■『夢十夜』(パロル舎)
夏目漱石/作 金井田英津子/画
内田百間『冥途』、萩原朔太郎『猫町』ですっかり魅了されてしまったシリーズ3冊目。
「こんな夢を見た。」からはじまるフシギな物語。
これは本当に見たユメ日記なのか? それともまったくの創作なのか?
漱石の文章は、百聞さんよりさらに旧仮名づかいが多くて、
日本語の底知れない魅力の奥深さを感じた。
そして先日観た『夏目漱石の美術世界展』にあった通り、絵をモチーフにして書いた話もあって興味深い。
そして、なによりも金井田さんの画が本当に素晴らしい
とくに構図の斬新さにいちいち息を飲んでしまうほど。
漱石の短くも豊かな文章力に、金井田さんの版画絵がまったく負けていない。
このどこまでも夢幻の昭和の匂いにうっとりする。
「第1夜」
瓜実顔の女が「もう死にます」と言うが、血色もよく、俄かに信じ難い。
「いつ逢いに来るかね」と尋ねると、「百年待っていて下さい」と言う。
日が昇り、日が沈み、長いこと待っているうちに騙されたんじゃないかと疑い始めていると、
女を埋めた土から真っ白な百合が咲いて自分のほうに傾いた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。
【気になる言葉】
判然(はっきり)
色沢(つや)
首肯(うなず)いた
「第2夜」
和尚が「お前は侍だから悟れぬはずはなかろう。悟れぬなら人間の屑じゃ。口惜(くや)しければ証拠を持って来い」と言われて、
もし置時計が次の刻(とき)を打つまでに悟れなかったら自刃する。悟れたら和尚の首をとろうと決心するが、
侍はなかなか悟りが来なくて、イライラしてると時計がチーンと鳴る。
【気になる言葉】
遠近(おちこち)
薬缶頭(やかんあたま)
好加減(いいいかげん)
「第3夜」
夜、自分の子どもを負ぶって森へと歩いている。子どもなのになにもかも分かっているというように
大人びた口のききかたをして気味が悪くなり、森に捨ててしまおうと考えていると、それも見通しているようだ。
「どうも盲目は不自由でいけないね。負ぶって貰ってすまないが、
どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされていけない。」
ある杉の木にさしかかると「御父(おとっ)さん、その杉の根の処だったね。御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね。」
そうだった、と思い出すと子どもは石地蔵のように重たくなった。
「第4夜」
酔った商人のような爺さんに歳やら聞いてものらくらと交わされる。
子ども相手に「絞った手ぬぐいが今に蛇になるから、見ておろう。見ておろう」と言うので、
男の子は1人きりになっても見ていたが、爺さんは河へざぶざぶ入っていって、とうとう上がって来なくなる。
【気になる言葉】
神さん(かみさん)
「第5夜」
戦に負けて捕虜になり、大将から「死ぬか生きるか」と聞かれ「死ぬ」と答えたが、
「その前にひと目思う女に逢いたい」と言うと、「夜が明けて鶏が鳴くまで待つ」と言われる。
その頃、女は裸馬に乗って早く飛んで来ようとするが、こけこっこうという鳴き声がして
手綱を急に緩めたため、馬とともに岩の下に落ちる。鶏の鳴く真似をしたのはアマノジャクだった。
【気になる言葉】
天探女(あまのじゃく)
「第6夜」
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると聞いて見に行く。
周りは皆明治の人たちなのに、運慶だけが昔のままの格好で、どうして今時分まで生きているのかと不思議に思う。
周りの1人が「あれは自分で彫っているんじゃない。木の中に埋まっているのを掘り出すまでだから間違うはずはない」
と言ったのが気になって、それなら自分にも出来るはずだと一目散に家に帰り、
薪にするつもりだった樫を何本も彫ってみたがいっこうに仁王は出てこない。
「第7夜」
船に乗っていて、船員にどこへ行くのか聞いても笑われてしまう。
いつ陸(おか)に上がれるかも分からず心細くなって、海に飛び込んで死のうとするが、
足が甲板を離れた瞬間、急に命が惜しくなって、よせばよかったと思ったがもう遅い。
船は通り過ぎてしまい、どこへ行くのか判らない船でも、やっぱり乗っていればよかったと思いながら、
無限の後悔と恐怖を抱いて黒い波のほうに静かに落ちて行った(恐ろしい・・・
