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『ピーポー&メー』 戸川純(著)
戸川純 avec おおくぼけいライヴ@サラヴァ東京(2019.2.13)
池田敬太写真展「戸川純」 @Gallery ナベサン(2018.9.13)
買ったのは今年の2月か 熟成させてた
本も「読む時」があると思う
前回読んだ
『戸川純の気持ち』(JICC出版局)は発行時1984年当時の
リアルタイムな話だったけれども
今作は、時を経て当時、親交のあった人やもろもろのことなどを
今の純ちゃんが話しているのがとても興味深い
人名を伏字にしても、誰のことかすぐ分かるしw
私の知らない著名な方々も興味がわいて
その方の書いた本、曲、人となりが気になる
本書の面白さに、歌詞解説の本も読みたくなった
謎に満ちた歌詞ばかりで、謎は謎のままにしておきたいと思いつつ
本人の説明で聞いてみたい気もする
【内容抜粋メモ】
「ele-king」連載の加筆訂正
■遠藤ミチロウ
友だちになったのは2000年前後
ミは蜷川幸雄さん演出の舞台に何度か出演
私もチェーホフの『三人姉妹』で出演
『タンゴ・冬の終わりに』で♪蛹化の女 ♪諦念プシガンガ を劇中で使われ
ミの「カノン」も使われた
こうした偶然は「誰々のパクリだ」と思われるが
ミは会ってすぐ「同じ時期にリリースされたよね!」と言い、思いやりのある人と思った
その後「東口トルエンズ」でミと対バンした
『ザ・スターリン伝説』は抱腹絶倒ゲラゲラ本
私は80年代、ナイロン100%というカフェに入り浸り
そこにいた人は洋楽志向
アグレッシヴパンクは1970年を境に遠ざかっていた状況
メンバーと客がケンカばかりして演奏どころではなかった
ブタの臓物を客に投げて
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、ステージから引き摺り下ろされボコられた話
2人共、パブリックイメージで困った話
反体制が体制に見えたようなこの国に窮屈さを覚えた
ミ:国境がなくなれば戦争は無くなるんだよ
ソフトバンクのCMを思い出した
日本人とアメリカ人がきれいに混在している家族
ヒト科も超えて犬も一緒
ミ:明治になる時、外国から攻めてこられるのを防ぐために1つにならなきゃなんなかった
純:江戸時代の泰平の世も『カムイ伝』読むとめちゃめちゃですもんね
70年安保に揺れていた新宿のガキだった自分には少し抵抗がある
映画『インディペンデンス・デイ』では宇宙人が攻めてきて
地球のあらゆる国が団結する
ミは世代的には全共闘世代だが、フォークには乗り切れず
パンクがきた時「これだ」と乗ったという
「ノー・フューチャー」「デストロイ」とは真逆の闘い
「PROJECT FUKUSHIMA!」の宣言文より
「痛みを、怒りを、悔しさを、後悔を、不安を、やり切れなさをぶちまけたいのです」
ミはソロアルバム「I.My.Me/AMAMI」で
私の♪蛹化の女 ♪諦念プシガンガ をカバーしてくれた
私はお礼として、遠藤ミチロウ・トリビュート盤「ロマンチスト」で
ミの♪カノン をカバーした
■町田康
町田町蔵が共通の男友達Aと1回だけうちに来た その時18歳
マ:酒、ありまっか
私は下戸で料理用のワインしかないと告げると
マ:かめへん、かめへん ワインはどんどん減った
マの収入は新薬のモニターと言っていた
(哲さんも、良々もやったって言ってたなあ
INUの新譜らしき音源デモを聴かせてくれた
私のレコード棚を見て、ヤング・マーブル・ジャイアンツで手を止め
マ:ワイの好きなヤツや
レコード会社からもらい、まだ針を落としていないニューミュージックの女性アーティストY・Aで
マ:ワイの嫌いなヤツのや
Y・Aはサブカルチャー系雑誌のインタビューで
「若いくせに諦念なんて、人生知ったような」など
ほとんど名指しで私をけなしていた
ニューミュージックの女性ミュージシャンは
サンディー&ザ・サンセッツのサンディー以外優しい人はなく
ニューミュージックの御大M・Yは天宇受売命(アマノウズメノミコト)
の生まれ変わりを自称していて、私が衣装として巫女で歌っていた頃
「なんであの子が巫女なのよ!」と中沢新一に言ったそうだ
私は引っ越し魔で、2年に1度引っ越していた
客用掛け布団を2人にかけた時
マ:戸川はん、カネ入ったらメシ奢ったるさかいな!
