■イラストで学べる税金のしくみ1『税金とはなにか?』(汐文社)
大野一夫/著
増税の話でもちきりだからってワケじゃないけど、そもそも何だっけシリーズで借りてみた。
税金の歴史を紐解いていくと、権力者が農民から、いつの時代も厳しく絞り取ってきたことが分かる。
明治時代以降は、戦争 をするたびに増税し、国債という借金までしてきたことも分かる。
これは、日本だけの話じゃないだろう。
なんだか知らないけど、誰かの役に立てるなら・・・て善意でずぅっと払ってきたお金
ほんとうは、何に、どれだけ使われているのか、全部公開したら、本当にバカバカしくなるかもしれないねぇ・・・
【内容抜粋メモ】
****************************税ってなに?
税の何に関心があるか?
「e−TAX」
ネットを使って税の申告ができる。
・納税の義務
憲法第30条で定められている。
学校や道路などをつくるには莫大なお金がかかる。それを国民が少しずつ出し合おうという仕組み。
2009年の日本の総人口は1億2,756万7000人。1人10円ずつ集めたら12億以上になる。
・収入と所得
「収入」ある期間働いたり、物の売買で得た金銭。
「所得」収入から様々な経費を差し引き、税金の対象となる金銭。
・所得の再分配
税を収入の差に応じて納める仕組み。高額所得者の税金を再分配し、みんな平等に公共サービスが受けることができる。
****************************税の種類
「家計」
消費生活を営む単位。家計を支えるお金は、たとえば会社で働いた収入など。
・租税=税や税金のこと。
・課税=租税を課すること。
・徴税=税を集めること。
・納税=税を納めること。
主な税金の種類
●直接税、間接税、目的税
「直接税=税務署などに納める税」
・直接税の代表は「所得税」(収入を得たら払う)。
・住民税 所得税額に応じて納める。
・固定資産税
・法人税、事業税 会社などの企業
「間接税=商品を買った時払う税」
商品には「物財」(服や野菜など)と「サービス」(運賃など)がある。
代表は「消費税」。消費に関わる税を「消費課税」という。
「目的税」
使い道が決まっていない「普通税」に対して、使い道が決まっている税。入湯税など。
●国税と地方税
「国税=各地の税務署に払う」
「地方税=地方自治体にある市区町村課税課・都道府県税事務所から「納税通知書」が届いて払う」
福祉など住民サービスを行っているにも関わらず、税収が国税より少ないのが問題。
国税の一部を地方に回すことも行われてきたが、根本解決には至っていない。
****************************税の歴史
●税のはじまりは3000年以上も前
中国・エジプト、インド、ギリシア、ローマなど文明が栄えた地域では、国王など権力者が税を集めていた。
「労役・夫役」
強制労働で歴史的遺産が造られたともいえる。
「兵役」
国同士の戦争の際、兵役は義務でこれも税のひとつ。勝つと、負けた人々を奴隷として働かせた。
●税は、国家の成り立ちの歴史と重なる
ヒトが集団で暮らしはじめ、農耕・牧畜が行われるようになると「支配者」が現れた。その時から税があったと考えられる。
ムラ→国家となり、生産物の一部を税として納めさせた。
「お金」
貨幣の歴史は、貝貨、金属貨からはじまる。日本は、飛鳥・奈良時代の「富本銭」「和同開珎」が最初。
「邪馬台国」
稲、いちび麻、桑、蚕、麻糸、絹糸などが産出された。これらが納められたと考えられる。
