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『心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社) その2

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『人生の流れを変える瞑想クイック・マニュアル 心をピュアにするヴィパッサナー瞑想入門』(春秋社)
地橋秀雄/著

サティの瞑想 チェックポイント

29 毎日、最低10分間瞑想すればOK
今の瞬間の状態に気づく心を養うのが最大のポイント。
妄想に巻き込まれても、脳細胞にサティという心が安定して現れるための回路が形成される。

時間帯は、食べ過ぎている時、疲労、混乱している時は×
腹7~8分目のバランスのよい食事の3時間後など、体調が良く、頭が冴えている時やれば雲泥の差。

内容の良い瞑想ができている時は、できるだけ長い時間やる。
瞑想が深くなると、自然に短眠型になる傾向にある。

ラフなサティでもよい。頻度と密度、どちらからでも瞑想は進む。


30 時間より内容が大事
一般的な「サマタ瞑想」の場合は、集中が途切れず、長時間座る瞑想ができれば進歩。
また、集中力が高まると「ニミッタ(相)」と呼ばれる「ヴィジョン(視覚映像)」が現れ、
時間が長く、大きさ、形をコントロールできれば上達(なんだろ、それ驚×5000

どんな自分の心の状態も、ありのままに認めて、客観視できているかどうか。
「最近、爽やかで、スッキリしてる」「バタバタしなくなったね」など、
自己評価より、親しい人から評価されれば本物。
物事の流れがよくなり、環境全体が整ってくるなど。


31 「優勢の法則」「50-50(フィフティ・フィフティ)の法則」
お腹、足裏の中心対象に集中するのが原則。
迷ったら印象の強いほうにサティを入れる。
雑念が浮かんでも微弱なら無視して、雑念の印象が中心対象を上回れば「妄想」「雑念」「思考」とラベリングする。


32 日常生活でのサティ「自覚のサティ」
日常生活で完璧にサティを入れるのはとても難しいので、できなくて当然と考える。
ある一定の事柄、時間帯だけと課題にすればできる可能性もある。
流れ作業、包装、調理の下ごしらえなど「ルーティンワーク」にはサティを入れやすい。

日常生活では、ラベリングを「過去形」→「現在形」に変え、身体動作のセンセーションを感じなくてよいのがポイント。

「法の確認のサティ」
心に作られる概念の世界と、客観的事実のみのダンマ(法)の世界とを識別するのが主な目的。
例えば、「痛み」と「不安」がゴッチャになると、痛みが増幅されがち。「妄想」が心理的苦しみを作り出す(パニ障にも通じるかも

今、自分が何をしているのか自覚できれば、目的は達せられている。

テーマを絞ってやるとやりやすい。
怒りを感じた時だけサティを入れる、など。

生きていくことは、汚れることです。
悪い心、汚い心をピュアにしていくことこそ、サティのもっとも大事な目的。


33
サティの瞑想の最中に咳をした人に「慈悲の瞑想」をすれば、サティは脱線する。
快・不快、好き嫌い、善悪に執われるのが人の心。
しかし、すべて「公平」「等価」「客観的」に観る「捨(ウペッカー)」の心を育てること。

エゴは私たちの心に深く根ざしているので、「主観的な反応」を許せば、エゴモードに墜ちてしまう。
「私は人を思いやる気持ちがある」「心が成長したようだ」などの思考も対象化する。

「現象を経験する心」と「それを確認する心」の2つしか存在しないということを徹底して検証することが、
エゴの超克を目指すヴィパッサナー瞑想。


34 「歩く瞑想」のラベリング(インストラクターさんはこれをカルチャーセンターで学んだ
足裏全体が着地した時点で、1回だけ「着いた」とラベリングする。

「感覚を実感する」ことと「ラベリング」に使う心の比率は、9対1に配分する。
足を上げた後、1、2秒待ってからサティを入れるくらいがよい。足を上げた後の余韻をジワーンと感じる。

身体にせよ、心にせよ、生じたものは必ず壊れ変滅していくという「無常性」を1足ごとに確認する。


35 眠気の対策法1
眠気は、瞑想の最大の敵。対策法は4つある。

①体をスッキリ整える
栄養バランスのよい食事を少なめに摂る。目安は腹6~7分目。
力仕事なら9分目だが、瞑想・頭脳労働には、運動エネルギーはあまり必要ないので、抑えたほうがよい。

②眠気は、心理的要因からも発生する
仏教では、生物に必要な「生理的睡眠」と「煩悩としての睡眠」の2つに分ける。
ボーっと眠い時の心は、物事の本質がよく見えない「無明」に似ている。

