■本橋成一写真集『昭和藝能東西』(オフィスエム)
本橋成一/著 小沢昭一/監修
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
予約時に「古い出版年のほうでお願いします」と言って
「分かりました」と言っていたのに、他館予約だったせいか
新版のほうが届いてしまってガッカリ
申し込み直すのも面倒だから諦めるけど、
初版のほうが表紙や装幀が絶対イイのになあ!
小沢昭一さんて、名前と顔はなんとなく知っていたけど、俳優さんだったのか
なんだか勝手に、政治関連のコメンテーターとか、作家かなにかをやってるのかとイメージしていた
今作で、私も本橋さん同様、「日本の芸能文化」について幅広い定義を持つことができた
でも、一応、タイトルをつけてくれたお陰で、何を撮ったのかなんとなく分かる程度で
写真を見ても、実際何をしているところなのか分からないものも多い
小沢さんは「消えていくものは消えていい」と言っているのも印象に残った
昭和の芸能って、裏の闇世界ともつながっているイメージもあるなあ
オフィスエムって、長野にあるんだ/驚
オフィスエム <長野市の小さな出版社>
【内容抜粋メモ】
●あとがき対談「藝能・思い出語り」小沢昭一・本橋成一
ほ「小沢さんとご一緒させていただいたことで、仕事というのは、面白がることが一番だと学びました」
「芸能に対する認識が根本的に変わってしまい、キャバレーやサーカスの仕事をやらせてもらって、
その中に“芸能”があちこちに、あるんだということを気づかせていただきました」
お「薔薇族なんてあるけど、私はあまり薔薇とは関係ないけど
いろいろ調べたらやっぱりね、どうもアノ気がないと芸能人は駄目なんじゃないかと分かってきたんですよ」
ほ「『藝能東西』でも“ホモじゃなければ役者じゃない”という特集があって面白かったですね
“ほら、名優はみんなそうだよ”ってね」
「『東京新聞』の“この道”という連載の中で、国本武春さんの“貧しかったから芸能が出てきた”という言葉がある」
お「どうも貧しいほうが、心は豊かになるような気がするんだよね」
ほ「“暮らし”があったと思う。でも今、その暮らしが無くなってしまった」
内海好江さんの写真を見て
ほ「鈴本(演芸場)だと思いますが・・・」
お「この写真集は、特定の“誰”ってことじゃないんだよな。そこは大事」
「小人プロレス」について
ほ「これは女子プロレスの中に組み込まれていたが、ある日、テレビ中継をしなくなっちゃった。みんな自己規制ですよ」
お「障害を表に出さないようにするんじゃなくて、やってる人は昔は胸張っていたよね
自分の特徴をちゃんと生かして金稼ぐっていうふうに頑張っていた時代がまだ残っていた」
ほ「ミスターポーンさんが、長さん(ドリフターズ)の『8時だよ、全員集合』に出ていたが、
視聴者からの意見で出演できなくなった。
舞台をトコトコと、ただ走り抜けるだけでもウケてたんですけどね」
「小人さんがいないわけじゃないんですが、芸人さんがいないんです」
お「僕は群司正勝先生の影響をとても受けている。その先生の『小人と芸能』を書いたエッセイがある
神さまのお遣いとしてきているようなそんなところもある。そこが非常に芸能的なんだ」
ほ「テレビでも白木みのるさんが最後ですよね」
お「井上ひさしって人はコントの名人で、『おさねこ神社の神事』という題で、
泣いて出てくる赤ん坊に、空飛小助さんをお願いしたんです」
<相撲も芸能だった>
ほ「相撲の大好きな画家の幸田侑三さんが昔の相撲の話を聞かせてくれて、
取組中に横綱が土俵際で“負けろ負けろ”と言うのが聞こえてきたっていうんです
それが当たり前だったんですよね」
お「今はスポーツなんていって威張ってるけど、地方巡業なんか行くと、みんな揃って歌ったり、
しょっきり相撲とかが原点なんだよね」
ほ「どうも“栃若時代”から駄目になったように思う」
