■『こころのひみつ』(メディアファクトリー)
田口ランディ+寺門琢己/著 初版2002年 1200円
※2003.4~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
「ココロなんてそもそもない」と大胆に言い切る寺門さん
かなり能天気キャラに思えた田口さんは、自殺した兄、酒乱の父という家庭で育った、いろんな悩みを抱えている人
読むほど、納得と混乱が交互に襲う
2人の対談形式でいろんな話に飛び火しつつも、各々の哲学が見えてきて面白い
それすらカラダの機能に帰結されるのかもしれないけど
本書に出てくる田口さんの『転生』は面白そう 2001年頃から人気の作家らしい
【内容抜粋メモ】
タスマニアに行った話
目からの情報は無意識に選んだものだけを見ている
負担を感じるために旅に出る
アメリカ同時多発テロの話
現場の下を走る地下鉄は、今でも異臭がすごいって衝撃的
人類の最初は、7人の「ミトコンドリアイヴ」 たぶん有色人種
色素の欠落した白人が生まれ、生命的危機感から、高層ビル、独自の文化価値を作り上げ
他を支配しようとしているって考えも面白い
ベトナム戦争での敗因の1つは文盲率の高さ
武器の取説が読めなかったからとか
キリスト教で一番怖いのは、マリアの処女懐妊
人はセックスするたびに罪を背負うと子どもに教える矛盾さが人を狂わせている
カリフォルニアはスピリチュアルの発信地
だが、ネイティヴアメリカンを抹殺した場所
侵略にともなうレイプ等で血が混ざり、文化帰りしている
人種を完全に抹殺することはできない
否定し、摩擦した瞬間から、それに支配される(業・亡霊)
ボランティアに夢中で、自分の家の水周りは汚い人
遠くの平和よりまず自分の身の回りから
他人の幸せで、自分が不幸になる人
幸せは無限にあふれている
子どもはもともと感情が安定していて素直
「悪い子ども」と言われるのは、悪い大人の模倣 いい見本がいない現代
「子どもが変だ」と思う時は、子どもか親の体調が崩れている時 見方の問題
薬はもともと体内にある機能の模倣
『ビューティーコロシアム』に象徴される人のあくなき変身願望
自分の細胞で作る子どももその一種
アリとキリギリスの寓話や格言は、洗脳&脅迫
主観+感情で生きるオバサンに政治を!?
去勢された男が多い
<あとがき>
子どもの動きが不自由なとき
ああしたい、こうしたい欲求が言葉となり、通じたり、通じなかったりしながら会話を習得する
自分のカラダと正面から向き合ってココロが解放される
田口ランディ+寺門琢己/著 初版2002年 1200円
※2003.4~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
「ココロなんてそもそもない」と大胆に言い切る寺門さん
かなり能天気キャラに思えた田口さんは、自殺した兄、酒乱の父という家庭で育った、いろんな悩みを抱えている人
読むほど、納得と混乱が交互に襲う
2人の対談形式でいろんな話に飛び火しつつも、各々の哲学が見えてきて面白い
それすらカラダの機能に帰結されるのかもしれないけど
本書に出てくる田口さんの『転生』は面白そう 2001年頃から人気の作家らしい
【内容抜粋メモ】
タスマニアに行った話
目からの情報は無意識に選んだものだけを見ている
負担を感じるために旅に出る
アメリカ同時多発テロの話
現場の下を走る地下鉄は、今でも異臭がすごいって衝撃的
人類の最初は、7人の「ミトコンドリアイヴ」 たぶん有色人種
色素の欠落した白人が生まれ、生命的危機感から、高層ビル、独自の文化価値を作り上げ
他を支配しようとしているって考えも面白い
ベトナム戦争での敗因の1つは文盲率の高さ
武器の取説が読めなかったからとか
キリスト教で一番怖いのは、マリアの処女懐妊
人はセックスするたびに罪を背負うと子どもに教える矛盾さが人を狂わせている
カリフォルニアはスピリチュアルの発信地
だが、ネイティヴアメリカンを抹殺した場所
侵略にともなうレイプ等で血が混ざり、文化帰りしている
人種を完全に抹殺することはできない
否定し、摩擦した瞬間から、それに支配される(業・亡霊)
ボランティアに夢中で、自分の家の水周りは汚い人
遠くの平和よりまず自分の身の回りから
他人の幸せで、自分が不幸になる人
幸せは無限にあふれている
子どもはもともと感情が安定していて素直
「悪い子ども」と言われるのは、悪い大人の模倣 いい見本がいない現代
「子どもが変だ」と思う時は、子どもか親の体調が崩れている時 見方の問題
薬はもともと体内にある機能の模倣
『ビューティーコロシアム』に象徴される人のあくなき変身願望
自分の細胞で作る子どももその一種
アリとキリギリスの寓話や格言は、洗脳&脅迫
主観+感情で生きるオバサンに政治を!?
去勢された男が多い
<あとがき>
子どもの動きが不自由なとき
ああしたい、こうしたい欲求が言葉となり、通じたり、通じなかったりしながら会話を習得する
自分のカラダと正面から向き合ってココロが解放される