『魏志』「倭人伝」には、収穫の一部を税として納めた倉庫があるという記述がある。
****************************税が重くなると政権が代わる
奈良時代/「律令制」と税
「大和政権」では、中国の隋、唐と同じ「律令制」を取り入れた。
律令=律は、犯罪や刑罰の法律、令は、国の役所や政治の仕組み。
地方には貴族が「国司」として派遣され政治をした。
租庸調
701年「大宝律令」を発布。「班田収受の法」が行われた。
6年ごとに「戸籍調査」が行われ、6歳以上の男女に「口分田」を与えた。
田の面積に応じて租を納める。稲の収穫の3〜5%。他にも雑徭という労働や兵役もあった。
「口分田」
戸ごとに与えた。3000kgの収穫に対し、大人1人の年間消費量が150kgだと、とても苦しいと分かる。
凶作になると、国司は稲を貸し付けて高い利息をとった。「出挙」→逃亡者が増え、律令制は崩れてゆく。
「公地公民」
土地を国有化し、人は国から土地を借りていた。支配していた豪族には田と給与、特権を与えた。
723年「三世一身の法」、743年「墾田永年私財の法」など定め、「公地公民」は崩れた。
代わりに、私有地を増やす貴族・寺院などが出た。「荘園」(寺院も欲が深いんだな
「荘園」
国の支配を受けない私的な所有地。律令制が崩れて広まった。
平安時代
「武士団」争いの中で武具を備えて戦うグループが増えた。
「摂関政治」荘園を増やした藤原氏が、天皇の摂政・関白について政治をした。
平氏と源氏の争いで源頼朝が政権をとり、鎌倉幕府をひらき、武士の政治がはじまる。
鎌倉時代/武士の台頭〜朝廷と幕府
「御恩」戦争で勝って奪った土地を功績のあった家臣に分けた。
家来は「御家人」と呼ばれ、「奉公」した。こうした主従関係を「封建制」と呼ぶ。
地方には、守護・地頭を置き、年貢の取り立て、犯罪をとりしまった。
「朝廷」国司の任命など。
「幕府」軍事・警察。
「承久の乱(1221)」以降、幕府の力が強まり、荘園の半分が地頭のものになるなど権限が増大した。
「御成敗式目(1232)」裁判を公平に行う法律。
●年貢
収穫量の3〜4割。「公事」領主への献納物、「夫役」(運搬など)もあった。
室町時代、戦国時代
室町時代は足利幕府による武士政権。守護大名の力が強まる。
商工業の発達にともない「営業税」もできた。
交通が発達すると「関所などでの通行税」も課した。
農民は、村ごとに団結して「一揆」を起こした
「明銭」という銅銭が流通しはじめた。
・楽市、楽座
信長は、営業税を免除、座を廃止。関所もなくし、商業活動を盛んにした。
・太閤検地
秀吉は、武士と農民の身分を分け、田畑を入念に調べた結果、全国の大名の領地の広さ、良し悪しが分かった。
荘園は、農民に直接耕作する土地にし、村のリーダーがまとめて、土地台帳で年貢を納めさせた。「村請け制度」
年貢は、収穫高の2/3とかなり重い、「築城」などの夫役もあった。(結局、農民はいつもキツイじゃん
・刀狩り
大仏建立に使う名目で、農民から刀や鉄砲を集めた。
1587年、肥後で検地反対の一揆があったが、厳しい処罰をした。
江戸時代
通貨/身分の割合
家康は「身分制度」を整えた。検地は引き継がれ、「五公五民」(石高の半分が年貢)となる。
もっとも割合の多い農民からの年貢が税の中心。
有力な町人には、免許税、営業税などを課し、お金で支払わせた。
・本百姓と水吞百姓
「本百姓」土地の所有者。名主、組頭などが村役人となる。