嬉しかったが、私は照れて何も返事できなかった
3代続いた江戸っ子の私は非常にシャイだった
関西の人は「東京人(70%が地方出身者)は冷たい」という
東京原住民はあか抜けないほど本当に照れ性なのだ
マの勇気を出した優しさに眠ったふりをした
マとAは終電過ぎた時間にも関わらず帰ってしまった
役者のマを見たのは映画『熊楠 KUMAGUSU』
これは未完のまま撮影は中断されていて、実に残念
映画『エンドレス・ワルツ』
私は舞台で二人芝居『ラストデイト』で広田玲央名(レオナ)と演った
作家・町田康
処女作『くっすん大黒』は新人作家というようなものではなく
円熟と風格があり驚いた
ブコウスキー的な、自分をダメ男っぽく書く
マ作品はゲラゲラに面白い
『パンク侍斬られて候』も頭がグチャグチャになり面白かった
私は怪我をして、座ってできる仕事を、と小説を書き始めたが
『権現の踊り子』での厳しさは、私が書くなんて恥じてしまうほど説得力がある
どんなにふざけていても驚異的な知性はビクともしない
マにハマれば、文学が楽しくて仕方なくなる
■三上寛
私はウィキをいっさい見なでこの連載を書いている
初めて曲を聴いたのは、LPはすでに入手困難だったので
CDをゲラゲラ笑いながら聴いたが、悲哀も感じて、純粋に感動した
歌詞、曲のみならず、声がいい 男性のセクシーさを感じさせる
私の知るミの人間的魅力はその音楽にぴったりくる
私が『羅生門』に出演した時、塩野谷正幸が♪寛の夢は夜ひらく を弾き語りした
演歌が好きそうで、披露するには抵抗があったのではと思って聞くと
シ:なんでわかったんだ!?
ミは自分の歌を「怨歌」と呼んでいた
泣き、怒り、ユーモアの見事な三位一体
普段、私は「元祖不思議ちゃん」と言われるが
不思議なところなんてない!というほど気をつけている
ミは死刑囚が収監されている刑務所の慰問で歌った時
「死」という言葉が歌詞にある曲で、死刑囚がもの凄く敏感に反応する体験をして
「オレの曲にはこんなに死の要素の濃いものが多かったのか」と言った
私は若い頃から死にとりつかれていた
衝動に突き動かされるたび必死に思いとどまった
とどまれなかったこともあるが、こうして生きている
最後の最後に生存本能や煩悩に助けられたのではと思う
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海 に私は随分慰められた
ミのレコードデビューは1971年
まさに全共闘が挫折した頃
「もうこれ以上めでたい日なんか来やしない」
未来に希望を持てない絶望的な曲だが
そのユーモア感覚で暗さは微塵も感じさせない
フェミニズム座談会で一緒になった
友だちのミュージシャン、ジョン・ゾーン主催
ジョンは差別問題で闘ってきた
最近まで私はフェミニズムと一生縁がないと思っていた
缶コーヒーのCMで
「男はサイテーで サイコーだ 男ですみません」というのを聞いて
けっこうその缶コーヒーを飲んでいた私は多少の不快感を得た程度
CMに市民団体がクレームするのは敏感すぎないかと思っていたが
今は私も敏感だ
ヤプーズのメンバーの男性がタクシー
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を拾い、乗る客が私だけと分かると
年配の運転手はあからさまに舌打ちし、遠距離と分かると
途端に愛想が良くなった
運転手:
女の客はスルーする時もある 運転手はみんな嫌がる
短距離だし、乗せても話がかみ合わないし ワッハッハ!
乗車距離が違うだけで、まんま私と同じではないか
今はもうシルバーカーなしでは歩けない身体障害者への二重の差別だ
目黒区から下北沢に通っていた時も、ほとんど毎日ボラれそうになった
タクシーに乗り慣れない、道を知らないと思われて遠回りされ
2、3000円のところを7000円以上要求された
もちろんまっとうなタクシーのほうが圧倒的に多い
子どもの頃は「男尊女卑の美学」などを持っていた
私は儒教が嫌い
年上ならとにかく敬わなければという精神はパンクの逆だ
(同感 実年齢と精神年齢は比例しない
私は家制度がたまらなく嫌
「雄々しい」「女々しい」とかの表現
「私ってよく男っぽい性格だねって言われる サバサバしてるっていうか」と言う人がいるが
「オレって女っぽいって言われるんだよ!」と褒め言葉として言うのは聞いたことがない
それでも「こんなもんだろ、日本だし」程度だった
女優では女性差別はなかった
結婚しても仕事を続けるケースが多く、労働力があまり変わらない
音楽で初めてフェミニズムに抵触する?と思ったことが最近あった
芸能生活で初めての屈辱だった
数年前、4人編成のバンドをやっていて、ベースの男以外は
ハッパを趣味にして、逮捕歴もある不良を自称している男2人は
私が腰を痛める前からとても親切だった
彼らはニコニコしながら「男の子ってこういうのが好きなのよ」
「そうそう、女の子には難しいよね」とマイクを通して言った
純:なに、それ、ロック男尊女卑?!
