■プリンス 孤独な天才@SONGS
[セットリスト]
♪Let' Go Crazy(1984)
♪When Doves Cry(1984)
♪KISS(1986)
♪Purple Rain(1984)
私がプリンスを知ったのは、たぶん短大時代の友だちが好きだって聞いてから。
アルバムを聴いたのは『Purple Rain』1枚のみ。映画も観た。
あれ! 誕生日がいっしょって初めて知った
(ウィキ参照
私は、徹底的に全アルバムを漁る場合と、1枚で大満足してしまう場合がある。
その友だちが、プリンスに影響を受けたレニー・クラヴィッツにハマって、ライヴに行き、
「これまで観た中で一番良かった
」と言っていたのを覚えている。
レニー・クラヴィッツも1枚聴いて、うん、路線が似てると思って、それ以上は掘り下げずにいた。
その時々で、世界を沸かせたニュースは耳にしていたし、精力的な活動を続けている、
これからも続けていくと思っていた矢先の突然の訃報。
遅ればせながら、この追悼番組を見て、彼の多才さ、スピリチュアルな発言から
単に派手なステージで魅了してきただけじゃないことが分かった。
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<追悼>
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スティーヴィ:
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彼は本当に偉大だった。最後に会った時“愛してる”と伝えられて良かった。
彼の音楽は人生の喜び、SEXとパッションをMIXしたものだ。
自分の内面を、聴いているみんなにすべて曝け出す
マドンナ:
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彼は世界を変えた。夢を音楽で語れる人だった。
ミック:
この30年でもっともユニークで、エキサイティングなアーティストだった。
<貴重なライヴ映像>
1988.9.9 ドイツの『LOVE SEXY TOUR』ライヴは、NHKで1度だけ放送したプリンス絶頂期の映像
OP:
愛する人々よ。
今日ここに集まったのは、人生をうまく生き抜くためだ
♪Let' Go Crazy(1984)
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コール&レスポンス、エレクトリックギターのうねり、美しい肢体。最後はギターを客席に投げる。
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彼の曲作りと、自身の魂との対話にすごく惹かれた
僕を導いてくれたのは彼だ。楽器をすべて自分を演奏すること
そして自身の信念を貫くところも彼を参考にした
12歳の時、もう僕にはこれしかないと思った
一生音楽でやっていくんだと
<デビューは1978>
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すべてをこなし、「スティーヴィ以来の天才」と言われたが、なかなかNo.1ヒットは出なかった。
<MTV時代の寵児>
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ほぼ白人アーティストばかりだったMTVがヘヴィロテ
<当時23歳(プリンスと同い年)のマイケルがブレイク>
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マイケルのほうが年上だと思った/驚
<映像で勝負するなら映画をつくろう>
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原案・音楽・主演をこなす
両親の不和、音楽仲間との確執を乗り越えスターになる「自伝的映画」
赤裸々に描かれた映画は共感を呼び、爆発的ヒットとなる
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ダブル受賞はマイケルも成し得なかった快挙
「自分の生きてきた人生を記録したかった
当時は他に才能のある奴もいた。たくさんのライバルに囲まれていたし」
<プリンス最大のヒット曲♪When Doves Cry(1984)>(私も大好き
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♪Purple Rainの2年後に初来日し、旋風を巻き起こす
その時の全米No.1ヒット♪KISS
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<We are the World>
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プリンスは当初マイケルのオファーを承諾するが、レコーディング当日にドタキャン
「みんなとは一緒に歌いたくはない」
<群れることを嫌う一匹狼にさせたのは、生い立ち>
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売れないジャズピアニストの父と、歌手の母は、プリンスが7歳の時に離婚
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Q:残酷な子ども時代だったみたいですね
時にはね
Q:それが音楽に影響を?
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自身を見つめ直して、本当にやらねばならないことを見極められるようにはなったかな
スタジオ
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スターになった後も、故郷に建てた巨大なスタジオに引きこもり、1人で多重録音を続けた
レコード会社にとっては、自分勝手でエゴイスティックなアーティストに映った
<レコード会社との確執>
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“プリンス”として活動を続けられない状況まで追い詰められる(アーティストを金や制約で縛るってどうなの?
立ち止まって時間を無駄にしたくない
だから前へ進もうと頑張るんだ
激しい憎しみを感じていることもあるけど。僕の作品の権利を持っている会社と
僕の作品が人の手にあるというのに納得いかなかった
道端で子どもに「パープルレインは僕のものじゃない」と言ったらビックリされるだろ?
レコード会社のビジネスマンは、自分の会社に利益をもたらす
でも僕だって、自分に利益をもたらすことをしてもいい
僕にとって、それは自分の作品の権利を持つこと
だから、じぶんと名前を切り離すことに決めた
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顔には「SLAVE(奴隷)」とペイント
巨大な芸能ビジネスと訣別し、インディペンデントな活動を貫く
Q:有名になった後に名前を変える人は滅多にいないが、どうして?
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考えた結果、自分の新しい人生のステージに進むべきだと思ったから名前を変えようと決めた
そうすることで、今までの自分を切り離せた(divorce me from the past)ように思えた
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結局ハートを選んだよ
<復活への道>
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華やかな80年代とは対照的に、90年代には爆発的ヒットは出せず低迷がつづく
それを救ったのは、自らのルーツであるブラックミュージックへの愛
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世界で絶賛され、完全復活
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壮大なパフォーマンスで全米を熱狂させた
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<最後のステージ>
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スティーヴィ:
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彼はとても自由だった。何も恐れなかったところが偉大だ
恐怖に負けずに自分の夢を貫くのは素晴らしいことだ
Q:自分の音楽をどう定義しますか?
僕は枠にはめられるのが嫌いだ。だから“インスピレーション音楽”とだけ言っておこうかな
心から作られている音楽はみんなそうだ。全身全霊をこめている人たちのはね
芸術とインスピレーションは、何より優先して大切に育てるべきだ
そうすれば、たとえ低迷しても必ず何かをつかんで迷路を抜け出せるから
♪Purple Rain(1984)
会場全体がサビを歌う。熱く長いギターソロが酔わせる
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[セットリスト]
♪Let' Go Crazy(1984)
♪When Doves Cry(1984)
♪KISS(1986)
♪Purple Rain(1984)
私がプリンスを知ったのは、たぶん短大時代の友だちが好きだって聞いてから。
アルバムを聴いたのは『Purple Rain』1枚のみ。映画も観た。
あれ! 誕生日がいっしょって初めて知った

