■『闇打つ心臓』(2005)
監督:長崎俊一 音楽:大友良英
出演:内藤剛志、室井滋、本多章一、江口のりこ、諏訪太朗、水島かおり ほか
「子供を殺した男女は二度出会う。」「また会えるのかな?」
▼trailer
▼story
1982年、8ミリで自主制作し、海外から高い評価を受け、
“自主映画の金字塔”とも言われた今作を、同スタッフでリメイクすることとなった。
その打ち合わせで、内藤さんは「リメイクの意味として罰が必要だと今は思ってて、
トオルを殴るシーンを入れたいから出演させてほしい」と願い出る。
室井さんは、同じく出演を希望しつつ「今は可哀相だと思う。宝クジでも当てて、これでちゃんとやりなって言いたい」
今は電気屋で働くリンゴォと、20年前に別れた女イナコとの再会シーンからはじまる。
2人はともに暮らしていた時期、娘ヨシコを暴行して殺した過去を持つ。
リンゴォは妻と別居中。17歳になる娘がいるという。
イナコも結婚したというがウソで、相方が豆柴のブリーダーで一儲けしたいと言い出したからお金を貸してほしいというのが目的。
(こうゆう商売として動物を金儲けに利用している人たちもいるんだなぁ/涙
「逃げてた頃が懐かしく思えることもあるよ」
「結婚した時、恐かった。もうイイだろって、そう思って、ここまで生きてきた」
同じく、トオルとユキは、娘ナツミを暴行して殺し、逃げるために友人のアパートで1泊する。
2組は海岸沿いの食堂で出会い、同じニオイを感じとる。
「どっか遠くに行かなきゃ。誰も手の届かないところ」
途中のドラムの響きも作品の緊迫感と合っているし、
ラスト、カヒミ・カリィのフランス語っぽい、つぶやくような歌がホッとさせる。
ものすごい重い映画だと覚悟して観たけど、想像を見事に裏切られたフシギな構成だった。
所々、男女の役や、2組のカップルの役がひっくり返ったりしている。
どのタイミングで殴るかを話し合ったり、俳優同士ぶつかりあったりするシーンもある。
「フェイク・ドキュメンタリー」なんて言葉やジャンルがあるって初めて知った。
内藤さんが、本多くんに厳しいことを言っているシーンとか、あまりに真に迫っていて、
え・・・本当はこんなに現場で厳しいことゆったり、自己主張の強い人なの?!て引いてしまったが、
フェイクって聞いて、ホッとした
実親の幼児虐待で子どもが死に至る事件は、後を絶たない。
無計画な妊娠をして、育児経験が未熟、愛されて育った記憶がないなど、さまざまな理由で、
タバコの火を押し付けたり、放り投げたり、何も食べさせなかったり。
そんな悪に対して同じ暴力で仕返しするんじゃなくて、
20年間、そして、これからの長い人生も、良心の呵責、
わが子への愛を背負って生き続けることこそ、ほんとうの罰なんだと思う。
誰かが、裁判や刑罰で決めるんじゃなくて、自分の魂が一番知っていることだから。
【DVD特典】
予告と、特典映像があって、それぞれの語りが深くてよかった。
●佐々木史朗(商業映画ATGの代表)
プロデューサーってのはミーハーなもので、当たったら、じゃ、また作ろうって感じだけど、
長崎らにとっては、もっと違った意味をもっていたんだと思う。
内藤は、作ろう、作ろうって、人を集めるパワーがすごかった。
長崎に惚れ込んで、何本も作らせて原動力になっていた。
「ある意味、自分の映画をリメイクさせるのは残酷だよね」
●長崎監督
昔は、8ミリフィルムの自主制作でアクション映画を夢中で撮っていた。
(8ミリ→16ミリ→35ミリ、自主制作から商業映画へって流れがあるのね。ふぅーん
アクション映画の撮影中、バイクのアクションで事故って、両手両脚骨折等の重傷を負い、
1年間の入院生活を強いられたことが、その後の映画製作に大きな影響を与えた。
「アクション映画に意味はあるのか?」
その次回作が『闇打つ心臓』。「生きるために映画を作るってできるんだなって思った」
「リメイクすること自体がテーマだと気づいた」
●室井滋
「自主映画の女王」と呼ばれて100本以上に出演していた/驚
「そうゆうところからプロの女優になりたかった」
今回、第1作目を使う許可をもらいたいと話がきて、出演させてほしいと言ったら、
内藤さんも同じことを、もっと熱く言ったらしくてw
「ただ、自身を演じることには抵抗があった」
●内藤剛志
自主制作を作りながら、俳優もやってた、熱い人なんだ/驚
長崎監督の初作『九月の冗談クラブバンド』から出演兼プロデューサーもしていた。
インタビューを受けたのは、撮影最終日で、「本作に出演しての感想」みたいな質問への答え。
「長崎監督作品は、どれもタイトルがステキ。今作も意味が分からなくても、あえて聞かなかった。
リンゴォって名前についても同じく、初作の時も、リメイクでも聞かなかった。
でも、もし3回目、また20年後に同じスタッフで撮ることがあれば、最終日、最後のシーンが終わった後に聞きたい。
だから、今作は、次の映画のための切符だと思っている」
内藤さんは、どんな質問にも、いつも簡潔に、理路整然と答えているのもスゴイと思う。