ベーシスト:この曲でアドリブは男でもムリだよ
その後、バンドは音楽性の違いで活動を停止した
小さい頃、新宿でヒッピーをうんざりするほど見て
なんてかっこ悪いんだろうと思っていた
「所詮、男は弱い生き物なんだよ 女にはかなわないね
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」
そうした誤解や批判は1回ではない
その座談会でミは居心地悪そうだった
内容はほとんど覚えていない
AV女優の子:
ポルノ映画でも、女の人が被虐的になるパターンがすごく多い
だから仕方ないと思う と言うと
司会者:それ、自分で考えたの? とニヤニヤしながら言った
イベントの最後にミはやっと口を開いて
ミ:それでもオレはやっぱり、男のほうが強いと思っちゃうんだよなあ
純:そうよ、男のほうが強いのよ、とそこで言えるのが女の強さではないかと
ミ:うわ~ 戸川さん、強いなー 勝てないなー!
ああいう、いい意味で1本骨の通った古いタイプの男は
逆に女に手をあげることはないのではないか
ミのセンチメンタリズムや繊細さは、男女を越えて
生の人間の弱さ強さとして感じられた
いつかのビデオで、歌に追いかけられる、殺される、逃げるには歌うしかない
というようなことを言っていた
ミは俳優もしている
旧日本軍の役などは似合っている
初期の過激だったフォーク世代の精神、怒りも持っている
ミの存在自体が奇跡的なのだから
(今になってようやくハリウッド女優らが監督らの
セクハラ・パワハラをカミングアウトした「MeToo」運動を
純ちゃんが知らないわけはないと思うのだが
訴えられた男優、監督には好きな人もいて、とても残念に思い
それから作品自体の見方まで変わってしまった
■ロリータ順子
TACOが再始動する そのヴォーカル
私のソロ名義のライヴの楽屋に来て可愛いなと思った
年齢も、本名も同じ
ロはまずリストカットのあとを見せて本当にビックリした
私のファンには
「純ちゃんなら私(僕)のこと、分かってくれる」
「純ちゃんの気持ちを分かるのは私(僕)だけ」と言う人が多くいた
そのたび
「あなたのこと、何も知らないっつーの!」
「私の何が分かるんだっつーの!」と不快な思いをしてきたが
ロはいかに親しくなってもそんな戯言は一度もなかった
TACOのリーダー・山崎春美(ロの籍の入ってない旦那)
ゲルニカの相方の上野耕路、元8 1/2のベースの人××を紹介してもらった
私はバックボーンに金銭的な貧しさがなくても
時代がパンクにいっちゃえば
精神的な飢えを持っていればいいのではと思っていたが
そうしたコンプレックスを持つ人は結構いた
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シティボーイ は涙なしには聴けない
“退屈だぜ毎日よ 何にもすることがねえ”
社会に対する不満は、なにか仕事やスポーツなどの
青春を生きていれば浮かんでこない
痛みを伴って生きていく人は、どうしようもないイラつきをもたされて
毎日がただ過ぎていく そうした者が必ずいるのだ
その後、××にストンと恋に落ちた
××は故・山口冨士夫率いるティアドロップスでベースを弾いていた
山崎は歌わず、何度も自分の体を刃物で傷つけ
血まみれのシャツを1名様にプレゼント、などやっていた
ロは元お嬢様 ミステリアスさをアピールする自己顕示欲からはかけ離れていた
友だちになってと言われ、何度か会っていた
ロの連載「乙女達のエクリチュール」は、知性溢れる文章だったが
ある日を境に、私が連載していた「戸川純の人生相談」の丸パクリになった
それを言うと「読んでくれたの!」と本当に嬉しそうだった
罪悪感はかけらも感じられない
発行部数が少ないほうから私がパクったと思われる可能性が高いと思われ
私の書いたものを写さないでと伝えると不思議そうに私を見た
ロは実家が没落
重役だった父がアル中になり、DVがひどく刑務所に入っていると言っていた
父が刑期を終えて出所することに本気で怯えていた
他にも「精神科に入院していたとき犯された」と普通の顔で話していた
どこかリアリティに欠けていた
ペンフレンド募集のコーナーにロの本名で投稿していた
「文通相手を探しています。当方、戸川純が好きです。」
クリスマスの日
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ロ:クリスマスだから、互いに好きなものを買ってプレゼントしあわない?