私は、徹底的に全アルバムを漁る場合と、1枚で大満足してしまう場合がある。
その友だちが、プリンスに影響を受けたレニー・クラヴィッツにハマって、ライヴに行き、
「これまで観た中で一番良かった

レニー・クラヴィッツも1枚聴いて、うん、路線が似てると思って、それ以上は掘り下げずにいた。
その時々で、世界を沸かせたニュースは耳にしていたし、精力的な活動を続けている、
これからも続けていくと思っていた矢先の突然の訃報。
遅ればせながら、この追悼番組を見て、彼の多才さ、スピリチュアルな発言から
単に派手なステージで魅了してきただけじゃないことが分かった。


<追悼>

スティーヴィ:

彼は本当に偉大だった。最後に会った時“愛してる”と伝えられて良かった。
彼の音楽は人生の喜び、SEXとパッションをMIXしたものだ。
自分の内面を、聴いているみんなにすべて曝け出す
マドンナ:

彼は世界を変えた。夢を音楽で語れる人だった。
ミック:
この30年でもっともユニークで、エキサイティングなアーティストだった。
<貴重なライヴ映像>
1988.9.9 ドイツの『LOVE SEXY TOUR』ライヴは、NHKで1度だけ放送したプリンス絶頂期の映像
OP:
愛する人々よ。
今日ここに集まったのは、人生をうまく生き抜くためだ
♪Let' Go Crazy(1984)


