■もっと沖縄を知りたい(後編)@あさイチ
もっと沖縄を知りたい(前編)@あさイチ
シリーズ戦争遺跡2『戦場になった島 沖縄・本土戦』(汐文社)
前半を前日に放送した時の反響のFAX。
「“抑止力”になっている部分も伝えるべき。放送が偏っているのでは?」
という声も多かった。
後半は、国道58号線を北上し、宜野湾、北谷、読谷、そして名護市辺野古へ。
●軍放出品
米軍基地内で使われた中古の家具が払い下げ品として売っている店も多い
●沖縄国際大学のヘリ墜落事件
ヘリのプロペラがあたった跡が今でも残されている。
【学生へのインタビュー】
「僕らは英米学科で英語専攻なので、英会話の機会が増えるメリットもある」(基地内でバイトをしている学生)
「フェスティバルが開かれたりするので、それを楽しみにしている若者もいる」
【お年寄りへのインタビュー】
「基地がなくならない限り何も変わらない」
「観光客として行っても、賛成・反対、両方の意見が聞かれますよね」(光浦)
「“もう慣れた”“当然”という声もあって、戸惑った」(アッキー)
「慣れた、慣れるしかない、いやおうなし、そうでなければやっていけない、ということだと思います」(西銘むつみ記者 NHK沖縄放送局)
「基地内で賛成の人もいます。そういう声もちゃんと取り上げてください」(FAX)
「かつては基地内で働くための予備校もあった」(柳澤)
「基地への依存度の調査で、かつては15.5%だったのが、今では5.3%と、
この20年間でなっくなってきているという統計もある」(西銘記者)
**********跡地利用の成功例
●かつて基地だった北谷町
「Y」ナンバー(米軍関係者)のクルマが多い
●ハンビー飛行場跡
町のいたるところに「ハンビー」の文字が目立つ
1988年に返還され、今は「アメリカンビレッジ」となって人気観光スポットとなっている
ビーチは地元の若者にも人気
【空軍兵士へのインタビュー】
Q:どこで働いているんですか?
●「ゆんた市場」@読谷村
かつては地元以外の野菜が中心だったが、地元ものが増えた
28億円かけて作られたセンター。3年目で初めて実がなったマンゴーは来年出荷する予定
返還後、農地に変えていって、今では130人が農業に従事している
「自分たちの土地が還った喜び、そこで暮らせる喜び、19年間かかった。
最初、フェンス内は、草ぼうぼうで、有害物質の除去作業も大変だった。
代替施設もなかなか決まらなかった」(西銘記者)
Q:移設するのに条件付なのはなぜか?
沖縄は重要な軍事拠点。全体の構図が変わらないかぎり、基地問題も変わらない。
国会内でも「基地数はこれだけないとダメ」「もっと減らすべき」という意見が戦っている。
基地の面積は減っているが、機能は落ちていないため、地元の方々の弊害が減った実感がないのが現状。(柳澤)
●「普天間基地」移設先として検討されている「辺野古」では座り込みの反対運動
平日の午後でも30人ほど集まっていた
沖合いに7月から準備作業が始まり、すでにオレンジ色のブイが張り巡られていた
【地元の方々へのインタビュー】(取材を拒否される方が多かった
ベトナム戦争時に活気があった界隈は、今は閉店している
「こっちにいる人たちは、皆、年寄りばかり。町がこれからどうなるか不安」
「来ないにこしたことはない。来るのであれば止むを得ない」
【アッキーの取材した感想】
「地元の方の疲弊感を感じた。何をやっても伝わらないんじゃないか、という諦めも感じた」
「小さな集落だと、取材も困難。賛成と反対、白黒つけるのは酷」(西銘記者)
「二極の問題ではないと思う」(FAX)
「幼稚園にはハーフの子どももいる。偏った放送は止めてほしい」(FAX)
「抑止力というが、自分の近所に基地がないから言えるのでは?」(FAX)
「100kmある56号線をクルマで走ってみるだけでも、それぞれ感じることができるのでは」(柳澤)
**********
まさかベトナム戦争まで絡んでるとは思わなかったな。
先日、そうとは知らず、借りてきた本を読んでみよう。
基地の賛成・反対よりも、「戦争反対」というべきだと思った。
つねに戦争をつくるのは金儲けが目的の政治屋で、実際に戦って死ぬのは兵士や、住民なのだから。