「水吞百姓」土地を所有しない。
「五人組制度」犯罪防止に連帯責任を負わせた。
「参勤交代」交通路が整備され、商品の流通が盛んになり、港町・宿場町が栄えた。
「百姓一揆」米の買占めをした商人の打ち壊しも増えた
「定免取り」数年間の収穫量を平均して、毎年同じ年貢を納める方法。
「検見取り」田の一定の範囲の収穫量をはかる坪刈りを行った。
これまでの「定免制」に比べ、負担が増え、一揆が増えたが、幕府の役人らの処罰も行われた。
「新田開発」農業技術も進歩した。
衣服に木綿が使われ、綿や菜種栽培をつくり→商人に売り→商人は利益を上げた
お金の流通量も増え、物資の輸送のため交通も発達した。
・江戸時代のお金
金貨、銀貨、銅貨の3種類。
田沼意次は、長崎貿易の改革を進めるなどした。その背景には、貨幣経済の進行がある。
「藩札」各藩の財政難に発行。今の紙幣のはじまり。
明治時代
「中央集権国家」
武士政権が倒れ、権力が中央政府(国)に集中した政治形態。
「版籍奉還」「廃藩置県」を行い、「富国強兵政策」を進めた。
身分制をやめ、税制も変えた。国の財政は大蔵省が担当した。
「富国強兵政策」の三大改革は、学制、兵制、税制。
・「地租改正(1873)」
「田畑永代売買禁止令」を廃止、土地の私的所有権を認め、所有者に課税した。
地価を決め「地券」(土地の所有権を認めた証書。納税者を明らかにする)を発行。税率は3%。
農民は米を売って現金化しなければならず、やはり厳しい負担だった。→政府は地価を2.5%に下げた。
明治政府は「地租改正」を国家財政の基礎におき、江戸時代の年貢を下回らないことが方針だった。
都市部の宅地は、所有者が複雑で、売買地価・賃貸料など細かく分けられた。今の「固定資産税」につながる。
「固定資産税」土地、家屋にかかる税金
「地主」土地の所有者に課す税を「地租」という。
「小作人」田畑を借りている人は「小作料」を地主に納める。
明治の終わりは小作人が増え、全国の農地の4割を占めた。小作料は収穫高の半分だから重い負担だった。
1873年の歳入額と、地租(71%)。租税のうち地租の割合は90%を超える。
「殖産興業政策」
明治の中頃には、資本主義を目指して工業も発達した。
・「所得税(1887)」がはじまる
所得金額300円以上の人に課税。当時の教師の初任給が月5円だから、かなりの高額所得者が対象だった。
「大日本帝国憲法(明治憲法)(1889)」で納税の義務が定められた。
直接国税を年15円以上納める25歳以上の男子に、第1回帝国議会の衆議院議員選挙の選挙権が与えられ、その有権者数は国民の1.1%だけだった。
「日本銀行券」
明治政府は「円」というお金の単位を決め、国立銀行紙幣を1873年に発行。日本銀行は1882年に開業。
最初の日本銀行券は拾圓(10円)紙幣。
****************************税金と戦争のかかわり
戦争は、お金がないとできない。そのために政府は増税をしてきた。
・兵力(陸海軍)
1931年 32万人
1937年 108万人
1941年 242万人
1945年 826万人
現在の自衛隊員 約24万人
在日米軍 約4.5万人
とくに20世紀の前半、日本は戦争に明け暮れていた。兵力・兵器には莫大なお金が必要となり、税金・借金に頼った。
日清戦争では、企業に「登録税」「営業税」、
日露戦争では、戦費調達のために、織物や石油に課税、「相続税」「酒造税」等の増税を繰り返した
・国債(国の借金)
