過去のノートにある映画感想メモシリーズ。
part2からのつづき。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。
■『ウェンディの見る夢は』(1990)
監督:マイケル・パティンソン 出演:ロザンヌ・アークエット、ブルース・スペンス ほか
いつ観てもASMIKのNEWSTREAMの出だしは不思議な感覚にさせる。
サイドカーに乗ったマネキンみたいな女性、なびく白く長いスカーフ、光をキラキラ反射するラメの手袋、
ブルブルとエンジン音に合わせて息をしているかのような「NEWSTREAM」の文字。。
それはともかく作品のほうは軽めのラヴロマンス。もうちょっと話にひねりが欲しかったな。
■『ゴッホ』(1990)
監督:ロバート・アルトマン 出演:ティム・ロス、ポール・リース ほか
ゴッホについての乏しい知識を埋め合わせようとして観たけど、彼が画家を目指してから死ぬまでの半生で
復習はできたけど、その一生の謎は深まるばかり。同じ画家でもダリとはかなり違うね。
今をときめく『ショートカッツ』『プレタポルテ』のアルトマン作品。彼がもう71歳だなんて信じ難い。
主演は『フォールームス』で注目度アップのティム・ロス。ベテラン俳優なんだね。テオ役のP.リースも気になる。
「自然は完璧だ」「じゃなぜ描く」「神より絵のほうが崇高だからだ」
浮世絵に夢中になったゴッホ。彼にとって絵を描くことは神に近付く手段だったようだ。
■『天井桟敷の人々』(1945)
監督:マルセル・カルネ 出演:ジャン・ルイ・バロー、アルレッティ、ピエール・ブラッスール、マリア・カザレス ほか
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第1部:犯罪大通り
幕があがり、幕が下りる。これは映画というより劇場で観る演劇に近い。美しいモノクロの世界。
観る前から、このジャケ写の1コマの絵の完璧な美しさで絶品なのが分かる。
下町の通称“犯罪大通り”は、活気に満ち、アーティストと、貧しいが人間味あふれた人々が行き交い、
笑い、涙、怒り、人生が見える場所。
そこには質屋であり、ラッパ吹き、夢占い師、タレ込み屋でもある男がいれば、愛の女神ギャランスもいる。
ここでもう悲劇の種は着々と根を張ろうとしているのが見える。
フランスの恋愛劇は、生命の源のように生まれ、悲劇の渦中で終わるんだ。
ピエロが首を吊ろうとした綱で少女が縄跳びをし、洗濯女が洗濯物を干すシーンは素晴らしい。
第2部:白い男
話は一気に6年後に飛ぶ。『風と共に去りぬ』かS.シェルダンの超訳小説のような面白さ。イイ男たちとイイ女!
久々にヤラれた!決闘はどうなったの
2人の仲は![]()
これじゃ思い切り中途半端に放り出されて、私たちはどうしたらいいのか分からない。
「客は恋愛を持って帰る。お土産だ。役者は客と思いを分かちあえるのが最大の喜びだ」と言ったフレデリック。
通俗的な結末を押し付けられるよりマシかもしれないけど、もう少しだけこの人間模様のドラマを見続けていたかった。
子どもが出てきちゃどうしようもないけど、天使のような男の子がギャランスに
「大人になったら、あなたみたいな人と結婚する。それかママみたいな人」
「パパとママと僕は幸せです」って伝えに行かせるなんて最大の武器だね。
旅に出るにも男がいなくなった女神は一体あれからどうしたのか???
■『SEVEN BEAUTIES』(1975)
監督:リナ・ウェルトミューラー 出演:ジャンカルロ・ジャンニーニ、フェルナンド・レイ ほか
軽いイタリアンコメディかと思いきや、とんでもなく重いテーマを知らない間に観せられていたって感じ。
そもそも別のを借りて、またレンタル屋の取り違えなんだけど![]()
なぜか聞きづらいイタリア訛りの英語なんだな。どう見ても出演者も多分監督もイタリア人なんだけど、
なんだって英語の吹き替えをわざわざダブらせたのか?
