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本橋成一写真集『魚河岸ひとの町』(晶文社)

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本橋成一写真集『魚河岸ひとの町』(晶文社)
本橋成一/著

「本橋成一さんまとめ」カテゴリーに追加しました。

表紙が違うな。私が借りたのは1988年発行。
今、ちょうど話題になっている築地市場の写真集だった

 

 

 

 
「移転するなら、しっかり調べて、安全と分かってから移転したほうがいい」



本を開くと、案内図がある



扇形に売場があり、築地川、支川、正門、裏門などと書いてあり、
本文中にあったけど、何時からここから入って、ここを回るなんていう、
通の人の通い方、馴染みの店、顔があったんだろうなと想像させる

前半は市場の写真集、そのあとに市場にゆかりのある人、思い入れのある人、
本橋さん本人の随筆があって、それもまたそれぞれの立場から見た市場の様子がうかがえて興味深い


【内容抜粋メモ】

「ここはいまの日本では残り少ない人間が棲める町である。」本橋成一





<写真>

マグロの山


市場内のメイン通路は、午前8時すぎには、人と車でごった返す

(ハンパないなあ・・・

場内の売店には昨夕の夕刊フジまで売っていた 小さな売店は場内にたくさんある

いわゆる「実用車」 ほかの町ではもう見かけない


海幸橋 場内と場外を結んでいる


仲卸の店裏には、魚を洗うための塩水の水道がある(海の水???

焚き火のための木箱もいまは貴重品だ(使わなくなったの?

昼下がりのニ側通り(すっかりガランとして違う場所のよう


店舗移転風景 帳場がまるごと運ばれる

(後半で、当時の様子が語られている この移転で大型トラック300台分のゴミが出るって、今までずっとそうしてきたのかな



<一枚の写真から わたしの魚河岸 内容抜粋メモ>
この写真集の中から印象的な1枚を選んで、それから想起する文章をそれぞれ書いている

「わたしの魚河岸」戸板康二(演劇評論家)
戦争中は物資不足で、魚河岸も開店休業だったが、平和になるとほかよりも早く復興した
森田誠吾さんの「魚河岸ものがたり」を読んだ時、この作者が、この土地の人々に寄せる愛情、郷愁がわかり、共通する点が多かった

符牒:仲間うちだけに通用する言葉。隠語。合い言葉。
波除神社


「こんな小僧さんに会いたい」加藤武(俳優)(金田一耕助シリーズで「よーし、分かった!」の人だ
築地小劇場時代の大先輩は、芝居を取ったら何も残らない人が多かった 野球なんてルールも知らない
私は努めて芝居を忘れようとする 芝居一筋に生きようとしない駄目役者の典型である
そんな駄目役者にもこの一枚だけは、一瞥して何処かはっきりと判る



海幸橋の上の後ろ向きの男の子の佇まいが実にいい
竹で編んだ買い物籠をさげて、きちんと前掛けをしているのが、けなげで可愛らしい

おまけに、画面奥に霞んでいる聖路加病院の十字架まで、私にははっきり見えるのだ。
私が生まれた所だから・・・


「舞うがごとくに」黒田杏子(俳人)
ついに私も魚河岸にやってきた。友人の早朝の仕入れについて歩く機会を与えられた
マグロの競りにすっかり魂を奪われてしまった

カンカンに凍った巨大なマグロが次々トラックからおろされ、仲買の男たちが瞬時に値踏みする
競りは終わり、みるみる片付けられていく がらんどうになった競り場を、ホースの水が惜しみなく流す

競り


誰に指示されているのでもない ひとりひとり自分の職分を守って、コンピュータよりも正確に
舞うがごとくに立ち働く 自分の能力、資質が丸ごと仕事に生かされている
情熱がその人の眼を光らせている
本当は、私もこんな仕事につきたかったのではないか


「河岸揚の大八車」内田栄一(浅草「美家古鮨」主人)

(まるで落語を聞いているかのような語りで面白いw “乍ら”とかの旧漢字がとても心地よいし

東京の魚市場は、日本橋際に発祥し、幾多の変遷を経て、現在の「東京中央卸売場市場」として築地に定着して、すでに五十余年にもなる
これから書くことは、私の父の代に弟子入りをしていた老職人から当時の様子を聞きながら書き留めたものである

そりやァ、らくな仕事じやァ、ござんせんでしたよ
たった一つだけ楽しみがありました。親方が駄賃がわりに出してくれる朝めし代なんですよ
うな丼なんて贅沢なもんを食うよりやァ、ぶっかけめしでもいいから腹いっぱい食う
何にしろ、十五か十六の食いざかりの餓鬼のことでござんしたから

河岸揚は若いもん同士の立引の場所でもあり、他の車に追い抜かれるのは我慢の出来ない敗北だ
若い自尊心がゆるさないんですよゥ
(どうして男は、大きさ、速さを競うんだろうね それと戦争って随分、関係しているように思えて仕方ない