債券を発行してお金を借りる。戦時国債は、日本だけでなく、世界で行われた。
1945年の敗戦以降、債券は紙くずとなった。
●国の財政に締める「軍事費」の割合は戦争ごとに違う
第一次世界大戦後(1925) 29.4%
日清戦争(1985) 65.6%
日露戦争(1905) 82.3%
太平洋戦争末期(1944) 85.3%
現在の日本の防衛費は5〜6%
「軍事費」
陸海軍経費、徴兵費、臨時事件費、特別会計臨時軍事費のこと。
1944年の軍事費は、総額735億1,495万円にも達していた。
●「法人税」のはじまり
法人税=会社などの企業に課税する税。本格的にはじまったのは、1940年。これも「戦時税制改革」のひとつだった。
●「源泉徴収制度」の導入
会社等が、社員の毎月の給料から「源泉所得税」を差し引き、本人に代わって税金を納める仕組み。
「法人税」と同じ1940年にはじまった。
政府は、戦時費用をまかなうために、所得税の「課税最低限」を引き下げ、会社に徴税を肩代わりさせた。
→国の徴税事務の負担を軽減できる+税金を確実に、早めに徴収できる+税務署に勤める人も徴兵されて人手不足だった。
「課税最低限」
所得税、住民税が課税される最低限度。収入から様々な「控除」を差し引いたもの。
「控除」
課税対象とならないもの。社会保険料、生命保険料、医療控除など。
****************************税の見直し
戦時中、税制はたいへん複雑化した。間接税も増えた。
敗戦後「日本国憲法」が制定。民主的改革には「農地改革」「財閥解体」「教育改革」「税制改革」もされた。
「農地改革」
地主の土地を、政府が強制的に安く買い上げ、小作人に安い値段で売ったことで、自作地は1950年には90%になった。
●「シャウプ使節団」1949年に来日
日本の税制問題を指摘し、勧告を出した。「シャウプ勧告」
1.間接税、複雑な税制を見直して、直接税中心にする。
2.地方自治体を税制からも見直す。
3.税負担の公平化をはかる。 など
当時、日本はインフレが激しかった。
「インフレーション」物価が引き続き上昇する現象
「デフレーション」物価が下落し、経済活動が縮む現象
1945年からの4年間、消費者物価指数は100倍とも言われた。
●所得税中心の課税に
・戦前の「直間比率」
直接税 34.8%、間接税 65.2%。これを見直し、「酒税」を除く間接税が廃止されることが増えた。
・1970年の「直間比率」
直接税 66%、間接税 33%。
直接税のうち「所得税」は割合が高かった。
間接税は、嗜好品に課せられ、消費税が導入されるまでは、「トランプ類税」などまであった。
「トランプ類税」
トランプ、麻雀牌、花札などに課された。前身は「カルタ税」。
●消費税の導入
問題となったのは1978年、国民の反発を受けて導入はとりやめた。
1986年の「売上税の導入」を検討、1988年「消費税」が成立、翌年から施行された。税率3%。
1997年には、地方消費税を含む税率5%に引き上げられた。
「累進課税」
低所得者は税率を低く、高所得者は高くして、税負担の公平をはかる。
****************************これからの税とは?
新しい税をつくるには、国民の意思が尊重されなければならない。
理由は、国民の選んだ代表者が集まる国会で税制を決めているため。
政府は「歳入不足」になると「どうやって税金を増やすか」と考える(そんなやり方、猿でもできるじゃん
「印紙税」
戦費調達のため、17Cにヨーロッパで導入された。日本も明治時代に導入。
1765年、イギリスはアメリカ駐屯軍経費の一部として「印紙税法」を成立させた。
すべての公文書、売買契約書、卒業証書、新聞等に、イギリス政府が発行する印紙を貼ることを義務付けた。
アメリカ植民地議会は非難し、イギリス商品の不買運動も起こった。
翌年「印紙税法」は廃止されたが、新法「茶税法」を押しつけた
収入印紙
今日の日本では、売買代金、契約書など20ほどの項目に収入印紙を貼ることが「印紙税法」で定められている。
「どうして個人間の取引にも税金が関係してくるのか?」
広く網の目のように課税する方法のひとつと言える。
大野一夫/著
増税の話でもちきりだからってワケじゃないけど、そもそも何だっけシリーズで借りてみた。
税金の歴史を紐解いていくと、権力者が農民から、いつの時代も厳しく絞り取ってきたことが分かる。
明治時代以降は、戦争 をするたびに増税し、国債という借金までしてきたことも分かる。
これは、日本だけの話じゃないだろう。
なんだか知らないけど、誰かの役に立てるなら・・・て善意でずぅっと払ってきたお金