【気になる言葉】
半巾(ハンケチ)
洋琴(ピアノ)
「第8夜」
床屋に入って椅子にかけると、鏡に映った往来の人が見え、その1人1人が気になって仕方ない。
薄い髭を捻って「さあ、頭もだが、どうだろう物になるだろうか」と主人に聞くが答えない
お代を払って外に出ると、金魚売りが金魚を売っている。
【気になる言葉】
帳場格子(ちょうばごうし)
「第9夜」
若い母と三つになる子どもがいる。父はある日出かけて帰ってこない。
母は夜になると子どもを背負って八幡宮に夫の無事を祈って、お百度参りをしていたが、
夫はとうの昔に浪士に殺されていた。
こんな悲しい話を、夢の中で母から聞いた。
【気になる言葉】
森(しん)として
雪洞(ぼんぼり)
四隣(あたり)
冷飯草履(ひやめしぞうり)=緒も台もわらで作った粗末なわら草履。
一図(いちず)
「第10夜」
庄太郎は正直者の閑人で、水菓子屋の店先でなにも注文せず、往来の女の顔を眺めて感心するのが道楽
ある日、立派な着物を着た女がひどく気に入って、彼女が買った果物の籠が重いというので持ってあげようと一緒に行って戻らなくなった。
7日目になり、皆が心配していたらやっと帰ってきた。女と山へ行っていたんだという。
絶壁まで来て、「ここから飛び込んで御覧なさい」と女がいうので断ると、
「それでは豚に舐められますが好うござんすか」と聞かれた。
庄太郎は豚が大嫌いだったが命には代えられないと思っていると、幾万匹か分からないほどの豚がやって来る。
鼻先をステッキで触ると岩下に落ちていくが、それも追いつかずとうとうその場で倒れてしまう。
親戚の健さんは、「だからあんまり女を見るのは善くないよ。けれども庄太郎のパナマの帽子が貰いたい」と言う。
(あれ?庄太郎さんは帰ってきたんじゃなかったの?
【気になる言葉】
水蜜桃(すいみつとう)
気作(きさく)
この話がブリトン・リヴィエアー作「ガダラの豚の奇跡」からヒントを得たんだな。
追。
パロル舎さんの著書大好きなのに、なんと、2012年に倒産しちゃったの→here
なんてこった・・・いい本を出すことと、経済は別物なんだね
わたしも図書館で借りてる身としては、なにも言えないないけど/謝
夏目漱石/作 金井田英津子/画
内田百間『冥途』、萩原朔太郎『猫町』ですっかり魅了されてしまったシリーズ3冊目。
「こんな夢を見た。」からはじまるフシギな物語。
これは本当に見たユメ日記なのか? それともまったくの創作なのか?
漱石の文章は、百聞さんよりさらに旧仮名づかいが多くて、
日本語の底知れない魅力の奥深さを感じた。
そして先日観た『夏目漱石の美術世界展』にあった通り、絵をモチーフにして書いた話もあって興味深い。
そして、なによりも金井田さんの画が本当に素晴らしい
とくに構図の斬新さにいちいち息を飲んでしまうほど。
漱石の短くも豊かな文章力に、金井田さんの版画絵がまったく負けていない。
このどこまでも夢幻の昭和の匂いにうっとりする。
「第1夜」
瓜実顔の女が「もう死にます」と言うが、血色もよく、俄かに信じ難い。
「いつ逢いに来るかね」と尋ねると、「百年待っていて下さい」と言う。
日が昇り、日が沈み、長いこと待っているうちに騙されたんじゃないかと疑い始めていると、
女を埋めた土から真っ白な百合が咲いて自分のほうに傾いた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。
【気になる言葉】
判然(はっきり)
色沢(つや)
首肯(うなず)いた
「第2夜」
和尚が「お前は侍だから悟れぬはずはなかろう。悟れぬなら人間の屑じゃ。口惜(くや)しければ証拠を持って来い」と言われて、
もし置時計が次の刻(とき)を打つまでに悟れなかったら自刃する。悟れたら和尚の首をとろうと決心するが、
侍はなかなか悟りが来なくて、イライラしてると時計がチーンと鳴る。
【気になる言葉】
遠近(おちこち)
薬缶頭(やかんあたま)
好加減(いいいかげん)
「第3夜」
夜、自分の子どもを負ぶって森へと歩いている。子どもなのになにもかも分かっているというように
大人びた口のききかたをして気味が悪くなり、森に捨ててしまおうと考えていると、それも見通しているようだ。
「どうも盲目は不自由でいけないね。負ぶって貰ってすまないが、
どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされていけない。」