眠気は「思考」から始まる。
イライラ、嫌悪、怒り、批判、自慢、欲、貪り、嫉妬、物惜しみ・・・などの「煩悩」に変わり、
別の煩悩に連鎖し、最後は眠気にたどり着くのが典型的なパターン。


36 眠気の対策法2
①眠気にサティを入れて見送ると、妄想の流れが断ち切られ、我に返る「切断作用」

②体の感覚と、心の状態に仕分けてサティを入れる。仕事が具体化すると、注意が向けやすい。
 眠気を嫌っていないか、まどろみを楽しんでいないか?
 「分析論」は、原始仏教の方法論の特徴。


37 眠気の対策法3 受け入れれば終わる
私たちは、どんなことも知覚された瞬間、好きか、嫌いかを反射的に決めてしまう。
「ありのままに観る」訓練のメリットは、エゴを離れた「ニュートラル」な立場からとらえられること。
眠気も、現象として受け入れる。来るものは来る、消えるものは消える。それをただ眺める。


38 病の時も瞑想できる?
具合が悪いと、心配、不安など暗い妄想が浮かび、エスカレートしていく。
身体的な苦の感覚は、心が落ち着いていれば、けっして耐えられないものではない。

具合が悪い時は、中心対象を定めず、「熱感」「妄想」など、「六門」(眼、耳、鼻、舌、身、意)に触れた情報に淡々とサティを入れて流す。
柳に風、受動的に徹すると疲れない。


39 痛みなど苦受が現れたほうが都合がよい
よい現象が起きた時のきれいな心を確認しても、心を清らかにする清浄道ではプラスにならない。
条件の良し悪しにこだわらず取り組む姿勢が、等価にみて反応しないようにする「捨」の心を鍛える。
どんな不快な情況でも、やるだけのことはやって、それでも変えようがなければ、有り難く受け入れればよい。

自分の運命を呪うのは愚かなこと。不遇な情況から多くの学びを得るのが心の成長。


慈悲の瞑想・チェックポイント

40 戦争は、集団的エゴとエゴの激突 
ヒトはなぜ争い、戦争をするのか?
快を求め、不快を避け、幸福を求めるエゴの集団同士が争ってきたのがヒトの歴史

仏教は、「無我論」(エゴを超えた「慈悲」)の確立を目指している。
愛のエネルギーは一転すると、復讐、憎悪に変わるかもしれない。例:ウチの子だけがカワイイ。

「慈悲」の最大の特徴は、「無差別平等性」。


41
私たちのいる「現象の世界」は、お互いの心の波動が対応しあう構造になっている。「類は友を呼ぶ」
怒り、敵意、警戒心のないオープンな心で、優しい波動を発信すれば、相手にも優しい気持ちがすぐに現れる。

サティが、自我感、エゴ妄想を滅ぼす2つの理由。

①一瞬ごとを、経験することすべてを、無差別平等に気づく訓練だから

②エゴがどこから生まれるのか現場検証する営みだから

「この私」と執着しているエゴは、偽の印象にすぎない。「無我論」

「見えた」「聞こえた」瞬間、何か連想されたら「連想」「思考」とサティを入れると、
エゴは「思考」から生まれると検証され、瞑想が深まるほど、エゴには実体がないと分かる。

「慈悲の瞑想」は、簡単に、いつでも、どこでも、誰にでも、すぐにできる。
たとえ集中できなくても、慈悲の言葉を繰り返すと、反応系の心に慈悲の精神がインストールされる。

慈悲の波動を発信しつづけると、自分の心体が調和するだけでなく、外界と和合し、優しい世界が現れる


42
他人の相談にのる時、共感しすぎて、同じように苦しくなることがある。
「私が・・・」というエゴ感覚でする仕事は疲れる。
心理療法、看護婦、ヒトに接する仕事の方には重大な問題。

①慈悲の瞑想を念入りにして、心を慈悲モードにする。「一生懸命、淡々と」の意識で接する。
 母のような優しさ+聖なる無関心が両立するのが理想的。

②ブッダが説いたダンマ(理法)+それを伝えたサンガ(僧団)にゆだねる。「全託」
原始仏教では、ブッダ、ダンマ、サンガの三宝が至高の存在。


43
「慈悲の瞑想」は、私→親しい人々→生きとし生けるもの、の順番で心を集中させる。

「四無量心」(慈・悲・喜・捨)の4つの心
慈:存在同士を和合させる慈しみの心
悲(カルナー):苦しんでいる命に同情し、苦しみを取り除いてあげたいという憐れみの心
喜:幸せな状態の命とともに喜び、共感する心
捨(ウペッカー):すべてを公平に見る心。これが成長すると、対象に巻き込まれ、振り回されることが減る。
これがないと、自分の愛情、行為に対して見返りを期待するようになりがち。愛が憎しみに変わってしまう。

