■『ぼくとジョージ』(岩波書店)
カニグズバーグ/著・絵 松永ふみ子/訳 初版1970年
※1993.9~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
▼あらすじ(ネタバレ注意
両親が離婚してまもなく、ベンジャミンの心の中にあらわれたもう一人の自分、ジョージ
弟のハワードが生まれて、弟だけは知っているけれども、
いつもは双子のように仲良しで、冗談も言うし、勉強も手伝ってくれる
そんなジョージとベンの奇妙な“共生”生活の話
うまくバランスがとれていたはずが、6年生になって、
ベンが夢中になっている化学の自由研究中にフラスコや他の器具がいくつもなくなり
どうやらその犯人がジョージじゃないかと疑われ、
父の再婚相手・マリリンは、ちょっとばかりかじっている児童心理学から
ベンは「分裂症」だと決めつけ、精神科医にかかることになる
濡れ衣を着せられたジョージは怒り、ついに2人は大ゲンカ
しかし、ベンがやっと気がついた真相は
自分が恨み、こびへつらっても友人になろうとした上級生ウィルソンが
実験道具でLSD(ドラッグ)を作り、大学生に売っていることを知る
*
作者が女性で、挿絵も一緒に手がけていることに少しビックリ
'70年代の気風が、自由な文体にあらわれていて、
小学生の男の子の心情、セリフにも、自然でリアルな表現が活きている
やんちゃで、クルマ好きで、いつでも“限度”を知っているハワードもなかなか面白いキャラクター
太っていて不恰好だけど、なんとなく好感が持てそうなバーコウィッツ先生が母親を好きになり、
互いに接近し、ついには結婚するかもしれないところまでくる様子も複雑で
多感な兄弟の視点からリアルに描き出している
なんといっても、今なら「多重人格」に関する小説が注目を集めて、
次第に人々の間でも理解されつつある中、
'70年代では、精神科医が登場こそするけれども、
あくまでこれは成長期の不安定な青少年の心の中に必ず存在する
「両極の人格」という視点にとどまって書かれている
たしかに、私たちの中には、いつでも複数の異なる感情が絶えず喋っていて
その中からどれかを常に選択しながら言動のバランスを保っている
その別の感情に名前をつけて、別に人格化したのがジョージだとも言える
でもやっぱりその様子は、二重人格にとてもよく似ている
この作品でもマリリンや精神科医と、少年の真実の心の中とのギャップや
危険で陳腐な誤解が描かれ、心理学で他人が別の人間の心を分析するほど疑わしく、
危険をはらんでいることを示唆している
ひとつ気にかかるのは、ベンとジョージの間の計画で
LSD事件を裁判にまでもちこみながらも、別の人格のせいにする、
というあやふやな解決で落ち着かせていること
真犯人のウィルソンとチェリルには、1年間の落第点をつけることで償わせるというラストは、
教師や学校に不名誉な噂をたてずに、上級生たちの前途を考えた現実的な策だとしても
いまひとつ納得できない
12歳そこいらで、ここまで気の回る子どももなかなかいないけど、
幼児の頃の記憶力といい、やっぱりベンとジョージは天才児だったのかしら、と思わせる
過剰なくらい教育熱心なのはアメリカに劣らず、日本でも同じ
普段、何気ない生活から、なんでもないように見える子どもたちが
日々、どれほどのプレッシャーや、ストレスを背負って、不安を抱え込んでいるか
その子たちの両親に説いても通じないのだろうか?