セブンビューティーズと言えど、出てくるのは恰幅のいい女性ばかり。イタリア式美人の条件か?
主演の伊達男のアップばかりで劇場で観た客はどう思ったかな?
セリフ調でOH,YESと連呼する最初の曲とがなりたてる最後の曲は'70ぽくてカッコイイ![]()
「結婚して子どもを20人も産むんだ。すぐにリンゴ1つで家族が争う時代になる。数がものをいう。すぐに始めよう」
人口が増えると争いが始まるってのにまだ産ませようって考えは全然違うんじゃないの?
ここまで生き残って、人間の尊厳も踏みにじられてもどうしようっていうのかな。
■『ミュラー探偵事務所』(1986)
監督:ニキ・リスト 出演:クリスチャン・シュミット ほか
レンタル屋が前頁の作品と間違えたってのがコレ。ま、結果はどっこいどっこいだったけど。
これを堂々とコメディの棚のてっぺんに正面向いて飾っとくって根性はスゴイ。
宣伝コピーもなかなかうまく客を誘っているし“ふざけた映画だ”って、なるほどね。
そのふざけ方がナンセンスというより、本当にふざけてる。
オーストラリア産なのにドイツ語版なのがまずなによりふざけてる。
でも、それなりに愛嬌のあるB級ハードボイルドコメディミュージカルだった。
気に入ったのは、ちょっと東洋風にエキセントリックな女が「今何時」と所々に顔を出し、
キレイな高音で♪月が好き と歌いながら屋根から空中にいくシーンはとってもシュール。
■『サンドイッチの年』(1988)
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監督:ピエール・ブートロン 出演:ヴォイチェフ・プショニヤック、トマ・ラングマン ほか
フランス映画には滅多にハズレがない。ラストが希望と違うことがあっても。
映画にはイメージしてたのと全く違うことがあるけど今作は嬉しい違い方。
多感な少年時代の友情物語だけでなく、少数民族への差別という微妙で深刻な問題が描かれているにも関わらず、
いわゆる日本の道徳教育で使われる映像の暗さがない。
特に黒い粋な帽子と黒いベストを白シャツに着た職人気質な江戸っ子って感じの商人マックスがとってもイイ。
「泣くと心が洗われ、サッパリと元気になる。大人が夜一人で泣かないなんて大間違いだ。涙も人を造るんだ」
「陽がまた昇るかぎりいい日も来る。それを信じろ、神じゃない」
「今年は辛いこともあったろうが、人生に5度や6度はこんなことがある。残りはなんてことない日々の連続だ。
今年はサンドイッチの年だ。辛子で涙も出るが、よく噛み締めて、全部食べなきゃならんのだ」
この朝の老人と少年のラストシーンは最高に素晴らしい。嫌いな犬を愛しくなでるシーンも素晴らしい。
アメリカかぶれの仕立て屋をバカにする様子や、「骨董屋は泥棒だ。俺は商人だ」とプライド高く叫ぶシーン等
ユーモアもたくさん詰まっている。
同じフランス語を話しながら、ブルジョアと貧しい人々がいる。
表沙汰にはしないにしても、差別され、異教徒同士いがみあっている。
みんなが十字をうまくきれるようになることを神は望んでいるんじゃ決してないのにね。
「人生にはどんな辛い時でも必ずチャンスが巡ってくる。お前がこの老人に会ったみたいにな」
■『突然炎のごとく』(1962)
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監督:フランソワ・トリュフォー 出演:ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー ほか
動く小説。余計な効果音など一切なし。美しいメロディにのって頁をめくると2人の男と1人の女の恋愛物語。
J.モローは“ファム・ファタル(宿命の女)”にピッタリ。でも女王のように厳かに崇められ、
風の如く自由に見えて、実は3人共幸せじゃなかった。
「結婚は恋愛の理想じゃない。僕はいつでもそれを捨てることができる」
なぜカトリーヌはジュリも道連れにしなかったのか。証人が必要だったからか。
