それは、彼女が決してドラッグに手を出さなかったことが重要になっている。
それに比べて、私のprime of lifeは、なんて退屈で、静かに、
ほとんど誰にも気づかれないほど平凡に過ぎてゆくのかしら?
それとも私自身が故意にそうしているのか?
なんでもありで、自らの解放、古い慣習から脱皮して、10代の若者から全てを新しく塗り替えていった時代。
その舞台がアメリカ、とくにNYなら申し分ない。
そのエネルギーのもとは、主にアルコール、ドラッグ、ロックンロール、フリーセックス、
いつしかこれらは身体から、魂から、すべての人間的要素を破壊して、
無数の素晴らしいアーティストをカルト伝説を残して、その才能ごと奪い去ってしまった。
そして、'90年代のエイズ。
途中、所々にアンディやウルトラ自身が未来を予知夢で知るのをほのめかしているシーンもある。
忘れてならないのは、本人も前書きでことわっているように、今作で書いていること全部が
完全な記録、真実ではなく、自由な追想によって綴られていること。
なぜ、あすこまで名声を勝ち得ようとしたのか、などアンディの真の姿はいまだに、
たぶんこれからも謎のまま・・・
でも、なんといってもfactoryのメンバーでは最もノーマルに見えるウルトラが
(今作を読むかぎり、本人が描写しているのだから)これを書いたのは妥当だったといえる。
二十数年間を通してアンディと彼女の関係も微妙ながら、
どこか冷静な知性で結びついていたようだし。
でももし、他の誰かが同じ時代、同じfactory、そのメンバを正確に思い出すことが出来たなら
もっと別の角度で見えてくるだろう。
多くの記録フィルム(まさに'60のある日、ある場所での)アンディが
肌身離さず持ち歩いていたテープレコーダーがその証明となるかもしれない。
彼が死んだ1987年。
このもっともスキャンダラスでショッキングな死を、far East Japanの、田舎に住む私は、
何も知らずに無視していたのは、なんともフシギなことだ。
なにもかもに無頓着でいることは時として罪にも等しい。
ダリの死は、小さい記事をスクラップしたのみ。
しかし、彼らの作品は永遠に生き続ける。
今までとは違う、もうちょっと深い目、深い感覚で、それらを観ることができるだろうと思う。
まだ書き足りないが、この本をいつか手にすることで少しは補えるか。
"Everyone will be famous for fifteen minutes."
(15分だけなら誰もが有名になれるだろう)
tin machineを始めたボウイの1枚目のアルバムで♪Andy, Where's my fifteen minutes? といったのは、
このことだったのかと気づいた。
本書の中で、いちいちに何年のことかを記録してあるのはスゴイけど、
'60~'70、いろんな年代のエピソードが順不同に入っているから
読み終えるまで、これはアンディの狙撃前なのか後なのか、生前か死後か、
またはジャニスやジミの生前か死後かが分からない。
私はこれらの好きなロックシンガーらの伝記を読むたびに
すべての一覧表を作りたい衝動に駆られる。
それによって同じ文章でも、その裏の心理的なシチュエーション等が大きく違って見えるから。
ルーの名曲♪Walk on the Wild Side にはキャンディ・ダーリング、ジャッキーらfactory仲間の名前が次々登場してくる。
これでこの名前(ほとんどが偽名)をもつ人物が、どんな人物だったのか
イメージをふくらませることができ、曲自体もふくらんでゆく。
この'60~'70の研究。しばらくは、私の興味をとらえて離さないだろう。
この時代を生きなかっただけでも、かなりのロスだから。
せめて、どんな時代だったのか、そこに生き、死に急いだ人たちはどうだったのかを
もっと詳しく知り、イメージを掴むために。
原題:FAMOUS for 15 Minutes:My Years with ANDY WARHOL by Ultra Violet
ウルトラ・ヴァイオレット/著 入江直之、金子由美/訳
※1994.3~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
【内容抜粋メモ】
本名:イザベル・コラン・デュフレーヌ
1935年 フランス生まれの彼女が18歳で家を出てNYに渡り、
ダリを介してアンディと出会い、「ファクトリー」の仲間とともにフリークな生活を続け、
1987年2月、アンディが病院でこの世を去った後に書いた本。
D.ボウイ→B.ディラン→ディランの30周年記念コンサート→ルー・リード→
ヴェエルヴェッツ→アンディとたどり着いた私の'60~'70への探索。
噂の著書を図書館で発見して、約2週間で読み終えた。
これほどアンディが'60からずっとポップアーティストとして強烈な影響を与えていたとは知らなかった。
ただ、アンディとリキテンシュタイン展等を観に行って、例のマリリンのシルクスクリーンなんかが
なんとなく記憶に留まっていた程度。
今作はfactoryの面々と、とにかくセレブリティのゴシップ記事のピンナップを読んでいる感覚と、ウルトラの恋愛歴、
アンディと深く関わり合った1人でありながら、
彼女のヨーロッパでの厳しかった学校でのショック、規律で育った環境からか、
それともアートを人生そのものとして愛していることからか、半分、冷静に見つめている。
もっとも、これが書かれたのは20年後だから。
様々な日常生活(?)の様子、毎日のパーティ、またパーティ、パーティ=生活、
日々の雑誌に自分とアンディの記事が1つも載っていない日は“負け”と言いきるくらい、
有名人との出会い、自分の大胆さ、美しさ、新しいスタイルを売っている様子、
アンディの狙撃事件から何十年ぶりに実家に戻り、腸の病気、画家との別れを乗り越えて
聖書、心霊的なことにハマりながら、'60~'70の生き残りとして、
激しく、短く、永遠の炎を燃やした過去を鮮やかにイキイキと描いている。
それは、彼女が決してドラッグに手を出さなかったことが重要になっている。
それに比べて、私のprime of lifeは、なんて退屈で、静かに、
ほとんど誰にも気づかれないほど平凡に過ぎてゆくのかしら?