「ざわめく市」海野弘(評論家)
(評論家は評論家口調っていうのがあるものなんだね こうして読み比べてみて分かった

人々の歩く床は、魚の血と油と、それをくりかえし洗いながす水でいつも濡れている
しかし築地魚河岸もやがて移され、この床も乾いてしまうだろう
本橋成一の写真は、そんなじめじめしている床をいとおしむように記憶するのだ

ここには、相手の意志を無視して撮ってしまう写真とは別なまなざしがある
どんな人間にも、自分と通ずるものがあるはずだという、信頼感である


●「冷凍マグロはコワイです」藤森照信(建築史家)


僕は信州の山奥で生まれて育ったから、魚というものに縁が薄かった
魚屋が運んでくるのは干物にせよ、およそ鮮魚とはいいがたい“旧魚”たちばかりだった
しかし、田舎を離れ、各地の魚市場を見てから正体を知った

魚市場は、魚以外のアブナイものを扱っている
冷凍マグロはいけない まず大きさが魚にしては大きすぎる ほぼ人間の身の丈に等しいというのがいけない
エラやヒレを切りとられた上に、体全体に白く霜が覆っているから魚だかなんだかよく分からない

人体に似たような正体不明の物体が、ゴロンゴロンと並んでいる
実は告白すると、“冷凍マグロ”は、人間とマグロの間に生まれた不義の子なんじゃないか、という疑いを僕は持っている
まさかと思う人は、築地に出かけ、ヤツが白い煙をたてながら転がる光景を眺めていただきたい


「わが家の築地体験」如月小春(劇作家)
10年近く前、当時大学生の弟が年末になると毎年築地にバイトに行っていた
バイト料も1週間ほどの労働にしては破格だということで意気込んでいた

とにかく朝が早い 午前3時半に起きて、帰宅は夕方にはまだ少し早いくらいの時刻
初めての衝動的体験を話し出したら止まらない

木箱の担ぎ方、役者の卵や、脱サラ、出稼ぎおじさんなど、初めて出会うさまざまな人々との会話
大晦日に向けて忙しさも倍加していくらしく、疲れは次第に弟の顔つきを
呑気な大学生から引き締まった肉体労働者に変えてゆく


「店舗移転風景」尾村幸三郎(築地「尾寅」主人)

(なんといっても、当時、市場でバリバリ働いていた人の語りには敵わないな

私は日本橋で生まれ、築地で育って、老骨となった混じり気のない魚の仲卸売人
魚市場は、女房や子ども同様、一緒に明け昏れしていないと解らない、いい点と、わるい点がある

この市場をつくる昭和はじめには、便利なようにホームを扇形に決めた
見かけは便利だが、事実はまったく反対 売場の広さがメチャクチャ 中心へ行くほど狭くなる

これに不満が出るのは当然で、4年に1回、抽選で売場の取換えをすることとなった
悪い店に決まったら、4年後を待機、4年後にもっと悪い店へ移らないとは言えないから怖ろしい

見るも無惨な位にひっぱがされている看板が写真の光景
その乱闘振りを見ているのは、次に越して来る店のメンバア、早くこわせと云う表情
轟音、土埃、落下物、これが1200軒が同時にやるから地獄の光景もかくあるかと思う

店舗定置論も出たが、売場の大小が是正されなければ、結論の出るはずがない
次の市場は世界一の基幹市場で大サラ地に建てることが大前提だが、
よくよく業者の汗と血と苦しみを知らないデスクプランには呆れたり、怒ったりの現状

抽選移動は封建制の極み、自分ばかりか都民、日本のためにもならない
そして移転の無駄費用1日数億円とは馬鹿馬鹿しくて黙すのみ、ああ
(昔も今も変わらないねえ

況んや:言うまでもなく


「海幸橋の上で」森田誠吾(作家)
ハンペンは狐色にあぶって、生醤油で食べる。ただし、その日のうちがいい
私はグルメではない。美味い、不味いではなく、好きか、嫌いかで食べる
その好き嫌いも子どもの時のまんまだから、フォアグラといったたぐいには手が出ない


【本橋成一さんによるあとがき 内容抜粋メモ】
朝8時過ぎ、市場が混みだす 騒音を聞いているだけで分刻みで人間が増えるのが分かる
人、荷車、ターレット、自転車、リヤカー、オートバイ、自動車
こんなバラバラなものが信じられないほどスムースに流れている

ターレット


遅い人たちは、大きな荷を運ぶ人か、お年寄り、足の不自由な人たちだ 手伝いの子どももいる
近代化という管理体制の中に置き換えられていく今の日本の中で、
ここは残り少ない人間らしく棲める街に見えてくる



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