■ディーン・フジオカ@スタジオパークからこんにちは
新年初のゲストは朝ドラ「あさが来た」で一気に全国に知れ渡った俳優・ミュージシャンのディーンさん。
やっぱり女性ファンが前後左右ものすごい集まってる!
喋り方に朝ドラの影響がまだ残っているような?
登場から明るさ全開で、みんなにハイタッチして、とにかくオープンマインド&陽気な人なんだなあ!
Q:正月はどう過ごされた?
大阪から東京に引っ越してきて、荷解きしていた。僕は常に仕事があるところでホテルやウィークリーに住むので。
Q:今年の抱負
面白い字を書くなあ
これまで3ヶ月に1回引っ越してきた。でもけっこうしんどい。
やりたいこと、持つ家具も制限されてしまうので、ネクストレヴェルに行くためにも定住して集中することが大事かなと。
子どもみたいな字ですみませんw
Q:お名前からして日系の方かと思っていたら日本人なんですね。
香港でこの仕事を始めた時に使い始めた名前。
覚えてもらうことが大事なので、広東語でディーンはクレイジーみたいな意味なので、
キャリアの中で名前が幸運を運んでくれたんじゃないかと。
Q:ご自分でつけたの?
学生時代アメリカに住んでいた時に、人につけてもらった。
[経歴]
面白い経歴だなあ
Q:ある意味、逆輸入俳優ですね。で、今出てるのは「あさが来た」
みなさん、見てるかな?
Q:朝ドラ出てみてどうですか?
今のこの状況が答えというか、僕もビックリしてますし、日本以外のキャリアがなかったので、
NHKは国外でも見れるので、ジャカルタの書類審査を待ってる時とかに(どういう状況!?)待合室で見てた側だったので、
今まで応援してくれた方にも見てもらえるのは嬉しい。
Q:大阪でも人気です。
女性からは「カッコいい」、男性からも「りりしい」
「あさが来た」のダイジェスト
Q:実在の人物ということで役作りはどうでしたか?
最初は白紙だったので、人物も、明治維新や、薩摩藩、侍として育てられることなどを1から調べ直して、
祖国を調べ直すことからはじめました。
僕の中で五代友厚は最後まで薩摩の人間。根本は侍スピリット。
言語が持つDNAに助けられた。衣装、メイクなどでもインスピレーションをもらった。
子孫の方々に会ってお話を聞いたり、「五代友厚像」にも何回行ったか分からないくらい。夜な夜な1人で行ったりw
完全にモデル立ちw
最初は挨拶として行ったんですけど、だんだん生活の中に銅像が大きくなって、
後半は心の中で話しかける感覚で「今日これでよかったのかな」とか。
近代大阪をつくった人なので。
Q:薩摩言葉から大阪言葉へ変わるのも難しかったのでは?
関西弁のほうが苦手。薩摩のほうがすぐに入ってきた。リハや稽古、テープで練習して臨んだ。
[共演者インタビュー]
「懐かしい~」ってゆうことは、もう撮影はアップしちゃったのか?
波瑠さん:
五代さんは、大事な局面に現れて、胸にグサっと刺さることを言う。
私は京言葉、ディーンさんは薩摩言葉にいっぱいいっぱいで、わたわたしてた。
私につられてディーンさんが「びっくりぽん」てゆったりして、チャーミングだと思った。
五代さんはいつも難しいことを話されるが、ディーンさんの柔らかさや笑顔、愛嬌がプラスされてより魅力的になっている。
「あささん、ありがとう!」
Q:波瑠さんとの共演はどうでした?
人見知りされる方だと聞いてたんですけど、全然楽しく現場で過ごさせてもらって、
最後のほうでは一緒にビートボックス(人間の口だけでbeatboxing、DJプレイをすること)の練習とかしたり。
ボイパを披露!
Q:クイズ。大阪のおばちゃんにされた「びっくりぽん」なこととは?