すべてを平等に眺める視座と、自己中心的なエゴは、正反対。
相手を選ぶことなく、清潔な距離を保ち、静かに、優しく、慈しみ、共感する。
「捨」の心が揺るぎなく完成すれば悟りに達する。


人生をリセットする瞑想

44 「懺悔の瞑想」
私たちは、皆、過去になんらかの過ちを犯し、悔いを残している。
心が握り締めていたものを手放すためには、きちんと納得し、了解感を与えること。
「同じ過ちを繰り返しません」と「懺悔の瞑想」をして、過去に執われる心に終止符を打つ。

ポイント:
自責の念、罪業感、自虐的な状態から自分を解き放つ。
悪かったのは「私」ではなく「無知」だったこと。
傷つけた人を思い浮かべ、心の中で深く懺悔すれば、ラクになる。

“「五戒」(後述)を守って、正しく生きていくので、赦してください”と誓うことで、過去はリセットされる。「無常の法則」


45 「後悔」しても、起きた事実は変わらない
2つの後悔:
「なぜあんなことをやってしまったのだろう」「なぜもっとやらなかったのだろう」

最初の過ちで悪いカルマを作ったことで、充分。それを蒸し返す後悔はカルマを増産する愚かな行為。
「後悔」は悪いカルマを作る「煩悩」と認識する。

後悔の原因:
①プライド:理想の自己イメージが、ありのままの自分を裁いている。「自惚れ」
②完全主義で、現実を受け入れられない。

理想の追求は向上心を高めるが、問題は理想イメージに執着すること。
失敗からは学ぶべきものを学び向上すればよい。


46 「償いの善行」
他人に犯した過ちは、大きいほど、なかなか忘れられない。
乗り越える1つの方法は「懺悔の瞑想」。

それでも解放されなければ「償いの善行」。過ちと正反対の善行を他人にしてあげること。
相手は、傷つけた相手でなくても構わない。縁のある誰か。

ヒトの心には、自分を責めるプログラムと、自分に赦しを与えるプログラムも組み込まれている。


47
仏教の戒律は、自分のやりたいことを邪魔する「禁止事項」ではない。
自分のやるべきことに対する明確な「判断基軸」「行動規範」がないと迷いが多くなる。

仏教では「嘘をつかない」のほかにも、悪口・陰口を囁かず、乱暴な言葉を使わず、無駄話をしないと教えている。
それを意識することで、自分の中の「被害者意識」に気づく。
カルマ論では、他人の悪口、批判をすれば、いつか自分に返ってくる。


48 「なぜ私がこんな目に・・・」と嘆いたり、周囲を同じ境遇に巻き込んだり
人生の悪い流れを変えるには、まず、心を大きく変えること。
「私は、この苦しみを、他人には与えない」と決意してみる。
「嘆かない」「仕返しをしない」「ふてくされない」と決める。

本気で嫌なことを肯定するのは難しいので、嫌なことが起きたら有り難いと発想を変える。
人生の苦に直面しなければ瞑想に興味をもつことはなかった。
痛み、苦(ドゥッカ)を経験したことがない人には、他人の痛みは分からない。

深い「共感能力」を養っていると考える。
人生は、いつでも、どこからでも、やり直せる。
法(真実の状態)には、勝ち負け、貧富、美醜、賢愚、優劣など「二元対立」する概念はない。


49 五戒のネックは「不飲酒戒」?
原始仏教の特徴は、よく分からないもの、納得いかないことを、強引に信じさせる要素はない。
疑問はきちんと検証し、迷いのない状態で「信」を定めるのが良い。

どうすれば、「不飲酒戒」を守れるか?:

①ヤケ酒の要素がないか観察する。問題を直視して、自棄を起こさせる真の原因を明確にしないと繰り返す。

②日常に慢性的な不満があり、その代償として飲んでいないか。

③お酒はほんとうに、苦しいこと、嫌なことを忘れさせる快楽か検証する

「無明」心に闇があり、真実が分からない状態
本当は苦なのに、楽と錯覚し、無常を永遠に続くと錯覚してしまう。

飲酒によるデメリットを列挙してみる:
①アルコールは、脳細胞を破壊し、脳萎縮の原因になる。
②内臓にダメージを与え、早く老ける。
③莫大なお金がかかる。時間を浪費する
④人に迷惑をかける。ひんしゅくを買う