それとも自分から解放され、別の幸せを見つけてほしい、悲惨な彼の人生を
悲劇に終わらせたくなかったからか。難しすぎて理解できない。
「女は教会に入っても神と一体何が話せるのか」という侮辱に対して、そのまま川へ飛び込んでしまうカトリーヌ。
単に彼女が自制できないというだけか。
「あなたが40になったら、25の女をとる。そしたら私はひとりぼっちでどうしたらいいの?」
男女の間に友情は存在しない?少なくともこの3人の場合はうまくいかなかった。
完璧な調和であった時もあったのに。ジュリの顔が不安と悲しみで老けて見えた。
「君はよくシナの劇を思い出させるよ。幕が上がると皇帝が身を屈めて言う。
『私は最も不幸な男だ。妻が2人いるので。第一夫人と第二夫人と』」
どの指にも指輪をはめ 両腕には腕環して あの女は歌ってた 心を溶かす声で
その瞳はオパールの瞳 心もとろけるとろける 蒼白い卵形の顔
宿命の女は宿命に導いた 宿命の女は宿命に導いた
知り合って 知り合って 見失って また見失って また会って 情に燃え
それから別れた めいめいにまた発った 人の世の渦の中に
ある夜にまた会った エイエイエイ 久しぶりだった 久しぶりだった
■『にんじん』(1932)
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 出演:アリ・ポール、ロベール・リナン ほか
同じ名作でも解釈の仕方はそれぞれ違うんだな。映画という媒体で、より分かり易く
リアルにアレンジする必要があったせいかもしれないけど、私が原作を読んだ時の印象は、
もう少し父と末っ子の心の底は繋がっているという温かさが残ったんだけど。
手紙のやりとりの部分が好きだし、でもこれは実は深刻な幼児虐待の話なんだよね。
「忙しいからあっちで待ってなさい」と母から無視され、そっとその場を走り去る。「やっぱり誰も愛してくれない」
「ママが嫌いだ」「私がママを好いてると思うのか?」と父。
「家庭で大事なのは和合だ」「気が合うことだね」「愛を知らない者は不幸だ。母さんも不幸なんだよ」
にんじん役の子が見事な演技力。
■『2000年のジョナス』(1976)
監督:アラン・タネール 出演:ジャン=リュック・ビドー、ミュウ=ミュウ ほか
ラストに映った壁画の前に赤い吊りズボンを履いて無邪気に立っているジョナス。それはつまり私たちなのよね。
いろんな親の夢や期待を背負ってる、政治不安や、環境問題は悪化するばかりで20年前と何も変わっちゃいない。
子どもに託してもムダだ。親だって勝手に生きてたワケだし。
「子どもは学校に行かせる。勝手に自立するのよ」「ブタのように育てたいのか?」
それぞれが想像する世界(大抵は性的な描写だけど)が褪せた緑色の映像で挟み込まれる。
汗を流して土を耕す真の労働、動物や自然と暮らすことを夢見る現代人たち。
■『THE HARDER THEY COME』(1972)
監督:ペリー・ヘンゼル 出演:ジミー・クリフ、ジャネット・バートレー ほか
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天国は楽園だなんて奴らは言うけれど それは死んだ後の話さ
この世に生まれて死ぬまでは 俺の頼みを聞いちゃくれない
あの太陽が輝き続けているかぎり 俺の分け前はしっかりもらうさ
俺に手を出す奴は後悔するぜ(THE HARDER THEY COME)
目の前に河が流れているのに どうやって越えるのか分からない
迷ってしまったのか ドーバー海峡にのぞむ岸壁に俺は佇むばかり
多くの河を越えなければならない だがどこから始めればいいんだろう
時だけが流れてゆく・・・(MANY RIVERS TO CROSS)
これがJ.クリフを一気にスターダムにのし上げたジャマイカンムーヴィー。
前にもブラックムーヴィーでひたすら逃げ続ける伊達男のヒーローものがあったけど、
今作はサントラもヒットし、数多くの曲を絡ませ、貧困と悪がはびこる国と人々の日常を生々と描き出した。