もっと沖縄を知りたい(前編)@あさイチ
シリーズ戦争遺跡2『戦場になった島 沖縄・本土戦』(汐文社)
前半を前日に放送した時の反響のFAX。
「“抑止力”になっている部分も伝えるべき。放送が偏っているのでは?」
という声も多かった。
後半は、国道58号線を北上し、宜野湾、北谷、読谷、そして名護市辺野古へ。
●軍放出品
米軍基地内で使われた中古の家具が払い下げ品として売っている店も多い
●沖縄国際大学のヘリ墜落事件
ヘリのプロペラがあたった跡が今でも残されている。
【学生へのインタビュー】
「僕らは英米学科で英語専攻なので、英会話の機会が増えるメリットもある」(基地内でバイトをしている学生)
「フェスティバルが開かれたりするので、それを楽しみにしている若者もいる」
【お年寄りへのインタビュー】
「基地がなくならない限り何も変わらない」
「観光客として行っても、賛成・反対、両方の意見が聞かれますよね」(光浦)
「“もう慣れた”“当然”という声もあって、戸惑った」(アッキー)
「慣れた、慣れるしかない、いやおうなし、そうでなければやっていけない、ということだと思います」(西銘むつみ記者 NHK沖縄放送局)
「基地内で賛成の人もいます。そういう声もちゃんと取り上げてください」(FAX)
「かつては基地内で働くための予備校もあった」(柳澤)
「基地への依存度の調査で、かつては15.5%だったのが、今では5.3%と、
この20年間でなっくなってきているという統計もある」(西銘記者)
**********跡地利用の成功例
●かつて基地だった北谷町
「Y」ナンバー(米軍関係者)のクルマが多い
●ハンビー飛行場跡
町のいたるところに「ハンビー」の文字が目立つ
1988年に返還され、今は「アメリカンビレッジ」となって人気観光スポットとなっている
ビーチは地元の若者にも人気
【空軍兵士へのインタビュー】
Q:どこで働いているんですか?
●「ゆんた市場」@読谷村
かつては地元以外の野菜が中心だったが、地元ものが増えた
28億円かけて作られたセンター。3年目で初めて実がなったマンゴーは来年出荷する予定
返還後、農地に変えていって、今では130人が農業に従事している
「自分たちの土地が還った喜び、そこで暮らせる喜び、19年間かかった。
最初、フェンス内は、草ぼうぼうで、有害物質の除去作業も大変だった。
代替施設もなかなか決まらなかった」(西銘記者)
Q:移設するのに条件付なのはなぜか?
沖縄は重要な軍事拠点。全体の構図が変わらないかぎり、基地問題も変わらない。
国会内でも「基地数はこれだけないとダメ」「もっと減らすべき」という意見が戦っている。
基地の面積は減っているが、機能は落ちていないため、地元の方々の弊害が減った実感がないのが現状。(柳澤)
●「普天間基地」移設先として検討されている「辺野古」では座り込みの反対運動
平日の午後でも30人ほど集まっていた
沖合いに7月から準備作業が始まり、すでにオレンジ色のブイが張り巡られていた
【地元の方々へのインタビュー】(取材を拒否される方が多かった
ベトナム戦争時に活気があった界隈は、今は閉店している
「こっちにいる人たちは、皆、年寄りばかり。町がこれからどうなるか不安」
「来ないにこしたことはない。来るのであれば止むを得ない」
【アッキーの取材した感想】
「地元の方の疲弊感を感じた。何をやっても伝わらないんじゃないか、という諦めも感じた」
「小さな集落だと、取材も困難。賛成と反対、白黒つけるのは酷」(西銘記者)
「二極の問題ではないと思う」(FAX)
「幼稚園にはハーフの子どももいる。偏った放送は止めてほしい」(FAX)
「抑止力というが、自分の近所に基地がないから言えるのでは?」(FAX)
「100kmある56号線をクルマで走ってみるだけでも、それぞれ感じることができるのでは」(柳澤)
**********
まさかベトナム戦争まで絡んでるとは思わなかったな。
先日、そうとは知らず、借りてきた本を読んでみよう。
基地の賛成・反対よりも、「戦争反対」というべきだと思った。
つねに戦争をつくるのは金儲けが目的の政治屋で、実際に戦って死ぬのは兵士や、住民なのだから。