私は2、3000円くらいのチノパンを選んだが
ロはウェディングドレスらしきものを選んだ
約束したから支払いを済ませ、
純:こういう時は大体同じ額のものを交換する もう交換はやめようね
それでも彼女と亡くなる1ヶ月前くらいまで友達をやめなかったのは
私の暗い独りな10代の頃を投影していたのでは
ロをほっとけなかった
当時、私は周囲のよく知らない人々から散々借金を頼まれていた
彼女は相当な電話魔
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で、私の実家に1日5回電話をし続けていた
ライヴ後ヘトヘトの私に相談したいことがあると言われ
喫茶店でバースデープレゼントにティーカップセットをくれた
純:私もお返しに何かしなきゃね
ロ:私、通訳の仕事をしようと思う 英会話学校に行きたいの お金を出してくれないかな
やっぱりお金なのかと疲労感MAXになり
店の払いをするから学校のことは断ると席を立つと
「帰る電車賃がないから貸して」と言った
最初から頼られていたんだと、自分が滑稽に思えた
それでも、ロは今度は手紙
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を送ってきた
最後に会ったのは新宿の喫茶店
ロは明るく話していたが、私は目も合わさず
向こう側の映画館で『愛は静けさの中に』をやっているのを見ていた
(観た記憶はあるが、ブログ内検索でひっかからなかった
彼女の「じゃ、またね」にも答えず、その後、電話も手紙も来なかった
私は『愛は静けさの中に』を観て、主演の女優さんがいいなと思った
ロが亡くなったと聞いたのは実家にロの母から電話があったから
本当に絵に描いたような孤独死だった
ロの母:
私と会うたび、順子は、戸川さんを大好きで尊敬していると
いつも言って憧れていた
お金の付き合いでは決してなかった
私は激しく号泣した その何十年後に父が他界した時の2回だけだ
京子が他界した時は実感がわかなかった
溝口の映画『どぶ』を思い出した
貧しい娼婦が、ボロ切れのように亡くなる
ロの母は、私のライヴ、演劇をよく見に来てくださった
「同じ歳だから、順子が生きてたら、このくらいだと思える」
死に引っ張られた時があり、それ以降、来てくださらなくなった
ロが亡くなり、京子、父が亡くなり、この回を書いている途中
蜷川幸雄さん、遠藤賢司さんが亡くなった
好きだった人が亡くなるのは、もう勘弁してくれ
皆、ある日突然に、という感じなのだ
ロは私に人が亡くなる哀しみを最初に教えた
■久世光彦(書き下ろし)
クに会ったのは、ほんとに駆け出しの女優で
『刑事ヨロシク』というビートたけし主演のドラマ
それで初めてレギュラーをもらえてラッキーだった
ク:わかった! こいつ、なまじ胸があるから似合わないんだ
と言われ、衣装さんからさらしを巻いてもらった
メインの俳優はある時間帯にまとまって撮るが
新人は1日中スタジオにいる
非常にサディスティックな演出で
収録は生傷が絶えなかった
ク:いつも一人でいる役だから、みんなとご飯を食べたりしないように
私は歌が上手いと言われたことがない 存在感、個性ばかり 演技もそう
3枚組ベストにもある「やっぱり愛がいちばん尊いわ」というセリフも
あえて大根みたいに演った
だんだん出番が多くなり、テロップに出るまでになり
ファンレターをもらうようになったが
「話くらいなら聞いてあげられるから」などと言われ
本当にそういう人に見えていたんだ
最終回の収録でぼろぼろ泣いた
ク:すぐ泣ける女優になっておけよ
次のドラマ『あとは寝るだけ』ではメインの役をもらった
クが食事に連れていき、目的はある人に引き合わせること
「引き抜き」(今の事務所を辞めて、大手事務所に移る)の話だった
結局、大手の社長は断った
俳優なんか、物だった
ク:
お前は今まで何人の男と寝た?