ほんとうは、何に、どれだけ使われているのか、全部公開したら、本当にバカバカしくなるかもしれないねぇ・・・
【内容抜粋メモ】
****************************税ってなに?
税の何に関心があるか?
「e−TAX」
ネットを使って税の申告ができる。
・納税の義務
憲法第30条で定められている。
学校や道路などをつくるには莫大なお金がかかる。それを国民が少しずつ出し合おうという仕組み。
2009年の日本の総人口は1億2,756万7000人。1人10円ずつ集めたら12億以上になる。
・収入と所得
「収入」ある期間働いたり、物の売買で得た金銭。
「所得」収入から様々な経費を差し引き、税金の対象となる金銭。
・所得の再分配
税を収入の差に応じて納める仕組み。高額所得者の税金を再分配し、みんな平等に公共サービスが受けることができる。
****************************税の種類
「家計」
消費生活を営む単位。家計を支えるお金は、たとえば会社で働いた収入など。
・租税=税や税金のこと。
・課税=租税を課すること。
・徴税=税を集めること。
・納税=税を納めること。
主な税金の種類
●直接税、間接税、目的税
「直接税=税務署などに納める税」
・直接税の代表は「所得税」(収入を得たら払う)。
・住民税 所得税額に応じて納める。
・固定資産税
・法人税、事業税 会社などの企業
「間接税=商品を買った時払う税」
商品には「物財」(服や野菜など)と「サービス」(運賃など)がある。
代表は「消費税」。消費に関わる税を「消費課税」という。
「目的税」
使い道が決まっていない「普通税」に対して、使い道が決まっている税。入湯税など。
●国税と地方税
「国税=各地の税務署に払う」
「地方税=地方自治体にある市区町村課税課・都道府県税事務所から「納税通知書」が届いて払う」
福祉など住民サービスを行っているにも関わらず、税収が国税より少ないのが問題。
国税の一部を地方に回すことも行われてきたが、根本解決には至っていない。
****************************税の歴史
●税のはじまりは3000年以上も前
中国・エジプト、インド、ギリシア、ローマなど文明が栄えた地域では、国王など権力者が税を集めていた。
「労役・夫役」
強制労働で歴史的遺産が造られたともいえる。
「兵役」
国同士の戦争の際、兵役は義務でこれも税のひとつ。勝つと、負けた人々を奴隷として働かせた。
●税は、国家の成り立ちの歴史と重なる
ヒトが集団で暮らしはじめ、農耕・牧畜が行われるようになると「支配者」が現れた。その時から税があったと考えられる。
ムラ→国家となり、生産物の一部を税として納めさせた。
「お金」
貨幣の歴史は、貝貨、金属貨からはじまる。日本は、飛鳥・奈良時代の「富本銭」「和同開珎」が最初。
「邪馬台国」
稲、いちび麻、桑、蚕、麻糸、絹糸などが産出された。これらが納められたと考えられる。
『魏志』「倭人伝」には、収穫の一部を税として納めた倉庫があるという記述がある。
****************************税が重くなると政権が代わる
奈良時代/「律令制」と税
「大和政権」では、中国の隋、唐と同じ「律令制」を取り入れた。
律令=律は、犯罪や刑罰の法律、令は、国の役所や政治の仕組み。
地方には貴族が「国司」として派遣され政治をした。
租庸調
701年「大宝律令」を発布。「班田収受の法」が行われた。
6年ごとに「戸籍調査」が行われ、6歳以上の男女に「口分田」を与えた。
田の面積に応じて租を納める。稲の収穫の3〜5%。他にも雑徭という労働や兵役もあった。
「口分田」
戸ごとに与えた。3000kgの収穫に対し、大人1人の年間消費量が150kgだと、とても苦しいと分かる。
凶作になると、国司は稲を貸し付けて高い利息をとった。「出挙」→逃亡者が増え、律令制は崩れてゆく。
「公地公民」
土地を国有化し、人は国から土地を借りていた。支配していた豪族には田と給与、特権を与えた。
723年「三世一身の法」、743年「墾田永年私財の法」など定め、「公地公民」は崩れた。
代わりに、私有地を増やす貴族・寺院などが出た。「荘園」(寺院も欲が深いんだな
「荘園」
国の支配を受けない私的な所有地。律令制が崩れて広まった。
平安時代
「武士団」争いの中で武具を備えて戦うグループが増えた。
「摂関政治」荘園を増やした藤原氏が、天皇の摂政・関白について政治をした。
平氏と源氏の争いで源頼朝が政権をとり、鎌倉幕府をひらき、武士の政治がはじまる。
鎌倉時代/武士の台頭〜朝廷と幕府
「御恩」戦争で勝って奪った土地を功績のあった家臣に分けた。
家来は「御家人」と呼ばれ、「奉公」した。こうした主従関係を「封建制」と呼ぶ。