それによって内向的な子どもが、自分の素直な気持ちのはけ口を失って
すっかり型にはめられ、そのことに自分自身気づかずにいるとしても
このストーリーで恐いのは、ジョージがベンに真実の姿、
表向きの言葉や行いだけでは気づけないことを一生懸命訴えているのに
聞き入れずに、気づかないフリをして、
自分を利用し、騙していたウィルソンに対して
ベンは最後まで友人になりたいと慕っていたこと
最後の“盲腸炎にかかって~”という締めくくりがなんとも理解しがたい終わり方だけど
ベンとジョージは、それほど両極端の距離の存在ではなくなったらしいことがうかがえる
半日で大急ぎで読んでしまったけれど、なんだかまだまだ作者のこめた
大切なメッセージがいくつも残されている気がする
ホールデンの言うところの「時々、読者を笑わせてくれる本」に当てはまる1冊
カニグズバーグ/著・絵 松永ふみ子/訳 初版1970年
※1993.9~のノートよりメモを抜粋しました。
※「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。
▼あらすじ(ネタバレ注意
両親が離婚してまもなく、ベンジャミンの心の中にあらわれたもう一人の自分、ジョージ
弟のハワードが生まれて、弟だけは知っているけれども、
いつもは双子のように仲良しで、冗談も言うし、勉強も手伝ってくれる
そんなジョージとベンの奇妙な“共生”生活の話
うまくバランスがとれていたはずが、6年生になって、
ベンが夢中になっている化学の自由研究中にフラスコや他の器具がいくつもなくなり
どうやらその犯人がジョージじゃないかと疑われ、
父の再婚相手・マリリンは、ちょっとばかりかじっている児童心理学から
ベンは「分裂症」だと決めつけ、精神科医にかかることになる
濡れ衣を着せられたジョージは怒り、ついに2人は大ゲンカ
しかし、ベンがやっと気がついた真相は
自分が恨み、こびへつらっても友人になろうとした上級生ウィルソンが
実験道具でLSD(ドラッグ)を作り、大学生に売っていることを知る
*
作者が女性で、挿絵も一緒に手がけていることに少しビックリ
'70年代の気風が、自由な文体にあらわれていて、
小学生の男の子の心情、セリフにも、自然でリアルな表現が活きている
やんちゃで、クルマ好きで、いつでも“限度”を知っているハワードもなかなか面白いキャラクター
太っていて不恰好だけど、なんとなく好感が持てそうなバーコウィッツ先生が母親を好きになり、
互いに接近し、ついには結婚するかもしれないところまでくる様子も複雑で
多感な兄弟の視点からリアルに描き出している
なんといっても、今なら「多重人格」に関する小説が注目を集めて、
次第に人々の間でも理解されつつある中、
'70年代では、精神科医が登場こそするけれども、
あくまでこれは成長期の不安定な青少年の心の中に必ず存在する
「両極の人格」という視点にとどまって書かれている
たしかに、私たちの中には、いつでも複数の異なる感情が絶えず喋っていて
その中からどれかを常に選択しながら言動のバランスを保っている
その別の感情に名前をつけて、別に人格化したのがジョージだとも言える
でもやっぱりその様子は、二重人格にとてもよく似ている
この作品でもマリリンや精神科医と、少年の真実の心の中とのギャップや
危険で陳腐な誤解が描かれ、心理学で他人が別の人間の心を分析するほど疑わしく、
危険をはらんでいることを示唆している
ひとつ気にかかるのは、ベンとジョージの間の計画で
LSD事件を裁判にまでもちこみながらも、別の人格のせいにする、
というあやふやな解決で落ち着かせていること
真犯人のウィルソンとチェリルには、1年間の落第点をつけることで償わせるというラストは、
教師や学校に不名誉な噂をたてずに、上級生たちの前途を考えた現実的な策だとしても
いまひとつ納得できない
12歳そこいらで、ここまで気の回る子どももなかなかいないけど、
幼児の頃の記憶力といい、やっぱりベンとジョージは天才児だったのかしら、と思わせる
過剰なくらい教育熱心なのはアメリカに劣らず、日本でも同じ
普段、何気ない生活から、なんでもないように見える子どもたちが
日々、どれほどのプレッシャーや、ストレスを背負って、不安を抱え込んでいるか
その子たちの両親に説いても通じないのだろうか?
それによって内向的な子どもが、自分の素直な気持ちのはけ口を失って
すっかり型にはめられ、そのことに自分自身気づかずにいるとしても
このストーリーで恐いのは、ジョージがベンに真実の姿、
表向きの言葉や行いだけでは気づけないことを一生懸命訴えているのに
聞き入れずに、気づかないフリをして、
自分を利用し、騙していたウィルソンに対して
ベンは最後まで友人になりたいと慕っていたこと
最後の“盲腸炎にかかって~”という締めくくりがなんとも理解しがたい終わり方だけど
ベンとジョージは、それほど両極端の距離の存在ではなくなったらしいことがうかがえる
半日で大急ぎで読んでしまったけれど、なんだかまだまだ作者のこめた
大切なメッセージがいくつも残されている気がする
ホールデンの言うところの「時々、読者を笑わせてくれる本」に当てはまる1冊