監督:長崎俊一 音楽:大友良英
出演:内藤剛志、室井滋、本多章一、江口のりこ、諏訪太朗、水島かおり ほか
「子供を殺した男女は二度出会う。」「また会えるのかな?」
▼trailer
▼story
1982年、8ミリで自主制作し、海外から高い評価を受け、
“自主映画の金字塔”とも言われた今作を、同スタッフでリメイクすることとなった。
その打ち合わせで、内藤さんは「リメイクの意味として罰が必要だと今は思ってて、
トオルを殴るシーンを入れたいから出演させてほしい」と願い出る。
室井さんは、同じく出演を希望しつつ「今は可哀相だと思う。宝クジでも当てて、これでちゃんとやりなって言いたい」
今は電気屋で働くリンゴォと、20年前に別れた女イナコとの再会シーンからはじまる。
2人はともに暮らしていた時期、娘ヨシコを暴行して殺した過去を持つ。
リンゴォは妻と別居中。17歳になる娘がいるという。
イナコも結婚したというがウソで、相方が豆柴のブリーダーで一儲けしたいと言い出したからお金を貸してほしいというのが目的。
(こうゆう商売として動物を金儲けに利用している人たちもいるんだなぁ/涙
「逃げてた頃が懐かしく思えることもあるよ」
「結婚した時、恐かった。もうイイだろって、そう思って、ここまで生きてきた」
同じく、トオルとユキは、娘ナツミを暴行して殺し、逃げるために友人のアパートで1泊する。
2組は海岸沿いの食堂で出会い、同じニオイを感じとる。
「どっか遠くに行かなきゃ。誰も手の届かないところ」
途中のドラムの響きも作品の緊迫感と合っているし、
ラスト、カヒミ・カリィのフランス語っぽい、つぶやくような歌がホッとさせる。
ものすごい重い映画だと覚悟して観たけど、想像を見事に裏切られたフシギな構成だった。
所々、男女の役や、2組のカップルの役がひっくり返ったりしている。
どのタイミングで殴るかを話し合ったり、俳優同士ぶつかりあったりするシーンもある。
「フェイク・ドキュメンタリー」なんて言葉やジャンルがあるって初めて知った。
内藤さんが、本多くんに厳しいことを言っているシーンとか、あまりに真に迫っていて、
え・・・本当はこんなに現場で厳しいことゆったり、自己主張の強い人なの?!て引いてしまったが、
フェイクって聞いて、ホッとした
実親の幼児虐待で子どもが死に至る事件は、後を絶たない。
無計画な妊娠をして、育児経験が未熟、愛されて育った記憶がないなど、さまざまな理由で、
タバコの火を押し付けたり、放り投げたり、何も食べさせなかったり。
そんな悪に対して同じ暴力で仕返しするんじゃなくて、
20年間、そして、これからの長い人生も、良心の呵責、
わが子への愛を背負って生き続けることこそ、ほんとうの罰なんだと思う。
誰かが、裁判や刑罰で決めるんじゃなくて、自分の魂が一番知っていることだから。
【DVD特典】
予告と、特典映像があって、それぞれの語りが深くてよかった。
●佐々木史朗(商業映画ATGの代表)
プロデューサーってのはミーハーなもので、当たったら、じゃ、また作ろうって感じだけど、
長崎らにとっては、もっと違った意味をもっていたんだと思う。
内藤は、作ろう、作ろうって、人を集めるパワーがすごかった。
長崎に惚れ込んで、何本も作らせて原動力になっていた。
「ある意味、自分の映画をリメイクさせるのは残酷だよね」
●長崎監督
昔は、8ミリフィルムの自主制作でアクション映画を夢中で撮っていた。
(8ミリ→16ミリ→35ミリ、自主制作から商業映画へって流れがあるのね。ふぅーん
アクション映画の撮影中、バイクのアクションで事故って、両手両脚骨折等の重傷を負い、
1年間の入院生活を強いられたことが、その後の映画製作に大きな影響を与えた。
「アクション映画に意味はあるのか?」
その次回作が『闇打つ心臓』。「生きるために映画を作るってできるんだなって思った」
「リメイクすること自体がテーマだと気づいた」
●室井滋
「自主映画の女王」と呼ばれて100本以上に出演していた/驚
「そうゆうところからプロの女優になりたかった」
今回、第1作目を使う許可をもらいたいと話がきて、出演させてほしいと言ったら、
内藤さんも同じことを、もっと熱く言ったらしくてw
「ただ、自身を演じることには抵抗があった」
●内藤剛志
自主制作を作りながら、俳優もやってた、熱い人なんだ/驚
長崎監督の初作『九月の冗談クラブバンド』から出演兼プロデューサーもしていた。
インタビューを受けたのは、撮影最終日で、「本作に出演しての感想」みたいな質問への答え。
「長崎監督作品は、どれもタイトルがステキ。今作も意味が分からなくても、あえて聞かなかった。
リンゴォって名前についても同じく、初作の時も、リメイクでも聞かなかった。
でも、もし3回目、また20年後に同じスタッフで撮ることがあれば、最終日、最後のシーンが終わった後に聞きたい。
だから、今作は、次の映画のための切符だと思っている」
内藤さんは、どんな質問にも、いつも簡潔に、理路整然と答えているのもスゴイと思う。