今は美術館や画廊、図書館に行ったりして感性を磨くことが大事だぞ
私はNHKラジオ小説など、声優の仕事もよくやっていた(驚
伊武雅刀さんも同じ事務所の流れで「スネークマンショー」に行っていた(!!
ク:オープニングは頭の中にある みんな裸にする
私は清純派で、朝ドラからメジャーになる計画だったのに、絶対いやだ
遺産を乗っ取ろうとするシーンで
ク:誤魔化してないで、ちゃんと柄本の手を自分の胸に持っていけ!
柄本:持ってってます
ク:はい、美也ハダカ!
脱ぐだけで恥ずかしいのに、この胸は見せる胸じゃない
だが、日ごろから女優は監督の奴隷と思っていたから断れなかった
ギャグとしてどこが面白いのか不明な上、芸術性も必然性もなく エロでさえない
ぽろぽろ涙が出てきて
ク:泣くな! 繋がりが悪くなる
(以前読んだ本にも胸を見せて、ファンからいろいろ言われたと書かれていた
これを読んでいる時、偶然『刑事ヨロシク』や裸のシーンを動画で観た
一瞬だったけれども、脱ぐ必要性はまったく感じられなかった
暗くて重いコメディの中でキョンキョンの笑顔だけが天使みたいだった
『スター誕生』で石野真子さんの歌で通ったというから
キワモノっぽくない王道のアイドルに憧れていたのではと思う
私はイロモノ扱いをされていたが、彼女は悲しげな役が多かった
彼女は新聞で私を「20世紀最大の女優」と書いていて嬉しかった
私は『時間ですよ』『ムー』も見ていてクは恐れ多い存在でもあった
私の父が私を溺愛することと「物」のように扱うことが同居していたのに似て
そういう「可愛がり方」だったのだろう
新聞の芸能欄では「久世スクールの優等生」とも書かれた
他に岸本加世子さんがいる
「もうクとの仕事はイヤ!」と言わずに耐えていたらどうなったか分からない
■〈追悼〉蜷川幸雄
歳を重ねて、嫌だなと思うことはあまりないが、喪服を着ることが多くなる
この人は大丈夫と覚悟してなかった人が逝った
80歳で、車椅子に乗り、鼻から管をしていたにもかかわらず
ヒは女優、歌手としてお世話になった
ソロになってからずっと好いてくださった
「レーダーマン」のレコーディングの時、たまたま流れていたNHKにヒが映り
私の
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諦念プシガンガ が流れていて不思議だった
その後、レコード会社に
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諦念プシガンガ
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蛹化の女 を劇中で使いたいと許可を求める電話があった
『タンゴ・冬の終わりに』が始まる前にいきなり
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諦念プシガンガ が鳴り始めた
ヒ:最初の3分が勝負 という演出家が使ってくれて嬉しいというより、緊張した
楽屋に挨拶に行くと、嬉しそうな笑顔で接してくれた
「僕が自分でレコード屋に買いに行ったんですよ!」
妹・京子は雑誌「セブンティーン」の対談シリーズで
毎回、岡本太郎さん、ヒとかにオシャレについて聞きに行っていた
ヒに気に入られ『近松心中物語 それは恋』のベルリン公演・ベルギー公演でおかめ役を演った
私は子役の頃から京子の演技は実力派と思っていた
ヒはジャニーズのアイドルをよく使うことでも知られる
そこでもヒロイン役で京子は出演した
私の母は決してステージママではなく
美空ひばりの母親みたいには絶対なりたくないと
仕事が遅いと付き人をしている感じだった
ヒはもとはアングラ出身でメジャーが嫌いだったが
ある日、メジャー(商業演劇)に呼ばれ、大掛かりなセットを組めたり
予算などに圧倒され、悩んだ挙句転向した
ある青年が訪ねてきた話は有名だが、私が聞いたのとは内容が違う
ネットでは、ナイフを突きつけ「今、希望を語れますか?」と聞いた
私が聞いた話では「あなたは商業演劇に行ったことを後悔しているか」
「してない」と言うと「もうあなたの演劇は観に来ないけど、頑張ってください」と去った
ヒは自責の念に苦しみ、青年に会い
改めて自分の進む道を揺るぎなきものとしたのだという
ヒ:
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諦念プシガンガ を聴いて慰めてもらうのです
私自身、そういう気持ちであの歌詞を書いた 1つ諦めているのだ
人に話す気はない
いろいろな人があの歌詞について解釈してきた
「お昼のドン」をピカドンだと書いてあった
あれは、炭鉱とかでお昼ご飯の時間を知らせる空砲をそう呼んでいて