瞑想の「サマーディ状態」は、飲酒の酩酊感、陶酔感とは比べものにならない素晴らしいもの。


もっと幸せになれるブッダの教え

50
ブッダの侍者アーナンダは、釈迦族の王家の出身で、温和な性格、美男子だったため、
比丘尼からも、在俗の女性信者からも慕われ、女難を被ることも多かった(『聖☆おにいさん』にも出てくるね

『大パリニッバーナ経』

愛欲、物欲、食欲、名誉欲も同じメカニズムで発生する。
ポイントは「刺激(情報)」が取り込まれると、自動的に反応するパターンが、どの生物にも組み込まれている。
見た、聞いた、匂った、触った瞬間、「好き」「嫌い」「無視」などの反応が自動的に必ず起きる。

欲望から身を守るには、刺激的な情報を受け取らないこと。
どうしても欲しくなったら、「これは本当に必要なのか?」と自分に問いかける→なければよいものばかりなことに驚く。

「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない」(ダンマパダ)


51 善行(クサラ)日記
ヴィパッサナー瞑想の構成要素:
サティの瞑想、サマタ瞑想(感覚を研ぎ澄まして、心を集中させる)、慈悲の瞑想、懺悔の瞑想、五戒、善行。

善行(クサラ)を積み重ねると、善いカルマが集積され、ツイてることが増え、人生が好転する。

ヒトは、自分のためだけに生きていると、「自己防衛的」「自閉的」になる。
「不善心所」から抜け出せない時は、「トイレ掃除」「風呂場掃除」などの「作務」をすると、切り換えられる。
体を使う善行は、気分を一新させる。

「善行(クサラ)日記」
毎日、なにかの善行(クサラ)をすると決めて、それを具体的に日記に書く。
例:自販機にお釣りを忘れた人を追いかけて渡した。など

「貧(欲)」「瞋(じん・怒)」「痴(無知)」の煩悩は努力なしにできる。
悪はなしやすく、善はなしがたい。

「波羅蜜(はらみつ)」「徳」:善行の集積されたエネルギー
波羅蜜が臨界量に達すると必然に悟りが起きる。

長い人生では、自分が嫌になり、落ち込むこともある。慰めもしらじらしく聞こえる時、
「善行(クサラ)日記」を開くと、勇気、感動、自信が取り戻せる。

仏教の3つのエッセンス:
①「諸悪莫作」悪を避ける
②「衆善奉行」善を行う
③「自浄其意」心を浄らかにする


52 死にゆく人の看取り方
仏教では、命は「輪廻転生」し、「解脱」しないかぎり、必ず死後に生まれ変わると考える。
再生に関係するのが「カルマを作る心」。

私たちの心は2種類に分けると
「受容系」(眼、耳、鼻、舌、身、意)からの情報を受け止め、認識する心
「反応系(チェータナー)」意志がともなってカルマを作る心。

最期の心の内容が、次に再生する世界を決定すると考える。
悪い死近心で死ねば悪い世界に再生し、善い死近心で死ねば善い世界に再生する。死ぬ直前の心の内容が重要。

看取る人は、できるだけキレイな心で最期の瞬間を迎えられるよう最善を尽くすこと。
「不善心所」が立ち上がらないよう、できるだけ快適な環境を整える。

身近な人が亡くなる時、泣き叫んで悲しい波動を発するのが普通ですが、
安らかな死と、よき再生を祈ってあげるのはどうでしょう。


53
ヴィパッサナー瞑想の目的は、煩悩まみれの心を「無意識・潜在意識」の世界までキレイにすること。「心髄感」

「五戒」とは
「不殺生戒」命を傷つけない
「不偸盗戒」与えられていないものを取らない
「不邪婬戒」不倫をしない
「不妄語戒」嘘をつかない
「不飲酒戒」お酒・麻薬など酩酊させるものを摂らない

瞑想の楽しさが分かると、妨げるものから自然に離れたくなる。
一度、五戒を受け入れると、意思決定がしやすく、判断に迷うことが激減し、生きることがとても楽になる。
心のやましさが消え、堂々と生きることができる。


54 仏教以外でもかまわない
『削減経』欲、怒り、高慢、嫉妬、我などを1つずつ刈り取ることを教える。
これに比べたら、いい気持ちになるだけの瞑想は、この世を楽しむだけの「現世の楽住」に過ぎないとも言われる。