地方には、守護・地頭を置き、年貢の取り立て、犯罪をとりしまった。
「朝廷」国司の任命など。
「幕府」軍事・警察。
「承久の乱(1221)」以降、幕府の力が強まり、荘園の半分が地頭のものになるなど権限が増大した。
「御成敗式目(1232)」裁判を公平に行う法律。
●年貢
収穫量の3〜4割。「公事」領主への献納物、「夫役」(運搬など)もあった。
室町時代、戦国時代
室町時代は足利幕府による武士政権。守護大名の力が強まる。
商工業の発達にともない「営業税」もできた。
交通が発達すると「関所などでの通行税」も課した。
農民は、村ごとに団結して「一揆」を起こした
「明銭」という銅銭が流通しはじめた。
・楽市、楽座
信長は、営業税を免除、座を廃止。関所もなくし、商業活動を盛んにした。
・太閤検地
秀吉は、武士と農民の身分を分け、田畑を入念に調べた結果、全国の大名の領地の広さ、良し悪しが分かった。
荘園は、農民に直接耕作する土地にし、村のリーダーがまとめて、土地台帳で年貢を納めさせた。「村請け制度」
年貢は、収穫高の2/3とかなり重い、「築城」などの夫役もあった。(結局、農民はいつもキツイじゃん
・刀狩り
大仏建立に使う名目で、農民から刀や鉄砲を集めた。
1587年、肥後で検地反対の一揆があったが、厳しい処罰をした。
江戸時代
通貨/身分の割合
家康は「身分制度」を整えた。検地は引き継がれ、「五公五民」(石高の半分が年貢)となる。
もっとも割合の多い農民からの年貢が税の中心。
有力な町人には、免許税、営業税などを課し、お金で支払わせた。
・本百姓と水吞百姓
「本百姓」土地の所有者。名主、組頭などが村役人となる。
「水吞百姓」土地を所有しない。
「五人組制度」犯罪防止に連帯責任を負わせた。
「参勤交代」交通路が整備され、商品の流通が盛んになり、港町・宿場町が栄えた。
「百姓一揆」米の買占めをした商人の打ち壊しも増えた
「定免取り」数年間の収穫量を平均して、毎年同じ年貢を納める方法。
「検見取り」田の一定の範囲の収穫量をはかる坪刈りを行った。
これまでの「定免制」に比べ、負担が増え、一揆が増えたが、幕府の役人らの処罰も行われた。
「新田開発」農業技術も進歩した。
衣服に木綿が使われ、綿や菜種栽培をつくり→商人に売り→商人は利益を上げた
お金の流通量も増え、物資の輸送のため交通も発達した。
・江戸時代のお金
金貨、銀貨、銅貨の3種類。
田沼意次は、長崎貿易の改革を進めるなどした。その背景には、貨幣経済の進行がある。
「藩札」各藩の財政難に発行。今の紙幣のはじまり。
明治時代
「中央集権国家」
武士政権が倒れ、権力が中央政府(国)に集中した政治形態。
「版籍奉還」「廃藩置県」を行い、「富国強兵政策」を進めた。
身分制をやめ、税制も変えた。国の財政は大蔵省が担当した。
「富国強兵政策」の三大改革は、学制、兵制、税制。
・「地租改正(1873)」
「田畑永代売買禁止令」を廃止、土地の私的所有権を認め、所有者に課税した。
地価を決め「地券」(土地の所有権を認めた証書。納税者を明らかにする)を発行。税率は3%。
農民は米を売って現金化しなければならず、やはり厳しい負担だった。→政府は地価を2.5%に下げた。
明治政府は「地租改正」を国家財政の基礎におき、江戸時代の年貢を下回らないことが方針だった。
都市部の宅地は、所有者が複雑で、売買地価・賃貸料など細かく分けられた。今の「固定資産税」につながる。
「固定資産税」土地、家屋にかかる税金
「地主」土地の所有者に課す税を「地租」という。
「小作人」田畑を借りている人は「小作料」を地主に納める。
明治の終わりは小作人が増え、全国の農地の4割を占めた。小作料は収穫高の半分だから重い負担だった。
1873年の歳入額と、地租(71%)。租税のうち地租の割合は90%を超える。
「殖産興業政策」
明治の中頃には、資本主義を目指して工業も発達した。
・「所得税(1887)」がはじまる
所得金額300円以上の人に課税。当時の教師の初任給が月5円だから、かなりの高額所得者が対象だった。
「大日本帝国憲法(明治憲法)(1889)」で納税の義務が定められた。
直接国税を年15円以上納める25歳以上の男子に、第1回帝国議会の衆議院議員選挙の選挙権が与えられ、その有権者数は国民の1.1%だけだった。
「日本銀行券」
明治政府は「円」というお金の単位を決め、国立銀行紙幣を1873年に発行。日本銀行は1882年に開業。
最初の日本銀行券は拾圓(10円)紙幣。
****************************税金と戦争のかかわり
戦争は、お金がないとできない。そのために政府は増税をしてきた。