FAX:
五代さんを情熱的に演じてくださり、大阪人を代表して感謝状を贈りたい。
五代友厚像の前を通っても誰なのかなあってくらい歴史に埋もれていた方を蘇らせてくれました。
(そんなに忘れられてたんだ
「わあ、嬉しい!」
FAX:
朝ドラを見て、初めてココロをズキューンと撃ち抜かれました。(アナ“主婦の方ですけどね”w
五代さんを通して日本の歴史をもっと知りたくなり勉強中です。
「初恋ってことですか? 脚本も演出もチームが一丸となって素晴らしい現場だった」
クイズのほうはアメちゃん派が多かった。私はスマホだと思ったけど、答えは・・・
「みなさん、大阪を分かってないですね、答えは緑(スマホ)です」(当たったv
「(たぶんSNSのことかな?)IDを教えてくれと言われて、びっくりして、
お名前を聞いて、“今日初めてお会いするので、次お会いした時でもいいですか”と言いました。
いやな思いはしていなくて、楽しい。大阪の街がすごく自分に合っている。仕事が続けられるならずっと住みたいくらい」
オンデマンドの番宣にも「見てね」てw
[プロフィール]
かあいい! 子ども時代は釣り、山を駆け回ったり、福島の大自然の中で過ごした。
父の仕事の関係で海外出張が多く、自宅で英語や中国語を教わった。英語がメイン。
「フツーだと思ってたが、あれ違うのかな?て思った」
中学時代は友人とバンドを組み、音楽活動に励んだ。夢はミュージシャンになること。
「ロック、ヘビーメタル系で、ギターを弾いていた。作曲が好きだったから、そっちの道にいこうと思っていた」
花粉症が酷くて、花粉症にならないところに行きたいのが一番の理由(私も花粉のない所に住みたい・・・なんか親近感倍増w
父がITの仕事だったから、シアトルに当時会社があったので西海岸に行った。
IT関連を学び、就活したが叶わず、放浪の旅へ(海外で育つと自然とボーダレスになるのかな
「就活が叶わないというより、ビザが難しい時期だったので、アメリカにいるのが難しくなって」(テロのこと?
Q:なぜアジアを放浪?
いろいろサインはあった。教授が「21世紀はアジアの時代だ」と言っていたり、
アメリカで出会ったアジアコミュニティの友人のバックグラウンドがいろいろあって、
資本主義に生きてる人じゃないけど、同じ人間っていうところにすごく興味をもった。
自分もアジア人なのに、よく知らなかったので。
香港でDJイベントに参加した時、現地の雑誌編集者の目にとまり、モデル、映画の主演デビュー!
「モデル期間は短かった。TV、CM、MVで演技が必要になった。そこでパッションが見つかった。
オーディションに出て決まった」(ところどころに英語が入るのは五代さんと同じだね
アメリカ、台湾のドラマにも進出。
「広東語はやっぱり難しかった。北京語より難しい」
2013年には実際に起きた事件をベースにした日本映画に参加、監督にも挑戦。
「父が中国の生まれだっていうのも関係しているのかなっていうのもある」
Q:カメラの前に立つことへの恥じらいっていうのは?
ああ、そういうのはありました。どっちかっていうと人前に出るのは苦手だったので。
でも音楽が好きだったから、それがモデルにつながって、モデルはお金のためにやってたんですけど、
それが俳優につながったのはよかった。
Q:監督はなぜディーンさんを選んだのか?
物事には文脈がある。いろんな人に支えてもらって、積み重ねでエクスポージャ(露出)が増えると、その分出会いも増える。
まったく関係なく見えても、つながっている。学校で演技する機会はなかったから、モデルでいろんな経験させてもらった。
ヤンヤンに教えてもらったのは、どうやってフィルムメイキングに携わるかじゃなくて、
どうフィルムメーカーとして現場と関わるか、現場でも家族みたいに全部に関わらせていただいて、
惜しみなく知識を分けてくれて、経験させてもらった。監督も俳優の経験からなんとか形になった感じ。
主演・監督はすごくトラウマになるような経験だったので。
Q:台湾に行ったのもすごいですよね。
香港に行ったのとまったく違って、香港での作品が、台湾の方の目にとまって「連続ドラマに出演しないか」とオファーをもらった。
Q:台湾の友人から中国武術を教えてもらったことも演技につながったとか?
アクション全体、リアクション、ワイヤーアクション、乗馬、ひと通り台湾で学んだことが、今も生きている。
アメリカでの演技にも乗馬は当然必要。武器のコレクションもたくさんあって、友人にもスタントマンがたくさんいるので。
中国武術の練習風景
「台北ですね。ちょっと編集が入ってるやつですねw うわーなんか恥ずかしい」
Q:国際的に活躍するには、こういうのも大事なんですね。
日本で忍者の役を演った時も殺陣ってやったことなかったですけど、同じ中華圏でベースがあったので対応できたと思う。
いい意味で異質ですけど。僕がやっていたのは剣を片手で持つ、2本を両手で持つスタイルから、
日本だと刀の持ち方にクセがだんだん出て、人によっては邪道と言われるだろうけれども、それを生かすような形で使ってもらえた。
FAX:
「双子のパパでもあるディーンさん(そーなんだ!驚)子育てでモットーはありますか?」
「まだ生まれたばかりであれなんですけど、優しさ、困った人に手を差し伸べるような人間になってほしいとは思います」
こないだ駅中で現代ラブコメみたいなドラマのポスターで見かけたけど、
やっぱり最初の役のインパクトが強いと、その後、ファンのほうも切り替えが難しいんだよね
でも、いろんな役で観てみたい。
新年初のゲストは朝ドラ「あさが来た」で一気に全国に知れ渡った俳優・ミュージシャンのディーンさん。
やっぱり女性ファンが前後左右ものすごい集まってる!