「お前は夢想家だ」「どっちが夢想家だ? 天国や祈りなんて役に立たない」
サントラを先に聴いた時は意味が分からず、もっと平和を訴える歌かと思ったら、こんな攻撃的だった。
犯罪を称賛はできないけれど、心を悪に導いてしまう貧困が根源にあるんだ。
part2からのつづき。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。
■『ウェンディの見る夢は』(1990)
監督:マイケル・パティンソン 出演:ロザンヌ・アークエット、ブルース・スペンス ほか
いつ観てもASMIKのNEWSTREAMの出だしは不思議な感覚にさせる。
サイドカーに乗ったマネキンみたいな女性、なびく白く長いスカーフ、光をキラキラ反射するラメの手袋、
ブルブルとエンジン音に合わせて息をしているかのような「NEWSTREAM」の文字。。
それはともかく作品のほうは軽めのラヴロマンス。もうちょっと話にひねりが欲しかったな。
■『ゴッホ』(1990)
監督:ロバート・アルトマン 出演:ティム・ロス、ポール・リース ほか
ゴッホについての乏しい知識を埋め合わせようとして観たけど、彼が画家を目指してから死ぬまでの半生で
復習はできたけど、その一生の謎は深まるばかり。同じ画家でもダリとはかなり違うね。
今をときめく『ショートカッツ』『プレタポルテ』のアルトマン作品。彼がもう71歳だなんて信じ難い。
主演は『フォールームス』で注目度アップのティム・ロス。ベテラン俳優なんだね。テオ役のP.リースも気になる。
「自然は完璧だ」「じゃなぜ描く」「神より絵のほうが崇高だからだ」
浮世絵に夢中になったゴッホ。彼にとって絵を描くことは神に近付く手段だったようだ。
■『天井桟敷の人々』(1945)
監督:マルセル・カルネ 出演:ジャン・ルイ・バロー、アルレッティ、ピエール・ブラッスール、マリア・カザレス ほか


幕があがり、幕が下りる。これは映画というより劇場で観る演劇に近い。美しいモノクロの世界。
観る前から、このジャケ写の1コマの絵の完璧な美しさで絶品なのが分かる。
下町の通称“犯罪大通り”は、活気に満ち、アーティストと、貧しいが人間味あふれた人々が行き交い、
笑い、涙、怒り、人生が見える場所。
そこには質屋であり、ラッパ吹き、夢占い師、タレ込み屋でもある男がいれば、愛の女神ギャランスもいる。
ここでもう悲劇の種は着々と根を張ろうとしているのが見える。
フランスの恋愛劇は、生命の源のように生まれ、悲劇の渦中で終わるんだ。
ピエロが首を吊ろうとした綱で少女が縄跳びをし、洗濯女が洗濯物を干すシーンは素晴らしい。

話は一気に6年後に飛ぶ。『風と共に去りぬ』かS.シェルダンの超訳小説のような面白さ。イイ男たちとイイ女!
久々にヤラれた!決闘はどうなったの


これじゃ思い切り中途半端に放り出されて、私たちはどうしたらいいのか分からない。
「客は恋愛を持って帰る。お土産だ。役者は客と思いを分かちあえるのが最大の喜びだ」と言ったフレデリック。
通俗的な結末を押し付けられるよりマシかもしれないけど、もう少しだけこの人間模様のドラマを見続けていたかった。
子どもが出てきちゃどうしようもないけど、天使のような男の子がギャランスに
「大人になったら、あなたみたいな人と結婚する。それかママみたいな人」
「パパとママと僕は幸せです」って伝えに行かせるなんて最大の武器だね。
旅に出るにも男がいなくなった女神は一体あれからどうしたのか???
■『SEVEN BEAUTIES』(1975)
監督:リナ・ウェルトミューラー 出演:ジャンカルロ・ジャンニーニ、フェルナンド・レイ ほか
軽いイタリアンコメディかと思いきや、とんでもなく重いテーマを知らない間に観せられていたって感じ。
そもそも別のを借りて、またレンタル屋の取り違えなんだけど

なぜか聞きづらいイタリア訛りの英語なんだな。どう見ても出演者も多分監督もイタリア人なんだけど、
なんだって英語の吹き替えをわざわざダブらせたのか?