<本橋さんの写真は、汚い美しさ>
お「本橋さんの写真集は徹底的に汚いんだよ。汚い美しさというか
きれいに撮るのはいくらでも撮れる。そうじゃなくて、人生の深さを撮るっていうのかな」
「今村昌平監督が、映画の主役を見つけるって、2人で手分けして、銀座のホステスを探したことがある
監督好みの女性が来たので、声をかけたら“いやよ、あの人の映画、汚いもん”てw
“汚い”というのは、人生を見つめるのに大事な点だと思える
そして本質をちゃんと掴む、そこが素晴らしい」
「これが芸能の世界だっていうことを言うには、僕がいろいろ能書き言うより、まずはこの写真集を見てもらうのが一番早い」
ほ「平成になって、芸能が出てくる芽ってどこかにまだ残っていますか」
お「だめだね」
ほ「サーカスももうショーになっちゃって。音楽や照明によるこけおどしばかりですから」
お「見世物的な面白さがね、なくなっちゃったよね」
ほ「でも小沢さんのすごいところは、こういう伝統芸なんかは、なくなるものはなくなって仕方ない、と割り切っていらっしゃる点です」
お「人々が芸能を捨てたからなくなったんだから。“保存会”なんていって無理に残したりしようというのは、変だと思うんだよね
消えていいんですよ。その時代、その時代で消えて当然。
でも、芸能の本質みたいなものも一緒に消えていっちゃってる。そういう寂しさはありますよね」
(2010年 新橋にて収録)
<作品目次>
「伊勢大神楽」
「本川神楽」
「河内音頭とにわか」
「秋田万歳」
「国東の琵琶法師」
これは完全に付喪神が付いてるな
「大相撲巡業」
北の湖
「寄席芸人」
「浅草木馬館」
「大衆演劇」
この人が表紙に使われている 首に千円札巻いて歌うってスゲーな!
走りながらお札もらってるし
「チンドン屋」
今でもたまーーーーーに見かける気がする
「紙芝居」
「小人プロレス+女子プロレス」
「のぞき部屋」
アメリカンスタイルって何だろう・・・
「キャバレー」
杏子さん!?
「東京コミックショーの蛇の芸」
本橋成一/著 小沢昭一/監修
※「作家別」カテゴリーに追加しました。
予約時に「古い出版年のほうでお願いします」と言って
「分かりました」と言っていたのに、他館予約だったせいか
新版のほうが届いてしまってガッカリ
申し込み直すのも面倒だから諦めるけど、
初版のほうが表紙や装幀が絶対イイのになあ!
小沢昭一さんて、名前と顔はなんとなく知っていたけど、俳優さんだったのか
なんだか勝手に、政治関連のコメンテーターとか、作家かなにかをやってるのかとイメージしていた
今作で、私も本橋さん同様、「日本の芸能文化」について幅広い定義を持つことができた
でも、一応、タイトルをつけてくれたお陰で、何を撮ったのかなんとなく分かる程度で
写真を見ても、実際何をしているところなのか分からないものも多い
小沢さんは「消えていくものは消えていい」と言っているのも印象に残った
昭和の芸能って、裏の闇世界ともつながっているイメージもあるなあ
オフィスエムって、長野にあるんだ/驚
オフィスエム <長野市の小さな出版社>
【内容抜粋メモ】
●あとがき対談「藝能・思い出語り」小沢昭一・本橋成一
ほ「小沢さんとご一緒させていただいたことで、仕事というのは、面白がることが一番だと学びました」
「芸能に対する認識が根本的に変わってしまい、キャバレーやサーカスの仕事をやらせてもらって、
その中に“芸能”があちこちに、あるんだということを気づかせていただきました」
お「薔薇族なんてあるけど、私はあまり薔薇とは関係ないけど
いろいろ調べたらやっぱりね、どうもアノ気がないと芸能人は駄目なんじゃないかと分かってきたんですよ」
ほ「『藝能東西』でも“ホモじゃなければ役者じゃない”という特集があって面白かったですね
“ほら、名優はみんなそうだよ”ってね」
「『東京新聞』の“この道”という連載の中で、国本武春さんの“貧しかったから芸能が出てきた”という言葉がある」