喋り方に朝ドラの影響がまだ残っているような?
登場から明るさ全開で、みんなにハイタッチして、とにかくオープンマインド&陽気な人なんだなあ!
Q:正月はどう過ごされた?
大阪から東京に引っ越してきて、荷解きしていた。僕は常に仕事があるところでホテルやウィークリーに住むので。
Q:今年の抱負
面白い字を書くなあ
これまで3ヶ月に1回引っ越してきた。でもけっこうしんどい。
やりたいこと、持つ家具も制限されてしまうので、ネクストレヴェルに行くためにも定住して集中することが大事かなと。
子どもみたいな字ですみませんw
Q:お名前からして日系の方かと思っていたら日本人なんですね。
香港でこの仕事を始めた時に使い始めた名前。
覚えてもらうことが大事なので、広東語でディーンはクレイジーみたいな意味なので、
キャリアの中で名前が幸運を運んでくれたんじゃないかと。
Q:ご自分でつけたの?
学生時代アメリカに住んでいた時に、人につけてもらった。
[経歴]
面白い経歴だなあ
Q:ある意味、逆輸入俳優ですね。で、今出てるのは「あさが来た」
みなさん、見てるかな?
Q:朝ドラ出てみてどうですか?
今のこの状況が答えというか、僕もビックリしてますし、日本以外のキャリアがなかったので、
NHKは国外でも見れるので、ジャカルタの書類審査を待ってる時とかに(どういう状況!?)待合室で見てた側だったので、
今まで応援してくれた方にも見てもらえるのは嬉しい。
Q:大阪でも人気です。
女性からは「カッコいい」、男性からも「りりしい」
「あさが来た」のダイジェスト
Q:実在の人物ということで役作りはどうでしたか?
最初は白紙だったので、人物も、明治維新や、薩摩藩、侍として育てられることなどを1から調べ直して、
祖国を調べ直すことからはじめました。
僕の中で五代友厚は最後まで薩摩の人間。根本は侍スピリット。
言語が持つDNAに助けられた。衣装、メイクなどでもインスピレーションをもらった。
子孫の方々に会ってお話を聞いたり、「五代友厚像」にも何回行ったか分からないくらい。夜な夜な1人で行ったりw
完全にモデル立ちw
最初は挨拶として行ったんですけど、だんだん生活の中に銅像が大きくなって、
後半は心の中で話しかける感覚で「今日これでよかったのかな」とか。
近代大阪をつくった人なので。
Q:薩摩言葉から大阪言葉へ変わるのも難しかったのでは?
関西弁のほうが苦手。薩摩のほうがすぐに入ってきた。リハや稽古、テープで練習して臨んだ。
[共演者インタビュー]
「懐かしい~」ってゆうことは、もう撮影はアップしちゃったのか?
波瑠さん:
五代さんは、大事な局面に現れて、胸にグサっと刺さることを言う。
私は京言葉、ディーンさんは薩摩言葉にいっぱいいっぱいで、わたわたしてた。
私につられてディーンさんが「びっくりぽん」てゆったりして、チャーミングだと思った。
五代さんはいつも難しいことを話されるが、ディーンさんの柔らかさや笑顔、愛嬌がプラスされてより魅力的になっている。
「あささん、ありがとう!」
Q:波瑠さんとの共演はどうでした?
人見知りされる方だと聞いてたんですけど、全然楽しく現場で過ごさせてもらって、
最後のほうでは一緒にビートボックス(人間の口だけでbeatboxing、DJプレイをすること)の練習とかしたり。
ボイパを披露!
Q:クイズ。大阪のおばちゃんにされた「びっくりぽん」なこととは?