それが空に消える虚しさを表したつもりだった
本当に私は子どもの時から、あることを誰より思い無念を持って諦めざるを得なかった
ヒがチェーホフの『三人姉妹』の三女イリーナ役をオファーしてくれた時は天に昇る気持ちだった
今はなきセゾン劇場 私は小劇場で演っていたからヒは大きな賭けをしたのだ
リアリティを追求すれば、後ろまで通るでかい声が出ない
でかい声を出せば、リアリティに欠ける
ヒは「もっと大きな声で」と言わなかった
一度も怒鳴られることはなかった
舞台稽古初日
プレッシャーを感じ、リハの隅でしゃがんでいたら
ヒは寝釈迦のように横になり
「戸川さんに緊張して怖がるのでなく、このリハに来るのが楽しみになってもらいたい」
本当にお芝居を作るのが楽しくてしかたないとう風に
アイデアを語るヒは目がキラキラしていた
有馬稲子さんの最後のセリフで
すごい音をたてる防火シャッターを降ろしたいといったが叶わなかった
私にはプランがあった
いろいろ経験をして4幕には大人に成長するイリーナを
演技の質を変えることで表現したい
あえて1幕目では大根にしていたら、誰かがやりにくいというようなことを言ったが
ヒ:彼女は幕ごとに演技の質を変えてるから許してね
私は本来、涙が出にくい体質だ
幼い頃、泣くことを嫌う厳しい父に、泣きやむまでひっぱたかれた教育のせいもあった
ヒに怒鳴られないのは、熾烈に自分を追い込まなければならない
婚約者の死を聞くシーンで、私は本当に一瞬失神してしまった
あの青年に伝えたい ヒはオーバーグラウンドに身を置いて
アングラの魂の火を消したわけではない ヒ自身が大きな炎ではなかったか
ヒ:
お客さんには悪いけど、客席の半分かそれ以上
戸川さんの声が届かなくても、もういいと思っている
それくらい、あの芝居を演って欲しい
ただ、私がヒの現場に呼ばれることはもうないと思った
対談の時「こんな危ない人使うのは怖いよ ショックで失神しちゃうんだぜ!笑」
芝居は批評家の間で公演中にも関わらず失敗作のように書かれた
ヒ:『王女メディア』の時は“ゲテモノ”って書かれたんだよ 気にすることないよ
写真しか見たことがないが前衛的だったので今回とは違う
声が小さいのは演劇の基本のダメ出しだから責任を感じた
『真夏の夜の夢』に京子が出た時
現実の姉妹で諍うような役をさせるのは気がひけるとやめたそうだ
あれだけ大胆な人が、ここまで繊細な意識を持つのは大変なエネルギーが必要だ
ヒが文化勲章を授与されたパーティに招待していただいた
怪我で会うのが恥ずかしかったが、やはり優しい声をかけてくれた
「蛹化の女~蜷川実花セレクション」が番組で紹介された時
ヒは
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パンク蛹化の女 も気に入ってくださった
だから油断していた 突然訃報を受けた 大きな喪失感だった
ご葬儀に私のような者が行くと、あの人は今扱いになるのを避けたくて
タクシーで近くまで行き、手を合わせた
参列者から、ご葬儀で
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蛹化の女 が流れていたと聞き、ようやく実感がわいた
ヒの巨星らしさは、太陽のそれだった
今、役者ができない身体なら、歌ってくださいと言われている気がして
分けていただいた炎を燃やすのが一番の私なりの供養ではと思う
■〈追悼〉遠藤賢司
子どもの頃から児童劇団に入っていた私が、歌手にもなった
きっかけになったうちの1人が遠藤賢司さんだった
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踊ろよベイビー がおもしろいなと好意を持った
エのカレーハウス「ワルツ」のピラミッドカレーってどんな?と行った
その後、週3で通うまでになった
そこで月1くらいにエのライヴが行われ
前座のツービートが面白かった
その後、エの出るイベントを野音に観に行き
パンクバンド8 1/2に対象が変わってしまった
オーディションを受けまくり、初めてレギュラーをもらった時の主演がたけしさん
下町特有の照れ屋で
「私、ツービート見たことあるんですよ エのライヴで
『エの店インチキだぜ さっき裏にボンカレーのレトルトの空が捨ててあったもん』て面白かった」
「おいら、面白いこと言うじゃんw 早く演芸場いきてーな~ 漫才しに」
数年後 地下の喫茶店の対談場所でエと会った
私がワルツに行った話で終始した
エはすごく驚き、店内の絵を2人で描き、全部合致していたので喜んでくれた
ワルツのノートに「女優になるのよ、ほんとだよ」とマスカラで書いた
エ:あのノートは全部保管してあるから、見てみるよ!
