カウンセリング。
前回のつづきを話そうと思っていたけど、
「誰かにアドバイスしたくなる“親切心”って何なのか?」みたいな話をした。
自分では、相手によかれと思って言っていたり、
お互いに向上・成長したいってゆう気持ちからゆってる前向きな発言だと思ってるんだけど、
でも、それによって互いの価値観の違いが浮かび上がって、それは互いに譲れないから、
“自分と他人は違うってことでいいのでは?”ということも分かっているのに、
気がつくとやっぱり繰り返してしまっている。その理由がどうにも分からない。
カ「お互い、価値観の違いを尊重しようと思っていても、言われたことに対してはどうしても気持ちが“揺れて”しまう。
そうゆう内面的な話は“自分を認めてほしい”“分かってほしい”という気持ちにつながりやすい」
私「“親切心”そのものがいけないのか?」
カ「“親切心”にも色々ある。
本当になにかしてあげたいのか? 実は、自分が無意識にそうされたいと思っていることを言っているだけとか、
自分が居心地がいい状態で、自分から求めているからかもしれない、とか、いろいろあると思う」
じゃあ、どうすれば解決するのか? というところでタイムアップ
そういった内面的な話題は避ければいいのかな? また宿題だ。
●大戸屋でランチ
「ほっけ定食」を注文。ここはいつ来ても安くて美味しい、スタンダードな定食が食べられる
朝食がトーストだけだったからお腹が空いていて、ご飯は半分にしてもらったけど完食v
■田端文士村記念館
概要→here
カンタンにまとめると・・・
田端は、明治の中頃の写真を見たら、本当に雑木林や田畑の広がる農村だった/驚
上野に東京美術学校(現、東京芸大)が開校されたのをキッカケにして、次第に若い芸術家が住むようになった。
“ポプラ倶楽部”という名のテニスサークルまで作られて、まさに「芸術家村」となった。
芥川龍之介が転入してから、物書きも次々と移り住み、「文士村」にもなった。
館内にある「ビデオ視聴コーナー」で「田端文士芸術家村」(約10分間)を見たら、
自宅の木にスルスル登って得意気な龍之介の姿まであった
1921年には海外視察員として中国を訪れたりしたけど、その後、心身ともに衰弱し、
ついに「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」を理由に自死してしまう。
飾られている写真は、教科書や伝記などでもよく見るもので、1人だけ若く精悍な顔立ちなのが印象に残った。
長男の比呂志さんの妻・瑠璃子さん(龍之介の姪)も随筆家なんだ/驚
「(龍之介が)いつも立て膝にするのが癖で、その姿が思い出に残っている」と展示物にあった。
1923年の関東大震災、龍之介の自死、1945年の大空襲によって田端近郊は壊滅的な状態となり、
それぞれ国許に帰ったり、転居してしまった。
米軍機内からのカメラでB29ミサイルを山ほど落としていく映像は怖かった・・・
焼け野原の跡には、住宅街が広がり、今ではもう静かな農村の面影はまったくない。
パンフの裏に「散策マップ」が載っていて、こんなに有名な作家が大勢住んでいたのかとビックリして、
龍之介の居住跡を見に行ってみたけれども、すっかり他人の家々が建ち並んでいて、結局分からなかった。
途中、途中に「標示板」が残るのみって感じなんだな。
その他の展示物は、
・板谷波山(陶芸家)
・室生犀星(詩人・小説家)
・萩原朔太郎(詩人)
・菊池寛(小説家) などなど
建物自体は大きいけど、記念館自体は1階の奥、ほんのちょっとしたスペースで、
それなりに企画展をしたりして、無料だし、日本文学好きには興味のある展示物が覗けるはず。
ここでも映画上映会をしてるのね。次回は『HAZAN』だって。
■田端図書館
区民センターの3階にある小さな図書館。
入るなり、とっても丁寧な女性司書さんが「こんにちわ〜」と明るく挨拶してくれて焦った
本を返却しに来たお客さんが「ありがとうございます」と言って返しにきた時も、
「こちらこそありがとうございました〜!」と必ず挨拶を返していて、素晴らしすぎ
狭いスペースで、蔵書数も少ないけど、
こうゆう地域に根ざした図書館はずっと残っていって欲しいものです
■本駒込図書館
なんと、その田端図書館から徒歩10分くらいの距離に、もう1軒もっと大きな図書館がある
なんて恵まれた地域なんだ。うらやましい・・・
前が幼稚園だから、子どもたちの元気な声が届いてくる
1フロアとはいえ、閲覧コーナーも充分な広さだし、蔵書数の多さはもちろん、その品揃えにも長い歴史が感じられる
「のらくろ」など漫画が充実していたのが意外。「セット貸し出し」のための手作りカードまであった/驚
英米文学の棚がトイレの前にあることと、児童書が日本の作家も海外の作家も混ぜて「あいうえお順」なのが個人的に残念
夢中になって見て回って、気づいたら2時間くらい経っていて、疲れ過ぎてしまってフラフラに・・・またやっちまいました
●ジュピター
カルディ的なコーヒーと輸入食品のお店で、ちょっとした休憩テーブルが喫茶になってて、
ご近所の奥さん、おじさんがコーヒーを飲みながら楽しげにお喋りしていた。
私もスナック菓子など、ついつい買ってしまいましたv
やっと梅雨らしい小雨。というか、台風のせいか?風が強かった
「龍之介商店街」とかいう幟をたてた道沿いも、動坂の道沿いも、昭和喫茶が何軒かあってとっても気になった。