お「どうも貧しいほうが、心は豊かになるような気がするんだよね」
ほ「“暮らし”があったと思う。でも今、その暮らしが無くなってしまった」
内海好江さんの写真を見て
ほ「鈴本(演芸場)だと思いますが・・・」
お「この写真集は、特定の“誰”ってことじゃないんだよな。そこは大事」
「小人プロレス」について
ほ「これは女子プロレスの中に組み込まれていたが、ある日、テレビ中継をしなくなっちゃった。みんな自己規制ですよ」
お「障害を表に出さないようにするんじゃなくて、やってる人は昔は胸張っていたよね
自分の特徴をちゃんと生かして金稼ぐっていうふうに頑張っていた時代がまだ残っていた」
ほ「ミスターポーンさんが、長さん(ドリフターズ)の『8時だよ、全員集合』に出ていたが、
視聴者からの意見で出演できなくなった。
舞台をトコトコと、ただ走り抜けるだけでもウケてたんですけどね」
「小人さんがいないわけじゃないんですが、芸人さんがいないんです」
お「僕は群司正勝先生の影響をとても受けている。その先生の『小人と芸能』を書いたエッセイがある
神さまのお遣いとしてきているようなそんなところもある。そこが非常に芸能的なんだ」
ほ「テレビでも白木みのるさんが最後ですよね」
お「井上ひさしって人はコントの名人で、『おさねこ神社の神事』という題で、
泣いて出てくる赤ん坊に、空飛小助さんをお願いしたんです」
<相撲も芸能だった>
ほ「相撲の大好きな画家の幸田侑三さんが昔の相撲の話を聞かせてくれて、
取組中に横綱が土俵際で“負けろ負けろ”と言うのが聞こえてきたっていうんです
それが当たり前だったんですよね」
お「今はスポーツなんていって威張ってるけど、地方巡業なんか行くと、みんな揃って歌ったり、
しょっきり相撲とかが原点なんだよね」
ほ「どうも“栃若時代”から駄目になったように思う」
<本橋さんの写真は、汚い美しさ>
お「本橋さんの写真集は徹底的に汚いんだよ。汚い美しさというか
きれいに撮るのはいくらでも撮れる。そうじゃなくて、人生の深さを撮るっていうのかな」
「今村昌平監督が、映画の主役を見つけるって、2人で手分けして、銀座のホステスを探したことがある
監督好みの女性が来たので、声をかけたら“いやよ、あの人の映画、汚いもん”てw
“汚い”というのは、人生を見つめるのに大事な点だと思える
そして本質をちゃんと掴む、そこが素晴らしい」
「これが芸能の世界だっていうことを言うには、僕がいろいろ能書き言うより、まずはこの写真集を見てもらうのが一番早い」
ほ「平成になって、芸能が出てくる芽ってどこかにまだ残っていますか」
お「だめだね」
ほ「サーカスももうショーになっちゃって。音楽や照明によるこけおどしばかりですから」
お「見世物的な面白さがね、なくなっちゃったよね」
ほ「でも小沢さんのすごいところは、こういう伝統芸なんかは、なくなるものはなくなって仕方ない、と割り切っていらっしゃる点です」
お「人々が芸能を捨てたからなくなったんだから。“保存会”なんていって無理に残したりしようというのは、変だと思うんだよね
消えていいんですよ。その時代、その時代で消えて当然。
でも、芸能の本質みたいなものも一緒に消えていっちゃってる。そういう寂しさはありますよね」
(2010年 新橋にて収録)
<作品目次>
「伊勢大神楽」
「本川神楽」
「河内音頭とにわか」
「秋田万歳」
「国東の琵琶法師」
これは完全に付喪神が付いてるな
「大相撲巡業」
北の湖
「寄席芸人」
「浅草木馬館」
「大衆演劇」
この人が表紙に使われている 首に千円札巻いて歌うってスゲーな!
走りながらお札もらってるし
「チンドン屋」
今でもたまーーーーーに見かける気がする
「紙芝居」
「小人プロレス+女子プロレス」
「のぞき部屋」
アメリカンスタイルって何だろう・・・
「キャバレー」
杏子さん!?
「東京コミックショーの蛇の芸」