・兵力(陸海軍)
1931年 32万人
1937年 108万人
1941年 242万人
1945年 826万人
現在の自衛隊員 約24万人
在日米軍 約4.5万人
とくに20世紀の前半、日本は戦争に明け暮れていた。兵力・兵器には莫大なお金が必要となり、税金・借金に頼った。
日清戦争では、企業に「登録税」「営業税」、
日露戦争では、戦費調達のために、織物や石油に課税、「相続税」「酒造税」等の増税を繰り返した
・国債(国の借金)
債券を発行してお金を借りる。戦時国債は、日本だけでなく、世界で行われた。
1945年の敗戦以降、債券は紙くずとなった。
●国の財政に締める「軍事費」の割合は戦争ごとに違う
第一次世界大戦後(1925) 29.4%
日清戦争(1985) 65.6%
日露戦争(1905) 82.3%
太平洋戦争末期(1944) 85.3%
現在の日本の防衛費は5〜6%
「軍事費」
陸海軍経費、徴兵費、臨時事件費、特別会計臨時軍事費のこと。
1944年の軍事費は、総額735億1,495万円にも達していた。
●「法人税」のはじまり
法人税=会社などの企業に課税する税。本格的にはじまったのは、1940年。これも「戦時税制改革」のひとつだった。
●「源泉徴収制度」の導入
会社等が、社員の毎月の給料から「源泉所得税」を差し引き、本人に代わって税金を納める仕組み。
「法人税」と同じ1940年にはじまった。
政府は、戦時費用をまかなうために、所得税の「課税最低限」を引き下げ、会社に徴税を肩代わりさせた。
→国の徴税事務の負担を軽減できる+税金を確実に、早めに徴収できる+税務署に勤める人も徴兵されて人手不足だった。
「課税最低限」
所得税、住民税が課税される最低限度。収入から様々な「控除」を差し引いたもの。
「控除」
課税対象とならないもの。社会保険料、生命保険料、医療控除など。
****************************税の見直し
戦時中、税制はたいへん複雑化した。間接税も増えた。
敗戦後「日本国憲法」が制定。民主的改革には「農地改革」「財閥解体」「教育改革」「税制改革」もされた。
「農地改革」
地主の土地を、政府が強制的に安く買い上げ、小作人に安い値段で売ったことで、自作地は1950年には90%になった。
●「シャウプ使節団」1949年に来日
日本の税制問題を指摘し、勧告を出した。「シャウプ勧告」
1.間接税、複雑な税制を見直して、直接税中心にする。
2.地方自治体を税制からも見直す。
3.税負担の公平化をはかる。 など
当時、日本はインフレが激しかった。
「インフレーション」物価が引き続き上昇する現象
「デフレーション」物価が下落し、経済活動が縮む現象
1945年からの4年間、消費者物価指数は100倍とも言われた。
●所得税中心の課税に
・戦前の「直間比率」
直接税 34.8%、間接税 65.2%。これを見直し、「酒税」を除く間接税が廃止されることが増えた。
・1970年の「直間比率」
直接税 66%、間接税 33%。
直接税のうち「所得税」は割合が高かった。
間接税は、嗜好品に課せられ、消費税が導入されるまでは、「トランプ類税」などまであった。
「トランプ類税」
トランプ、麻雀牌、花札などに課された。前身は「カルタ税」。
●消費税の導入
問題となったのは1978年、国民の反発を受けて導入はとりやめた。
1986年の「売上税の導入」を検討、1988年「消費税」が成立、翌年から施行された。税率3%。
1997年には、地方消費税を含む税率5%に引き上げられた。
「累進課税」
低所得者は税率を低く、高所得者は高くして、税負担の公平をはかる。
****************************これからの税とは?
新しい税をつくるには、国民の意思が尊重されなければならない。
理由は、国民の選んだ代表者が集まる国会で税制を決めているため。
政府は「歳入不足」になると「どうやって税金を増やすか」と考える(そんなやり方、猿でもできるじゃん
「印紙税」
戦費調達のため、17Cにヨーロッパで導入された。日本も明治時代に導入。
1765年、イギリスはアメリカ駐屯軍経費の一部として「印紙税法」を成立させた。
すべての公文書、売買契約書、卒業証書、新聞等に、イギリス政府が発行する印紙を貼ることを義務付けた。
アメリカ植民地議会は非難し、イギリス商品の不買運動も起こった。
翌年「印紙税法」は廃止されたが、新法「茶税法」を押しつけた
収入印紙
今日の日本では、売買代金、契約書など20ほどの項目に収入印紙を貼ることが「印紙税法」で定められている。
「どうして個人間の取引にも税金が関係してくるのか?」
広く網の目のように課税する方法のひとつと言える。