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『銃後の街―戦時下の長野 1937-1945』(大月書店)

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『銃後の街―戦時下の長野 1937-1945』(大月書店)
川上今朝太郎/著・写真 初版1986年 1800円

他著『昭和で最も暗かった九年間』

※2002.5~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。


▼あらすじ(ネタバレ注意

太平洋戦争が勃発した日、1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋付近で日支両軍が衝突
それから1945年(昭和20年)8月15日、玉音放送で終戦までの9年間

空襲で焼け野原になった東京、原爆が投下された広島・長崎にしてみれば、
山に囲まれた長野は疎開先。

大本営移転先として地下壕建設と、仮皇居の建造計画まであった松代(驚)の戦中は、
戦災とはまた違った意味での戦禍~物資欠乏、赤紙招集による働き手の不足、未亡人の悲しみ~があった。

撮影禁止のピリピリした空気の中、戦争突入の瞬間からカメラで撮り続けた著者のジャーナリズム精神はすごい。

故郷の現在の姿からは想像しにくい善光寺仲見世、駅などの殺伐とした風景写真を見ると、
当時、幼少時代を過ごした父母、またリアルタイムで戦争を経験した祖父母らの姿も重なって見えるようだ。


配給制で生活用品に行列をつくる人々、
撤去されてゆく看板、金物、
戦時色に染まる子どもたちは、学校で弟妹の世話をして、農耕を手伝い、家族を支えていた。

女たちも軍需工場で働き、なぎなた訓練、闇での買出し、モンペ姿。

満州移民の一番多い県となる長野。

仏像ですら武器へとかえられた。

店から商品が消え、町から街灯が消え、次々と戻ってくる遺骨となった男たち。

サイパンが陥落して、本土決戦の準備、道には防空壕が掘られ、米鬼のポスターが貼られ、
疎開者があふれ、建物強制疎開まで命令されたという。

終戦後、寂しい通りで、リンゴ十数個を売る男の写真には、
それでもたくましく今日を生き抜く人々が象徴されている。




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