FAX:
五代さんを情熱的に演じてくださり、大阪人を代表して感謝状を贈りたい。
五代友厚像の前を通っても誰なのかなあってくらい歴史に埋もれていた方を蘇らせてくれました。
(そんなに忘れられてたんだ
「わあ、嬉しい!」
FAX:
朝ドラを見て、初めてココロをズキューンと撃ち抜かれました。(アナ“主婦の方ですけどね”w
五代さんを通して日本の歴史をもっと知りたくなり勉強中です。
「初恋ってことですか? 脚本も演出もチームが一丸となって素晴らしい現場だった」
クイズのほうはアメちゃん派が多かった。私はスマホだと思ったけど、答えは・・・
「みなさん、大阪を分かってないですね、答えは緑(スマホ)です」(当たったv
「(たぶんSNSのことかな?)IDを教えてくれと言われて、びっくりして、
お名前を聞いて、“今日初めてお会いするので、次お会いした時でもいいですか”と言いました。
いやな思いはしていなくて、楽しい。大阪の街がすごく自分に合っている。仕事が続けられるならずっと住みたいくらい」
オンデマンドの番宣にも「見てね」てw
[プロフィール]
かあいい! 子ども時代は釣り、山を駆け回ったり、福島の大自然の中で過ごした。
父の仕事の関係で海外出張が多く、自宅で英語や中国語を教わった。英語がメイン。
「フツーだと思ってたが、あれ違うのかな?て思った」
中学時代は友人とバンドを組み、音楽活動に励んだ。夢はミュージシャンになること。
「ロック、ヘビーメタル系で、ギターを弾いていた。作曲が好きだったから、そっちの道にいこうと思っていた」
花粉症が酷くて、花粉症にならないところに行きたいのが一番の理由(私も花粉のない所に住みたい・・・なんか親近感倍増w
父がITの仕事だったから、シアトルに当時会社があったので西海岸に行った。
IT関連を学び、就活したが叶わず、放浪の旅へ(海外で育つと自然とボーダレスになるのかな
「就活が叶わないというより、ビザが難しい時期だったので、アメリカにいるのが難しくなって」(テロのこと?
Q:なぜアジアを放浪?
いろいろサインはあった。教授が「21世紀はアジアの時代だ」と言っていたり、
アメリカで出会ったアジアコミュニティの友人のバックグラウンドがいろいろあって、
資本主義に生きてる人じゃないけど、同じ人間っていうところにすごく興味をもった。
自分もアジア人なのに、よく知らなかったので。
香港でDJイベントに参加した時、現地の雑誌編集者の目にとまり、モデル、映画の主演デビュー!
「モデル期間は短かった。TV、CM、MVで演技が必要になった。そこでパッションが見つかった。
オーディションに出て決まった」(ところどころに英語が入るのは五代さんと同じだね
アメリカ、台湾のドラマにも進出。
「広東語はやっぱり難しかった。北京語より難しい」
2013年には実際に起きた事件をベースにした日本映画に参加、監督にも挑戦。
「父が中国の生まれだっていうのも関係しているのかなっていうのもある」
Q:カメラの前に立つことへの恥じらいっていうのは?
ああ、そういうのはありました。どっちかっていうと人前に出るのは苦手だったので。
でも音楽が好きだったから、それがモデルにつながって、モデルはお金のためにやってたんですけど、
それが俳優につながったのはよかった。
Q:監督はなぜディーンさんを選んだのか?
物事には文脈がある。いろんな人に支えてもらって、積み重ねでエクスポージャ(露出)が増えると、その分出会いも増える。
まったく関係なく見えても、つながっている。学校で演技する機会はなかったから、モデルでいろんな経験させてもらった。
ヤンヤンに教えてもらったのは、どうやってフィルムメイキングに携わるかじゃなくて、
どうフィルムメーカーとして現場と関わるか、現場でも家族みたいに全部に関わらせていただいて、
惜しみなく知識を分けてくれて、経験させてもらった。監督も俳優の経験からなんとか形になった感じ。
主演・監督はすごくトラウマになるような経験だったので。
Q:台湾に行ったのもすごいですよね。
香港に行ったのとまったく違って、香港での作品が、台湾の方の目にとまって「連続ドラマに出演しないか」とオファーをもらった。
Q:台湾の友人から中国武術を教えてもらったことも演技につながったとか?
アクション全体、リアクション、ワイヤーアクション、乗馬、ひと通り台湾で学んだことが、今も生きている。
アメリカでの演技にも乗馬は当然必要。武器のコレクションもたくさんあって、友人にもスタントマンがたくさんいるので。
中国武術の練習風景
「台北ですね。ちょっと編集が入ってるやつですねw うわーなんか恥ずかしい」
Q:国際的に活躍するには、こういうのも大事なんですね。
日本で忍者の役を演った時も殺陣ってやったことなかったですけど、同じ中華圏でベースがあったので対応できたと思う。
いい意味で異質ですけど。僕がやっていたのは剣を片手で持つ、2本を両手で持つスタイルから、
日本だと刀の持ち方にクセがだんだん出て、人によっては邪道と言われるだろうけれども、それを生かすような形で使ってもらえた。
FAX:
「双子のパパでもあるディーンさん(そーなんだ!驚)子育てでモットーはありますか?」
「まだ生まれたばかりであれなんですけど、優しさ、困った人に手を差し伸べるような人間になってほしいとは思います」
こないだ駅中で現代ラブコメみたいなドラマのポスターで見かけたけど、
やっぱり最初の役のインパクトが強いと、その後、ファンのほうも切り替えが難しいんだよね
でも、いろんな役で観てみたい。