エの生誕65年記念ライヴ@クアトロに呼ばれてすごく嬉しかった
ゲストは私と大槻ケンジくん
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カレーライス
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不滅の男 を歌う光栄に浴することもできた
私はエに伝えたい話があり、忙しいエに無理を承知で楽屋に来てもらった
別の人のライヴに妹に連れていかれ、私に飛び入りで1曲歌ってくれないかと言われて派手に歌った
打ち上げで私に「君、MCダメだね もっと客を盛り上げるようなこと言わなきゃ」と言われ
「馬鹿野郎! あんたの言うこときいてたら、あんたみたいになっちゃうじゃん!」と怒鳴り去った
パンクから横すべり的にロックに入った私は、それまでの音楽に興味が持てず
聞く耳を持っていなかった その話をすると
エ:あいつ、言いそうw
純:その後、会っても、ふんて感じなんですよw
私は生き方までエに影響を受けていた
エは事務所経由で新譜を送ってくれて、私は仕事に追われ、お礼の手紙を延ばしてしまい
エとそれきりになってしまった
今年、エが亡くなったことを知った
わりと最近新譜を出したばかりとショックだった
私は声を大にして1つだけ言いたい
人はいつ亡くなるかわからない
あなたの周りに好きな人がいて
なにか好意的なことをしてくれたら、すぐ対応して
悔いが残らないようにしてほしい、と
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蛹化の女 は、自分では萩原朔太郎あたりの影響かと思っていたが
実はエの「ほんとだよ」から色濃く影響を受けて出来た歌詞ではないか
初めて聴いたのは18の時か 18歳は十分に大人なのだ
若き日にエの音楽を聴けて良かった
私の深い根っこでエは息づいている
私が滅するまで、不滅の男として
■Phew(Aunt Sally)『アーント・サリー』ライナーノーツ
「ロックマガジン」から400枚限定のアルバムは
1984年、いきなり再リリースされたが、全く不本意だったと怒りを表明しており
Phew:あのレコードは、日本全国まわっても買い戻したい
更に二十余年経ちCDとして復刻され、昨年のライヴCDがリリースされ
懸念したが、「もう昔のことだから」と答えてホッとした
現在の彼女の精力的活動、BIG PICTURE, MOST等の自信に裏付けられた上での
「昔のこと」という姿勢だ
仙人のごとく、まるで禅の境地に達した作品の頃からのファンにも
若いファンの方にも『アーント・サリー』CD化を悦んでいただきたい
Pは誰の手にも届かない高みのスターだ
パンク系女性ヴォーカリストが次々とP化していった時期があった
中には中世的な「男性」Pも見た
任侠映画を観た客が、外に出る時みんな高倉健になっているのと同じ
ファッション性を排除して説得力を持つミュージシャンはPとパティ・スミスだけ
Pは規則が厳しいお嬢様学校の出身
おかっぱ、三つ編み厳守 白いソックス三つ折り
学校指定のベレー帽を必ず着用すること などなど
学校から制服のまま渋谷のライヴハウスに来て歌っているというイメージ
セックス・ピストルズとPは、パンクとファッションを切り離して考えられない
Pのベレー帽は、ピストルズ的ファッションに更にアンチしているようだ
初期のパンクは共同体意識が全くない
対バン同士はもちろん、メンバー、客、客同士までよくケンカしていた
パンクは「主張」なのだ(同感
ファンはPの客を突き放す冷たさに夢中だった
Pのシーンにおける在り方は、コンセプトやギミックを重視するあまり
演奏しないバンドまであった当時でさえ、普通に演るバンドでありながら存在が際立っていた
彼らは只音楽を演りたくて演っていた
楽曲は基本的にはメロディアス
ある夜、私が口ずさんでいた曲が
![]()
マルセリーノの歌 だと気づいて驚いた
Pは歌が上手い なげやりな歌い方で、いい意味で誤解されがち
ジェーン・バーキンのように
「別に見せる気もない」「上手い下手は問題じゃない」という醒めた印象だが
意外に多面性を持つバンド、ヴォーカリストだ
アルバム全体から「厭世観」が伝わる
人間が本来抱えた矛盾を素直に認めさせてくれる
小学校の昼休み、掃除当番で校舎に流れていた