セブンビューティーズと言えど、出てくるのは恰幅のいい女性ばかり。イタリア式美人の条件か?
主演の伊達男のアップばかりで劇場で観た客はどう思ったかな?
セリフ調でOH,YESと連呼する最初の曲とがなりたてる最後の曲は'70ぽくてカッコイイ

「結婚して子どもを20人も産むんだ。すぐにリンゴ1つで家族が争う時代になる。数がものをいう。すぐに始めよう」
人口が増えると争いが始まるってのにまだ産ませようって考えは全然違うんじゃないの?
ここまで生き残って、人間の尊厳も踏みにじられてもどうしようっていうのかな。
■『ミュラー探偵事務所』(1986)
監督:ニキ・リスト 出演:クリスチャン・シュミット ほか
レンタル屋が前頁の作品と間違えたってのがコレ。ま、結果はどっこいどっこいだったけど。
これを堂々とコメディの棚のてっぺんに正面向いて飾っとくって根性はスゴイ。
宣伝コピーもなかなかうまく客を誘っているし“ふざけた映画だ”って、なるほどね。
そのふざけ方がナンセンスというより、本当にふざけてる。
オーストラリア産なのにドイツ語版なのがまずなによりふざけてる。
でも、それなりに愛嬌のあるB級ハードボイルドコメディミュージカルだった。
気に入ったのは、ちょっと東洋風にエキセントリックな女が「今何時」と所々に顔を出し、
キレイな高音で♪月が好き と歌いながら屋根から空中にいくシーンはとってもシュール。
■『サンドイッチの年』(1988)

監督:ピエール・ブートロン 出演:ヴォイチェフ・プショニヤック、トマ・ラングマン ほか
フランス映画には滅多にハズレがない。ラストが希望と違うことがあっても。
映画にはイメージしてたのと全く違うことがあるけど今作は嬉しい違い方。
多感な少年時代の友情物語だけでなく、少数民族への差別という微妙で深刻な問題が描かれているにも関わらず、
いわゆる日本の道徳教育で使われる映像の暗さがない。
特に黒い粋な帽子と黒いベストを白シャツに着た職人気質な江戸っ子って感じの商人マックスがとってもイイ。
「泣くと心が洗われ、サッパリと元気になる。大人が夜一人で泣かないなんて大間違いだ。涙も人を造るんだ」
「陽がまた昇るかぎりいい日も来る。それを信じろ、神じゃない」
「今年は辛いこともあったろうが、人生に5度や6度はこんなことがある。残りはなんてことない日々の連続だ。
今年はサンドイッチの年だ。辛子で涙も出るが、よく噛み締めて、全部食べなきゃならんのだ」
この朝の老人と少年のラストシーンは最高に素晴らしい。嫌いな犬を愛しくなでるシーンも素晴らしい。
アメリカかぶれの仕立て屋をバカにする様子や、「骨董屋は泥棒だ。俺は商人だ」とプライド高く叫ぶシーン等
ユーモアもたくさん詰まっている。
同じフランス語を話しながら、ブルジョアと貧しい人々がいる。
表沙汰にはしないにしても、差別され、異教徒同士いがみあっている。
みんなが十字をうまくきれるようになることを神は望んでいるんじゃ決してないのにね。
「人生にはどんな辛い時でも必ずチャンスが巡ってくる。お前がこの老人に会ったみたいにな」
■『突然炎のごとく』(1962)


監督:フランソワ・トリュフォー 出演:ジャンヌ・モロー、オスカー・ウェルナー ほか
動く小説。余計な効果音など一切なし。美しいメロディにのって頁をめくると2人の男と1人の女の恋愛物語。
J.モローは“ファム・ファタル(宿命の女)”にピッタリ。でも女王のように厳かに崇められ、
風の如く自由に見えて、実は3人共幸せじゃなかった。
「結婚は恋愛の理想じゃない。僕はいつでもそれを捨てることができる」
なぜカトリーヌはジュリも道連れにしなかったのか。証人が必要だったからか。
それとも自分から解放され、別の幸せを見つけてほしい、悲惨な彼の人生を
悲劇に終わらせたくなかったからか。難しすぎて理解できない。
