■『山岸凉子全集 日出処の天子 8』(角川書店)
山岸凉子/著 1986年初版
※2001.8~のノートよりメモを抜粋しました。
※「マンガ感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
▼あらすじ(ネタバレ注意
蘇我の兵の少なさを夜の松明を増やして難を逃れる。
大王が獲ったイノシシを蘇我の首に例えたことで、東国の調(みつぎ)使いにやつし、
直駒に大王を襲わせて、ついに乱戦となる
布都姫に化けた河上娘は、直駒につれられ、大王と額田部女王は殺され、
布都姫を殺そうとして白髪女を殺した厩戸王子がとどめを刺すのを止める毛人。
「布都姫を殺すなら私も」
ショックの厩戸王子を淡水は隠れ家にかくまってなぐさめる。
(彼もゲイ? 調子麻呂も身に覚えがあるみたいだし
布都姫とついに思いを遂げる毛人。
河上娘は、直駒とともに厩戸王子の命令で淡水に殺される。
布都姫は毛人の子を身ごもる。
厩戸王子は、毛人に元は1つと諭すが
「人を超えた力を持つべきでないから、同性に生まれ、結ばれるべきじゃない。
人として成すには、男女が必要。王子の愛は、相手を飲み込み、自らと同化させること。
私を愛していると言って、実は自分自身を愛している。
その思いから抜け出さない限り、人は孤独から逃れられない」
厩戸王子の留守中に八角堂に入った刀自古郎女は、厩戸王子も兄を愛していると告げられる。
額田部女王が大王、厩戸王子が大兄となり、実の執政者の座を得る。
布都姫は、子(蘇我入鹿)を産んで他界。
阿倍氏は、毛人の通っていた妹を母として後見人を買って出る。
毛人は、厩戸王子が新妻に迎えた浮浪児で知的障害の10歳の少女が
母・間人媛に似ていることに愕然とする。
「ムダと分かっても生きてゆく。
仏が何者も救わぬと知っていながら、なお仏を見るように、
見ざるを得ないことが“救い”なのか。
それが仏を信じるということなのか?」
隋への使いの書の出だしを「日出処の天子、書を日没の天子へいたす・・・」と記す。
*
第9巻もあるんだ。別話かな?
うーーーーーーん、久々、熱くなってしまった!
これまで読んだどんなものより、これほど聖徳太子と蘇我の息子が麗しく、妖しげに描かれたことはないだろうなあ。
どこまでが史実やら、脚色なのかも分からない。
気になるのは、同じ毛人の子・入鹿と山背王子が、後々争うことになるんじゃなかった?
いつも夢に見た山背の死体からして、幼くして暗殺されるということか?
それにしても、いつの時代も権力争いで、常に自分の子孫を長く続けていこうと、そればかりに翻弄される人の姿は滑稽だ。
それに力を貸す神仏も退屈じゃなかろうか?
それでも少しずつは進化しているのか?
栄華盛衰、世は常ならず、の摂理で、傍観しているだけなのかもしれない。
歴史の教科書では数行で済んでしまうが、当時、実際に生きていた人々は
こんな風にもがき、あがいて、それぞれの人生を送っていたのかもしれない。
本作でまともに幸せになった人などいないんじゃないかな?
刀自古郎女の不幸も相当だし、それを上回る厩戸王子の孤独と悲恋。
ひとときの歴史絵巻に酔いしれた1週間だった。
(歴史に疎いため、途中、名前やストーリーに勘違いがあるかもしれないのはご容赦くださいませ・・・/謝
山岸凉子/著 1986年初版
※2001.8~のノートよりメモを抜粋しました。
※「マンガ感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
▼あらすじ(ネタバレ注意
蘇我の兵の少なさを夜の松明を増やして難を逃れる。
大王が獲ったイノシシを蘇我の首に例えたことで、東国の調(みつぎ)使いにやつし、
直駒に大王を襲わせて、ついに乱戦となる
布都姫に化けた河上娘は、直駒につれられ、大王と額田部女王は殺され、
布都姫を殺そうとして白髪女を殺した厩戸王子がとどめを刺すのを止める毛人。
「布都姫を殺すなら私も」
ショックの厩戸王子を淡水は隠れ家にかくまってなぐさめる。
(彼もゲイ? 調子麻呂も身に覚えがあるみたいだし
布都姫とついに思いを遂げる毛人。
河上娘は、直駒とともに厩戸王子の命令で淡水に殺される。
布都姫は毛人の子を身ごもる。
厩戸王子は、毛人に元は1つと諭すが
「人を超えた力を持つべきでないから、同性に生まれ、結ばれるべきじゃない。
人として成すには、男女が必要。王子の愛は、相手を飲み込み、自らと同化させること。
私を愛していると言って、実は自分自身を愛している。
その思いから抜け出さない限り、人は孤独から逃れられない」
厩戸王子の留守中に八角堂に入った刀自古郎女は、厩戸王子も兄を愛していると告げられる。
額田部女王が大王、厩戸王子が大兄となり、実の執政者の座を得る。
布都姫は、子(蘇我入鹿)を産んで他界。
阿倍氏は、毛人の通っていた妹を母として後見人を買って出る。
毛人は、厩戸王子が新妻に迎えた浮浪児で知的障害の10歳の少女が
母・間人媛に似ていることに愕然とする。
「ムダと分かっても生きてゆく。
仏が何者も救わぬと知っていながら、なお仏を見るように、
見ざるを得ないことが“救い”なのか。
それが仏を信じるということなのか?」
隋への使いの書の出だしを「日出処の天子、書を日没の天子へいたす・・・」と記す。
*
第9巻もあるんだ。別話かな?
うーーーーーーん、久々、熱くなってしまった!
これまで読んだどんなものより、これほど聖徳太子と蘇我の息子が麗しく、妖しげに描かれたことはないだろうなあ。
どこまでが史実やら、脚色なのかも分からない。
気になるのは、同じ毛人の子・入鹿と山背王子が、後々争うことになるんじゃなかった?
いつも夢に見た山背の死体からして、幼くして暗殺されるということか?
それにしても、いつの時代も権力争いで、常に自分の子孫を長く続けていこうと、そればかりに翻弄される人の姿は滑稽だ。
それに力を貸す神仏も退屈じゃなかろうか?
それでも少しずつは進化しているのか?
栄華盛衰、世は常ならず、の摂理で、傍観しているだけなのかもしれない。
歴史の教科書では数行で済んでしまうが、当時、実際に生きていた人々は
こんな風にもがき、あがいて、それぞれの人生を送っていたのかもしれない。
本作でまともに幸せになった人などいないんじゃないかな?
刀自古郎女の不幸も相当だし、それを上回る厩戸王子の孤独と悲恋。
ひとときの歴史絵巻に酔いしれた1週間だった。
(歴史に疎いため、途中、名前やストーリーに勘違いがあるかもしれないのはご容赦くださいませ・・・/謝