ある杉の木にさしかかると「御父(おとっ)さん、その杉の根の処だったね。御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね。」
そうだった、と思い出すと子どもは石地蔵のように重たくなった。
「第4夜」
酔った商人のような爺さんに歳やら聞いてものらくらと交わされる。
子ども相手に「絞った手ぬぐいが今に蛇になるから、見ておろう。見ておろう」と言うので、
男の子は1人きりになっても見ていたが、爺さんは河へざぶざぶ入っていって、とうとう上がって来なくなる。
【気になる言葉】
神さん(かみさん)
「第5夜」
戦に負けて捕虜になり、大将から「死ぬか生きるか」と聞かれ「死ぬ」と答えたが、
「その前にひと目思う女に逢いたい」と言うと、「夜が明けて鶏が鳴くまで待つ」と言われる。
その頃、女は裸馬に乗って早く飛んで来ようとするが、こけこっこうという鳴き声がして
手綱を急に緩めたため、馬とともに岩の下に落ちる。鶏の鳴く真似をしたのはアマノジャクだった。
【気になる言葉】
天探女(あまのじゃく)
「第6夜」
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると聞いて見に行く。
周りは皆明治の人たちなのに、運慶だけが昔のままの格好で、どうして今時分まで生きているのかと不思議に思う。
周りの1人が「あれは自分で彫っているんじゃない。木の中に埋まっているのを掘り出すまでだから間違うはずはない」
と言ったのが気になって、それなら自分にも出来るはずだと一目散に家に帰り、
薪にするつもりだった樫を何本も彫ってみたがいっこうに仁王は出てこない。
「第7夜」
船に乗っていて、船員にどこへ行くのか聞いても笑われてしまう。
いつ陸(おか)に上がれるかも分からず心細くなって、海に飛び込んで死のうとするが、
足が甲板を離れた瞬間、急に命が惜しくなって、よせばよかったと思ったがもう遅い。
船は通り過ぎてしまい、どこへ行くのか判らない船でも、やっぱり乗っていればよかったと思いながら、
無限の後悔と恐怖を抱いて黒い波のほうに静かに落ちて行った(恐ろしい・・・
【気になる言葉】
半巾(ハンケチ)
洋琴(ピアノ)
「第8夜」
床屋に入って椅子にかけると、鏡に映った往来の人が見え、その1人1人が気になって仕方ない。
薄い髭を捻って「さあ、頭もだが、どうだろう物になるだろうか」と主人に聞くが答えない
お代を払って外に出ると、金魚売りが金魚を売っている。
【気になる言葉】
帳場格子(ちょうばごうし)
「第9夜」
若い母と三つになる子どもがいる。父はある日出かけて帰ってこない。
母は夜になると子どもを背負って八幡宮に夫の無事を祈って、お百度参りをしていたが、
夫はとうの昔に浪士に殺されていた。
こんな悲しい話を、夢の中で母から聞いた。
【気になる言葉】
森(しん)として
雪洞(ぼんぼり)
四隣(あたり)
冷飯草履(ひやめしぞうり)=緒も台もわらで作った粗末なわら草履。
一図(いちず)
「第10夜」
庄太郎は正直者の閑人で、水菓子屋の店先でなにも注文せず、往来の女の顔を眺めて感心するのが道楽
ある日、立派な着物を着た女がひどく気に入って、彼女が買った果物の籠が重いというので持ってあげようと一緒に行って戻らなくなった。
7日目になり、皆が心配していたらやっと帰ってきた。女と山へ行っていたんだという。
絶壁まで来て、「ここから飛び込んで御覧なさい」と女がいうので断ると、
「それでは豚に舐められますが好うござんすか」と聞かれた。
庄太郎は豚が大嫌いだったが命には代えられないと思っていると、幾万匹か分からないほどの豚がやって来る。
鼻先をステッキで触ると岩下に落ちていくが、それも追いつかずとうとうその場で倒れてしまう。
親戚の健さんは、「だからあんまり女を見るのは善くないよ。けれども庄太郎のパナマの帽子が貰いたい」と言う。
(あれ?庄太郎さんは帰ってきたんじゃなかったの?
【気になる言葉】
水蜜桃(すいみつとう)
気作(きさく)
この話がブリトン・リヴィエアー作「ガダラの豚の奇跡」からヒントを得たんだな。
追。
パロル舎さんの著書大好きなのに、なんと、2012年に倒産しちゃったの→here
なんてこった・・・いい本を出すことと、経済は別物なんだね
わたしも図書館で借りてる身としては、なにも言えないないけど/謝