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ドナドナ などのどこか和洋折衷感
箒1本で広い校庭で何が出来よう
情けなく、馬鹿馬鹿しい行為に辟易した幼い自我の芽生えのうんざり感
音楽の時間、教科書通りに
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ローレライ を歌わされる
呪わしく忌まわしいあの歌詞を理解した上で歌っていたに違いない
一人の少女が答える「あたしのことだから」
日本の少女が、前世の自分を歌っている
そのとき、ローレライは男女に分かれる直前の中性的な容貌で
独りでは無く、メンバとともに調べを奏でる
さあ、懲りずにあの船に乗って今宵又、絶望の海へ沈むことにしよう
■岡本太郎
岡本太郎と対談したことがある
「純さんのアイドルは?」「岡本太郎!」と即答したものだ
万博以前の小学生の頃
「グラスの底に顔があったっていいじゃないか!」というCMでも芸術=爆発
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しており
その作品と個性的すぎる個性に一発でヤラれてしまった
太陽の塔も、その圧倒的な無意味さにショックを受けた
万博のテーマは「人類の進歩と調和」
「人類は進歩も調和もしない!」というイタズラも爆発的に大規模だ
私の家の同じ通りにオ邸があり、低い塀から庭をのぞいた
独特のカラフルなオブジェがあちこちに置かれていて強烈に惹かれた
対談オファーでアイドルに会えるような喜びを伝えたかったが
当日、私は緊張で固まってしまった!
「あがってしまって、何をお尋ねしたらいいか・・・」
「聞くことが分からないって、こっちだって困るじゃないか!」
対談が終わり「最近、この歳でスキーを始めたんだ 自分でも上手いと思う」と
写真を見せたり、銅鑼のオブジェを叩いたり
「聞き忘れたことがあれば、後で何でも聞きなさい」とまで言ってくれた
太郎さんは、あの銅鑼の音のごとくもの凄いエネルギーだった
(純ちゃんの太郎さん話を楽しみにしていたが、意外と短かかったな
実際、会ったらこうなっちゃうのかも
■あとがき
連載が始まった当初、人選に割と細かいコンセプトを立てた
ミュージシャン、パンクな人、私と会ったことがありラゲラ笑わせてくれた人
いい意味で私の価値観を壊してくれたか、再確認させてくれた人
今尚、現役で活動している人
連載が進むにつれ、ガラガラと崩れていった
女性を1人取り上げたいと思い、ロリータ順子について書き始めたあたりで
蜷川幸雄さんが亡くなり、追悼文を書かせて欲しいと願い出た
続きを書き始めたら、今度は遠藤賢司さんの悲報を受け
追悼文のオファーがあり、それも書かせていただいた
思えば、パンクを相当な年齢でやり、活動を続けている人は意外と多い
やめていない方々は、死屍累々を乗り越えて頑張っているのだ
自分で書いたエッセイ集は何十年ぶりだろうか
今は感慨にふけっていたい
この本に登場した人々と私との出逢いについて
私が歌の道に進むきっかけを作り
一番パンクのシャウトの影響を与えてくれたのに
この本で書けなかった朋友、久保田慎吾に捧ぐ
■杉浦茂 <特別収録>
猟奇やゲテ等の趣味の人にも杉浦マンガは人気が高い
異端、B級であることに無自覚なのがスマートで面白い
昔、新宿に貸本屋でスの本を見つけて読んだ
「安心のできなさ」も魅力的要素のひとつ
たとえば終わり方 ものすごくハデなシーンでワクワクしても
次のページでチョンと急に終わってしまうかも知れないのだ
スのマンガに出る人は、みんなあまりに突拍子もないナリをしている
キミョーキテレツなキャラクターに向かって
負けずにキテレツな人が「うへえ、きもちわるい」なんて言う
自分も相当キモチ悪いキャラクターのあまりの無自覚さにガーンと呆れるのだ(ww
ドロンちび丸は、他の者に比べたらノーマルな顔だが
コトの変テコさにメチャクチャ無自覚で、さすがヒーローだ
とても重要なポイントと言われるのが(チープな)食べ物に対する感覚
スマンガは“駄菓子”なんだそうだ
キッチュ 食べること自体が遊び 夢の世界の主食のような・・・
今回の選集が仰々しいものではなく、手軽に買える値段なのがとっても嬉しい
駄菓子は、そうあってほしいもの