それとも私自身が故意にそうしているのか?
なんでもありで、自らの解放、古い慣習から脱皮して、10代の若者から全てを新しく塗り替えていった時代。
その舞台がアメリカ、とくにNYなら申し分ない。
そのエネルギーのもとは、主にアルコール、ドラッグ、ロックンロール、フリーセックス、
いつしかこれらは身体から、魂から、すべての人間的要素を破壊して、
無数の素晴らしいアーティストをカルト伝説を残して、その才能ごと奪い去ってしまった。
そして、'90年代のエイズ。
途中、所々にアンディやウルトラ自身が未来を予知夢で知るのをほのめかしているシーンもある。
忘れてならないのは、本人も前書きでことわっているように、今作で書いていること全部が
完全な記録、真実ではなく、自由な追想によって綴られていること。
なぜ、あすこまで名声を勝ち得ようとしたのか、などアンディの真の姿はいまだに、
たぶんこれからも謎のまま・・・
でも、なんといってもfactoryのメンバーでは最もノーマルに見えるウルトラが
(今作を読むかぎり、本人が描写しているのだから)これを書いたのは妥当だったといえる。
二十数年間を通してアンディと彼女の関係も微妙ながら、
どこか冷静な知性で結びついていたようだし。
でももし、他の誰かが同じ時代、同じfactory、そのメンバを正確に思い出すことが出来たなら
もっと別の角度で見えてくるだろう。
多くの記録フィルム(まさに'60のある日、ある場所での)アンディが
肌身離さず持ち歩いていたテープレコーダーがその証明となるかもしれない。
彼が死んだ1987年。
このもっともスキャンダラスでショッキングな死を、far East Japanの、田舎に住む私は、
何も知らずに無視していたのは、なんともフシギなことだ。
なにもかもに無頓着でいることは時として罪にも等しい。
ダリの死は、小さい記事をスクラップしたのみ。
しかし、彼らの作品は永遠に生き続ける。
今までとは違う、もうちょっと深い目、深い感覚で、それらを観ることができるだろうと思う。
まだ書き足りないが、この本をいつか手にすることで少しは補えるか。
"Everyone will be famous for fifteen minutes."
(15分だけなら誰もが有名になれるだろう)
tin machineを始めたボウイの1枚目のアルバムで♪Andy, Where's my fifteen minutes? といったのは、
このことだったのかと気づいた。
本書の中で、いちいちに何年のことかを記録してあるのはスゴイけど、
'60~'70、いろんな年代のエピソードが順不同に入っているから
読み終えるまで、これはアンディの狙撃前なのか後なのか、生前か死後か、
またはジャニスやジミの生前か死後かが分からない。
私はこれらの好きなロックシンガーらの伝記を読むたびに
すべての一覧表を作りたい衝動に駆られる。
それによって同じ文章でも、その裏の心理的なシチュエーション等が大きく違って見えるから。
ルーの名曲♪Walk on the Wild Side にはキャンディ・ダーリング、ジャッキーらfactory仲間の名前が次々登場してくる。
これでこの名前(ほとんどが偽名)をもつ人物が、どんな人物だったのか
イメージをふくらませることができ、曲自体もふくらんでゆく。
この'60~'70の研究。しばらくは、私の興味をとらえて離さないだろう。
この時代を生きなかっただけでも、かなりのロスだから。
せめて、どんな時代だったのか、そこに生き、死に急いだ人たちはどうだったのかを
もっと詳しく知り、イメージを掴むために。