前回のつづきを話そうと思っていたけど、
「誰かにアドバイスしたくなる“親切心”って何なのか?」みたいな話をした。
自分では、相手によかれと思って言っていたり、
お互いに向上・成長したいってゆう気持ちからゆってる前向きな発言だと思ってるんだけど、
でも、それによって互いの価値観の違いが浮かび上がって、それは互いに譲れないから、
“自分と他人は違うってことでいいのでは?”ということも分かっているのに、
気がつくとやっぱり繰り返してしまっている。その理由がどうにも分からない。
カ「お互い、価値観の違いを尊重しようと思っていても、言われたことに対してはどうしても気持ちが“揺れて”しまう。
そうゆう内面的な話は“自分を認めてほしい”“分かってほしい”という気持ちにつながりやすい」
私「“親切心”そのものがいけないのか?」
カ「“親切心”にも色々ある。
本当になにかしてあげたいのか? 実は、自分が無意識にそうされたいと思っていることを言っているだけとか、
自分が居心地がいい状態で、自分から求めているからかもしれない、とか、いろいろあると思う」
じゃあ、どうすれば解決するのか? というところでタイムアップ
そういった内面的な話題は避ければいいのかな? また宿題だ。
●大戸屋でランチ
「ほっけ定食」を注文。ここはいつ来ても安くて美味しい、スタンダードな定食が食べられる
朝食がトーストだけだったからお腹が空いていて、ご飯は半分にしてもらったけど完食v
■田端文士村記念館
概要→here
カンタンにまとめると・・・
田端は、明治の中頃の写真を見たら、本当に雑木林や田畑の広がる農村だった/驚
上野に東京美術学校(現、東京芸大)が開校されたのをキッカケにして、次第に若い芸術家が住むようになった。
“ポプラ倶楽部”という名のテニスサークルまで作られて、まさに「芸術家村」となった。
芥川龍之介が転入してから、物書きも次々と移り住み、「文士村」にもなった。
館内にある「ビデオ視聴コーナー」で「田端文士芸術家村」(約10分間)を見たら、
自宅の木にスルスル登って得意気な龍之介の姿まであった
1921年には海外視察員として中国を訪れたりしたけど、その後、心身ともに衰弱し、
ついに「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」を理由に自死してしまう。
飾られている写真は、教科書や伝記などでもよく見るもので、1人だけ若く精悍な顔立ちなのが印象に残った。
長男の比呂志さんの妻・瑠璃子さん(龍之介の姪)も随筆家なんだ/驚
「(龍之介が)いつも立て膝にするのが癖で、その姿が思い出に残っている」と展示物にあった。
1923年の関東大震災、龍之介の自死、1945年の大空襲によって田端近郊は壊滅的な状態となり、
それぞれ国許に帰ったり、転居してしまった。
米軍機内からのカメラでB29ミサイルを山ほど落としていく映像は怖かった・・・
焼け野原の跡には、住宅街が広がり、今ではもう静かな農村の面影はまったくない。
パンフの裏に「散策マップ」が載っていて、こんなに有名な作家が大勢住んでいたのかとビックリして、
龍之介の居住跡を見に行ってみたけれども、すっかり他人の家々が建ち並んでいて、結局分からなかった。
途中、途中に「標示板」が残るのみって感じなんだな。
その他の展示物は、
・板谷波山(陶芸家)
・室生犀星(詩人・小説家)
・萩原朔太郎(詩人)
・菊池寛(小説家) などなど
建物自体は大きいけど、記念館自体は1階の奥、ほんのちょっとしたスペースで、
それなりに企画展をしたりして、無料だし、日本文学好きには興味のある展示物が覗けるはず。
ここでも映画上映会をしてるのね。次回は『HAZAN』だって。
■田端図書館
区民センターの3階にある小さな図書館。
入るなり、とっても丁寧な女性司書さんが「こんにちわ〜」と明るく挨拶してくれて焦った
本を返却しに来たお客さんが「ありがとうございます」と言って返しにきた時も、
「こちらこそありがとうございました〜!」と必ず挨拶を返していて、素晴らしすぎ
狭いスペースで、蔵書数も少ないけど、
こうゆう地域に根ざした図書館はずっと残っていって欲しいものです
■本駒込図書館
なんと、その田端図書館から徒歩10分くらいの距離に、もう1軒もっと大きな図書館がある
なんて恵まれた地域なんだ。うらやましい・・・
前が幼稚園だから、子どもたちの元気な声が届いてくる
1フロアとはいえ、閲覧コーナーも充分な広さだし、蔵書数の多さはもちろん、その品揃えにも長い歴史が感じられる
「のらくろ」など漫画が充実していたのが意外。「セット貸し出し」のための手作りカードまであった/驚
英米文学の棚がトイレの前にあることと、児童書が日本の作家も海外の作家も混ぜて「あいうえお順」なのが個人的に残念
夢中になって見て回って、気づいたら2時間くらい経っていて、疲れ過ぎてしまってフラフラに・・・またやっちまいました
●ジュピター
カルディ的なコーヒーと輸入食品のお店で、ちょっとした休憩テーブルが喫茶になってて、
ご近所の奥さん、おじさんがコーヒーを飲みながら楽しげにお喋りしていた。
私もスナック菓子など、ついつい買ってしまいましたv
やっと梅雨らしい小雨。というか、台風のせいか?風が強かった
「龍之介商店街」とかいう幟をたてた道沿いも、動坂の道沿いも、昭和喫茶が何軒かあってとっても気になった。