「女は教会に入っても神と一体何が話せるのか」という侮辱に対して、そのまま川へ飛び込んでしまうカトリーヌ。
単に彼女が自制できないというだけか。
「あなたが40になったら、25の女をとる。そしたら私はひとりぼっちでどうしたらいいの?」
男女の間に友情は存在しない?少なくともこの3人の場合はうまくいかなかった。
完璧な調和であった時もあったのに。ジュリの顔が不安と悲しみで老けて見えた。
「君はよくシナの劇を思い出させるよ。幕が上がると皇帝が身を屈めて言う。
『私は最も不幸な男だ。妻が2人いるので。第一夫人と第二夫人と』」

その瞳はオパールの瞳 心もとろけるとろける 蒼白い卵形の顔
宿命の女は宿命に導いた 宿命の女は宿命に導いた
知り合って 知り合って 見失って また見失って また会って 情に燃え
それから別れた めいめいにまた発った 人の世の渦の中に
ある夜にまた会った エイエイエイ 久しぶりだった 久しぶりだった
■『にんじん』(1932)
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 出演:アリ・ポール、ロベール・リナン ほか
同じ名作でも解釈の仕方はそれぞれ違うんだな。映画という媒体で、より分かり易く
リアルにアレンジする必要があったせいかもしれないけど、私が原作を読んだ時の印象は、
もう少し父と末っ子の心の底は繋がっているという温かさが残ったんだけど。
手紙のやりとりの部分が好きだし、でもこれは実は深刻な幼児虐待の話なんだよね。
「忙しいからあっちで待ってなさい」と母から無視され、そっとその場を走り去る。「やっぱり誰も愛してくれない」
「ママが嫌いだ」「私がママを好いてると思うのか?」と父。
「家庭で大事なのは和合だ」「気が合うことだね」「愛を知らない者は不幸だ。母さんも不幸なんだよ」
にんじん役の子が見事な演技力。
■『2000年のジョナス』(1976)
監督:アラン・タネール 出演:ジャン=リュック・ビドー、ミュウ=ミュウ ほか
ラストに映った壁画の前に赤い吊りズボンを履いて無邪気に立っているジョナス。それはつまり私たちなのよね。
いろんな親の夢や期待を背負ってる、政治不安や、環境問題は悪化するばかりで20年前と何も変わっちゃいない。
子どもに託してもムダだ。親だって勝手に生きてたワケだし。
「子どもは学校に行かせる。勝手に自立するのよ」「ブタのように育てたいのか?」
それぞれが想像する世界(大抵は性的な描写だけど)が褪せた緑色の映像で挟み込まれる。
汗を流して土を耕す真の労働、動物や自然と暮らすことを夢見る現代人たち。
■『THE HARDER THEY COME』(1972)
監督:ペリー・ヘンゼル 出演:ジミー・クリフ、ジャネット・バートレー ほか


この世に生まれて死ぬまでは 俺の頼みを聞いちゃくれない
あの太陽が輝き続けているかぎり 俺の分け前はしっかりもらうさ
俺に手を出す奴は後悔するぜ(THE HARDER THEY COME)

迷ってしまったのか ドーバー海峡にのぞむ岸壁に俺は佇むばかり
多くの河を越えなければならない だがどこから始めればいいんだろう
時だけが流れてゆく・・・(MANY RIVERS TO CROSS)
これがJ.クリフを一気にスターダムにのし上げたジャマイカンムーヴィー。
前にもブラックムーヴィーでひたすら逃げ続ける伊達男のヒーローものがあったけど、
今作はサントラもヒットし、数多くの曲を絡ませ、貧困と悪がはびこる国と人々の日常を生々と描き出した。
「お前は夢想家だ」「どっちが夢想家だ? 天国や祈りなんて役に立たない」
サントラを先に聴いた時は意味が分からず、もっと平和を訴える歌かと思ったら、こんな攻撃的だった。
犯罪を称賛はできないけれど、心を悪に導いてしまう貧困が根源にあるんだ。