コール&レスポンス、エレクトリックギターのうねり、美しい肢体。最後はギターを客席に投げる。

彼の曲作りと、自身の魂との対話にすごく惹かれた
僕を導いてくれたのは彼だ。楽器をすべて自分を演奏すること
そして自身の信念を貫くところも彼を参考にした
12歳の時、もう僕にはこれしかないと思った
一生音楽でやっていくんだと
<デビューは1978>


すべてをこなし、「スティーヴィ以来の天才」と言われたが、なかなかNo.1ヒットは出なかった。
<MTV時代の寵児>


ほぼ白人アーティストばかりだったMTVがヘヴィロテ
<当時23歳(プリンスと同い年)のマイケルがブレイク>


マイケルのほうが年上だと思った/驚
<映像で勝負するなら映画をつくろう>

原案・音楽・主演をこなす
両親の不和、音楽仲間との確執を乗り越えスターになる「自伝的映画」
赤裸々に描かれた映画は共感を呼び、爆発的ヒットとなる

ダブル受賞はマイケルも成し得なかった快挙
「自分の生きてきた人生を記録したかった
当時は他に才能のある奴もいた。たくさんのライバルに囲まれていたし」
<プリンス最大のヒット曲♪When Doves Cry(1984)>(私も大好き

♪Purple Rainの2年後に初来日し、旋風を巻き起こす
その時の全米No.1ヒット♪KISS


<We are the World>



プリンスは当初マイケルのオファーを承諾するが、レコーディング当日にドタキャン
「みんなとは一緒に歌いたくはない」
<群れることを嫌う一匹狼にさせたのは、生い立ち>

売れないジャズピアニストの父と、歌手の母は、プリンスが7歳の時に離婚

Q:残酷な子ども時代だったみたいですね
時にはね
Q:それが音楽に影響を?

自身を見つめ直して、本当にやらねばならないことを見極められるようにはなったかな
スタジオ

スターになった後も、故郷に建てた巨大なスタジオに引きこもり、1人で多重録音を続けた
レコード会社にとっては、自分勝手でエゴイスティックなアーティストに映った
<レコード会社との確執>

“プリンス”として活動を続けられない状況まで追い詰められる(アーティストを金や制約で縛るってどうなの?
立ち止まって時間を無駄にしたくない
だから前へ進もうと頑張るんだ
激しい憎しみを感じていることもあるけど。僕の作品の権利を持っている会社と
僕の作品が人の手にあるというのに納得いかなかった
道端で子どもに「パープルレインは僕のものじゃない」と言ったらビックリされるだろ?
レコード会社のビジネスマンは、自分の会社に利益をもたらす
でも僕だって、自分に利益をもたらすことをしてもいい
僕にとって、それは自分の作品の権利を持つこと
だから、じぶんと名前を切り離すことに決めた

顔には「SLAVE(奴隷)」とペイント
巨大な芸能ビジネスと訣別し、インディペンデントな活動を貫く
Q:有名になった後に名前を変える人は滅多にいないが、どうして?

考えた結果、自分の新しい人生のステージに進むべきだと思ったから名前を変えようと決めた
そうすることで、今までの自分を切り離せた(divorce me from the past)ように思えた

結局ハートを選んだよ
<復活への道>

華やかな80年代とは対照的に、90年代には爆発的ヒットは出せず低迷がつづく
それを救ったのは、自らのルーツであるブラックミュージックへの愛


世界で絶賛され、完全復活


壮大なパフォーマンスで全米を熱狂させた

<最後のステージ>

スティーヴィ:


彼はとても自由だった。何も恐れなかったところが偉大だ
恐怖に負けずに自分の夢を貫くのは素晴らしいことだ
Q:自分の音楽をどう定義しますか?
僕は枠にはめられるのが嫌いだ。だから“インスピレーション音楽”とだけ言っておこうかな
心から作られている音楽はみんなそうだ。全身全霊をこめている人たちのはね
芸術とインスピレーションは、何より優先して大切に育てるべきだ
そうすれば、たとえ低迷しても必ず何かをつかんで迷路を抜け出せるから
♪Purple Rain(1984)
会場全体がサビを歌う。熱く長いギターソロが酔わせる