ブッダの瞑想とは
戒:言動をきれいにする
定:思考とイメージをきれいにする
慧:潜在意識をきれいにする の流れで進む。

反応系の修行は、「戒」を完成させるもの。「人格完成の修行」

『大般涅槃経』では、どんな教えや宗教でも構わないと明言している。
「いかなる教えや戒律においても、八正道がありさえすれば、悟る人が現れるだろう」

著者自身、ヴィパッサナー瞑想に定まるまで、大乗仏教、キリスト教、ヨーガ、神道系などからかけがえのないものを学んだ。
どれも、ヒトが幸せになるために提示されたものなのに、宗教同士が争い、内部対立するのはおかしなこと(フシギだよねえ・・・


55 ヒトの心も、トイレ同様、使うほど汚れていく
「貧(欲)」「瞋(じん・怒)」「痴(無知)」は、脳の深い、旧い皮質に組み込まれているので、死ぬまで強力に働きつづける。
しかも、この世は、食欲、性欲、購買欲などを刺激する情報に満ちている。

老化とともに真っ先にダメージを受けるのは、煩悩をコントロールする「理性の座(前頭葉)」。
仏教に縁があるかどうかは、どんな老後、晩年を迎えるかを決める「分水嶺」となる。


************(ここでようやく)ヴィパッサナー瞑想のやり方(実践編)

サティのポイントは、現在の瞬間に気づき、思考を止め、心をキレイにする(煩悩をなくす)こと。
煩悩に一瞬一瞬「気づき」を入れて、妄想を止める。サティ=気づき


【歩く瞑想】(イラストで紹介されているが省略
体が動くとセンセーション(身体的実感)が生じるので、感覚に気づいた証として、言葉で確認する。
体の実感は「事実」の世界。「妄想」と識別するために「ラベリング」する。
「ラベリング」のタイミングは「現象が先、確認が後」。
壁際まで来たら、立ち止まり、「立っている」と「ラベリング」する。
これを一定時間行う。

ポイント:
バタンという音→「音」→「不安な感覚」→「(怒っているのかな)と思った」・・・
()内の言葉をオウム返しに言う必要はない。


【座る瞑想】(イラストで紹介されているが省略、これはヨガでやるな
座禅のスタイルで座り、中心対象は呼吸と連動するお腹の起伏感覚。
お腹の感覚が分からなくなったら、「(拳を当てて確かめよう)と思った」・・・と「ラベリング」する。
30秒~1分ほど確認したら、それ以上は手を当てないほうがよい。

煩悩が生まれる思考の世界を離れ、今の瞬間の本質を直感する智慧が閃くようになる。


【慈悲の言葉】(省略


【著者あとがき 内容抜粋メモ】

地橋秀雄(ウィキ参照
1948年生まれ。1978年より解脱涅槃を求めて修行生活に入る。
滝行、断食、ヨーガ、心霊科学、工学禅、他力全託、内観、クリシュナムルティなどの遍歴の末、
原始仏典に基づくブッダのヴィパッサナー瞑想が解脱を完成する道だと理解する。

以来、タイ、ミャンマー、スリランカ等で修行する。
1995年から朝日カルチャーセンターなどで指導を始める。

現在、グリーンヒル瞑想研究所所長。



私は1978年から瞑想修行を始め、現在まで瞑想以外のことは何もしない人生を歩んできた。

1995年からヴィパッサナー瞑想のインストラクターの仕事を始めて、
多くの方の「瞑想レポート」を伺い、現場で詳細に語られる体験レポートは、
強力なデータとして膨大に集積され、右脳のデータバンクに保存してきた。

どんな経典、説法より、生身の人間の体験した実例ほど、瞑想システムと人間の心の世界を解明するのに貴重なものはない。
多くの瞑想者に接するうち、瞑想に対する理解は大きく修正された。

最大のポイントは、サマーディの完成、サティの技術的進歩より、「戒の修行」が決定的に大事だと痛感したこと。

サマーディがいくら上達しても、一点に集中する強力な力ゆえ、いとも簡単に“見たくないものから眼を背けることができる”。

サマーディの能力がとても優秀なのに、日常の意識モードでは、人格はまだまだ、情緒不安定、という方が少なくない。
サマーディが悪いのではなく、瞑想修行の順番が違う。

瞑想で明らかにされた問題、心の汚染は、1つひとつ解決して乗り越えていかなければ卒業できないものが多い地道な仕事。

この世を離れた出家者の修行と、私たち在家の修行は、本質的に異なる。
能力、環境、カルマも千差万別。
つまり、与えられた自分の環境こそ、自分の心をキレイにする最高の修行現場なのです。


「グリーンヒルWeb会」



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